一節:予約
プッ、プッ、プッ、ポーン!
『――午前十二時になりました、ニュースの時間です。篠宮県美東市にある東郷美術館に展示されて……』
時報と音楽の後に流れるニュース。それを合図に、俺は椅子を戻し、デジタル時計に目を向けた。……間違いなく十二時だ。
キーに触れ、エンジンを付ける。
辺りを伺った後、俺はアクセルを踏み、車を走らせた。
今日の十二時には予約がある。俺にとっては非常に助かる事だ。
タクシーの仕事と言えば、客を待ち、そして乗せて運ぶことでお金を貰える。
それは当然と言えば当然の事だ。だが、最近ではタクシーなど利用する人は少ない。
周りの景気も悪いせいもあるが、目的地に行くまでの選択肢が増え過ぎて、余計に離れられている。
おかげで今じゃ競争率の高い場所では、同業者が居場所の取り合いでにらみ合ったり、低い場所ではただそこに偶然通りかかる獲物を待ち続ける置き忘れた罠のような感じになっている。
当然その様子を傍から見て笑っている場合じゃない。俺自身が会社ではなく個人としてやっている身。ある程度の自由はあれど、当然配車などの安定した収入源もなければ、好き勝手にいろんな場を荒らすわけにもいかない。
常に飢え続け、毎日獲物を探している感じだった。
だから、事前に予約をしてくれる客は非常にありがたい。どこから俺の事を聞いたのかは分からないが、予約してくれる程なのだから、その人が信頼できる人から聞き、そして間違いなくその時刻に運んでくれるという信頼性での事だろう。
やはり人の縁というものは大切にするべきだと、改めてしみじみ思わされる。
今から運ぶ予定の客も、俺の態度一つでまた予約を入れてくれたり、更にはそれを線として別の人へと伝えてくれる可能性もある。
いつも通り接するつもりではいるが、出来るだけ失礼がないようにしないとな……。
軽く咳ばらいをした後、目的地に間違いがないようにもう一度ナビに目を向けた。
前日に入れておいた指定されている場所。山の上に一つの旗が立っている。
場所は、『椚高等学校』。それは聞いたことがある名前の場所だった。
以前の仕事で噂話として聞いたことがある。あまりいい噂の内容じゃなかった気がしたんだが……その時の仕事とは全く関係のない場所だったし、何より見た目はただの私立の高校だ、気にするほどでもなかった。
確か何やらあらゆる分野の有名な人物が学校に入っていくのを見たとか……。
もしその噂が本当なら、予約してくれた人物もどこかの有名な人なのかもしれない。大手企業の大社長とか……。何故こんな場所に来る必要が? と首を傾げたくもなるが、そんな疑問など今の俺にはどうでもいい。
もしその人に気に入られて名前でも憶えさえしてくれれば、次も予約や別の人に伝えてくれて、俺の収入は一気に安定するかもしれない。
バックミラーに一瞬映る、自然とこぼれる目元。その表情に、浮き立つ自分の心を自重という重石を巻き付け、何とか気持ちを抑えながらも目的地の場所へと向かった。
幾つもの車が行きかう駅を抜け、山の中へと車を進めていく。
坂道を上る中、時計に目を向けた。
十二時半――。
予約の時間は一時だが、ちょうどに着いたり、ましてや遅れたりするよりかは、早く着くに事に越したことはない。
時たま枝分かれしている道の右を抜け、しばらく進むと目的地に到着する。
左側は立派な門が一つ、高い塀に挟まれている。
門には枝のような歪んだ模様がいくつも走り、その所々の開けられた隙間からは学校内の景色を覗かせていた。
校内の庭には植えられた花の間をぬぐう様にそこに通う生徒たちの姿が見える。
窓を開けてからエンジンを止めると、学校からは楽しそうに会話する生徒たちの声が微かに聞こえてきた。
全く俺のいる世界とは違うな……。
聞こえる声に、一瞬思い出される学生時代の記憶に自然と口元が緩んでしまう。
時計に目を向ける……十二時四十分、あと少しだ。
カーナビの目的地を消し、迎える客に失礼がないように車内を一度見回した。
ゴミは……ない。
開けた窓を閉めようと、横にあるスイッチを押す。
その時だ、ふと左側の門の開く音が聞こえた。
顔を向けると一人の女子生徒がこちらに向かい歩いてきた。
まさか予約した人物か? だが、生徒とは……。
今は昼過ぎ、学校が終わるとしてもそんな時間ではないはず……。まさかテスト期間で早いのか? それにしても客だとは……。
頭の中で瞬時に駆け巡るその問の答えを探そうとしていると、女子生徒がドアの近くで立ち止まった。
何の用事があるのかと聞こうとした時、先に女子生徒の方が口を開いた。
「山瀬和峰だな?」
突然の名指し、ましてや呼び捨て。怒る以前に、知っているはずのない名前を呼ばれたことに、驚きの方が先に出てしまった。
それが一体誰なのかが気になってしまい、腰をかがめ、左側の窓に立つ女子生徒の顔を確かめた。
その瞬間、俺の目が見開いた。
すぐさま腰を上げ、エンジンを吹かし、アクセルを踏む。
最悪だ! なんであの女がここ――!!?
同時に空いた窓から聞こえる大きな破裂音、同時に車体の左側が揺れ、ゴムの擦れるような音が入って来る。
「クソっ!」
俺は大きく声を上げ、車を左側へ寄せて止めた。
降りて確認するまでもなく、それが何なのかは頭の中で答えとして浮かんでいる。
車の左後ろのドアが開かれ、先程の女子生徒が乗ってきた。
「この先を真っ直ぐ進んだところにあるファミレスまで」
平然と目的地を告げてくる女子生徒に、俺は顔を合わせることなくハッキリと答えた。
「パンク中なんだが?」
その言葉に女子生徒がわざとらしくため息を吐く。
「はあ、なんて事だ、これでは目的地にはたどり着けない。だがパンクなら仕方ないが……なぜパンクした車で来る?」
「――ッ! お前がやったんだろ!! ……って、まさか予約したのお前なのか? 確かあさぎって……」
「ああ、私で間違いない」
あさぎと予約し、後部座席でそう名乗った女は両腕を胸元で組み、外に向かい顔を向けた。
見ているだけで伝わってくる、そのふてぶてしい態度。まるで今しがた乗ってきたのではなく、最初から乗っていたような雰囲気を出している。
この女、これで会ったのは二回目だってのに……。
前回もそうだったが、この異様に落ち着いてる態度を見ていると、次第に怒る気も失せてしまい、それ以上言葉一つ言えなくなってくる。
バックミラーで後ろの様子を見る。外に顔を向けたままだ……。
すると突然、あさぎが口を開いた。
「――で、私は目的地に行きたいんだ。このままずっとこの場所にいても仕方ないと思うんだが?」
「んなこと俺に言ったでどうしようもないだろ。誰かがパンクさせなければ、今頃別の場所で客を拾って昼飯代を稼いでるところだ。……ったく、お前は一体なんなんだ?」
俺の問いに対し、あさぎは別の答えを口にしてた。
「学校内に別の車がある。それでファミレスに向かおう。どうせこの車じゃ仕事もできないだろ? 選択は一つしかないはずだが……」
じっと見つめてくる視線がバックミラーを挟んで重なり合う。
確かにこのままじゃ仕事なんて出来やしない。女の言う通り、別の車を使うしかないだろう……だが、このままでいいのか? このまま言う通りに従っても、どうせロクな事は待っていないのは分かる。
また下らない物を運ばされるのか? それが嫌で俺はあの仕事を下りたってのに……。
このまま走り出そうとも考えたが、やはりタイヤがパンクしていはそう長くも走れない。
乗り換えるしかないか……。気はのらないものの、俺はあさぎの言葉に乗ることにした。
「分かった、車を乗り換える。どうすればいい?」
「パンクしていても走れるから、まずは学校の裏口にある駐車場に止めてくれ。その後はそこに用意した車があるからそれに乗る。裏口はさっき止まっていた西門の手前の道を右に曲がればある」
「……車の修理、ぜっったいにしてもらうからな!」
再びエンジンを掛け、車をバックさせて元来た道を戻る。
「パンクを直すぐらいの時間はあるさ」
そう口にするあさぎを気にせず、先程止まっていた西門の近くまで車を動かし、そして左へと伸びる道を曲がった。
パンクのせいで車体がカタカタと微かに揺れ、握るハンドルにその違和感を伝えてくる。まるでその場所へと行きたくないという俺の心境と同じ感じだな……。
駄々をこねるように動くハンドルに力を入れては進む事を聞かせながら、真っ直ぐと続く道を走り、裏口を目指した。