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潔癖な人

喫茶店はあんまり重要ではなかったです。

もう少し喫茶店が全面的に出ていたらサブタイトルに付けようかと思っていたのですが……。

貴女は潔癖ですね。

そう、トールに言われたことがある。

二人で買い出しに出ていた時だったか、もしくは休憩時間の時だった。どうしてそんな話になったかも覚えてない。

ただ、潔癖ですねと言われて、悲しくもなかったが嬉しくもなかった。

だって、そうでしょ?

不正や──悪事を好く人がいる?

それに、私は別に潔癖なんかじゃない。私が嫌なのは、不正や悪事ではなく、それらをお嬢様が見てしまうこと。知ってしまうこと。

お嬢様は旦那様からも愛されて(もちろん、奥様からも)、貴族の汚い部分も見ないように目をふさがれていた。

お嬢様には、常に純白でいてほしい。それが、私と旦那様の願いだった。

マリア侍女長や奥様は、それに対して非常にドライな反応だったけれど。

『いつかは知るのだから、わざわざ隠さなくてもいいんじゃない?』

だなんて!御自分の娘なのに!

お嬢様には、犯罪やドロドロとした貴族の恋愛なんて知ってほしくない。

例え知っても、新聞や噂だけにとどめておいてほしい。

それを幼い頃からずっと願っていた。それが転じて、私は潔癖になったのかな、なんて。思っているけれど。

だから、正直に言ってスリなんていう小さいけど代表的な犯罪をしている人を、お嬢様の傍に置きたくない!!

だって、スリって言ってしまえば窃盗よ!?



──なのに。私はどうして犯罪者の後ろを歩いているのかしら。ああ、もうお嬢様の前に立てないわよ!どうしてくれるの!

ティルー殿について行くのは、酔った時のような、沈鬱な気分だった。今から走り出してウォルツ伯爵邸に戻りたい。

……スリをするのは、大抵が労働者階級の人。

私は父や母の職と、家族単位でメフィス伯爵家に仕えていることから中流階級となる。ちなみに、お嬢様のような貴族は、上流階級と呼ばれているの。

人混みにもまれて、私はティルー殿を見失ってしまった。一度「あれ?」と思えば迷子になるのは簡単で、思わず立ち止まってしまえば、私は一人になっていた。

は……はぐれた。

はぐれても構わないけれど、万が一にもティルー殿が私を探してくれたら厄介だ。遭難したら動かない方がいいというけれど、迷子の場合にも当て嵌まるのかしら。

それとも、このまま私も喫茶店に行くべき?

……迷いに迷ったすえ、私は喫茶店を探すことにした。あまり詳しくないから何とも言えないけれど、進行方向に進めばあるのよね?

人に流されながら歩く。先程までは腕を掴まれていたから歩きづらかったけれど、今はそれほど歩きづらくない。

……あら?

歩いていると、慣れていない私と違う、いかにも慣れている様子で歩く少年が目についた。

私の財布を盗った少年だ。

進行方向とは真逆の方向だったけれど、つい気になってしまって私は彼を追った。少年はスイスイと人の中を進んで行き、比較的身なりの良い人にぶつかっていった。まさに、神業としか思えなかった。

彼がスリを行っていると意識しても、私には少年の手の動きが見えなかった。

少年はぶつかった相手に謝りながら路地裏に向かって行く。

──私も、彼を追った。



少年の入った路地裏に行くと、彼はごみ箱に寄り掛かって座っていた。

「……ねえ」

声をかけると、少年は振り返って驚いたように私を指差した。

「あ───!!」

「こ、こんにちは。さっきぶりね」

猫みたいな少年。

実際、私をフーッと威嚇してる。

「何の用だよっ!?」

「あ、いや、その……」

「また盗む気!?」

ごもっともな返答。でも、ティルー殿じゃないけど、最初に貴方から盗んだのよね?

「滅相もない」

私は両手を上げて敵意がないことをアピールすると、ジリジリと彼に近寄った。

「あの、ティ……いえ、連れが盗んだぶんのお金、払うわ」

言うと、少年は完全に疑う目で私を見る。確かに、盗んでから返すなんて言っても信じないでしょうね。

「──ほんと?」

「ええ。いくら?」

あの財布はかなり膨らんでいた。持ち合わせも少ないし、足りなければ何回かに分けて払ってしまおう。

──なーんで、私がティルー殿の尻拭いをしなければならないのかしら。

とは思うけれど、ティルー殿に言ったところで、笑って済まされるだけでしょう。でも!絶対このままだったら引きずるわ。トールに言わせれば、潔癖なのだもの、私。

少年はニヤリと笑って金額を言った。

「──は?」

「だから……」

もう一度。少年の口からありえない額が。

……え。そんなに入ってたの!?

私の月収と変わらないじゃない!

余計なことを言わなければよかった。そんなことを思ってしまう。

「……あー、えっと、来月くらいに……」

それとも十回払いくらいが……と考えていると、ポンと頭が叩かれた。痛くはないけれど──叩かれたとしか表現できない。

「そんなに高いわけないでしょう」

面白いくらいに、少年の顔から笑みが消えた。

「ティ……ルー殿?」

振り返ると、そこには怖い顔をしたティルー殿。睨むような、どこか冷たい表情をしている。

「リドニア殿。貴女は顔に似合わず世間知らずですね」

顔に似合わず?ですって?

褒めてないわよね……。きっと。

「な……にが……」

「そんなに高額のお金が入っていたわけないでしょう」

「でも、この子は……!」

必死に言い返すと、ティルー殿は嘆息した。

「嘘です。分かりやすい嘘」

嘘、って。……嘘?

思わぬ言葉に、一瞬私は放心した。

嘘なんて。吐かれたことなかった。

こんな悪質な。笑ってすまされることじゃない。

「うーん──正確ではないでしょうけど、これくらいですか」

そう言ってティルー殿が口にした金額は、安くはないけれどありえないものではなかった。最初に私が覚悟していたくらいの額でもあった。

「満足ですか?行きますよ」

「ちょっと!お姉さん、払ってくれるんじゃなかったの?……嘘つくの?」

強調された「嘘」。

この子は、私がその言葉に怯んだことを敏感に察していた。

私がそれに嫌悪感を抱いていることも。

持ち合わせているぶんだけでも払おうと足を止めたのに、今度こそティルー殿に手を引かれて止まることができなかった。

睨まれていない私ですらぞっとする温度の視線で少年を睨むと、そのまま振り返らずに歩いていく。先程街を歩いていた時は、ティルー殿は私に合わせてくれていたらしい。今は男女の足の長さの違いを思い知らされながら歩いているもの。

それに──。

なんで腕じゃなくて手を引くのよ。掴むなら腕にして!

なんて言えなくて、なるべく喫茶店が遠いことを祈っているわ。手を繋いでいたいとかではなく、何となく怖いから。

無情にも、喫茶店は近かった。

いえ、私がそう感じただけかもしれないけれど。

「お二人様ですかー?」

「ええ」

「こちらにどうぞ」

ティルー殿と店員の会話を、どこかぼうっとして聞いていた。



「リドニア殿。何を飲みますか?」

「……」

「リドニア殿?」

「え!?あ、紅茶を……」

ティルー殿が、メニューを片手に何かを言っている。私にもその声は聞こえるんだけど、その声は言葉と認識されるよりも早く私の脳から滑り落ちていく。

「もうランチタイムですから、ここで食べてしまいましょう」

「……そうですね」

ああ、私の記憶に住み着いて、グルグルと何度も思い出してしまう。

少年の悪意ある笑み。

決して気分の良いものではない。

「何にしますか?」

「………ええ」

ティルー殿が呆れて溜め息を吐きたのにも気づかず、私は少年の笑みを思い出す。

「リドニア」

「……何でしょう……」

思い出しては気分を悪くして、気分を悪くしては思い出す。嫌なループだった。

「──リドニア殿」

ティルー殿が身を乗り出して、手を伸ばしてくる。何をされるのかと身を引くと、再び頭を叩かれた。痛くない、路地裏のときと同じものを。

「な、何をするんですか」

「忘れましたか?」

「え?」

「あのガキ……いえ、少年のことです」

忘れるわけない。

私は、自分が思っていたよりも引きずる性格らしかった。

「忘れませんよ。きっと、長い間忘れない」

「……でしょうね。貴女、騙され慣れてなさそうですし。あんなに分かりやすい時にもすぐに信じ込む」

馬鹿にするような内容だったけれど、口調には私を揶揄するような色はなかった。

「さ。ランチは何にしますか?」

「え?ここでいただくのですか」

「先程言いましたけど」

壁にかかる時計を見ると、私の予定ではウォルツ伯爵邸に着いている頃だった。

お嬢様の食事、どうしよう……!?

今すぐに戻りたい衝動に駆られていると、そんな私に気付いてティルー殿は悠長なことを言った。

「ルーシャン様のことでしたら、リクト様か……ローズ様がどうにかしてくれますよ」

「無責任なことを言わないでください」

「それに……たしか今日はウォルツ伯爵主催のランチパーティがあったはずですし。大丈夫ですよ」

ランチパーティ?そう言えば、昨夜エリザがそんなことを言っていた。ような気がする。

ティルー殿が昔スリをしていた、ということを聞きたかったはずなのに、雰囲気でも気分でも、そんな気にはなれなかった。

「……意外と、潔癖なんですね」

「え?」

軽食を摂りながら、ティルー殿がぽつりと言った。人から潔癖であるとの評価をもらったのは二回目だ。

「あまりそうは見えませんけど、犯罪や──嘘に対して嫌悪感を抱いている」

「そうは見えませんか」

「ええ。あまりそうは見えません」

あまりにハッキリキッパリと断言されたので、私もそうですかと納得してしまった。どう見えるのかしら、私。

「お嬢様に、汚いものを知ってほしくないのです。綺麗なものだけに囲まれていただきたい」

「……」

「ですから、騙されたのが私で良かったです。お嬢様でなくて良かった」

ティルー殿は、「そうですか」とだけ言った。


喫茶店を出て、屋敷に戻ったのは昼過ぎだった。腕を掴まれて歩くのにも慣れ、特に振り払おうとも思わなくなった頃。

「あ、メフィス伯爵家の馬車」

ウォルツ伯爵邸の前に、メフィス伯爵家の馬車が停まっていた。

私が駆け寄ると(手は離してもらった)、馬車は無人だった。御者台にも誰もいない。

「ねえ、御者は?」

その場にいたメイドに聞くと、「伯爵に挨拶に行かれました」とのこと。

下男が持ってきたのではないのかしら。

「伯爵も来られたのですか?」

「いえ、本日の夜会のためのドレスを運んでいただいたのです」

その場で待っていると、メイドがいきなり頭を下げた。待ち人がきたのだろう。

私も振り返った。

「リドニア。何をしているのです?」

「あ、あんた……」

トールだった。トール=ルミナス。ミュール家以外の、唯一の旦那様の侍従。

「あんた?」

「い、いえ。……トール、貴方が来たんですか」

私の表情がよほど苦々しげだったのか、トールも苦笑した。

「ええ。旦那様より、本日の夜会を手伝うように、と。それより、そちらの方は?」

トールが示したのは、ティルー殿だった。ティルー殿は何とも言えない表情をして、私とトールを見ていた。

「こちら、ヒルドマン侯爵家の嫡男、リクト=ヒルドマン様の侍従兼護衛のティルー=ディエラ殿」

一息で言うのは無理だった。正式に紹介すると、かなり長い。

「どうも。ご紹介に(あずか)りました、ティルー=ディエラです」

「──で、こちら、メフィス伯爵の侍従、トール=ルミナスです」

「トール=ルミナスです。よろしく」

触れるだけの握手を交わすと、二人は笑顔のままお互いの手を離した。

「リドニア。今は、ランチパーティをしているようですよ」

「お嬢様も?」

「ええ」

トールの返答に、私は驚いた。

お嬢様が、お部屋から出られたのね!良かった。良かった……!

「で、では戻りましょうか」

ティルー殿がそう言って私達を誘導しようとするけれど、私は立ち止まってトールを見た。

「トール、ドレスは?」

「伯爵夫人にことわって、衣装部屋に置かせていただきました」

「ならいいわ。行きましょう」



屋敷に戻ると、お嬢様にどうしてティルー殿がいるのかとしつこく聞かれるけれど──それはまた後の話。

次は、「街へ」の時のお嬢様の様子になります。

番外編ではないのですが、主役をリドニアとしたら番外編色が強くなりますね。

昼頃に投稿する予定です。

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