第6話 初めての迷宮攻略 《攻略開始:許可》
迷宮の空気は、冷たかった。
階段を下りきった瞬間、地上のにぎやかさが嘘みたいに消える。
聞こえるのは水滴の音と、遠くで石が擦れる音だけ。
壁には青白い苔が光っていて、足元は湿っている。
息を吸うと、肺の奥がひやっとした。
――ここは、人を静かにする場所だ。
俺は剣を抜いた。
買ったばかりの安物だけど、ないよりはいい。
数歩進んだところで、視界の端がちかっとした。
《攻略開始:許可》
「……許可ってなんだよ」
独り言が、やけに大きく響いた。
返事はない。いつも通りだ。
俺は足音を殺して進む。
曲がり角。小部屋。石柱。
いかにも迷宮って感じの景色だ。
そして、出た。
小さなゴブリン。三体。
短い棍棒を持って、ぎゃあぎゃあ鳴いている。
「……来たか」
俺が剣を構えると、ゴブリンが突っ込んできた。
正直、盗賊より弱い。
動きが単純で、目も泳いでる。
俺は一体の首筋を斬った。
血が飛ぶ。ゴブリンが倒れる。
残り二体が叫びながら振り回してくる。
俺は一歩引いて、手を出した。
白い光が走る。
二体が同時に止まった。
狼と盗賊で慣れた“止まる”やつ。
「便利すぎるだろ……」
俺はため息をついて、止まった二体を斬った。
静かになった。
血のにおいが広がる。
俺は剣を拭いて、素材を回収した。
ギルドに持っていけば金になる。
……金。
金はいい。少なくとも、嘘をつかない。
でもこの世界は嘘をつく。
勝ったら褒めて、あとで奪う。
俺は周りを見回した。
「……次は」
言い切りそうになって、止めた。
断定すると嫌な気がする。
俺はゆっくり進んだ。
その後もゴブリンは何度か出た。
スライムも出た。コウモリみたいな魔物も出た。
全部倒せた。
倒せすぎる。簡単すぎる。
そのたびに、頭の中で嫌な言葉がちらつく。
――成功率。
――注目度。
――称賛。
迷宮の中なのに、誰も見ていないはずなのに、見られている気がする。
しばらく歩くと、広い部屋に出た。
天井が高くて、柱が並んでいる。真ん中に泉がある。
「水……?」
俺は喉が渇いていた。
だが近づく前に、違和感があった。
泉の周りに、骨が落ちている。
鎧の欠片。折れた剣。
ここで何かあった。
俺は足を止めた。
次の瞬間、柱の影から大きい影が動いた。
オオカミみたいな魔物。
でも普通の狼よりでかい。目が赤い。牙が長い。
「……ボスってやつか」
笑えない。
魔物が唸って、俺に飛びかかってきた。
速い。
俺は横に跳んだ。
牙が風を切る。地面に爪が刺さって石が削れる。
「くそっ」
今までの雑魚と違う。
こいつは、止める前に噛みちぎってくる。
俺は息を吸って、手を出した。
白い光。
……出た。
でも魔物は“完全には止まらない”。動きが鈍るだけだ。
「効きが弱い……?」
俺は背中が冷たくなった。
都合よく勝てるだけの世界じゃない。いや、都合よく勝つと奪う世界だ。
なら――ここはどっちだ。
魔物がまた飛ぶ。
俺は剣で受けた。衝撃で腕がしびれる。
「っ……!」
腕が持っていかれそうになる。
俺は歯を食いしばって踏ん張った。
そして気づく。
俺、剣の使い方をちゃんと習ったわけじゃないのに、体が勝手に動いてる。
無駄がない。最短の動き。最適な角度。
……最適化。
嫌な言葉だ。
魔物が吠えて、俺の腕に噛みつこうとする。
俺は肘で押し返して、剣を突き刺した。
喉元。柔らかいところ。
魔物がびくんと震えて、倒れた。
俺はその場で息を吐いた。
汗が背中を伝う。
勝った。
でも、勝ったあとが怖い。
俺は周りを見た。泉。骨。
ここで死んだ冒険者は、たぶん俺みたいに勝てなかった。
……なら、俺が勝っても問題ない?
いや、勝つと奪うのがこの世界だ。
その時、泉の向こうから小さな足音が聞こえた。
俺は剣を構えた。
「誰だ」
柱の影から、女が出てきた。
鎧を着ている。軽装。剣も持っている。
でも、顔色が悪い。唇が乾いている。
「……助かった」
女はそう言って、膝をついた。
「あなたが……倒してくれたの?」
「ここにいたのか」
「隠れてた。私一人じゃ無理だった」
女は息を整えながら、俺を見た。
目が大きい。真面目そうな顔。
「……あなた、強いね」
その言葉に、胸がひやっとした。
褒め言葉が怖い。称賛が怖い。
俺は話を変える。
「名前は」
「……セラ」
「俺はレオン」
言った瞬間、視界の端がちかっとした気がして、俺は眉をひそめた。
でも、文字は出ない。
セラは立ち上がろうとして、よろけた。
俺は反射的に支えた。
「大丈夫か」
「平気……」
平気じゃない。
セラの体は熱い。汗の匂いがする。
俺の背中が冷える。
「……熱がある」
「少しだけ。迷宮で無理して……」
セラは笑おうとした。
その笑顔が、ミナと重なる。
俺は口を開きかけて、止めた。
断定が怖い。
「……休める場所に行く。上へ戻る」
「でも、素材が……」
「命のほうが大事だ」
セラは少し驚いた顔をした。
たぶん、迷宮都市では珍しい言い方なんだろう。
「……優しいんだね」
その言葉も怖い。
でも、俺は否定しなかった。
セラは俺の腕を掴んで、かすれた声で言った。
「私、ギルドに用がある。お願いがあるの」
「お願い?」
「……受付のリリアに、伝えて。私、帰るって」
リリア。受付嬢。
俺は頷いた。
セラはほっとした顔をして、俺の肩にもたれた。
その瞬間、俺は見てしまった。
セラの鎧の隙間、左の鎖骨の下。
小さな痣が、ちらっと見えた。
星みたいな形。
俺の血が一気に冷えた。
「……おい」
セラは目を閉じたまま、弱く笑った。
「なに?」
「……いや。なんでもない」
言えなかった。
星痣だ、って。
言ったら、また世界が喜ぶ気がした。
俺はセラを支えながら、迷宮の階段へ向かった。
心の中でだけ、繰り返す。
(まだだ。まだ持っていかせない)
階段が見えた。
地上の明かりが、遠くに光っていた。
その光が、やけに怖かった。




