第7話 ギルドの英雄 《称賛イベント:成功》
迷宮の階段を上がるたび、空気が軽くなる。
それでも俺の胸は軽くならなかった。
セラは肩にもたれたまま、体重を預けている。
息はある。だけど熱が強い。足取りも危うい。
「……悪い」
セラが小さく言った。
「謝るな。歩けなくなったら、背負う」
「……そこまで?」
「そこまでだ」
言い切ってから、喉の奥がひっかかった。
断定は怖い。だけど今は、迷ってる場合じゃない。
地上に出た瞬間、迷宮前のざわめきが耳に刺さった。
人の声。笑い声。呼び込み。今日も平和な顔。
セラは目を細めて、ほっとしたように息を吐いた。
「……帰ってきた」
「帰ってきた」
ギルドへ向かう道で、セラがふらついた。
俺は腕を回して支え直す。
その瞬間、周囲の視線が集まったのが分かった。
「おい、あれ……」
「血、ついてね?」
「迷宮帰りか」
俺はフードを深くかぶった。
見ないでくれ。盛り上がらないでくれ。
ギルドに入ると、受付の前が騒がしかった。
依頼の揉め事かと思ったが、違う。
「セラさん!?」
声を上げたのは、受付のリリアだった。
いつもの笑顔が消えている。
本気で焦った顔で、カウンターから身を乗り出した。
「セラさん、どこに行ってたんですか! 帰還報告がなくて……!」
「……ごめん。ちょっと、奥まで行っちゃった」
セラが苦笑いをする。
その笑い方が、昨日までのミナを思い出させて、俺の胃がきゅっと縮んだ。
リリアはセラの額に手を当てて、顔色を見て、すぐに結論を出した。
「ダメです。熱。休憩室に運びます。……レオンさん、手伝って!」
「分かった」
俺はセラを抱え直して、リリアの指示に従った。
ギルドの奥。関係者しか入れない通路。小さな休憩室。
セラを寝かせると、リリアは手際よく水と薬を用意した。
迷宮都市の受付嬢は、看護までやるらしい。
「セラさん、飲んで。無理してでも」
「にがい……」
「文句言えるなら大丈夫。はい、次」
セラは渋い顔をして、それでも飲んだ。
リリアはそれを見て、ようやく息を吐いた。
そして俺を見上げる。
「……レオンさん。セラさんを運んだの、あなたですよね」
「偶然だ。迷宮で会った」
「偶然で、あの第一層の“泉の間”から生きて戻れる人は少ないです」
リリアの声が少し低くなった。
「……泉の間の番犬、出ましたよね?」
俺は黙って頷いた。
リリアが目を見開く。
「倒したんですか」
「……倒れた」
言い方をごまかした。
自分の手柄みたいに言うと、また嫌な流れになる気がしたからだ。
けど、リリアはごまかされなかった。
「……素材、ありますか」
「ある」
俺が袋を置くと、リリアは中を見て、一瞬固まった。
そして、口元を押さえた。
「……本物」
その声は小さかった。
けど、その小ささが逆に、本気だと分かる。
リリアはすぐに表情を整え、受付の仕事用の顔に戻った。
「レオンさん。帰還報告と、討伐報告を正式に出してください。ギルドとして処理します」
「……今?」
「今です。今出さないと、後で面倒になります。あと――」
リリアが一拍置いた。
「絶対に、勝手に外で売らないでください。変な人に目をつけられます」
変な人。
それはたぶん、この街では“当たり前”の言い方だ。
俺は頷いて、受付へ戻った。
カウンターの前に立つと、周囲の空気が変わった。
さっきより視線が増えている。
リリアが用紙を差し出す。
「帰還報告、こちらに。討伐対象は――泉の間の番犬。単独討伐。同行者、セラ」
「同行者っていうか、救助だ」
「それも書きます。……書きますけど、言い方は気をつけてください」
「……分かってる」
俺が書類にサインした瞬間だった。
背後で誰かが叫んだ。
「おい、今の聞いたか!?」
「泉の間の番犬を単独で!?」
「新人だろ!?」
ざわっ、と音が広がる。
波みたいに。
俺はペンを握ったまま、指先が冷たくなるのを感じた。
嫌だ。
この空気は嫌だ。
だが、止まらない。
「すげえ……!」
「英雄じゃん……!」
「見た? あいつだよ!」
リリアが小声で言った。
「……レオンさん。顔、上げないで。できるだけ」
俺は歯を食いしばった。
それでも、視界の端がちかっとした。
《称賛イベント:成功》
「……っ」
出るな。
成功するな。称賛されるな。
でも、もう遅い。
奥の扉が開いて、背の高い男が出てきた。
ギルドの管理職っぽい服。身分が高い匂い。
「君がレオンか」
周囲が静まる。
空気が“見せ場”に寄っていくのが分かった。
「……そうだ」
「私はギルド副長だ。第一層の番犬を単独で倒したと聞いた。事実か」
「……倒れた」
またごまかした。
副長は一瞬だけ目を細めて、すぐに笑った。
「謙虚だな。だが結果がすべてだ」
副長は周囲に向けて声を張った。
「諸君、迷宮都市の安全は、こういう冒険者に支えられている!」
歓声が上がった。
俺の胸が嫌な音を立てた。
副長が続ける。
「今夜、小さな席を用意する。セラの無事も祝い、君の戦果も称える。断るなよ」
断るべきだ。
盛り上がれば、帳尻が来る。
でも、断ったら断ったで、別の形で“押し込まれる”気がした。
俺は一瞬だけ迷って、短く答えた。
「……分かった」
副長は満足そうに頷いた。
「よし。リリア、段取りを頼む。君も来い、レオン。逃げるなよ」
副長が去っていくと、周囲の冒険者が一斉に話しかけてきた。
「なあ、どんな魔法使ったんだ!」
「パーティ組まねぇ?」
「酒、奢るぞ!」
「……やめろ」
口から出た声は小さかった。
誰にも届かない。
リリアが割って入って、笑顔で押し返す。
「はいはい、質問は後で! 本人も疲れてます! 解散!」
さすが受付だ。人のさばき方がうまい。
人が散っていく中、リリアが俺にだけ聞こえる声で言った。
「……嫌そうですね」
「嫌だ」
「でしょうね」
リリアは一瞬だけ、目を伏せた。
「でも、今夜の席は断らない方がいいです。迷宮都市は、ギルドの顔が強い。逆らうと――生活が面倒になります」
「面倒って……」
「仕事が回らない。店が売らない。宿が貸さない。そういう“面倒”です」
俺は舌打ちをこらえた。
「……分かった」
リリアは頷いて、休憩室の方を見た。
「セラさん、少し落ち着きました。今は寝てます」
「……起きたら、まず謝る」
「謝らなくていいです。セラさん、無茶する癖があるので」
リリアは苦笑いをした。
その苦笑いが、やけに自然で。
俺は、ふと気づく。
この街の人間は、危うさに慣れている。
死が近いことに、慣れている。
それでも俺は慣れたくない。
俺は拳を握って、心の中だけで繰り返した。
(今夜は、何も起きるな)
その願いが、いちばん危ない気がした。




