使用人達の追跡
ヒタリ、という音で、目が覚めた。
最近、私には睡眠運(恋愛運とか、そういうの)がないらしい。毎回変な時間に寝たり起きたりしてるわ。変な癖がついたらどうしよう……。
どんなに遅く寝ても、決まった時間に覚醒する癖がついている。まだその時間じゃないことを知って、身体が傾いた。
まだ眠い。朦朧とする意識の中、耳に微かな音が入り込む。
……ヒタリ……ヒタリ……
「………、」
身体がベッドにつくまえに、ガバリと起き上がる。
音は、扉の外から。これは──足音よ!
毛布の温もりが、一気に遠く感じられる。温かいのに寒い。そんな感じ。
動きを止めた私を支配しているのは、最早睡魔ではなく、恐怖!眠気なんか一気に覚めたわよ。
自慢じゃないけれど、私は、幽霊とかってあまり得意じゃない。だって怖いじゃない、対処方もないし!
普段なら発揮されないような想像力が二割増しで発揮され、部屋の向こうを想像してしまう。
──何かしら。誰?人?人よね!?
ヒタ、ヒタ、と足音はどんどん遠ざかっていく。心臓は、自分で分かるほどに騒いで鼓動を打っている。
怖い。けど、気になる。
ゆっくりと毛布から足を出し、地面へ降ろした。靴を探して履く。毛布が地面へ落ちた音が暗闇に響き渡る。身体がビクリと震えた。
泥棒のように足音を立てないよう、そろりそろりと床を歩いた。扉まではそう遠くもなかったのに、床を少しずつ歩いているとかなり遠く感じられた。
カチャリ、ノブを触った音に、肩が跳ねた。幽霊とか関係なく、もはや音が怖いわ。
そっと回し、扉を内側に引くと──。
「……っ」
「──っ!?ひゃぁむぐぐ……!」
だっ、だっ、誰かがいた!
いえ、いたと言うか……まだいる。
私の意思とは関係なく、生理的に出た悲鳴。誰かの手が口を覆ってそれを防ぎ、私はそのことに、さらに恐怖を募らせる。負の連鎖って言うのよね、こういうことを。あれ違う?
バタバタと暴れる私を羽交い締めにして押さえ付け、口を塞ぐ。
「───っ!ちょっ……!」
「静かにして下さい、リドニア殿っ!」
「………む?」
耳元で、それこそ静かに囁かれた言葉に私は動きを止めた。抑えて、ほとんど音にならない声だけど、この声って、
「……ティルー殿?」
「そうです」
ピタリと動きを止めた私から、その人……ティルー殿は怖々と離れる。
「騒がないでくださいよ?」
……なんだ。
……ティルー殿だったの。
ティルー殿が離れた途端、私は支えを失ったかのようにズルズルと廊下に座り込んでしまった。
恐怖で、身体が小刻みに震えている。
「……ティルー殿も、足音で起きたんですか?」
「ええ、そうです。大体、驚きましたよ……あれ?」
文句を言っていたティルー殿は、座り込んだ私を見下ろした。驚いたように目をしばたかせる。
「何してらっしゃるんですか?」
「いえ、別に」
怖かったなんて、絶対言えないわよ……。
「気になりません?あの足音」
「いえ、気になりません」
気持ちとしては、さっさと部屋に戻って寝たい。でも、全身が震えて立てない。どれだけ驚いたのよ私!
「追い掛けてみましょうよ」
ティルー殿は急かすように私の腕を引っ張った。座り込んだまま挙手するような形になる。
「行きたければ、お一人でどうぞ」
「えーでも、今の、えーと、……マリア侍女長……ですよね?」
……。
「母様……?」
リドニア殿のお母上なんですか?とティルー殿が言った。そういえば、言ってなかったかしら?
こんな夜更けに、母様が?
考えられるのは、お手洗いとかだけど、母様の部屋からならこちら側に来るのは変よね。お手洗いは向こうの、私の部屋とは真逆だもの。
真剣に考えてから、ハッと気付く。
……何が悲しくて真夜中に母親の後を追わなきゃいけないの。面倒臭い。
うんざりと睨んでやると、ティルー殿は粘り強い説得を試みる。粘り強いっていうか、ただ単にしつこいのよね。
「それに、礼服を着てたんです。礼服を!」
「礼服?」
「そうです」
私の食いつきに、満足げに微笑むと、彼は言った。
「まるで、貴族や、国王陛下に謁見するような」
「……謁見って、」
「気になりますよね?」
「………」
さっきは気にならないなんて言ったけど……礼服を着ていたなんて言われれば、気になるに決まってる。長々と話しているせいで目も覚めてきたことだし。
私の無言を、ティルー殿は肯定と取ったらしかった。
「気になりますよね?行きましょう」
「あ、ちょっと!」
引きずられそうになりながらも、私はティルー殿を突っぱねた。
「待ちなさい!私達は使用人ですよっ?変なことに頭を突っ込むのは、あまり褒められたことではありません!!……むぐぐ」
「だから黙ってくださいって。──そういえば、何で立たないんですか?」
なかなか立ち上がらない私を見下ろして、ティルー殿が言った。
「……力が入らないんですっ」
そう言えば、目を丸くして私の身体を起こしてくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、はい、行きましょう」
ティルー殿は私の腕を掴み、まるで連行するみたいにその場から移動しようとした。
だから、何で行くのよっ!
そう抵抗しようとすると──、
「あ、少し待ってください」
ふと振り返り……私を見た。私がティルー殿の顔を見ても、目は合わなかった。それに気付いたところで、同時に、私はこの暗闇に目が慣れていることを自覚した。
ティルー殿は素早く自分の部屋に入る。私は廊下でぽつりと一人きりになった。
「………」
何で私、起こしてもらってお礼言ったのかしら……。ティルー殿のせいで立てなくなったのに。
「戻ろう」
クルリと振り返り、私は自分の部屋に戻った。
礼服を着て、深夜に部屋を抜け出した母様。いきなり離婚された、母様の元主、シンシア様。様子が変だったミーユ様に、離婚の理由を言わない陛下。
変なことばっかり起こるのは、ここが王城だからかしら。王族なんて、貴族よりも理解不能な方々だから。
……けど。
使用人は全てを見て見ぬふりをしないと。それが有能な使用人の証。ティルー殿みたいな不思議に思って即行動なんて、無能な使用人のすることよ。一番嫌がられるタイプ。
それより、どうしてヒルドマン侯爵はあんな駄目な侍従を雇い続けているのかしら!それが一番の謎よ!!
「あーちょっと、何戻ってるんですか」
「い!?な、ノックも無しに女性の部屋の扉を開けるなんて、信じられな……むぐぐ」
「黙ってくださいと、何度言えばいいんですかね。行きますよ」
信じられないことに、部屋に乱入してきたティルー殿。私の腕を掴んだままズルズルと……ということはなく、グイグイと引っ張られる。
「ちょ……、痛、痛いですから!離してください」
「じゃあ来ますね?」
「……はぁ、分かりました……行くだけですよ?」
──根負け、した。
*********
「っくしゅ!」
耐え切れないほど寒いということはないけれど、真夜中の廊下は肌寒い。私は上着の前を合わせ直した。
ティルー殿が部屋から持ってきたのは、今私が着ている上着。あの時私が着ていたのって、寝間着だったのよ!それに気付いたティルー殿が、寒いだろうからって上着を貸してくれたの。
「いませんねぇ、マリアさん」
「いつの間に人の母親とさん呼びする仲になったんですか」
……ひたひた……ひたひた。
二人分の足音が、空間に浮かんで跳ね返る。歩いていても腰が引けて、ティルー殿のようにキョロキョロと周りを見渡せない。窓の外なんて見て、何かがいたらどうするの。
「同じ職場でもないのに、侍女長と呼ぶのも変でしょう?だからと言って、リドニア殿のお母上、と呼ぶのも面倒です」
「貴女がマリア侍女長の名を呼ぶ機会など、そう何度もないでしょう」
ティルー殿の半歩後ろを歩く。
……と、ティルー殿が立ち止まって振り返った。
「リドニア殿」
「は……はい?」
「どうしてマリアさんのことを、マリア侍女長と読んだり母様と言ったり変えるんですか。変ですよ」
グイッと手を伸ばされ、掴まれたのは。
恐怖が吹っ飛んだ。頭の中が真っ白になる。
「えっ……ええ?ちょっと、」
変と言われたことに対して抗議しようとしていた口は、全く別のことを言う。幼い子供のように、繋がれた手を見つめる。何のつもりなのかしら。
ティルー殿は、別段気にする様子はなく、手を繋いだまま歩きだした。グイッと先程よりも早い歩調に、繋いだ手を中心に私もつられる。
驚いて離そうとすると、チラリと見られた。
「離さないでください。リドニア殿の歩調は、正直遅いです」
……遅いって。
……それだけ?
──それだけだった。
ティルー殿はそれきり無言で歩き続け、私も同じ速さで歩く。特に気まずさは感じなかったけど、私は先程話していた母様の話題を続けることにした。
「母様の呼び名のことですが」
「え?ああ、はい」
「仕事の時と私的な時で呼び名を変えているだけです」
これは別に、私達ミュール家に限られたことじゃないわ。親族が同じ職場になったら、誰だってそうすることでしょう。
それを言えばティルー殿は、きょと、と私を見る。初めて知りました~みたいな顔をしている。
「そういうものですか?」
「そういうものですよ。ティルー殿だって、もしもご両親が同じ職場にいたらそうしますでしょう?」
「……さぁ……。どうでしょう」
「……、……も、」
「も?」
「あ、いえ」
もしかして……ご両親がいらっしゃらないんですか?なんて。そう聞いてしまいそうになるほど、ティルー殿はぼんやりと首を傾げたから。まるでそんなこと、考えたこともなかったみたいに。
よりにもよってそんな時、街でスリをしていたと言うティルー殿が思い出されてしまう。彼はもしかして、私の想像も及ばないような人生を送ってきたんじゃ……。
私の、不安そうな表情が伝わったのかしら。ティルー殿は繋いだ手の力を強めて、歩みを早くした。
私とティルー殿は、家族のことや過去を話し合う仲じゃない。ただたんに、主が婚約をしたという関係。それを思い出した。
「──変なことを言い出して、申し訳ありませんでした」
「いえ、リクト様とルーシャン様がご結婚されるば、僕とリドニア殿も顔を合わすことが増えるでしょうし。仲良くしましょう」
「……あっ、だから私を無理矢理連れて来たのですか?親交を深めようと?」
「いえ、まぁ……一人より二人のほうが楽しいかなと思いまして」
ヒタヒタ、ヒタヒタ。
何となく恐怖は薄れていく。
お嬢様や旦那様と歩く時みたいに、足音などの所作に気を遣わなくていい(って言っても、私はたとえ一人でも、だらし無い動きはしないわよ?)。
手を繋ぐことへの恥ずかしさはなくなって、導かれるままに歩いていた。
「ね、リドニア殿。楽しいでしょう?」
「……普通です」
楽しいなんていうことは、断じて、ない。
……ただ、居心地は悪くないけれど。