二節:悪夢再び
「で、なんの用……?」
俺からの第一声はそれだった。
今俺達がいる場所は学校の屋上だった。
風が吹き抜ける以外は何もない場所で、目の前にはあの転校生の麻祁さんが立っていた。
ホームルームの時、麻祁さんが渡してくれた紙切れには、ただ一言だけ、こう書かれていた。
『屋上で話がしたい』
屋上は基本出入りなど出来ないのだが、昼食の時や部活から閉校時間までの間だけは、自由に出入り出来るように開放されていた。
その理由としては、この高校の人集めの一つでもある、山の景色を公で見せるためだ。
せっかく入ったのに景色が見れない。それではそもそも入る理由がないと言う生徒も少なからずいるらしく、それが噂となり、学校側がせっかくの魅力が消されてしまうと、懸念したためである。
もちろん、開放には事故などの不安もあったが、高いフェンスを取り付け、さらに隠れてタバコを吸ったり、窓から飛び降りた人の事例などがない理由もあって、その時間帯だけは特別としてドアの鍵を開けることなっていた。
昼休みの時、麻祁さんが声をかけてきたので、俺がここまで案内した。
今の時間帯なら次の授業があるため、他の生徒は全員教室に戻っている。が、当然、俺達も次があるため早めに戻らないと、かなり怒られてしまう。
……なので、出来るだけ早く話は終わらせて戻りたい。ってよりも、帰りのホームルームの後ではダメなのだろうか……。
言葉の後、麻祁さんの反応を待ったが何も答えず、ただ俺を見続けているだけだった。
「えっと……屋上で話があるっていうから、一応一緒に来たんだけど……」
――第二声。やはり、返事は帰ってこず、ただ笑顔をこちらに向けてくるだけだ。
その変わらない表情に、俺は少しだけ不安を覚えた。
聞こえない……? いやそんなはずはない。ならどうして何も答えないんだ……。
このままいても仕方ない、そう思い、俺は言葉をかけた。
「用がないなら先に戻るね……次の授業もあるし、早くしないとここが閉ま――」
振り返り、遠くにあるドアを目指し、足を踏み出した。
一歩、二歩、三――。
「えっ?」
ふと聞きなれない音が耳に入り込んできた。それは何かがハマったような、カチャっという音がはっきりと……。
「――ッ!! ぐあああッ!!」
突然、左足に激痛と熱が走り、俺は思わず声を上げた。
急な出来事に体が対応できず、そのまま跪き、痛みのする場所へと手を向ける。
しかし、触っただけでは全く変わりがなく、急ぎズボンを捲るも、何一つ変わった所は無い。
「くっ……! な、なんなんだこれ……!?」
あまりにも突然の衝撃に、頭の中が一瞬にして真っ白になった。
痛みは一向に消える気配がなく、むしろ少しずつに広がってる感じがする。それに応えるように、顔からは汗が吹き出ていた。
「なぜ、私が転校生にもかかわらず、『屋上』なんて指定したか分かるか?」
背中から聞こえる声。足に手を置いたまま、俺は引きずる様にして後ろへと振り向いた。
「それはここに人が居ないと知っていたからだ。いや、正確にはこの時間帯を、だがな」
冷たく、なおかつ吐き捨てるような物言いでこちらに近づいてくる、あの転校生、麻祁式が――。
「思いだしたか? あの痛みを……」
銀色の髪をなびかせながら、麻祁がほくそ笑むような表情でこちらに向かい右手を突き出してきた。そこには黒く光る拳銃が握り締められていた。
「な、なに……ぐっ!!」
再び痛みが左足を襲う。その瞬間、ある映像が蘇ってきた。それは昨日起きた出来事、俺がすっかりと忘れていたあの記憶。そう、この痛みと同時に、あの女の顔も――。
歪む視界で麻祁を捉える。銃口を向ける姿、そう、それはまさしくあの夜出会ったあの女だった。
「な、なんなんだこれはッ!! なんでお前がここに!」
「はぁ、やっと思い出したか。やはり、暗示が効いていたみたいだな」
麻祁が銃の上の部分をスライドさせる。その瞬間、再び何かがハマったようなカチっという音が聞こえてきた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
その音が鳴ると同時、足の痛みが一気にひいた。それは今までに何事もなかったように、熱と共に一瞬で消え去った。
俺は額から流れる汗を拭い、跪いたまま麻祁に目を向けた。
「俺に……何をしたんだ……」
「暗示だよ、あ・ん・じ。よくあるだろ、催眠術とかさぁ、脳みそに直接ロックをかけるわけ、記憶のな。そうすれば痛みや苦痛、悲しみなんてのはすぐにポカーンって消え去るわけだ。ただし、完全に忘れたわけではなく、その痛みはあくまで忘れる、だけでしかない」
麻祁が再びスライドをひき、
「ぐっ、あああああ!!」
またひく。
「ハァ、ハァ、ハァ……な、なんでこんな事に……」
「そうでもしなければ歩けないからな。ゴム弾だぞ? それに、昨日の思い出なんてあっても邪魔だからな、物事を円滑に運ぶには最適なのさ。余計な記憶なんて障害でしかない」
麻祁が近づき、銃を俺の頭に向けた。
「人の脳みそはお前が思っている以上に利口なんだ。体が傷つき歩けないと困るだろ? だから脳みそも誤魔化すのさ、自分が生きる為に……な。さぁ、あまり長話は好きじゃない。私がなぜこの場所に来たか分かるか?」
「な、何のために……?」
その言葉に、麻祁は大きなため息を吐いた。
「見てはいけないモンを見たからだよ。あんな光景、まともじゃないだろ? だから普通の人が見ちゃ駄目なんだよ。よく聞くだろ? 噂話でお化けとか、都市伝説とかユーマとかさ。……お前はそれを信じるか?」
「な、なんだよそれ……どういうことなんだよ……」
「簡単な話だ。もしも仮に、昨日の出来事を記憶に残したまま、今日を迎える。人によってはそれを『夢』だと思い、自分の中に閉じ込めておく。しかし、中にはその話を鼻高々と口にする人もいるわけだ。話が話だけに、当然信じない人もいるが、その逆に信じる人も少なからず出てくる。でだ、もしそれが本当だったとしたら、どうする?」
麻祁が無表情のまま、目を逸らさずこちらを見てくる。俺は何も応えず、ただその目を見返していた。
「経験したのだから語るのは自由だ。だが、その話が別の人にとって誰にも聞かれたくない内緒の話ならどうする? その重要性、そしてそいつに対して扱いが大きく変わってくる。私は隠したいんだ。秘密にしたいし、憶えてほしくない。だったら一つしかない――消すしかな」
銃口をこちらに向け不気味な笑みを浮かべる。
「俺は……誰にも喋らない。……喋らないって」
俺は目を逸らすことなく答えを返した。しかし、麻祁がすぐに言葉を返してきた。
「私はお前の脳みそでもなければ、お前自身でもない、どうやって信用できる?」
「…………」
頭に向けられる銃口。それを見つめたまま、俺は何も答えず――体を捻った。
手で反動をつけ、銃口から頭をずらし、すぐさま立ち上がっては出口に向かって走る。
俺の後ろではすぐに女が撃ってくるかもしれない、体を逸らし避けな――。
「――っぐッ!!」
突然痛みが左足を襲い、バランスを崩した体は地面を擦らせながら転んだ。
体中に痛みが走り、絞るような声が漏れる。
「どこへ行こうと言うんだ? まだ話は終わってないだろ。それに忘れたか? 暗示が掛かってる事に」
うつ伏せのまま、後ろに目を向ける。麻祁がこちらに歩きながら銃の上部を引く。
「お前はもうどこにも逃げられないし、抗うこともできない。っと言っても、一つだけ助かる方法はある」
「……助かる?」
「ああ私も人の子、慈悲ぐらいはあるし、何よりここで殺しては死体処理の方でも面倒になってくる。条件は簡単だ。私についてこい」
「…………」
頭の中で色々な事が駆け巡る。
見られたくないものを見られ消さなければならない俺に対し、ついてこいとは……話の内容は簡単だが、目的そのものが見えてこない。
――ほいほい行った所でどうなるんだ? どうせ消されるのでは?
頭の中で結果は見えていても、その間の事が全く想像できない。しかし、だからと言ってそれを拒否できる状況でもない。俺は返事をした。
「わ、わかった……ついていく……」
その返事に麻祁は、スカート裏の右ふとももに隠していたホルスターへと銃を収めた。
「それでいい、さあ行く――」
その言葉の瞬間、俺はうつ伏せの状態から手に力を入れ、踏み出し走った。
距離にして僅か、ほんの数十歩走っただけで扉がある。女との距離は少し遠い、走ってもギリギリで俺には追いつけない。
ドアノブに手が届く、すぐに捻り、ドアを引く。
開かれた隙間から体をすべ――。
「――!!?」
突然首元をつかまれ、後ろに放り投げられた。背中から叩きつけられ、衝撃が体中に痛みとして駆け巡る。
「勝手にどこへ行くんだ?」
ドアが大きな音上げ閉まる、同時に麻祁が振り返り、こちらに向かい歩いてくる。
「お前は私についてくると言ったんだ。以前とは違い、逃げれる場所なんてもはやない。この選択はお前自身が選んだものだ。私が冗談なんて言うとでも思ったか?」
目の前に立ちふさがり、麻祁が銃を構える。
俺は両手に力を入れ、痛む体を起こした。
……もう何もできない。
どうすることも出来ずに座り込む中、せめての抵抗として見下ろす目を俺は睨んだ。
その視線に麻祁は、不気味な笑みを返してきた。