毒味役の花嫁
ゴクリ…。
旦那様に出されたお茶を飲んで、体に異常がないことを確かめてから私は告げた。
「この茶に、毒は入っておりません」
そう言うと、夫であるガイウス様が頷いた。
「ありがとう、レティシア」
ガイウス様は微笑むと、私が口をつけた茶器でお茶を飲むのだった。
この結婚は、突然決まったものだった。
「エーヴィス公爵家から縁談…、ですか?」
「そうだ。しかも、お前に名指しで手紙が来ている」
「私宛て?」
ますます意味がわからなくて首を傾げると、頬を叩かれた。
「どうしてお前なんだ!私の可愛い娘は、アデライドだけだというのに!」
「そうよ!あの公爵様に、何したのよあんた!」
「私は何も…」
「言い訳してないで、代わりなさいよ!私の方が公爵様に相応しいんだからっ!」
「そうだ、アデライドを薦めて帰ってこい!いいな!?」
「いいわ、それ素敵よお父様!この愚図でも少しは役に立つじゃない?」
私にとって書面上は家族だけれど、とうに家族だとは思っていない人たちの罵声はいつものことだった。
私は肯定も否定もせず、頭を下げてその場を後にした。
異母姉であるアデライドが怒っている時は、この場を去るのが一番だ。
公爵様からの手紙を確認すると、3日後にお茶しに来てほしいとのことだった。
本当に、あの公爵様が、私と結婚したいのかしら…?
家格もずっと低いし、金持ちというわけでもなければ、領地にこれといって特産品もない。
持参金も、あの人たちが持たせてくれるとは思えないし。
何か目をつけられるものがあっただろうか。
そんな疑問もすぐに解消された。
「君は、毒消しができる特殊な体を持っていると聞いた。本当だろうか?」
目の前にいる公爵様は、いきなり本題に入るとそう訊いてきた。
危うく、お茶を吹き出しそうになってなんとか飲み込んだ。
すごい情報網だわ…、どこからお聞きになったのかしら。
「どうなんだ?」
「はい、たしかに私は毒が効かない体質にございます」
「どんな毒でもか?」
「はい。解毒薬がない毒でも、効きませんでした…」
たかが子爵の娘に毒を盛ろうとする人間はいない。
それもよからぬ噂しかない令嬢に、いちいち手を出す意味もない。
そんな私に毒を盛った相手は、異母姉のアデライドだった。
随分前のことだけれど、相当私が憎くてたまらないらしい。
それでも私が死ななかったから、しばらく殴られて大変だった。
「では、君にお願いがある」
エーヴィス公爵様は、真剣な目で私をまっすぐに捉えた。
「私の毒味役として、結婚してほしい」
なるほど…、それは私が名指しで呼ばれるわけだ。
妙に納得してしまい、そのまま頷いてしまいそうだった。
「…毒味が必要なほどの事態になっているということでしょうか?」
「君も少しは聞いたことあるかな、王太子の件で揉めている話を」
公爵様の冷たく響く声に、今度はちゃんと頷いた。
この国には第一王子がおられるが、これがかなりの問題児だという。
王族の自覚もなく、どれだけ教育を施しても、焼け石に水なんだそうだ。
しかも、まだ結婚されていないのに、王宮の侍女をお手付きにして一波乱起こした。
その侍女が産んだのが女児だったため、まともな人間全てが胸を撫で下ろしたばかりだ。
第一王子以外に王子がいないため、頭を抱えている状態が続いている。
そこで、名が上がっているのが、今私の目の前にいるエーヴィス公爵様だ。
王位継承権第四位の公爵様を、王太子に据えようという動きがある。
四位とはいえ、第二位と三位は王弟殿下であり、臣籍降下された身であるため、その息子である公爵様は実質継承権二位と言っていい。
第一王子派閥と、公爵様派閥は、それぞれに画策しているという噂は、社交界にほとんど出ていない私でも聞いたことがある。
「実は、もっときな臭いことになってきてね」
「それ、は…」
「王子を暗殺して私に継がせようとする動きと、私を殺して王子を傀儡にしようという動きが同時に起こっている」
あまり現実味のない話のように思えて、理解が追いつくまでに時間がかかった。
なんと返事していいかわからなくて、私は曖昧に笑うしかなかった。
「父が少しでも巻き込まれないようにと早めに当主の座を譲ってくれたんだが、そこまでの効力がなくて困っているんだ」
「…公爵様は、王太子にされたくないのですか?」
「嫌だね、そんな面倒なこと」
はっきり言われるから、少し驚いた。
無表情の顔からは何も読み取れないけど、嫌なことならまあ仕方ないか。
「だが、最近陛下の遣いで仕事が回ってくるようになって、王宮に行く頻度が増えたんだ」
「…その馬鹿王子の仕事が、主に回ってきているのです」
後ろに控えていた侍従が、ボソリと呟いて公爵様が、余計なことを言うなと睨んだ。
それでも、侍従は涼しい顔をしていたので、よっぽど第一王子がお嫌いらしい。
王子のお仕事が回ってくるって、外堀を埋められていません…?
「そんな魔窟にのこのこ行って、出されたものをほいほい口にできなくなってきたんだ」
「それで、私、なのですね…」
「ああ、君には私に常に同行してもらって、毒味をしてほしい」
「それは…、侍女ではダメなのですか?」
「未婚の女性を毎度連れて歩くのは、外聞が悪い」
キッパリ言い切って、笑っていない目がこちらを見ていた。
王太子にされたくないというのなら、身分の低い、よくない噂の令嬢を娶ることで少しでも評判を落としたいのかしら。
それなら、私は使えるというわけか。
「でも、私の噂はご存知ですよね…?」
確かめるように尋ねると、公爵様はなんでもないように言った。
「庶子の分際で姉君をいじめる性悪女であり、得体の知れない化け物、だったかな」
「…それでも、私を公爵家の人間にするのですか?」
「庶子は姉の方だと調べはついているし、バケモノに関しては毒が効かないことだろう?性悪女かどうかは判断しかねるが、いじめる側がそんなにビクビク怯えているのは、信憑性に欠けるね」
…全部、調べ済みか。
それもそうね、身辺調査は大事よ。
義母は、父の愛人だった。
私が生まれる前から体調が優れなかった私の母は、いつも寝込んでいて、愛人である義母が屋敷を取り締まっていたそうだ。
そんなことが許されるくらい、母は弱っていて、父が扇動していたため、使用人は従うしかなかったという。
だから、子爵家の女主人は最初から義母だと思っている人が、社交界にはかなりいる。
母は、私を産んですぐに亡くなったし、その存在は父が必死に隠していたそうだ。
私が庶子という噂は義母が流したものだが、それを否定しても信じてもらえないほど、義母も異母姉もすっかり子爵家の人間だった。
「噂なんてものは当てにならない」
「そう、ですね…」
「少し調べればわかることばかりなのに、そんなものに踊らされるから、馬鹿な第一王子が誕生してしまうんだ」
「…ガイウス様、それは不敬になってしまいます」
「従兄弟の愚痴くらい言わないと、やってられない」
公爵様と侍従は軽口を言い合っていて、また驚いてしまう。
公爵様は、噂より気難しいというわけでもないのね…。
噂は当てにならない、か。
「他に憂うことはあるかな?」
そう言われると、ない気もしてくる。
…本当に、私なんかでいいのかしら。
あ、でも、アデライドをおすすめしないと、また怒られる…。
「結婚してもらう代わりに、私にできることはなんでもすると約束するよ」
「なんでも…」
「ああ。愛が欲しいというのなら、君を一番に愛してみせるよ」
その言葉は公爵様に似合わなくて、思わず口から零れてしまった。
「愛は、努力でどうにかなるものなのでしょうか…」
侍従の片眉が動き、公爵様の口の端が少しだけニヤリとした。
「あっ、すみません…!今のはっ…」
「大概はどこの家も政略結婚さ。最初に愛がないのは、どこも同じではないかい?」
公爵様は、それまでの話題と変わらない様子で話を続けた。
「結婚生活をどのようにするかは、お互いの歩み寄り次第ではないかな」
歩み寄り…、耳が痛い言葉ね。
私は、今の家族と歩み寄ることも許されなかったのに。
家族と良好な関係を築けなかった私に、そんなことできるのかしら…。
「劇的な一目惚れのような愛は捧げてあげられないけれど、育む愛は君とならできると思うよ」
「育む、愛…」
「女性にこのように言うものではないが、君の外見は、割と私好みだ」
「え」
「華美ではないのが好ましいし、うるさくもない。それでいて、聡明さを感じる。私としては、君は何も問題がないよ」
あまりにも歯に衣着せぬ物言いで、目を丸くしてしまう。
「………………………ふっ、ふふふ、くふふ、…うふ、あははっ」
私は笑い声が漏れてしまうほどに、可笑しくて笑っていた。
社交界で笑い者にされている時とも、遠回しに悪口を言われている時とも、義母や異母姉がストレートに罵声を浴びられている時とも、全部と違って、心地よかった。
「ふふふっ、あははっ」
「君は笑っている方が可愛いな」
「…も、申し訳ありません、笑ったりして、くふふっ」
「笑い上戸みたいだな、いいじゃないか。笑ってくれている方が、私も楽しい」
公爵様は、そこではじめて笑みを深めた。
笑った顔は少し幼く見えて、遠い人ではなくなった気がした。
「…何でもと言うのでしたら、2つほどお願いしたいことがございます」
「聞こうじゃないか」
侍従は顰めっ面を隠せていなかったが、公爵様がいいと言うので私は続けた。
「1つ目は、私を高位貴族の養子に出してくださいませんか?生家が公爵家と繋がれたことをいいことに、好き勝手したり、金を寄越せと言ってきたりと、公爵様のご迷惑になるのは避けたいです」
「…やはり、君は聡明じゃないか。いいよ、最初からそのつもりだった」
「2つ目は、すごく我儘なのですが…」
「奥さんの我儘なら、できる範囲で叶えるよ」
「…その、公爵様がお帰りになった際に、『お帰りなさい』と言いたい、です」
「おかえり…、それだけでいいのか?」
おかえりもただいまも言える関係は、私にとって憧れだった。
「はい、それだけで十分です」
「では、そうしよう。私と結婚してくれるね?」
「私には、これ以上のご縁はありません。公爵様のお心のままに」
「ありがとう」
こうして私は、公爵様の毒味役として結婚するに至ったのだった。
「…お茶です」
「いただきます」
何か口にされる時は、まず私が口にするのが決まりとなった。
食器に毒が塗られていた場合も考えて、私が口をつけたものをそのままお使いになるため、最初は気恥ずかしかったが、ようやく慣れてきた。
王宮にて公爵様の与えられた執務室に一緒に来ては、公爵様がお仕事をしている間、侍従であるレイヴンに家のことを教えてもらっている。
部屋の中は、公爵であるガイウス様と、レイヴンと、私だけだ。
「…っ、これ、ガイウス様は口になさらないでください」
「毒か…?」
「いいえ、媚薬のようです」
「君は、毒以外もわかるのか…?」
「そう、みたいです。はじめて飲んだので、今気づきましたが…」
私は口にしたカップをレイヴンに返した。
そのまま胸の辺りを触っていると、そこから液体が球体になって体から出てきた。
ピンク色の液体は、見るからにそのような薬に見えた。
なんというか、禍々しい色ね…。
「ほーんとに便利な体ですね〜」
「こら、レイヴン。私の妻に対しての言い方に気をつけろ」
「これは他に何が効かないのか試したくなりますね」
「レティシアで実験しようとするなよ」
「は〜い、失礼しました奥様」
すっかり私の前では猫をかぶらなくなったレイヴンは、大体いつもこんな感じだ。
気安くしてもらう方が、身構えなくていいので、私としても助かっている。
「王宮侍女も、主を狙っているようですね。別の意味で」
「そのようですね…」
レイヴンが使っていないカップを手渡してくれたので、そこに媚薬を入れた。
ぽちゃんと跳ねた球体は、まるで何もなかったようにカップに落ちた。
回収されたところを見るに、あとで調べるのだろう。
「主、女性に大人気ですもんね」
「レティシア以外に愛す女性は要らないんだがな」
真顔でそう言うガイウス様に、私は顔が赤くなっていく。
契約結婚だとばかり思っていたのだが、ガイウス様は本当に私と歩み寄ってくれている。
結婚式は公爵家に相応しい規模で、アデライドがとんでもなく怒っていた。
花嫁に行くから殴られることはなかったけれど、まだ根に持たれていると思う。
最近も手紙が届いて、公爵夫人の座を譲れとか、もっといい相手を見繕えと書いてあった。
公爵様よりいい未婚の相手って、この国にいないのでは…?
それから初夜は普通に執り行われたし、初夜だけじゃなく夜を求められることがある。
それがまるで大事にされているような気がして、全く慣れない。
夜会に行くたびに、私との仲を見せつけるようにされているし、ドレスや宝石だって、十分なほどもらっている。
それなのに、「レティシアはどうしてもっとわがままを言わないのかい?」と言われてしまう。
これ以上、求めることが思いつかなくて、困っている。
「奥様はいつまで経ってもウブですねえ」
「可愛いだろう?」
「はああ、主がこういうのがタイプだったとは」
「レティシアを悪く言うなんて、お前は命がいらないらしいな」
「俺だって、奥様でよかったと思っていますよ。公爵家がこんなに平和になるとは思っていませんでしたもん」
「…お褒めに預かり、光栄です」
「レティシア、体に異常はないんだね?」
「あ、はい、大丈夫です」
「それならよかった」
ガイウス様はホッとしたように息を吐いてから、私を見て微笑んだ。
「ありがとう、レティシア。また助かったよ」
「お役に立てて何よりです」
本当に、この特異体質が役に立ってよかった。
ガイウス様を守れるというのは、嬉しいものだった。
あの家では一つもなかった感謝までされるので、心がどんどんふわふわしていってしまう。
気を引き締めないと。
私はただの毒味役で、公爵家にはまだまだ相応しい人になれていないんだから。
もっと精進しなきゃ。
「レイヴン、勉強の続きをお願いしてもいいかしら」
「はーい、奥様」
「勉強もほどほどにね、レティシア」
何もなかったみたいに、それぞれが自分のやるべきことを再開したのだった。
「あ、おかえりなさいませ…!」
私は寝室に入ってきたガイウス様に声をかける。
「おかえり」と言えるのは、また心をふわふわさせていく。
あったかくて、くすぐったい。
「おや、先に寝ていなかったのかい?」
「本を読んでいたら、こんな時間になってしまって…」
そう言って本を閉じると、髪を一房摘まれて、そこにキスが落とされた。
「う…、ガイウス様」
「これだけで照れてしまうんだから、いいかげん私に慣れてくれてもよくないかな?」
「だ、男性に慣れてなかったもので」
「私以外に懐かれても困るけどね」
いつの間にか本が机の上に置かれていて、両頬を手で覆われた。
ガイウス様がそうする時は、決まってキスをする時だ。
だからギュッと目を瞑ると、すぐに唇に触れた。
「ふふっ、レティシアとキスができるようになって嬉しいな」
「…?」
「君が嫁いできた時は、レイヴンたちにキスはしないように言われていたんだよ」
「…どうして」
そう口にしたものの、すぐに考えに至ってどんな顔をしていいかわからなくなった。
「いえ、正しい判断ですね。万が一にも私が毒を含んでいたら、大惨事です」
「…君は聡明で、心配になるね」
「…許可が降りたということは、信用されているみたいで嬉しいです」
「いや?私は最初から疑っていなかったから、初夜の日もキスしただろう?」
「え…」
あれ、言われてみればそうだ。
初夜の日だって、口の中まで…。
いや、思い出している場合じゃない…!
「君に毒殺されるならいいかと思ったんだが、ただのウブな可愛い人だったよ」
「えっ、ダメじゃないですか…!?」
思わず反論してしまったけど、ガイウス様は寂しげに笑うだけだった。
「自分の妻にキスもできないなんて、寂しいじゃないか」
「えぇぇ、そんな理由で、キスされたんですか…」
「大事なことじゃないか」
「御身の方が大事です!」
「妻を愛す方が大事に決まっている」
ガイウス様は当たり前のように言うけど、それが当たり前ではないことを私は知っている。
娘だからといって父に愛されたことはないし、家族だからといって大切にされたこともない。
ガイウス様の優しさは、苦しくて、嬉しい。
1人の人間として扱われるのがこんなに嬉しいなんて知らなかったから、慣れてしまうのが怖い。
「こんな時は泣くんだから」
ガイウス様は困ったように笑うと、私の目尻にもキスを落とした。
それから顔中に、キスが降ってくる。
「媚薬でも毒でも泣かないのに。…体は、本当になんともないんだね?」
「なんともないです」
「じゃあ、一晩付き合ってもらおうかな。どうかな、奥さん?」
そう質問しながらも、ガイウス様はあっという間に口の中まで侵略してくる。
まるでそこに毒などないと言われているようで、やっぱり涙が零れた。
長い甘い夜に、私は何事もない日々が続けばいいのにと思った。
夜会に出るようになって時間が経つけれど、ここは相変わらず慣れないままだった。
いや、慣れないほうがいいかもね。
そのほうが背筋を伸ばしていられる気がする。
ガイウス様にお近づきになりたい人は、老若男女たくさんいる。
基本的に夜会では何も召し上がらないことになっているが、油断してはならない。
「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ、レティシア」
「でも…、私の役目ですし」
「私としては、綺麗に着飾った奥さんを見せびらかしたんだけどなぁ」
今日もガイウス様が贈ってくれたドレスを身に纏っている。
これだけで、頑張れるというものだ。
その時、王宮の侍従が近づいてきて、ガイウス様の耳元で囁いた。
「──陛下がお呼びって、今じゃないといけないのか?」
「今、来てほしいとのことです」
「レティシア、悪いんだが」
「テラスにでも行って、待っています」
「…他の男に目移りしてはいけないよ?」
ガイウス様が私の瞼にキスを落とすと、すぐに戻るからとその場をあとにした。
か、顔が火照っている気がする…!
夜風に当たって、待つことにしましょう。
そう思い、1人テラスに出た。
風も強くなく、程よくて、気持ちがよかった。
最近、いいことばかりで変な感じだわ。
ガイウス様のところにお嫁に来て、本当によかった。
こんなに嬉しいことばっかりだと、バチが当たりそうね。
そう思ったのが、悪かったのかもしれない。
「──いいご身分じゃない、レティシア」
振り返ると、会いたくなかった異母姉アデライドが立っていた。
豪華なドレスに、大ぶりの宝石で、どこからそんな資財が出ているのかと不思議に思う。
レイヴンに教えてもらった成果か、いくらかわかってしまって苦い思いがしてくる。
領民が、割を食っていないといいけど…。
「なんとか返事したらどうなのよっ、この愚図!」
あろうことか扇子で頬を打たれて、私は一瞬思考が停止した。
頬を押さえて、ああ、この痛みが日常だったと思い出す。
ガイウス様は、随分と私に甘いんだわ…。
こんな時でも、私には勿体無い夫のことが浮かんでくる。
会いたいな、ガイウス様。
「あんたね、いい気になっているんじゃないわよ!いい加減、私に公爵様を譲りなさいよっ!」
「…公爵様は、物ではないので」
「はあ!?そんな屁理屈どうでもいいのよ!あんた、何か勘違いしているんじゃない?」
「何が、ですか」
「公爵様がみすぼらしいあんたなんか愛すわけないじゃない!王太子にされないために、わざわざあんたみたいなのを娶るなんて、公爵様も可哀想にっ!」
この異母姉は、こういうことを嗅ぎ付けるのは本当に上手だ。
きっと社交界でもそう吹聴しているのね。
でも、事実だもの。
アデライドに言われたところで、痛くも痒くもなかった。
「わかっております」
今までで一番、落ち着いて答えられた気がする。
アデライドの目が、キッときつくなった。
「だったら、早く公爵様を解放して差し上げなさいよ!そんなこともわからないわけ!?」
「それでも、おそばにいられたら十分ですので」
「…私が気に食わないと言っているのよっ!」
もう一度、頬を打たれたけど、どうでもよかった。
愛がなくても、あの方は優しい。
その優しさを私はもう手放せないほどに、焦がれている。
他の誰に何を言われてもいい。
ガイウス様に、もういらなくなったと言われる日までおそばにいたい。
テラス付近で人の声がして、アデライドは悔しげにそこを出ていった。
「いいから、早く私と代わりなさいよね!?」
それだけ言い残していったけれど、私は何も返さなかった。
改めて、背筋が伸びる思いだった。
私は、私のすべきことをしよう。
夜風で頬を冷やしながら、そう新たに決意したのだった。
「すまない。夜会の翌日で疲れているだろうけど、王宮に呼び出しをくらってしまって」
「いいえ。私のやるべきことですから、お供させてください」
「…レティシア、無理はしていけないよ?」
「私は大丈夫ですよ」
昨日の夜会で叩かれた頬はすぐに赤みが引いて、ガイウス様にバレることはなかった。
アデライドのおかげで、たるみかけていた気持ちもしゃんとした。
私はガイウス様の心配をよそに、ガイウス様に話を持ちかけられた時の気持ちを思い出していた。
「はあ?今から、王妃とお茶会?」
王宮に着くなり呼ばれたのは、王妃陛下のプライベートのお茶会だった。
「私とレティシアに来いと言うのか」
「はい、王妃陛下がぜひお会いしたいと。庭園でお待ちです」
「…わかった、すぐに行く」
ガイウス様は了承されると、私をエスコートしてくれた。
そして、耳元で喋られた。
「王妃陛下の前で、君に私の茶器を調べてもらうわけにはいかない」
「そうですが」
「私は口をつけるフリでもしておくよ。絶対に口にしないから心配しないで?」
「…約束、ですよ」
私が頼りなさげにそう言うと、ガイウス様は何故かニヤリと笑った。
「奥さんからの可愛らしい約束だ、しっかり守るよ」
庭園に向かうと、席に座っているのは王妃陛下と第一王子の婚約者様だけだった。
「いらっしゃい。待っていたわ、ガイウス」
王妃陛下は鷹揚に笑うと、座るように言った。
「王妃陛下、私は仕事をしに来たのですが…」
「少しくらいいいじゃない。あと、身内しかいないのだから、その呼び方やめてちょうだい」
「…伯母上、私も暇じゃないんですが」
「あらまあ、言うわね。あなたがいつまで経っても、あなたの大事な人を紹介してくれないからじゃない」
「レティシアは、王子派閥に見せたくないんですよ」
「巻き込んでおいて、虫のいい人ねえ」
私は緊張しっぱなしだったが、ガイウス様は王妃陛下相手でも取り繕っていなかった。
むしろレイヴンに接するようで、私の方がハラハラする。
「伯母上は、私のことを昔から可愛がってくれているから心配ないよ」
そう言って、ガイウス様は私と目を合わせて微笑んだ。
「そうよ、あなたが息子だったらどんなによかったか」
「…そういうこと言うから、私が目をつけられるんですよ。やめてください」
「どうせあなたはなってくれないとわかっているもの。愚痴くらい見逃しなさいな」
その言い方が最初に会った時のガイウス様みたいで、自然と笑みが零れた。
なんだか、お2人は似ているみたい。
「あら、笑うと可愛い人なのね」
「私の妻は、何をしていても可愛いですよ」
「まあ、ガイウスの惚気が聞けるなんて!いい人と結婚したのね!」
「ご挨拶が遅れました、レティシアと申します」
「あらあらまあまあ、ガイウスが隠しておくわけだわ!いいわねぇ、新婚は目の保養になって」
「伯母上、レティシアにまであまり迷惑かけないでくださいね」
「まだかけてないじゃないの」
「ふふふ、ガイウス様と王妃様は相変わらず仲がよろしいですわね」
第一王子の婚約者様も話に加わって、思いの外、和やかに話が進んでいく。
どうやら王族に関係のある皆様は、ガイウス様を王太子にする気はないらしい。
少なくとも、王妃陛下はその気がないようだった。
結局は周りが過熱して、ガイウス様がそれに巻き込まれているだけだ。
早く、そんな状態から解放されたいだろうに。
でも、王太子から逃れられたら、私って必要なくなるのかしら。
そこまで考えた時、目の前に紅茶が注がれた。
「さあさあ、お飲みになって。今日のは他国から取り寄せたお茶なのよ」
王妃陛下は楽しそうに言うと、お茶を勧めてくれた。
ガイウス様とチラリと目があって、お互いにわからないくらいに頷き合った。
ガイウス様が飲まないにしろ、私が飲んで確認した方がいい。
「王妃陛下のおすすめはいつも美味しいんですのよ。ぜひ、レティシア様も早く飲んでみてください」
第一王子の婚約者様にも勧められて、私は口をつけることにした。
その口元が、少しだけ歪んだのを、目の端で捉えながら──。
…この味、この熱さ、知ってる!
アデライドに盛られた、解毒剤のない…。
これだけは、絶対にダメだ!
王妃の前だというのも忘れて、私はガイウス様の前の茶器を弾き飛ばした。
「レティシア…!?」
「きゃああ、何するの!」
ガイウス様と婚約者様の声が同時に聞こえたけれど、次の瞬間、私は口から血を吐いていた。
「…ガハッ、ゔぁっ!」
喉が焼けるように痛くて、爛れていくのがわかった。
目の前に、自分の血が広がっているのが見えた。
「レティシア!」
地面に膝をついて、朦朧とした意識の中で、ガイウス様の生存を必死に確認した。
「ガイ、ウス様、飲んではいけませ…」
「レティシア!おい、レティシア!」
毒を吐いたというのに、ガイウス様は躊躇なく私を抱き抱えた。
ダメだと言いたいのに、こんな時でも嬉しくなってしまって、もうぐちゃぐちゃだ。
「…誰も、飲んで、…ぐぁっ」
「誰も飲んでいない!それより、レティシア!医者を早く呼べっ!」
「…ガイウスさま、無事です、か」
「私はなんともない!」
ぼやける視界の中にガイウス様が映って、私は口元が緩んでいく。
ガイウス様、なんともないって…。
よかった、ガイウス様、死んでない。
私、役に立てた…。
「レティシアっ、レティ、死ぬな!」
いつも冷静なガイウス様が取り乱しているように見えて、とうとう毒が回ったかと思った。
「レティ!レティ!お願いだ、死なないでくれ!頼むから!」
「…解毒剤ない、から、だれも触れないで」
「レティ、もういいからっ!」
「…ガイウ、ス、さま」
「君のためならなんでもするからっ、死ぬな、レティ!」
「…しにませんよ、ただ、少し、眠るだけです」
それだけ言い残して、私は意識を手放した。
耳元でずっとガイウス様が叫んでいた気がした。
私に毒を盛ったのは、第一王子の婚約者だった。
あとから私の体から球体として出ていった毒の入手ルートを掴めたのが、決定的証拠となったそうだ。
彼女は、ずっとガイウス様のことが好きだったらしい。
ガイウス様が王太子になった暁には、自分が第一王子の婚約者としてそのままスライドできると踏んで夢見ていたところを、私に邪魔されたことが理由だったとのこと。
ちなみに以前、媚薬を盛ったのも婚約者様だったとのこと。
今回のことでガイウス様は、妻が巻き込まれたという理由だけで、王位継承権放棄を押し通したという。
それは、目の前で毒を盛られたのを目撃した王妃陛下の後ろ盾のもと、すぐに受理されたと。
第一王子の婚約者は、牢獄へ。
その家族も、今や取り調べを受けている。
そして、第一王子に新たな婚約者は立てないそうだ。
その代わり、王位継承権第五位だった、ガイウス様の12歳の従兄弟の王族教育が始まった。
これにて、両派閥の野望は虚しく散ることとなった──と。
「…それ全部が、私が寝ている間に片付いたのですか?」
「はい、主の怒りが暴走しまして、貴族どもは怯えに怯えておりました」
「それは、毒が盛られたことによる恩恵ってことですよね…?」
「いかにも、奥様のおかげにございます」
「じゃあ、毒を飲んでよかった、ですね…?」
「よくないっ!!!」
ガイウス様はまだベッドから起き上がることのできない私の隣に座って、全然納得のいっていないといった顔をしていた。
「こんな目に遭うなんて聞いていないよ、レティ?」
「ちょっと眠るだけだと、お伝えした気がするのですが」
「2週間眠り続けることを、少しとは言わないんだよ?」
「まーあ、正直びっくりしましたよ。倒れるなんて聞いていませんでしたし」
「…いや、まさか、人生で二度もあの毒を盛られるとは思ってなくて」
「レティ、ちゃんと反省して。私は生きた心地がしなかったんだよ?」
「も、申し訳あ」
言いかけた謝罪は、ガイウス様に両頬を持たれて、キスに飲み込まれた。
「…っ、げ、解毒がないんですから、ダメです、ガイウス様!」
慌てて離れたけれど、その腕の中に容易く抱き竦められてしまう。
「…レティが死んだら、私も死ぬから」
「えっ、ダメですからね!レイヴンも、言ってください…!」
「いや〜、今回は奥様が悪いですよ〜。あんなに気が動転した主、はじめて見ましたもーん!」
「私はっ、ガイウス様を守れて嬉しいんです!だから、そんなこと言わないでくださいっ!」
「レティは、私がこんなに大事にしているのに、全然わかっちゃくれない」
私の髪に顔を埋めて、ガイウス様は文句を言う。
起きてからというものの、ガイウス様は明らかに過保護になった。
王宮からの呼び出しがなくなったのもあってか、日中ずっと私の部屋にいるし、片時も離れなくなってしまった。
それと、以前に増してスキンシップも増えた。
ここに私がいることを確かめているような手つきで、なんともむず痒いような、照れるような。
まあ、使用人のみんなにも泣かれてしまったし、しばらく大人しくしていた方がよさそうかもしれない…。
「そういえば、こんな時にどさくさに紛れて、君の生家から『新しい嫁に異母姉をどうぞ』と手紙が届いてね」
「えっ」
「次、ふざけたことを抜かしたら八つ裂きにしてやると返事を出しておいた。ついでに、貴族位を剥奪されそうな事実も握っているぞと脅しておいたから、もう何も言ってこないよ」
「それは、ご迷惑を…」
そこでまたキスをされてしまい、レイヴンの呆れ顔が目に入った。
「で、ですから…!」
「知らないね」
「主、奥様好きですねえ〜。まあ、次奥様に何かあったら、王家でも潰すぞって言って、王家も大慌てでしたもんね〜。あれは傑作だった!」
それはさすがにまずいのでは…!?
レ、レイヴン止めてよっ!
ああ、もう、すみません…!
「君が望むなら、生家の領地を私の管轄内にしてもいいんだよ?」
「そこまでしてもらうわけには」
「君が望んでくれさえすれば、私はなんだってできるんだよ?」
「…でしたら、長生きしてくださいませ」
えへへと笑うと、ガイウス様は顔を歪めて、レイヴンまでため息をついた。
「だめだ、全然わかってない」
「主、男として見られてないんじゃないんですかあ?」
「…それはヘコむから、見ないようにしているんだから言うな」
「ええ〜、現実はしっかり捉えないと〜!」
レイヴンがニヤニヤしながら、ガイウス様を揶揄っているということはわかった。
「レティシア・エーヴィス」
「は、はいっ」
改めて名前を呼ばれて、私は上擦った声で返事をした。
ガイウス様とお揃いの家名で呼ばれるだけで、胸があったかい。
それだけで、勇気が湧いてくるのだから、不思議だ。
「最悪の形で求婚した私のことは信じられないかもしれない。だが、私は君が何よりも大事で、誰よりもなくしたくない人なんだ」
いつになく真剣な瞳が、不安そうに揺れていた。
その言葉でだけで、私が心躍ってしまうとガイウス様は知らないのだ。
「君が私の愛を望まなくても、私はもう君を愛してしまっている。だからね」
「私も、ガイウス様が好きです」
「へっ…?」
「だから、ガイウス様が生きててくださって、一番嬉しいです」
自然と口から零れた告白で、ガイウス様は固まってしまった。
そして、いつもの私くらい顔を赤くさせていった。
「…主、返事をしないのは男が廃りますよ」
「…今、噛み締めているから黙ってろ」
「大好きです、ガイウス様」
「〜〜〜〜っ、私の方が好きだからねっ!?」
ガイウス様は叫ぶようにそう言うと、私を抱き締めてくれた。
私は、はじめて自分の意思で抱き締め返せて、泣きそうだった。
どれくらいそうしていたか、ガイウス様は顔を上げて私の目を見て言った。
「もう、私より先に飲んでも食べてもダメだよ」
ガイウス様が真面目な顔で言うから、焦ってしまう。
「それじゃあ、お役目が」
「そんなの私の妻でいること以外にある?」
「でも…」
「もう体を張るような真似はしないでくれ、レティ」
「体を張らないと、後継者は産めないですよ、ね…?」
「今はっ、回復が先ですっ!わかったね!?」
「奥様いいですね〜。そのまま主の手綱、握っちゃってくださ〜い!」
「レイヴンはいい加減気を利かせて、部屋を出てけ!」
他の誰に何を言われても大丈夫だった。
けれど、ガイウス様の言葉は、優しくて、毒より甘くて。
私はそれが何より嬉しいのだった。
「とにかく、おかえりレティシア」
「…ただいまです、ガイウス様!」
了
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