一節:報告
歳にして三十半ば。短めの整った髪に黒のベストを着込んだ男。
合わせた両手を机の上に置き、眼帯の掛かってない空いた左目で外にいる龍麻をジッと見ている。
その視線に動揺しているのか、龍麻は男に目を合わせたままその場から動く事はなかった。
変化を見せない状況に、ドアの横に立っていた麻祁が口を開く。
「何を見つめ合っているんだ? 早く」
急かす言葉に龍麻は肩をあげ、頭を軽く下げた後、部屋に入る。
しかし、その足はすぐに止まった。
龍麻の前に二つのソファーが置かれていた。
木目の浮かぶ机を挟むように、革張りのそれはどちらも空いている。
左右に視線を二度振った後、男に向ける。だが、男からは何一つ言葉はなかった。
再び左右に視線を振り、左側のソファーへと向かい足を進めた。
たどたどしく腰を下ろす中、反対側には麻祁がふてぶてしく座り、その体を沈めた。
言葉も無く向かい合う二人。その姿をソファーの後ろにいたガラス張りの本棚たちが静かに見下ろしている。
「それじゃ始めようか」
まるで自身の部屋にでもいるかのように、ソファーに身を委ねていた麻祁が話を切り出した。
その瞬間、場の空気が一変した。
男が突然机にあるファイルを端に寄せ、引き出しからノートパソコンを取り出すと、カタカタとキーを打ち始めた。
「……で、どうだったんだ?」
男の問いに、麻祁は首を振り、一言だけ返す。
「最悪」
その答えに男は表情を変えず、言葉を返した。
「それは御苦労だったな」
男は横に寄せていたファイルを手に取り、机に向かい放り投げた。
黒のファイルはパサパサと羽ばたく事もなく、重たい音を上げ麻祁の横へと落ちる。
「早いじゃないか……さすがだな」
麻祁はそのファイルを手にし、一枚ずつ目を通し始めた。
それを機に二人だけの会話が始まった。
「……やはり、神経回路か。厄介になるところだったな」
「ああ、統制が取れると手出し出来なくなるからな。あの大きさであの統制力……資料通りなら面倒事が増えなくて助かったよ」
「後処理の方は?」
「すぐに向かわせた。だが、実際に処理を開始するの早くても明日の朝になる。女王はいなくても動いてるやつはいるからな……。――とはいえ、放っておいてもいい気はするんだが……。だいたい女王が死んだなら、後は勝手に死滅するんじゃないのか?」
「――集団としての性ならな。だが、生物によっては別の道もある。例えば蜂がそうだな。女王はいずれ歳をとって衰えてくる。そうなる前に卵を育てて、新たな女王を用意しておくんだ、そうすればいつまでも繁栄は続くからな」
「それじゃ、あの子にもその機能があるというのか?」
「いや、見た感じあの子に繁殖機能が携わっているとは思えない。当然あの頭にいたお姫様もだ。そもそも蜘蛛に集団行動できることの方が初めてだからな、どうなるかはわからない」
「一応それらの分析結果に関してはそこに載せてある。それとこれは糸の分析結果だ。中々興味深いことばかりだ」
再び宙を舞うファイルを麻祁が拾った。
目の前で繰り広げられる言葉とファイルの横行。何かを言える訳も無くただ唖然としている中、龍麻が割って入った。
「あ、あの……すみません」
手を上げ、男の方へと顔を向ける。
男は手を止め、龍麻を見た。
「なにか?」
少し細まる視線に龍麻は怯むも、話を続けた。
「あ、いや……あの……すみませんが、全く何の話をしているのか分からなくて……その……」
言葉を選び聞いてくる龍麻の姿に男は首をかしげた。
「説明してないのか?」
男が麻祁に問いかける。
「ああ、してないよ」
悪びれる様子もなく平然と返される言葉に、男は溜め息を吐いた。
「……今、仕事の話をしているんだ。龍麻君、君に来てもらったのはその報告のためだよ」
「えっ、仕事の報告って……な、何の仕事ですか?」
龍麻の言葉に男は唖然とするも、すぐに溜め息をつき、再び麻祁に目を向けた。
「……どこまで話してないんだ?」
「ん? 全部だよ。ぜ・ん・ぶ」
ファイルに目を通したままの麻祁は書類の一枚をめくる。その姿に男は飽きれた様に右手で頭を押さえた。
「無茶苦茶だな……ちゃんと説明してやれ」
その言葉に麻祁は、
「何も知らない方が足は進むのさ」
と返事をし、書類から龍麻へと視線を移した後、話を始めた。
「私達はある依頼であの場所に訪れた。依頼内容は鉱山再起始動の有無、そして原因の排除。事の経緯は簡単なものだ」
麻祁が龍麻にファイルを滑り投げる。
「私達が立ち寄ったあの鉱山は古くから利用されてい場所だ。しかし、ある時大地震が起き、安全の為に一時閉山とされることになった。それから数十年の間は誰も入れなかったのだが、最近使える鉱石がまだあるという事で再採掘が始まったんだ。それから数十ヶ月して妙な事件が起きた。単純に言えば、鉱山内での失踪事件だ。そこで働いている人間の一人一人が少しずつ姿を消していったのさ。……資料を読めばそれに関しては詳しく書いてある」
龍麻の前に置かれたファイルを麻祁が指さす。
龍麻はそれを手に取り、目を通し始めた。
厚めのファイルに書かれていたのは、鉱山で起きた奇妙な報告と不可思議な現象の数々だった。
「えっ!?」
ある場所を読んだ時、龍麻が声を出した。そこには笑顔を見せる幼い女の子の写真が載せられていた。
「こ、この子って……確かあの奥にいた……」
「まず最初に消えたのはそこで働いている責任者の娘だ。どうやらその周辺に家があったらしく、その日、たまたま母親と迎えに来たおかげで行方不明になったらしい。外で目を離した時にはどろんさ」
「外で攫われたと?」
「――襲われたのかもな。なんにせよ宿主になったのは違いない。そこから全てが始まりであり、そして何よりの元凶だよ。慌てた父親はその場に居た仲間と共に辺りを探したが結局見つからず、後日、本社に連絡した後、個人で探してみてもやはり見つかることはなかった。それで警察に捜索願いを出したというわけだ」
「警察が動くならすぐに見つかるんじゃないのか? それにあの蜘蛛も……」
「そう思うだろ? だが見つからなかった。一応情報としてはテレビや新聞などを媒体に広まってはいたが、探す場所が悪すぎた。外で見失ったからとその周辺ばかりを捜査しただけで、鉱山までは知らんぷりさ。その間にも鉱山内では行方不明者の何人かは時折出ていた」
「鉱山も? それなら次は鉱山内でも行方不明者が出たって事でそっちに目がいくんじゃ……それで捜索とかになって……」
「それがならなかった。全くな」
「なんで? 捜索届を出さなかったから?」
「そう、それもあるが、口封じもあるだろう」
「……? なぜそんなことを?」
「理由は単純だ。これ以上不都合な話を広げないためだ。情報を握りつぶしたのはその本社――親だよ」
「でもそれだと後々困るんじゃないのか? もしどんどん人が減っていったらいずれバレたりさ……」
「居なくなった人を気に留める人がいるならそうなるんじゃないのか? どうやら、そこで雇っていた従業員はどれも日雇いなどが多く、家族関係や生活環境などをしっかり確かめていたようだ。……とは言え、相手はそればかり選んで攫ってるとは思えないから、何人かは雇用じゃない者もいただろうな」
「それでも気づかれないのはどうして? 誰かが声を出せば、話題になって調査が入るかもしれないのに」
「親族には事故など適当な事を言ってたかもしれないな。仲間内から悪い噂が立ってたとしても、誰もその原因は分からないんだし、本社が悪いとは見えない。もし対処が遅いと感じたところで、叩く理由にはならない。そもそも暗い場所での作業には不意な事故はつきもの、それなりの覚悟やもちろん保証としての目線で見ている人もいるから、人の心は分からないよ。それに当時は捜査隊の何人かが行方不明になっている話も出ていたから、警察からするとそっちを重要視し頭を悩ませいたかもな」
「捜査隊も?」
「ああ、一気にではなく、小さく少しずつな。ボランティアもいるからその後の確認が取れないことあったりで、調査するにも非常に面倒な状況だったらしい。これ以上二次災害を出さないためにも数週間後には捜索打ち切りさ」
「あんなバカデカい蜘蛛がバレずに人を襲えるものなのか? 捜査隊っていったら結構な数がいるんじゃ……?」
「人が集まっている所にわざわざ姿を見せる生物はいないよ。襲われたのは鉱山内部に繋がる入り口付近のみ。あそこ以外にも古い入り口やらが沢山開いていて、そこから出入りしている形跡があった。この蜘蛛は鉱山内で巣を張り、蓄えがなくなると外へと出て探し始めるようだな」
「それでもよく見つからなかったな……」
「運が良かったのかもしれないな? まあ、連れ去られたのは運が悪かったかもしれないが」
「……それでその後、依頼を……その出したと?」
「ああ、捜査が打ち切られた後、数か月してから会社側が採掘を打ち切ったんだよ。これ以上訳も分からず作業員が次々消されたら保証も大変だし、鉱山内で広がる悪い噂での風評が外に漏れると厄介だからな」
「奇妙?」
「あの女の子と蜘蛛を見たって話だよ。捜査が打ち切られてからも採掘をしていたある時、行方不明の娘が突然目の前に現れたらしく、それに気付いた数人の鉱員が話しかけたようだ。だがその瞬間、その一人がその子の後ろから現れた蜘蛛に襲われて、その後、奥に連れ去られたのだと。瞬間を見ていた同僚全員がそう証言したが、慌てた様子で話すその異常な姿から『全員過労による幻覚症状』として済まされて、傍からは嘘つき呼ばわりの最期。だが、その証言を境に、『少女の亡霊を見た』とか『大きな蜘蛛がいる』とか変わった報告が日に日に多くなり、結局は坑道内はそいつらの巣でまみれ、入る事すら出来なくなってしまった。……という流れだな」
「それで奥に……」
「ちなみに生存者もいたがまったく会話にならないし、私達が行く前に調査員を送ったみたいだが結局返って来なかったりで、全く役に立たない話ばかりだよ」
「でもよく見つけたな……その子が原因だって……」
「さすがだろ? もっと褒められるべきだと思うんだがな私達も」
「一体どうやって……そんなことを?」
「情報を集めるために現場に関わった全ての人の目と耳、そしてその周囲での環境の変化を調査した。で、見つけたのは動物の骨とその辺りでご丁寧にも張り巡らされた糸だった。証言を参考にするならば、その糸を蜘蛛だと仮定し、エサが掛ればその振動で必ず寄って来るから、その場所で待つことにした。で、律儀にもそいつはノコノコとやって来たから、さっさと始末して死骸を持ち帰り分析して、そして出来たのがお前に渡したあの血清だ」
「ああ……あれか……」
『血清』という言葉に龍麻の頭の中では筒に入った黄色い液体が浮かび上がった。ふと、首筋に右手を当てる。
「その後は別の依頼を処理している時、たまたまお前に出会ったから今回利用させてもらったというわけだ」
「なんで俺なんだ? ほかにも人はいるだろ? わざわざ俺じゃなくても……」
「――運命的な出会いってやつだよ。あの坑道内は迷路だ。昔掘った穴もあるから親玉を探すにしても時間がかかる。集団行動という習性が分かった以上、単純に終わらせるなら生きた餌を女王近くの場所まで運んでもらい叩くのが一番だからな。まあ、もし餌置き場でも近くに必ず女王がいるから探す手間も省ける流れだ」
「餌って……もし俺がついて来なかったらどうしたんだよ? 俺だってそんなこと嫌だぞ!?」
声を張り上げる龍麻に、麻祁の口調を変えない。
「だから、黙っていたんだろ? 言ったら着いて来てくれるのか?」
「っ…………」
麻祁の言葉に龍麻は小さな舌打ちをし、視線をわずかに左へと逸らした。
「そう怒るのもよく分かる。だが、私からすればタイミングがタイミングだ。もしお前が居なければ別の誰かが代わりとしてなっていただけの話しだからな。――ちなみに、これがあそこにた親玉についての報告書」
麻祁がまた数枚の紙の抜き取り机に滑らせる。首を落とす龍麻はそれを拾い、目を通した。
そこには複雑な記号と数字。そして、試験管に入った赤黒い小さな一匹の蜘蛛の写真が貼ってあった。
「たった一匹のその小さな蜘蛛が、あの大きい蜘蛛の全てを統制していた。そいつの出す糸は電気を伝える電線のように役割があってな、あそこで見た青の光は女王の命令を伝える信号だ」
「それで一斉に蜘蛛が……でも、あんな小さな蜘蛛が、人の……人の体なんて操れるものなのか?」
「可能といえば可能。それより小さい寄生虫でも動物を操れることができる……とは言え精密までにはいかないけどな。少女を解剖した結果、その蜘蛛は頭の中に入って糸を張り巣くっていたようだ。糸には信号を伝達させる機能をしていたから、脳を支配し体を動かしていたと考えていい。これで苗床は整ったから、後は少女の体を使い、繁殖の為に利用し続けたのさ」
「……そんなこと……」
次々と語られる現実離れな話に、龍麻は次第に表情を曇らせていった。
「生きるためには何でもする。それが奴らにとっては素敵な環境作りだったのさ。明日の昼にでも紅茶を飲むぐらいの優雅さを保つためのな」
麻祁が軽く笑みを浮かべる。それに対し龍麻は憂鬱な視線を向けた。しかし、そんな目を気にする様子もなく麻祁は言葉を続けた。
「それがあの鉱山に起きた全て、そして元凶の正体だ。……それより、私も知りたいことが一つある」
麻祁の目が椅子に座る男にへと向けられる。
「あの男は一体何なんだ?」
睨むような視線に男は眉一つ動かさず、代わりに新たな書類を麻祁の前に投げた。
「さいとうゆう。あの場所から少し離れた街で何でも屋として働いていたやつだ。こういった依頼をよく受けていたみたいだな。刀の出所を知る為に調査も一応したが、登録なしの真剣だった。――よく切れるみたいだな」
「私の体を容易に貫くぐらいだからな。よくあんなものを大空の下で振り回すものだ。神経がいかれてるとしか言い様がない」
呆れるようにため息を吐いた後、麻祁が頭の横ら辺りに右手を伸ばし、軽くぐるぐると手を動かした。その姿に男は表情を変えることなくただ一言「そうか」と返した。
「ちゃんと報酬の値上げは要求したか? 依頼を達成しても帰りに無関係な奴に殺されたんじゃアホらしいからな。さすがに割に合わない」
「その点はきちんと伝えてある。それと回収した女の子の親にも一応伝えてある。こちらで整えてから会わすつもりだ」
「……お礼に期待だな。にしても、本当にどうしようもない会社だな。依頼をするにしても、もう少しマシな奴にしなかったのか? 普通じゃないぞ?」
「どうやら初めてのようで不安だったらしいな」
「紹介されて不安だとはな……した方にも問題があるんじゃないのか?」
「どうだろうな? もしもの為の保険のつもりで、独自で見つけてきた安めの奴に頼んだらしい。その情報が入って来たのがたまたまのリークだからな。事実確認を含め、伝えるのが少し遅れてしまったというわけだ」
「――伝えてくれるだけでも助かるよ。早さが大事だからな。……にしても、安い奴はロクでもないな。横取り横取りって不意を狙って楽して稼げるから味をしめてるが知らないが、油断しているとこうやって返り討ちに遭うんだ。おかげでいい経験になっただろ、後の教訓として十分活かせるな」
「――生きてたらな」
いつもの世間話をするかのように、二人の掛け合いは止まらない。
しかし、ある言葉を最後に、空気は一変した。
「――さて、以上で報告は終わり。次は……」
麻祁の目が龍麻に向けられる。その視線に気付き、龍麻も顔を合わせた。
表情の見えない目に怯えを見せる目。それはまるで蛇と蛙のようだ。
「これからどうするんだ?」
突然の問い掛けに、龍麻は言葉の意味が理解できず首をかしげた。
「分からないのか? お前のこれからについてだよ」
麻祁の表情が一瞬だけ真顔になる。
一変する雰囲気に、二人を眺めていた男は両腕を組み、更に背を沈めた。
―――――――――――――――
何も言わず龍麻が部屋を出る。
その後ろ姿を男は見送り、麻祁は正面に顔を向けたまま動かさなかった。
「いいのか?」
男の言葉に、麻祁は軽く言葉を返す。
「ああ、いいさ」
その口調はまるでこの結果が分かっていたようなものだった。
「あいつは私じゃないし、私もあいつじゃない。選ぶのはあいつ次第だからな。私が強要できるわけがない」
「……それじゃもうお別れなのか?」
男の言葉に、麻祁はほくそ笑みを浮かべ答えた。
「――何故?」
ソファーから立ち上がり、ドアへと足を進める。
「あいつは確かに関りを否定した。だが、それは一時的なものだ。完全なものじゃない」
ドアノブに手を掛け、開ける。
「なら、その曖昧さを無くしてやればいい。そうすればあいつも悩まなくて済む」
部屋から体を出す。その後ろ姿に男が言葉を返す。
「強引だな」
その言葉に麻祁は立ち止まり、ドアを閉める際に言葉を残した。
「私は意思を尊重する、中立者さ」
ドアの閉まる音。訪れる静寂の中、男はふと溜め息を吐いた。