第五章:緑の猛者
暗い場所に明かりが二つ。ゆらゆらと蠢いては何かを探している。
ふと、照らされる配電盤。伸ばされる手がカバーを開け、いくつも並ぶスイッチの中から迷わず、右上にあるレバーを上げた。
ガタン、という音と共に灯る明かり、それと同時に一人の男が声を出した。
「……なんだよ、これ……」
雨具のような黄色の防護服を着た二人の男は、手にした懐中電灯の明かりを消す事を忘れ、自分たちの周りを何度も見渡していた。――そこは緑が一面に染まっていた。
一人の若い男が、顔を覆っていた透明のカバーに触れ、何度もその場所を擦る。
もう一人の男は辺りを見渡した後、天井へと目を向けた。視界に捉えたのは一つの蛍光灯、その周りには苔らしきものが纏わり付き、白の明かりを薄い緑色へと変えていた。
天井を見ていた男は懐中電灯を消し、耳の辺りに手を当て、話し始める。
「こちら第一班。ただ今、通電を確認。そちらではどうなっている?」
「……こちらでも確認しました。辺りの状況はどうなっています?」
「全体が緑だ。……蛍光灯に苔のようなものが付着していて、それが原因だと思われる。――いや、配電盤にもいくつかの付着を確認した」
「……了解しました。すぐに採取するように向かわせますので、戻ってきてください」
「了解」
男はそういうと耳から手を離し、後ろへと振り向いた。そこには、今だに驚いた様子で壁に向かい手をつける若い男の姿があった。
「目的以外の物に触るな。例え防護服を着ていようと、服の表面には付着する。それがもし、人を殺すようなモノなら、無意識に俺達が地上に持ち運ぶと大変な事になる。帰って報告書と一緒に始末書も書きたいか?」
「す、すみません! つい気になって……」
「俺達の仕事はあくまでこの場所の電気を復旧させる事だ。それを採取するのは別の奴に任せて、さっさとここを出よう」
そう言いながら、男は足早とその部屋を出た。
若い男はその背中が消えた後、壁を触っていた手に視線を向けた。拳を作っては広げる動作を何度も繰り返し、そして、部屋を後にした。
帰り道、廊下には緑の斑点が模様として点々としていた。異様とした雰囲気と緑の光の中、二人は喋ることもなく、ただ廊下の奥へと足を進める。
見えてくる扉。男はドアノブに手を掛け、それを開く。
隙間から覗く暗い場所、その瞬間――、
「緊急です」
突然、男の耳に声が入ってきた。それは先程話していた女性の声だった。男は咄嗟に耳元に手を当て、言葉を返す。
「どうした?」
「別ルートから進行中の第二班が、突然叫び声を上げ、通信が途絶えました。何度も呼びかけましたが、応答がありません」
「何か事故でもあったのか?」
「分かりません。こちらから確認できるのは、信号のみです。現在、東三区、図での表記上では第二食堂です。……第二班の確認、お願いできますか?」
「……他に誰かいないのか?」
「現在、人員が足りず、向かわせる場合には時間を要します。確認だけでもいいので、もし何か居た場合はすぐに退避を」
「……分かったよ。東三区へ行くには、今居る位置より逆の方向だな?」
「そうです。構造は同じなので、そちらにある非常階段から三階へと降りてください」
男は後ろに振り返り、先程歩いて来た緑の廊下に目を向け、そして、その横でただ呆然と立ち尽くす若い男に声をかけた。
「……三沢は先に地上へと戻す。俺一人でもいいか?」
「任せます」
女性の言葉を最後に、男は耳から手を離し、そして若い男の名前を呼ぶ。
「――三沢」
三沢と呼ばれた若い男が、目を合わせる。
「仕事が増えた。先に戻っていろ」
「えっ……仕事とは……?」
「さっき言ってた採取するやつらだ。そいつらがここの下で迷っているらしい。迎えの仕事だ。俺一人で行くから、お前は先に戻っていろ」
「……でも」
一人不安そうな表情を浮かべる若い男に、男は通り過ぎ際に立ち止まり、言葉を続けた。
「お前がいると何をするかわからない。せっかく仕事を終えても、帰って一緒に始末書を書かされると面倒だからな。だから、俺一人でいく」
そう言いながら、一人、廊下を戻り始める。
数十歩進んだ後、後ろから扉の閉まる音が耳に届いた。男は振り返り、居なくなった事を確認した後、目的の場所へと足を早めた。
東にある薄暗闇に包まれた階段を降り、三階のドア前に辿り着く。
ノブに手を掛け、扉を開ける――そこも緑で染まっていた。ただ、上の階と比べるとその色は更に濃さを増し、更に白いホコリの様なものが宙を舞っていた。
男は辺りを見渡した後、歩き出し、右にある両開きの扉を開けた。
広がる緑の空間、そこには白の斑点が浮かぶ緑の細長いテーブルがいくつも並べられ、奥の厨房には緑色の食器が積み重なっていた。
「第二食堂に着いた。これから二班の探索に入る」
「了解」
男は耳元から手を離し、懐中電灯を灯し、中へと入る。
室内は異様に薄暗く、天井から照らす蛍光灯の光だけでは、床を見ることは出来なかった。一点だけの光を頼りに、緑の斑点が模様づく床の隅々を探す。――そこには誰もいなかった。
男は灯していた懐中電灯を切り、ふっ、と息を吐いては耳に手を当てた。
「室内を探してみたが、第二班は見つからなかった。本当に、ここにいるのか?」
「……待って下さい。……信号が移動しています」
「なに? ここにいるんじゃないのか?」
「はい、そうです。しかし、現在ではその階の更に西の方向へと信号の移動を確認しました。どうやら、こちらへの伝送が遅れているみたいです。……もう一度、第二班に呼びかけてみます」
「了解」
男は耳から手を離し、聞こえてくるであろう女性の声を待った。そして、数分後……。
「……だめです、何度呼びかけても応答しません。そちらの状況はどうなっていますか?」
「上の階に比べて緑色で染まっている。視界は悪いが、迷うほどではない」
「……そうですか。第二班の信号は西の通路奥で現在停止していますので、一度こちらへと戻ってきてください。増員の準備が出来次第、再度、探索に入ります」
「……ここから、その場所までは遠いのか?」
「……いえ、それほど遠くはありませんが、それから先は階段よりも遠ざかる為、もし不測の事態に陥れば……」
「準備するまでの間に、第二班が更に妙な場所へ移動する方が一番の不測の事態じゃないのか? ここから近いなら、俺が見てくる。もし危険だと思ったなら、わざわざ近寄りはしないさ、すぐに戻る」
「……少しお待ちを」
切れる通信。しばらくの沈黙の後、
「……許可は下りませんでした。人命優先とのことです」
「……分かった戻る」
再び深く息を吐いた後、男は扉を開け、廊下へと出た。
「――ん?」
男の目にある光景が映り込んだ。それは、上へと出る階段の反対側、西側の奥へと続く廊下の曲がり角、その先でふと一瞬だけ見えたのは、黄色の防護服姿だった。
男はすぐさま耳に手を当てた。
「今、黄色の防護服の姿を見た。第二班の編成は何人いるんだ?」
「……第二班は三名となっています。第一班と同じく、信号は先導者が所持しています。もしかするとはぐれた方かもしれません。……しかし」
女性の声が曇る。
「黄色の防護服は第一班だけのはずですが……」
「――何!?」
男が再び、防護服が消えた方向へと目を向けた。だが、そこには緑の斑点が浮き上がる壁だけが聳え立つだけで、その奥は見えない。
「三沢か……。三沢はどうなっている? 先に戻っているはずだが……」
「確認してみます。…………どうやら戻ってないみたいですね。階段前で待機している全班に確認した所、誰も戻ってないとのことです」
「上に戻らなかったのか? ……もし見間違いじゃなければ、一班の人間だ、責任は俺になる。一応、確かめにいく」
「待ってください。その階は他の上層とは違い侵食度が進んでいるようなので、何があるか分からず危険です。先程も言いましたが、もう一度準備を整えてから探索に入りますので、戻ってきてください」
「何かあったらすぐに戻る。ただ確かめるだけだ」
「待ってくだ――」
男は手を離し、歩き始めた。耳元では静止を呼びかける女性の声が響く。
食堂から真っ直ぐと進み、黄色の防護服が消えた廊下の角を曲がり、さらに進む。いくつも立ち並ぶドアを通り過ぎ、そして、目の前に別の色をした防護服が現れた。
両手を力なく垂らし、天井を眺めたまま動かない赤色の後ろ姿。黄色とは違い、体全体が厚く、そして頭部の辺りが大きく膨らんでいた。
男はその姿を見るや、すぐに耳に手を当てた。
「第二班の防護服は赤か?」
「……そうですが」
「――見つけた。蛍光灯を見上げたまま立っている」
「辺りには他に何か見えますか?」
「周りには……」
男が首を動かし、辺りを見渡す。その時、ある場所で目が止まった。
「……何もいない」
「了解。すぐに戻ってきてください。人員を増やし、再度調べます」
「分かった」
男が耳から手を離す。そして、その場所へと迷うことなく足を進めた。
視線が見つめるもの、それは僅かに開かれたドアの先――。
中へと入る。そこには色々な機材が置かれた研究室のようになっていた。装置は動き、それぞれが光を出す。その奥、そこにはあの黄色の防護服の姿があった。
チカチカと、切れかけの蛍光灯が点灯を繰り返す薄闇の中、赤と同じく、黄色の防護服はただその場に立ち、ゆらゆらと体を微かに動かすだけだった。
男は手にした懐中電灯を点け、黄色の防護服に向けた後、肩に手をかけた。
「おい、みさわ……っ!?」
振り向かせると同時、黄色の防護服が男に向かい倒れてきた。
地面へと倒される男の上に、黄色の防護服はまたがり、そして両腕を押さえる。
「おい、三沢! 何をしている離せ!」
男が何度呼びかけてみるも、黄色の防護服は何も答えない。
押さえつけられる両腕を無理矢理振りほどこうとした時、男はある事に気付いた。黄色の防護服を守るべきはずの頭部の部分、そこのカバーが破られていたのだ。辺りが薄暗い為、奥にある表情まで見えない。
男はすぐさま、右腕を押さえる手を振りほどき、懐中電灯の光を向けた。
「なにっ!? くっ、離せ! ああっ!! あああぁぁっー!!」
男の叫声が部屋中に広がり、溺水するような音が廊下へと漏れる。
――数分後、薄闇の部屋から前面を緑の液体で染めた防護服が出てきた。その場に立ち止まり、ゆらゆらと体を揺れ動かし、そして階段の方へと歩いていった。