特別な使用人
「そ、んなの許されるわけないでしょう……!」
事前に味方になってくれと頼み込むのが私だなんて…ロアは人選ミスをしたと言わざるをえないわね。
むしろ、私が一番反対するのは目に見えてるでしょうに。
セルア様がビクリと怯えたように肩を揺らした。
ああ、お客様の前で声を荒げるだなんて。
でも、それぐらいショックで、そして、──悲しい。
セルア様とどんな運命的な出会いをしたのかは分からないけど、生まれた頃から仕えてきたメフィス伯爵家がこんな、一人の令嬢に負けるだなんて。
「そう言うと思ったよ。……母さんが、だけど……でも決めたんだ」
「私達ミュール家は、一族でメフィス伯爵に忠誠を誓っているの。心から。あんたのその身勝手な行動は、私達が築き上げた信頼関係を崩すものなのよ!でも決めたですって?──あんたの一存で決められるものじゃないのよ」
もしも相手がヒルドマン侯爵だったなら、私は渋々頷いたかもしれない。お嬢様が嫁がれるところだし、何より……。
「セルア様の前で言うのはナンだけど──ロア。あんた、忠誠心と恋心を取り間違えてるんじゃない?」
「……はっ!?」
ロアは血相を変えた。
だって、そうとしか思えない。先ほどのやり取りをみる限り、少なくともセルア様のロアへの態度は、使用人に対するものではなかったもの。
「そうでしょう?じゃなきゃ、主の前で座ったりなんかしないし、そんな口の利き方しないわよ」
ロアは俯き、セルア様は傷ついたような表情を浮かべている。そっとお嬢様を窺えば、無表情だった。気高い女主人。
思わず見惚れてしまう。こういうのを、心酔する、とでも言うのかしら。
「それは……っ」
「セルア様」
セルア様が何か言いかけて、それをロアが止める。
「分かりました。じゃあ、セルア様への忠誠を見せ、主に相応しい対応をすれば許してくれますか、リドニア?」
いきなり敬語に直したって。
「そんなわけないでしょ。──とりあえず、マリア侍女長とルドルフ執事を呼びましょう」
話は、その後だわ。
***
メイドに呼びに行かせてから数分。慌ただしく母様と父様が部屋にきた。
セルア様が立ち上がってぺこりと頭を下げる。……使用人相手に、わざわざ頭を下げるのね。もしかしてロアの両親だから?
私が相当意地の悪いことを考えている間に、ロアは私達に言ったことをもう一度二人に言った。
「………そう」
母様も父様も、私のように取り乱したりはしなかった。それでも頬は強張って、何度か視線をさ迷わせる。
「あの、私……!」
立ち上がったセルア様を視線だけで止めると、父様は数秒の間目を閉じた。
「これは、我々だけの問題ではない。後日、リジン様とローズ様をお呼びし、話し合いの席を設けましょう」
あ……。
そうよね。次期メフィス伯爵はリジン様。私はお嬢様に付いていくつもりだったから、当然ロアもお嬢様に仕えるものだと思ってたわ。
ロアの主はリジン様なのよね。
「ですがあの、ルドルフ執事。学校は……」
ロアの控え目な主張。
学校なんてこの際どうでも良いでしょ!変なところで真面目なんだから。
一言文句を言ってやろうと私が口を開くよりも早く、父様が私に向かって鋭い声で命じた。
「今から、一時休暇申請の紙を届けさせる。リドニア。手配を」
「は、はいっ」
「マリアはウォルツ伯爵家へ、リジン様とローズ様宛てに手紙を。出来次第届けさせるんだ」
「分かりました」
残されたのは、お嬢様、セルア様とロア。
ちなみにこの時私は、書類に休暇申請理由を書いていた。
「セルア様。日にちを変えて、改めて話し合いましょう。その際はミネルバ公爵にもこちらの招待を受けていただかねばならないかもしれません」
きっと、ロアとセルア様の約束は口約束くらいに軽いものだった。そこに心の通った堅い忠誠があったとしても──父親の名が出て初めて、セルア様は気付いたはずよ。
ミュール家の次期当主に仕えられる重さを。
私がセルア様に仕えるよりも難しいでしょう。
ロアは、私よりも価値が高いから。純粋な意味で。
「わ、かりました」
セルア様の返事に父様はニコリと笑う。お客様相手に見せる笑み。
「では、失礼いたします」
私が手配を終わらせたのはセルア様がお帰りになった後で、お嬢様は「驚くほどに空気が重く、非常に気まずかった」とおっしゃった。
正直寝不足でそれどころじゃなかったけど。なんだか、窓から空を見てたら妙な同情心が湧いて。
「……ロア?」
「姉さん!?」
裏切り者の部屋の扉をノックした。
もう皆寝ているこんな時間に起きてるということは、ロアも眠れなかったのかしら。
「…ごめんなさい、起こしたかしら」
部屋に入りながらわざとらしくそんなことを言ってみると、ロアは緩く首を振った。
「いや、姉さんが来てくれなかったら、一晩中ぼーっと空を見ていたかもしれなかったよ」
と微妙な返事をくれる。
「偶然ね。私も空を眺めてたわ」
「ほんと?すごいね。やっぱり姉弟だからかな」
「え。そんな細かいところも似るの?」
「知らないけど」
ロアは一度部屋から出て、数分後にホットミルクを持って戻ってきた。
「どうぞ。──今から始まる話は、手短に終わらないだろ?」
「ええ。多分ね」
「セルア様のことを聞くんなら、2、30分じゃ終わらないよ」
私はロアのベッドに座っていて、ロアも私の隣に座った。
「……こんなに長い間学校を休むのは、初めてだ」
「勉強とか遅れないの?」
「いざとなれば、父さんに教わるから」
──そういえば、ロアって学校の成績いいのかしら。
……。
ま、まあこの話は今はいいわよね。
「で?何が聞きたいの?」
「セルア様とは…どこで会ったの?あんたの学校、男子校でしょ」
というか、そもそも男女混交の学校がない。女子校ならば花嫁修業目的で、男子校ならば王立の貴族の子息が入る学校からロアの通う執事養成学校まである。
大体において、男性が優先された世なのよね、今は。
「たびたび、街へ抜け出してるって話はしたっけ?」
「ええ、聞いたわ。あんたが帰ってきた初日に」
忍ぶような身分じゃないでしょ、と思ったのを覚えている。
あの頃は、こんなことになるなんて思ってもみなかったのに。
そんなことを思いながらホットミルクを飲む自分が、なんだかお年寄りにでもなったかのような気分になって、私は小さく笑ってしまった。
……本当、こんな落ち着いた気分でいちゃいけないのに。