暴いてはいけない秘密
静かで神秘的……いえ、音のない、不気味な空間を、私とティルー殿は進んでいく。彼は暗闇に対して恐怖を感じないようだったけれど、私は、ティルー殿の立てた音でさえ内心悲鳴を上げてしまう。
ゆっくり進んでいくと、段々と目も慣れてきた。気を紛らわすために壁や絨毯を真剣に見つめていると。
「ん?──リドニア殿」
「え、あ、ど、どうされました?」
「いえ……向こうに、光が見えませんか?」
「光っ?」
ビクリと肩が跳ねた。だって、怖いんだもの!
ティルー殿が指差しているのは、廊下の壁にある、窓の外。暗闇の中、光を見つけるのはとても簡単だった。
目をこらす必要なく、私の目は、それを捕えた。
……。 ……確かに、何か、光が動いてる。見たところ、あれは火ね。わずかに風で揺れてるもの。
まさか、とティルー殿を見ると、彼は窓の鍵に手をかけた。
「行きましょうか、リドニア殿」
「─…はい」
ガラリと窓を開き、ティルー殿は私に窓の枠に足をかけさせると、持ち上げるようにして外に出した。目が慣れているとは言え、ここは闇の中。足が地面に触れた時にはホッとしたわ。
その後ティルー殿が身軽に窓から外に出てきた。
そして再び、揺れる火を追う。
火は迷いなく、城壁に沿うようにして庭園を進んでいった。
ここまで来たら引き返すのも馬鹿馬鹿しいわ。私も、足音を立てないようにしてそれを追っていた。
「……あれは、母様でしょうか」
火を目で捕らえながら言えば、傍らでティルー殿が肩を竦めた。
「分かりませんが、恐らくは」
「こんなところで、何をするのでしょう?シンシア様が傷心の時に。不謹慎だわ」
母様はもう、シンシア様の侍女ではないかもしれないけれど。でも、だとしても一度でも主として仕えた方が不安を感じていたら、私だったら傍で支えたいと思うわ。
母様にも、そんな風に考えてもらいたい。
そんなことを思っていると、ずっと前を歩いていた火が、ピタリと止まった。城壁の前だった。
……私やお嬢様が、ミーユ様にティーパーティーに参加させられた場所の、すぐ近く。
そっと近づき、木の陰からそれを見つめていると。立ち止まって何かをしていた母様(?)が、火をこちらに掲げて振り返った。
「……っ!」
「しっ、静かに……」
ティルー殿が、私を抱き寄せるようにして木陰に入る。そんな状況でもないのに、私の頬がわずかな熱を持った。
……照れてる場合じゃないのに!
もしも追跡なんかしていたのを母様に知れたら、かなり叱られて、お嬢様の侍女を外されてしまうかもしれない。
少しの間、母様は振り返っていたけれど、すぐに前を向いた。
キィ、と弱々しい音がして、火が、消えた。
「消え……ましたね」
「行ってみましょう」
「──ええ」
小走りで向かうと、そこにあるのは城壁だった。
──ここで消えたのよね?
ペタペタと壁に触れて辺りを見回していると、「リドニア殿!」と隣から鋭い声がした。
「ティルー殿。何かありましたか?」
「見てください、この扉。……『裏口』じゃないですか?」
ティルー殿に近寄る。
そこにあるのは、古ぼけた木の扉。固いもので殴れば、呆気なく壊れてしまいそうだわ。
「裏口!?これが?」
錆びかけたノブを握り、捻ったけれど、ガチッと金属がぶつかる音がして回らなかった。
「……鍵が……」
「きっとここですよ。──開きませんか?」
私が、鍵がかかっていることを身振りで伝えれば、ティルー殿が扉の前に立った。
少々強引に扉を揺すると。
──バキッ
「あ」
「ああっ!!何ということを……!」
わ、割れた!扉が壊れた!
走って逃走したい思いに駆られながら、私は扉を見る。鍵はかかったままで、扉だけがティルー殿の乱暴な扱いに耐え切れなかったみたい。
「リドニア殿、奥に通路が」
「貴方ね、何考えてるんですか!と、扉が……扉が壊れて、──ああ、もう終わった……」
「行きましょうか」
捕まって、死罪になるんだわ。裏口を壊した罪で。
手を引かれて、引きずられるようにして、私は裏口から中に進入した。
裏口の中は、薄暗い闇で覆われていた。微かに明るいのはきっと、壊れた扉から注ぐ月光と、それから奥に続く通路のどこかに、光源があるからだと思うわ。
彼に妥協して着いて行った私の浅はかさに絶望しながら、私は中を歩いていく。
──早く帰りたい。
もう母様とかはどうでもいいわ……帰って、残りすくないこの生を、謳歌したい。
「───ね」
「──は、………す」
微かな、本当に微かな声が聞こえた。私がそれをティルー殿に伝える前に、彼は歩く速度を落として、私にもそうするように指示した。
「……行きましょう」
とても小さく囁かれる言葉。
「分かりました」
同じくらいの音量で返して、壁に沿うようにして歩く。
通路の壁に、扉らしきものは無かった。
その代わり──通路の最奥に、扉がある。
中からは、先ほどよりしっかりと声が聞こえてきた。
「……今日で最後ね」
「ええ」
「また会えればいいけれど」
──!
この声。聞き違うはずはないわ。
隣を見れば、ティルー殿も目を丸くして、驚いている。
……この声は、シンシア様とミーユ様。
どうしてお二人が、こんな場所に。
「ティルー殿、ここで引き返しましょう……!」
「……どうしてですか?」
「私達使用人が、王族の方々の秘密を探るなど、許されてはいません……!」
──多分私はこの時、泣きそうだった。
こんな、分かりづらく鍵のかかった部屋で交わされる会話。
例えばこれが、母様ならばよかった。叱られただろうけれど……逆に言えば、叱られるだけですむ。私達と母様の間の距離は、とても少ないから。
けれど、どうだろう。
王族の方々と私達は、天と地よりも離れている。
私は──私達は、この秘密を暴いてはいけない。そう確信していた。
「ティルー殿……!ティルー殿、戻りましょう」
しがみつくようにして彼を来た道に押し返そうとすると。
「リドニア殿。……無理みたいです」
扉に背を向ける私を力一杯抱き寄せると、ティルー殿は苦笑して扉へ視線を送った。
「……えっ?」
次の瞬間、爆発したようにガシャンッと開いた。
「っ!?」
「どなたです!!」
響いたのは、鋭く攻撃的な。まるで殺意でも混じってるのではないかという、母様の声。
思わずティルー殿にしがみつくと、彼の腕も更に私を引き寄せた。それは男女のする抱擁というよりも、子供が親にイタズラを見付かった時のような、怯えからくる抱擁に似ていると思う。
「……母さ、」
「リドニア!?……と、ティルー殿?」
──何で、母様がティルー殿を?そう思ってから、ティルー殿が母様を知っているのと同じ理由なのだと分かる。私が酔っ払って寝た時に、知ったのよね。
「どうしてここに……」
扉が開け放たれた室内からは、ランプの灯が漏れている。
母様の奥には数人の人がいて。
その方々の顔ぶれに、私は目を見張った。
──どうして、こんな国の重鎮が揃ってるの!?
母様、ミーユ様、シンシア様。このお三方は、まだいいわ。問題なのは。
シンシア様の隣に座る男性。
「……レイ様……」
そして。
ミーユ様に寄り添う、
「──陛下」
ティルー殿の呟きと私自身の視界に映るその御方に、目眩がした。
遅くなりました。
待っていて下さった方には、とても申し訳ないです。