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拾われた子の仕事ではありません

掲載日:2026/09/25

拾われた子の仕事ではありません


「私がお前のような拾われてきた子を愛することなどない。婚約はなかったことにする」


 第一王子アルフレッドは、王宮の大広間でそう言った。隣には彼がこの半年、私との約束を断って会いに行っていた令嬢がいる。私は返事をしようとして、持っていた手袋を落とした。拾おうとしゃがむと、周囲の靴ばかりが目に入った。


 婚約がなくなれば、王妃様のそばにいられなくなるのだろうか。


 最初に考えたのは、それだった。九歳のとき、身寄りのなかった私を王宮へ迎え、温かい食事と部屋をくれた人だ。王妃様の息子との婚約を承知したのも、離れて暮らさずに済むと思ったからだった。


「聞いているのか、ニーナ」


「聞いています」


 私は手袋を拾った。指先が震えていて、片方だけ裏返しのまま握りしめた。アルフレッドを好きになろうとした時間もあった。彼が迎えに来なかった夜会の帰り道に、明日は謝ってくれるかもしれないと思ったこともある。


「今、返事をしなければなりませんか」


「破棄すると言っている。返事など要らない」


 彼は隣の令嬢へ手を差し出した。私は裏返った手袋を直せないまま、大広間を出た。向かったのは自分の部屋ではない。三日前に倒れた国王陛下の寝室だった。


 廊下の途中で、侍女から湯の入った水差しを受け取った。国王陛下は喉が渇いたとき、枕元の鈴を鳴らすのを遠慮する。前世で寝たきりの祖父を世話していたころも、私は鈴が鳴る前に水を替えていた。


 そのころの私は子どもだった。祖父の体を一人では支えられず、朝は学校へ遅れた。大人に手伝ってほしいと言うと、「おじいちゃんが好きならできるでしょう」と返された。介護士になってから、その言葉を子どもへ言ってはならないと分かった。


 それなのに、生まれ変わってからも私は鈴が鳴る前に動いている。


「ニーナ。夜会は終わったの?」


 国王陛下の寝室には、王妃様がいた。椅子の背に掛けた上着は、昨夜からそこにある。陛下が眠る間に王妃様も少し休んでほしかったが、私が勧めるたび、同じことを言い返されていた。


「あなたこそ休みなさい、と?」


「はい」


 王妃様は笑いかけたが、私の手元で目を止めた。手袋を片方、握ったままだった。


「何かあったのね」


「アルフレッド殿下に、婚約を破棄すると言われました」


 水差しの取っ手が滑り、私は慌てて両手で持ち直した。王妃様が立ち上がる。陛下を起こす前に説明しようとしたが、喉がつかえた。


「拾われてきた子を、愛することはないそうです」


 王妃様は私から水差しを取り、卓へ置いた。私はすぐに、陛下の飲み物を用意しなくてはと言った。王妃様は首を横に振った。


「陛下のそばには、今夜から看護を担当する人に入ってもらいます。手配は済んでいるの」


「私がいるのに?」


「あなたがいるから、私たちが手配を遅らせてしまった」


 王妃様は椅子を引き、私を座らせた。前世の知識がある私は、体の向きを変えるときの支え方や、本人が嫌がらない声のかけ方を知っていた。この世界で目を覚ましてからも、それが人の役に立つのはうれしかった。


 九歳で王宮へ来た翌年、先王陛下が倒れた。私が足をさすると、呼吸が落ち着く日があった。先王妃様にも、髪をとかしてほしいと頼まれた。二人が亡くなったあと、私は自分の手で何かできたことを大切にしまってきた。


 けれど、周りの人は別のことを覚えていた。「拾われたのだから、それくらい当然」。手伝いを頼む声は増えても、私が食事を終えたか尋ねる声は減った。王妃様はそれを知らなかったのだろうか。


「私は、陛下のお世話を嫌がっていたわけではありません」


「分かっているわ」


「王妃様のおそばにも、いたかったんです」


 ようやく言うと、王妃様は私の握りしめた手袋を指でほどいた。布には爪の跡がついている。


「婚約がなくなっても、あなたの部屋はここにあります。アルフレッドと結婚するために、あなたを迎えたのではありません」


「でも、皆は私を拾われた子だと」


「皆の言い方を、私は止めきれていなかったのね。あなたが私に知らせずに済むよう、私が先に気づくべきでした」


 王妃様はそこで黙り、陛下の寝台を振り返った。私は返事をしなかった。ずっと知らなかったと言われても困るし、今さら気づいてくれてよかったとも思う。両方を口にすれば、ひどい言い方になりそうだった。


 翌朝、国王陛下の寝室には看護を担当する者が二人入った。王妃様は勤務する時間と報酬を決め、陛下にも新しい人たちを紹介した。私は手順を尋ねられたことだけ答え、昼前に部屋を出た。自分の昼食がまだだと気づいたのは、厨房の前を通ったときだった。


 食堂でパンと温かいスープを食べていると、アルフレッドが来た。彼は扉のところで立ち止まり、私の向かいに置かれた空の椅子を見た。


「父上の部屋から、お前がいなくなったと聞いた」


「担当する方が入りました」


「今は大事な時期だ。婚約の件で腹を立てても、父上の世話まで放り出すな」


 私は匙を置いた。昨夜から言いたいことは幾つもあった。約束を破ってばかりいたことも、大広間での言葉も。その中で、今答えるべきことを一つだけ選んだ。


「陛下のお世話をしたことは、後悔していません。でも、それを私の務めだと決めた覚えもありません」


「お前は手慣れているだろう」


「だから、今朝来た方たちへ必要なことを伝えました。あとは仕事として引き受けた人たちと、陛下ご本人に任せます」


 アルフレッドは空の椅子を引かなかった。何か言い返そうとしたところへ王妃様が来て、彼を別室へ呼んだ。婚約解消は両家で正式に進めること、看護する人への支払いは王宮が負うことを話すという。私は二人を追わず、スープを飲み終えた。


 数日後、王妃様は私を庭へ誘った。先王妃様が好きだった低い木に、新しい葉が出ている。私は庭師が通れるよう、道にはみ出した枝をよけた。


「これから、どうしたい?」


 前世でも今世でも、何ができるかはよく聞かれた。どうしたいかと尋ねられると、すぐに答えが出ない。王妃様は私が枝から手を離すまで待っていた。


「陛下には、時々お会いしたいです。先王妃様のことも、お話しできますから」


「ええ」


「それと、看護の仕事を学び直したい。私の知っていることを、この国のやり方と比べてみたいんです」


「そのための時間を作りましょう」


 王妃様は手配すると言いかけ、口を閉じた。私はそれに気づいて、少し笑った。


「まず、教えてくれる人を一緒に探してください」


「分かったわ。一緒に探しましょう」


 昼には、国王陛下の寝室を訪ねた。新しい担当者が入ってよいか本人に尋ね、陛下がうなずいてから椅子に座る。枕元の鈴は、陛下の手が届くところに置かれていた。


「今日は何の用だ、ニーナ」


「先王妃様が昔、庭で何を育てていたか聞きたくて」


 陛下は少し考え、花の名前を一つ間違えた。私は訂正して、二人で笑った。鈴が鳴る前に水差しへ手を伸ばしかけたが、陛下が自分で杯を取るのを見て、膝の上へ手を戻した。



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