第8話 帰還の祝杯 《悲劇補正:実行》
夜になった。
ギルドの奥の広間に、長机が並べられていた。
肉の匂い。焼いたパンの匂い。酒の匂い。
明るい笑い声が天井にぶつかって跳ね返る。
――嫌な空気だ。
ここは、盛り上がる。
盛り上がると、帳尻が来る。
俺は入口で立ち止まった。
「本当に来たんですね」
横から声がして、リリアが現れた。
昼の受付より髪がゆるくて、仕事の顔じゃない。
「逃げようと思った」
「思っただけで来たなら偉いです。迷宮都市では」
リリアは苦笑して、俺の背中を軽く押した。
「ほら。副長が見てます」
広間の奥。背の高い副長が、こちらを見ていた。
笑顔。逃がさない笑顔。
俺は息を吐いて、進んだ。
「レオン! よく来た!」
副長が大げさに手を広げる。
「今夜は簡単な席だ。セラの無事と、君の戦果を祝う。迷宮都市の流儀だ。飲め!」
「……俺は酒は」
「飲め!」
即答だった。
断る空気がない。
俺はグラスを受け取った。
中身は赤い酒。甘い匂いがする。
テーブルには、冒険者たちがずらっと座っている。
俺を見る視線が、刺さる。
「本人だ……」
「番犬を一人で……」
「新人だぞ?」
やめろ。
盛り上がるな。
リリアがさりげなく割って入る。
「はいはい、本人に詰め寄らない。座って。今日はセラさんの席でもありますから」
その名前が出た瞬間、俺の胸が少しだけ跳ねた。
セラ。
休憩室に寝かせたままだと思っていた。
だが、広間の奥から、彼女が歩いてきた。
顔色はまだ白い。
でも、髪を整えて、鎧じゃなく薄い服に着替えている。
「……来ちゃった」
セラが小さく笑って言った。
「来るなって言うべきだったか」
「言うでしょ。でも、言われたら余計来たくなる」
「厄介だな」
「ひどい」
セラは俺の隣に座った。
その距離が近くて、俺は少しだけ固まった。
リリアが向かい側に座る。
「セラさん。熱は?」
「下がった。大丈夫。たぶん」
「“たぶん”は禁止です」
「……はい」
セラは素直に縮こまって、可笑しかった。
俺は目をそらして、グラスを握る。
こういう“普通”が怖い。
村でも、交易都市でも、最後はこの空気のあとに来た。
救われた、よかった、って空気のあとに。
副長が席の中央に立った。
「諸君! 本日は良い夜だ!」
歓声が上がる。
「第一層の番犬は、冒険者を何人も喰ってきた。だが、ついに倒れた! 倒したのは――」
副長がこちらを指さした。
「レオンだ!」
広間がどっと湧いた。
俺の耳が痛い。
この空気に、慣れたくない。
視界の端が、ちかっとした。
《注目度:上昇》
「……くそ」
小声が漏れた。
セラが俺の顔を見て、不思議そうにした。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
副長が続ける。
「そして、セラ! 生きて帰ってきた! 無事が何よりだ!」
今度はセラに歓声が向いた。
セラは困った顔で、手を振るだけだった。
俺はその手の震えに気づいて、息が止まりそうになる。
(無事、って言うな)
副長がグラスを掲げた。
「さあ、祝杯だ! 迷宮都市に、新しい英雄が来たことを祝おう!」
広間が一斉に立つ。
俺も立たされる。
副長が俺に近づいて、笑顔のまま囁いた。
「一言、頼む。短くでいい。『これからも街のために戦う』とか、そういうのだ」
喉が渇いた。
そういう言葉は危ない。
断定。誓い。英雄。盛り上がり。
全部、危ない。
でもここで黙ったら、空気が割れる。
割れた分だけ、余計に盛り上がる。嫌な予感しかしない。
俺は息を吸って、できるだけ“軽く”言った。
「……俺は、俺にできることをやる」
あいまいにした。
断定を避けた。
それでも、歓声は上がった。
「うおお!」
「いいぞ!」
「レオン!」
視界の端がちかっとして、文字が出る。
《称賛イベント:成功》
背中が冷たくなった。
副長が満足そうに笑う。
「よし! 乾杯!」
グラスがぶつかる音が広間に鳴り響いた。
その瞬間だった。
セラが、ぴくりと肩を震わせた。
「……っ」
セラが胸元を押さえる。
服の上からでも分かる。力が入っている。痛みをこらえる仕草。
「セラ?」
俺が小声で呼ぶと、セラは笑おうとして失敗した。
「……なんか、変」
俺は椅子から身を乗り出した。
「どこが」
「左……ここ」
セラが指で鎖骨の下を押さえる。
嫌な汗が背中を流れた。
来るな。
来るなよ。
セラの呼吸が浅くなる。
顔色が一気に悪くなる。
リリアも気づいて、立ち上がった。
「セラさん! やっぱり来ちゃダメって言ったのに!」
「ごめ……」
セラが言いかけて、咳き込んだ。
咳が、乾いている。嫌な音。
俺はセラの肩を支えた。
そして、見てしまった。
服の襟元がずれて、鎖骨の下が少し見える。
そこに――星みたいな痣。
赤く、熱を持っている。
俺の血が冷えた。
「……うずいてるのか」
セラはうなずくのも辛そうに、目だけで肯定した。
その瞬間、視界の端に文字が出た。
《悲劇補正:実行》
心臓が嫌な音を立てた。
「……ふざけんな」
俺はセラを抱き上げた。
「リリア、部屋」
「こっち!」
リリアが先に走る。
俺は人混みを押しのけて、広間を出た。
後ろで誰かが叫ぶ。
「おい、どうした!?」
「大丈夫か!?」
やめろ。
追うな。注目するな。
通路の奥、休憩室に飛び込んで、セラを寝かせた。
セラの胸が上下している。でも、弱い。
「……レオン」
セラが俺を見た。
「喋るな」
「……怖い」
その一言が、胸に刺さった。
俺は手を当てようとして、止まった。
迷う。
でも迷ってる時間はない。
「手当てする」
断定を避けて言った。
それでも手は震えた。
白い光を出す。
いつも通りに出た。確かに出た。
……なのに。
セラの息が戻らない。
熱が下がらない。
いや、違う。
下がりそうになるたびに、別の苦しさに変わっていく。
喉が詰まる。胸が痛む。手足が冷える。
治る道だけが、避けられていく。
「なんでだよ……!」
俺は光を強くした。
強くしたら、セラの痣が、さらに赤くなった。
セラが震える声で言った。
「……さっき、乾杯の時……ここ、熱くなった」
「みんなが……喜んだ時……」
俺は歯を食いしばった。
「やめろ。言うな」
「……でも、分かる」
「私、たぶん……そういうやつなんだ」
セラが弱く笑った。
その笑い方が、リーアとミナと重なる。
俺は吐き気がした。
「違う。助かる」
言ってしまった。
セラの目が少しだけ見開かれる。
「……言わないで」
遅い。
視界の端がちかっとして、文字が出た。
《均衡徴収:実行》
「……やめろおお!」
俺は怒鳴って、光を出し続けた。
でも、届かない。届かないようにされている。
リリアが震える手で薬を用意して、セラの口に流し込もうとする。
でもセラは飲み込めない。
「セラさん、息して! お願い、息して!」
リリアの声がかすれる。
セラはリリアの方を見て、弱く笑った。
「……ごめんね」
「謝らないで!」
セラは次に、俺を見た。
そして、ほんの少しだけ、安心した顔をした。
「……レオン」
「迷宮で……怖かったけど……」
「あなたがいたから……帰ってこられた」
「やめろ……!」
俺はセラの手を握った。
熱い。なのに、指先は冷えていく。
セラが小さく息を吸って、最後に言った。
「……あなたのせいじゃない」
それきり、呼吸が止まった。
静かだった。
休憩室の外からは、まだ笑い声が聞こえる。
祝杯の続き。英雄の続き。
俺はセラの手を握ったまま、動けなかった。
リリアが唇を噛んで、震える声で言った。
「……なんで……」
俺も同じ言葉しか出なかった。
「……なんでだよ」
勝った。帰ってきた。祝った。
だから奪う。
そんな仕組みを、許せるわけがない。
俺はゆっくり立ち上がった。
拳を握る。爪が掌に食い込む。
「……次は」
言い切りそうになって、止めた。
断定は危ない。
だから、言い方を変えた。
「仕組みを見つける」
俺はセラから目をそらさずに、低い声で言った。
「そして、壊す」




