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Luxlunae  作者: 夏日和
第十章
83/120

五節:平穏

 街灯に照らされた坂道をタクシーが駆け上る。

 ある一棟の前で車が止まる。しばらくし、中から麻祁が出てきた。

 しんみりとする空気を犬の遠吠えが切り裂く。

 辺りに目を配らせた後、左上にある家に視線が止まった。

 二階建ての建物、その一階にある台所と居間だけが明々しく光を灯っていた。

 車内灯を点けて停止するタクシーを背に、麻祁は門の横にあるチャイムを押した。――返答はない。

 もう一度チャイムを押した後、音が鳴り終わる前に玄関へと足を進めた。 

 人を迎え入れる様子もないドアを前に、ノックを数回した後、バーハンドルを握った。

 力を入れると軽々しく前に入り込む。

 一呼吸肺に入れた後、静かにドアを押した。

 鼻先がわずかに上がる。

 左から右へと少しずつ開かれできる隙間からは、僅かに光の射し込む玄関が現れてくる。

 完全に開ききった時、麻祁は右から左へと視線を動かし、辺りに目を向けた。

 偶像の置かれた靴箱、石が着座する階段、箱が積み重ねられた廊下の奥、そして光の射し込む居間へのドア。

 出した左腕を鼻に当て、一歩前に踏み入れた。

 再び視線を動かした後、靴を脱ぎ、居間へと進む。

 ドアを開けるとそこには顔を机に埋める恵子の姿があった。

 周囲を見渡した後、その場から動かずに声を掛ける。

「恵子さん、大丈夫ですか? 恵子さん」

 麻祁の呼びかけに、恵子は動かない。

 音の無い空間で、空気が淀む。

 再び視線を左右に振った後、麻祁はその場を離れようと振りかえ――。

「持ってきてくれた?」

「……っ!?」

 突然後ろから男の声が聞こえた。麻祁が振り返ると同時に一歩下がる。そこには智治の姿があった。

 昨日見た時と同じ姿に変わらぬ顔。しかし、伝わってくる雰囲気はどこか落ち着きがある。

 視線を上から下、そして目へと移した後、麻祁は言葉を返した。

「ええ、持ってきましたけど……」

 恵子に顔を向けた後、話を続ける。

「恵子さんはどうしたんですか? あまり体調が優れないように見えますが、それにこの臭いも……」

「なんでもないよ。それよりどこ? 指輪」

 差し出される手に麻祁は何も返さず、その目を見た。――智春の広がる瞳が麻祁の姿を映し捉え続けている。

「……ここにあります」

 麻祁はズボンのポケットから袋を取り出し、それを渡そうとした――が、すぐにその手を戻した。

 袋を握りしめ、再び智治に視線を合わせる。

「先に恵子さんからお話を、どうも体調が悪いようなので……」

 恵子の元へ近づこうと振り返り、前に踏み出――、

「……っ!?」

麻祁の目が自然と開いた。

 背中に突き刺すような痛みが走る。

 振り返ると同時、崩れた体が椅子へと傾いた。

 すがりつくように手にした椅子と共に麻祁の体が床に倒れる。

 横向きで見上げる視線。そこには包丁を握りしめる智治の姿があった。

 赤く服を染めるも、その表情は静かであり、そこからは何も見えてこない。 

 智治は滴る包丁を手にしたまま、麻祁に近づき、右手にある袋を取り上げた。

 袋の口を摘み、距離をあけて、指輪を眺める。

 包丁を机に置いた後、恵子の方へと足を進める。

 机の下からその足を目で追う麻祁は、ズボンのポケットに手を差し込み、中から携帯を取り出し、指を動かした。

「母さん指輪だよ。これで父さんに会えるよ」

 智治が袋から指輪を取り出し、恵子の右腕を掴んだ。

 力も無く垂れる手を引き、人差し指に指輪を入れようとする。

 輪に爪、指先が入っていく。

「……ぐっ!?」

 突然、破裂音が響き、智治の右手が弾け飛んだ。

「がぁああああああー!!!!」

 喉の奥からひねり出す叫び声と共に歪んだ指を押え、智治が跪く。

 音に反応し麻祁が、顔を玄関の方に向ける。

 見える白の靴下。視線をさらに上げる。そこには銃を構える篠宮の姿があった。

 グリップに両手を重ね、見え隠れする智治の背に銃口を合わせている。

 篠宮の赤い目が、包丁から右下で寝転ぶ麻祁を捉えた。

「珍しいわねお昼寝なんて、……背中大丈夫?」

 その言葉に、麻祁はうつ伏せに体勢を変えた。

 白のシャツに真っ赤な血がさらに広がり、体を浸す。

「……痛い」

「でしょうね。――で、どうするの?」

 戻した篠宮の視線が二つに揺らぐ。一つは智治の背、もう一つは机で顔を埋める恵子の頭。

「先に女性の保護を」

 出された答えに、

「……わかったわ」

返事をした後、銃を構えたまま恵子の元へと一歩ずつすり寄って行った。

 靴下を床に這わせ、その震える背中から視線を逸らさない。

 恵子の近くまで来ると、篠宮は安全装置を掛け、

「動くんじゃないわよ! 動いたらその頭吹っ飛ばす!」

唸る智治にそう叫んだ後、腰にあるホルスターへと収めた。

「大丈夫ですか?」

 急ぎ恵子に顔を近づけ呼びかける。しかし、何も返ってはこない。

 篠宮は椅子を少しだけずらし、机との間に隙間を作り、腰を下げる。

 恵子の体を背板へと倒し、足と背に手をまわした後、抱え上げた。

 大きな足音と共に、倒れる麻祁の前を通り過ぎ、部屋を出ていく。

 一人残された麻祁はそれを見送った後、顔を智治の方へと向けた。

 額から汗を落とし、荒い呼吸で右手を胸で抑える智治は、辺りに顔を揺らめかせ、何かを探していた。

「父さん、父さん……」

 両膝を折り、小声で一人呟きながら、震える左手で床に手を這わす。

 智治が背を向けた時、その動きが止まった。

 小言がひくつく様な微笑に変わる。

 わずかの間が空き、

「っあああー!!!」

智治が大声で叫び、背を反りあげた。

 振り上げた左腕を、即座に叩きつけ、床を震わせる。

 その後、全てが止まった。

 それはまるで現像された写真のように、左手を床に付け、背を伸ばしたままの状態で、智春にそれ以上の動きはなかった。

 わずかな間の後、張っていた肩がすっと抜け、大きく垂れると、今度は首を左から右、右から左へとゆっくりと動かし、体を起こし始めた。

「あっ……あっ……」

 途切れ途切れの言葉が、

「ははっ、はははっ……」

薄ら笑いに変わる。

「すごい……すごいすごいすごいすごいっ!!」

 立ち上がった智治は左手を大きく伸ばし、その場を見渡すようにぐるぐると回り始めた。

 机の下で椅子と紛れ見えるその足取りは、ゆるやかなダンスを踊っているようだ。

「……っ!?」

 外から帰ってきた篠宮がすぐに銃を抜き、智治に構える。

「なにやってるの!」

 言葉が制止する。だが、智治は振り向かない。

 篠宮の視線が、狭い部屋を見渡す笑顔から、胸に押さえつけられた右手へと移る。

 歪になった薬指、そこにあの指輪が付けられてた。

「指輪!? どうするの麻祁式!?」

 その呼びかけに、右下でただ足を見ていた麻祁は何も応えなかった。

 篠宮は小さな舌打ちをした後、側面にある小さなレバーを下ろし、安全装置を外した。

 銃口が胸元に向けられる。

 引き金を引こうとした時、突然、智治が動きを止めた。

 浮かべる笑みを篠宮へと向ける。

「なに……? なっ、なんなの!?」

 篠宮の目が開く。

 すぐさま銃口を智治の左にある壁に向ける。――が、即座にそれ左の壁、更に右の棚、そして左の台所へと移した。

 僅かに腰を下げ、標準を定めず銃口を激しく揺らめかす。

 ふと智治に視線が合う。篠宮に向けられる顔――上がる口角、落ちる目じり。

「あっ、父さん……」

 けたたましいガラスの破砕音。智治の姿が一瞬で消えた。

 風が吹き荒れ、澄んだ空気が部屋を舞う。

 篠宮は大きく穴の開いた窓に向けていた銃口を下ろした。

「なんなの……一体……どうなってるのよ……」

 一人呆然と立ち尽くす中、足元にいた麻祁はただ闇を見つめていた。

 聞こえる犬の遠吠えを、サイレンの音が掻き消した。

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