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Luxlunae  作者: 夏日和
第三章:戻せない時間
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二節:二つの選択肢

 廊下に跳ね返る足音。薄闇の中を一人彷徨うように歩く。

 ただそれは、出口を求めてじゃない。当ても無く、ただ歩き続けていた。

 頭の中ではさっきまでいた部屋での会話が絶え間なく行き来していた。

 内容を改めて整理しようにも、上手くまとまらず、何よりこの先で待ち受けてるであろう不安が邪魔をしてくる。

 ふと視線を外へと向けた。

 青白い光が俺を包む。

 顔を上げ、その光を射し込ませる月を見た。

 欠ける月。なんだかやけに、冷たく感じた。

―――――――――――――――

「これからどうするんだ?」

 突然の麻祁の問いかけに困惑した。

 何を言っているのだろうか?

 しかし、続け様に放たれた言葉により、俺は今自分のいる場所の状況に気付かされた。

「分からないのか? お前のこれからについてだよ」

 麻祁が先程とは違い、表情が真剣なものになる。それはまるで全てを見据えたような目線で、俺の目を捉えていた。

「まぁ、とは言ってもだ、選択肢は限られてるがな」

 軽く手を払い、ソファーにもたれる。そして、出される右手。

「大まかに言えば選択肢は二つ。まずは、一つ」

 立てられる人差し指。

「このまま私の手伝いをする。簡単に言えば、私の荷物持ちになってもらう。当然、今日あった出来事のように、命の安全など全く保証はされない。……とは言え、普段過ごしていても、こんな素晴らしいハプニングは起きないし、たった一度の人生としては悪くない体験だ。それに、日常生活における、お前の学校での生活環境も変わらないようにしてやる。友達付き合いも、退屈で窮屈な授業時間も普段と変わりなく過ごせる。ただ、変わるのはお前の世界観だけだ。悪くない話だろ? そして二つ――」

 人差し指に並ぶ中指、

「記憶を消すか、だ」

 麻祁の声が少しだけ落ちる。

「今日あった出来事を明日にはすっかり忘れて、そして君は退屈な日常へと戻る。決して思い出すことはないだろう。この部屋であった会話、今見ているこの二本の指、そしてこの妖艶溢れる美貌の持ち主である私のことも」

 立てられた二本の指を小刻みに動かす。それはまるで二人でダンスを踊ってるかのように。

「――ただ、残念なことに、こっちの選択肢には多少なり問題がある」

「……問題って?」

 俺の言葉に、麻祁は焦らすように間を置き、そして溜め息と共に口を開いた。

「非常に言い難い事なんだが、記憶を消すという行為ははっきり言って危険としかいいようがない。なんせ、脳自体に直接影響を及ぼすものだからな。もしかすると……ここで起きた出来事以外の記憶も消えてしまうかも……」

「えっ? それって……」

「今まで経験してきた事、脳みそに蓄積されている情報のどれか。親、友達、場所。ひどい時じゃ、自分の事すらも……」

 残念そうな言い方で、そう言葉にする麻祁。しかしそれは、俺の反応をじっくりと焦らして楽しんで見ているかのようだった。

 それに対し俺は、ただ呆然と聞き入るしかなかった。

「そう難しく考えなくていい。それはあくまでも最悪のケースの場合だ。そこまで行くには、大きな何かしらの体験をしたか、何度も記憶を消し続けての、繰り返しを行った場合での副作用で起きる障害としての一つ。そうそうにはならないさ」

「で、でも……ちなみに記憶を消す……ってのは、どうやるんだ、一体?」

 俺の言葉に麻祁は指を立て、俺のある部分を指さした。

「まだ痛む?」

 それは俺の足。坑道で撃たれたあの場所だった。

「いや、今は……」

「あの時坑道でお前は足を撃たれた。しかし、あの蜘蛛に捕まった後、私に助け出されたお前は普通に歩いてた。本来伝わってくるはずの痛みがしなかったのは、神経が治まっていたか、ただ脳が誤魔化しているかのどっちかになる。だが、お前はすでに一度経験しているはずだ。あの夜、ゴム弾で撃たれたあの痛みを」

「あっ……」

 ふと頭に蘇る、それは決して忘れる事の出来ない焼けるような熱とえぐるような痛み。そして自分の足から滲み出ていた、あの赤い血の色。

「あの時撃ったのは、脅し用に使う血のりの付いたゴム弾だ。しかし、例え血は作り物だとしても、受ける痛みは本物だ。それが翌日には全く記憶にすらなかっただろ? 更に言えば、私達と出会った事すらも……。あれは私達がその瞬間の記憶を消したからだ。正確には鍵を掛けた、だがな」

「鍵?」

「一度錠を掛けたなら、それを外せるのはその鍵を持つ者だけ。私があの時屋上で銃のスライドを引いたら、忘れていたはずの記憶が瞬時に蘇った。そして痛みも――。痛みは脳が作り出した情報、失われたモノの整合性を戻す為に伝えたんだ」

「それって……まさか……」

「そう、記憶を消すってのはつまり、催眠術、暗示だよ。私達は痛みとあの夜の出来事を、その脳の奥にへと隠した。だからあの時、銃のスライドの音で、お前の足、体自体があの時の状態に戻ったんだ」

「……それじゃ、今もその音を聞けば……」

「鳴らそうか?」

 麻祁がスカートのポケットに手を伸ばす。その言動に俺は首を振った。

 ――あんな痛みは二度とゴメンだ。

 その反応に、麻祁は少しだけ口元を上げる。

「それは残念だな。とは言え、今は効くかどうかも分からない。一度蘇ったものは、二度使えるわけではないからな。また暗示をし直さなければならない。結構不便なんだぞ?」

 麻祁は手を戻し、胸元で腕を組む。

「お前の記憶を消す際は、その暗示を行う。再度記憶を呼び起こすには、ある特殊な音を効かない限り戻さないようにしてな。そうすれば、その日、その時は無くなる」

「……それなら、記憶をけす――」

 そう言いかけた時、ふと目の前に、真っ直ぐ伸びた人差し指が立ちふさがった。

「――忘れたか? 消すにもリスクは伴う。お前の得た体験はあまりにも大きすぎた。もし暗示が上手く行ったとしても、普通に生活している中でその記憶がふと蘇り、その無いはずの記憶とやらに永遠に悩まされ続けなければいけない。運が悪ければ足に受けた痛みですら、何かしらの影響で再発するかもしれない。副作用というはあくまで確率的なものだ、見えない悪夢として常に付き纏う」

「くっ……」

 それはもはや八方塞がりの状態だった。どちらを選んでも俺にとって良い事はない。

 しかし、だからと言ってこのまま素直に従い、付き合うべきなのか? あんな危険な事があったというのに――。

 何も言えず、言葉を詰まらせる中、麻祁が問いかけてくる。

「命か記憶か、どうする?」

 迫られる選択肢に俺は追い詰められるも、こう答えるしかなかった。

「考えさせてくれ……」

 その言葉に麻祁の口元が微かにあがった。

「構わないさ、じっくり考えると良い。しかし、ここで悩まれても迷惑だ。私はこの疲れた体をベッドで休ませたい。ベッドは一つだけ、今日はもう帰るといい、この近くに住んでいるんだろ? そこまで調べはついてる。明日にでも聞くさ。ちなみに、悩んで悩みまくって、警察に助けを求めてもいいぞ。その場合は……まあ、良い結果にはならないけどな」

 その言葉の後、俺は立ち上がりドアを開けた。

 閉める瞬間の狭間に見える、二人の顔。

 眼帯の男性は俺の顔にジッとその左目を向け、麻祁はただ誰も座っていないソファーの方を見続けていた。

 ドアが閉まり、光が消える。

 静寂と薄闇が俺の周りを包んだ。

―――――――――――――――

 今思い返してみても、あの場所を包んでいた雰囲気はとても奇妙なものだった。

 話の内容からすれば、それは俺の明日が関ってくる重大な選択、自身のこれからの行き先、運命を決める重要な時間、のはずなのに……なんだろうか、あの、まるで他人の命を決めるような感じは……。

 それはまるで、雲の上にいるような現実味の無い夢の無い感覚があの場所に、そして今も俺を包み込んでいた。

 ……本当に不思議な感じだ。

「……いっ」

 口を動かすと痛みが走る。その衝撃で俺の意識が戻った。

 痛む場所を擦りながら、月明りの射す長い廊下を一人歩く。

 いつもなら授業が終わった後、教室から出ると、廊下にはすでに他の生徒が集まり、談笑を始めるのが恒例となっていた。

 その為、その横を通る俺の休み時間は、毎回窮屈な思いを受けさせられていた。

 だが、今のこの場所は、とても広く、何より寂しさを強く感じさせられている。

 誰かの声が聴きたい……って、そういえば、この場所通るのは初めだった。

 辺りを改めて見渡す。

 本当にここは何処なんだろう……?

 見たかぎりでは、ここが学校だという事は分かるんだけど、それが何という学校なのか、そしてどの場所にあるのかが分からない。

 薄暗い闇の中をただ歩き続けてはいたが、今自分がどこを歩いているかまでは考えてなかった。

 ふと急に圧し掛かる不安。徐々に怖さが強まってくる。

 早くここから出たい、という気持ちが高まるも、肝心のその出口が分からない。

 とりあえず駆け足で、階段を見つけ一階まで降りる。

 しかし、辿り着いたその場所は先ほどと似たような景色だった。

 唯一中央にある庭が方向感覚を狂わさず居てくれるが、一体どこをどう歩けば……。

 途方も無く歩き続け、不安で泣きそうになりかけた時、

「おや、君は……?」

ふと誰かが話しかけてきた。

 声のする方へとすぐに顔を向ける。そこには警備服を着た一人の男性が立っていた。

 右手に持つ懐中電灯から射し込む光で見える顔。シワがある肌から、歳のとった人だとわかる。

「……ここの生徒じゃないね……?」

 久しぶりに聞いた人の声。思わず涙が溢れ出しそうになるも、すぐに目元を拭き、答えた。

「えっ……えっ……は、はい……」

「どうしたんだいこんな時間に? どこからか入ってきた?」

「いえ、その、勝手に入ったんじゃなくて、あのその……友達と……」

「友達……? よく分からないが……迷ってるのかい?」

「は、はい、初めて来た場所なんで出る場所が分からなくて……」

「……出口ならそこを真っ直ぐ進んで、右に曲がれば出れるよ」

 少し飽きれた様な口調ながらも、懐中電灯の光を廊下に当てては、丁寧に説明をしてくれた。

「あ、すみません……ありがとうございます」

 俺は頭を下げて、男の人に言われた通りに出口へと向かった。

 少し歩き、後ろを振り返る。その時にはすでに、あの光は消えていた。

―――――――――――――――

 閉じられたガラスのドアを手で押し、開ける。

 隙間から流れ入る少し温かい風が、肌に感じた。

 それは外に出たという自然からの拍手のようなものだった。

 ドアの先、街灯が直線に並び進路を作る。俺は導かれるかのようにその道を歩いた。

 目の前に現れる高い壁。俺の身長を遥かに超え、まるで誰も逃がさないようにと、それは聳え立っていた。

 壁には唯一、開けた箇所として、門があった。

 草木の形を模様し、枝と枝の間にある隙間の部分に手を掛け、門を力強く押す。

 鉄の擦れるような音と共に、目の前に広がる光景。それはいくつもの住宅から見せる生活としての生きてる明かりのランプだった。

 奥で点々とする住宅の明かりのその手前には、大きな施設みたいなものが見える。

 町を見下ろす光景、それは今自分が高い場所にいる事を教えてくれた。そして、前の大きな建物からは、電車の走る音が聞こえた。

「……駅?」

 自然と漏れる言葉。パズルように頭の中にピースが埋まり、想像の地図を作っていく。

 あの女が言っていた。この近くに俺が住んでいると。確かに、俺の住んでる近くには駅がある。それは天光公園を抜けた先。

 自然と頭の中で道筋が組まれる。

 もしあの駅が俺の知っている天渡三枝駅なら、俺の家はすぐそこだ。

 俺は行き焦る気持ちを押えつつ、その駅を目指した。

―――――――――――――――

 これはひどいな……。

 鏡に映った顔の角度を変え、何度も確認するように見る。

 痛む場所、それは口元から始まり、頬やおでこなど、その部分を強調するように、肌の色が青くなっていた。

「いっ……」

 改めて確認するように触れると、やはり痛みが走る。

 一体どうしてこうなったのか分からない。覚えてる事と言えば……ダメだ、何も思い出せない。あの女、麻祁が刺されたあの一瞬から、どうなったんだ……?

 考えれば考えるほど積もり始める疑問。だが、何度問いかけたところで、誰も答えてはくれない。

 ふと出るため息を鏡に映る自分の顔に漏らし、俺は外に出た。

 今だ、駅周辺では多くの人が歩いていた。

 老若男女問わず、それぞれが自身の目的の為に足を忙しく進めている。

 立ち止まっている俺の耳には、色んな人の会話や笑い声が入ってくる。さっきまでいた静寂とは全くの正反対だった。

 今となっては、こっちの方がなんだか現実味の無い仮想にいるような気分がしてくる。

 俺は首を振るい、家を目指した。

 駅から数メートル。徐々に人々の声が薄れ、明かりも僅かに点々とし、またあの静けさが戻った。

 公園まであと少し。この場所を抜ければ、家に帰れる。

 だが、頭の中ではあの出来事が浮かび上がっていた。

 以前と同じ、夜にこの公園を通る。……もし、中であの女が待っていたとしたら? 

 そんな事はありえないと、首を振り掻き消すも、心の隅ではそんな気が僅かに残る。

 なにも無理して公園を通らなくても、家には帰れる。しかし、ここを通った方が明らかにすぐに辿り着ける。

 俺は激しい葛藤の中、 

『今は何としてでも早く落ち着ける自分の場所に帰りたい』

という気持ちが勝ち、公園へと足を踏み入れた。

 街灯に照らされレンガの道を一人歩く。公園内ではジョギングする人や、ただ歩いている方など、数人の男女を見つけた。

 俺の心から安堵した。スッと気持ちが晴れるように軽くなる。

 噴水の辺りを通り抜け、更に進む。

 さすがに自然公園だけあって、出口から出口までの距離はある。

「――タツマさん?」

 突然、名前を呼ばれた。それは後ろからだった。

 すぐに振り返ると、そこには一人の男がいた。

 確かあの人は、先程俺の前から歩いてきてちょうどすれ違ったばかりだった。

 灰色のフード付きの服に長ズボン。フードを掛けていないショートの髪が、上から照らす街灯により光って見える。

 真っ直ぐと見てくるその男の歳は、俺と同じ高校生ぐらいだと思う。

「クリュウタツマさんですか?」

 男に名前を呼ばれ、思わず俺は返事をする。

「そ、そうですけど……」

 その言葉に笑顔を見せた。

「ああ、良かった。人違いだったらどうしようかと……」

 その表情に俺は、どうしていいのか分からず悩んでいると、男の方から話を切り出した。

「あのすみません。少しお聞きしたいのですが……」

 男がある名前を口にする。それを耳にした瞬間、俺の頭の中で一つの映像が浮かび上がった。

「サイトウユウをご存知で?」

 サイトウユウ。それはあの時聞いた名前。そう、麻祁を刺した人物の名前だ。

「え、えっと……」

 突然の名前に思わず焦る。どうして、この人がその名前を知っているのか……。

 その様子に気づいたのか、男が突然、納得したかのように頷いた。

「ああ、やっぱり、知ってるんですね? いや~、それなら話が早いです。実は僕、その人とお友達でして……」

 男がそう言いながら、腹部辺りに付けられたポケットに手を入れ、二枚の紙、そして黒色の小さな袋を取り出した。

「実は今朝から連絡がなくて、どうしようかと困っていた所、とある方から色々と教えていただきましたね……」

 左の小指と薬指の間に紙を挟み、器用に袋を開け、中に右の親指だけを入れる。

 袋から出てくる指先、そこには黒色の粉が付いていた。

「どうやら、いなくなられたみたいですね。――あなたのおかげで」

 男が上目遣いで俺を見てくる。その視線に目を逸らすことが出来ず、ただ後ろへと下がった。

「その方から聞きましたよ。クリュウタツマさん、今あなたが着ている服とそっくりの特徴をね。白いシャツに黒のズボン。どこかの学生服で、この公園を今通ると」

 親指に付いた粉で、男が紙に何かを書き始めた。

「いったい何を……」

 その行動の意図が読めず、俺の口からは、疑問としての言葉が自然と漏れた。――男は何も答えない。

「いやー、あまりいい人じゃなかったから別にいいんですけどね……でもほら、一応友達だし」

 男が親指を止め、二つの紙を地面に落とした。

「わんわん」

 その言葉の瞬間、落ちた紙が一瞬にして二匹の犬へと変わった。静寂が一瞬にして、不規則な咆哮で埋められる。

「ち、違う俺じゃ……俺は……」

「――喰らえ」

 その言葉の瞬間、俺は振り返り、走った。

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