第4話 凱旋の雑踏 《均衡徴収:実行》
ミナの隠れ家に戻ると、まだ夜だった。
俺は息を切らしながら、戸口の影に声をかけた。
「ミナ。いるか」
「……うるさい。夜だぞ」
奥から、かすれた声が返ってきた。生きてる。
それだけで少しだけ安心してしまって、俺は奥歯を噛んだ。
安心すると、世界が喜ぶ。
そんな気がするからだ。
俺は金袋を見せた。
「金、手に入れた。薬も買える。寝る場所も作れる」
「……金?」
ミナが起き上がる気配がした。
薄暗い中で、目だけが光る。
「盗賊退治。報酬と、返金分も回収した」
「……まじ?」
「まじ」
ミナが笑った。小さく。
「やるじゃん。レオン」
その呼び方が、少しだけ胸に刺さった。
名前で呼ばれるのが怖いのに、嬉しい。
俺は嫌な予感を振り払うように言った。
「まず移動する。こんな所に寝かせておけない」
「……急だな」
「急じゃないと間に合わない」
ミナは何か言い返そうとして、咳き込んだ。
まだ熱が残っている。
俺はミナを背負った。軽すぎる。
骨が当たる感じがして、腹の奥がむかついた。
「おい、重いぞ」
「うそつけ。軽いだろ」
「……うるさい」
俺は宿に入った。安い宿だが、屋根がある。鍵がある。
受付の女将が俺たちを見て眉をひそめた。
「子どもを連れ込む気かい」
「違う。病人だ。部屋を借りる。二泊分」
銀貨を置くと、女将の目の色が変わった。
「……はいはい。二階の奥。騒ぐんじゃないよ」
ミナが俺の背中で小さく笑った。
「世の中、先に取ったやつが勝ち」
「お前の教えだな」
「覚えが早い。いいね」
部屋に入ると、ミナを寝かせた。
布団があるだけで、こんなに違う。
俺はすぐに薬屋へ走った。解熱の薬、栄養のある食べ物、水。
戻ってきてミナに飲ませる。
「にが……」
「我慢しろ」
「お前が飲め」
「俺は元気だ」
「ちっ」
ミナは渋々飲んで、また寝た。
俺は椅子に座って、窓の外の音を聞いた。
街の夜はうるさい。
人が多い音がする。
そして、嫌な感じがする。
――俺は勝った。
――盗賊を一人で潰した。
――衛兵に名を聞かれて、名乗った。
勝利。称賛。注目。
あの順番は危ない。
眠れないまま、朝になった。
ミナの熱は少し下がっていた。
顔色も昨日よりましだ。
「……生きてる?」
「生きてる」
「よかった」
その「よかった」が、喉の奥で引っかかった。
言ってしまった、と思った。
ミナは俺の顔をじっと見た。
「お前、変だな。喜ぶ時に、怖い顔する」
「……癖だ」
「へー」
ミナは布団の中で体を丸めた。
そして、ぼそっと言った。
「なあ。昨日の盗賊、すごかったんだろ」
「噂になってた?」
「なってる。宿の下がうるさい」
俺は窓の外を見た。
確かに、人の声がいつもより多い。朝からざわざわしている。
「ギルドの掲示板にも貼られてると思う。『街道の盗賊を一人で制圧した新人』って」
「やめろ……」
「なんで?」
ミナが首をかしげる。
「普通、喜ぶところだろ。成り上がりだぞ。いいじゃん」
成り上がり。
いかにも冒険者って感じの言葉だ。
でも、俺は喜べない。
「……目立つのが嫌なんだ」
「変なやつ」
ミナはそう言って、少し笑った。
その笑いが、俺には毒みたいに見えた。甘いのに。
昼前、ギルドから使いが来た。
「レオン殿! ギルド長がお呼びです!」
俺は舌打ちしそうになって、こらえた。
ミナが目を輝かせる。
「うわ、まじで呼ばれてる。すげー」
「すごくない。面倒だ」
「行けよ。行かないと不自然だろ」
「……ミナは寝てろ」
「やだ。行く」
「熱あるだろ」
「下がってきたし。外の空気、吸いたい」
ミナは布団から起き上がった。ふらつく。
俺は反射的に支えた。
「無理するな」
「無理しない。……ちょっとだけ」
俺は迷った。
でも、ずっと閉じ込めておくのも違う。
「……分かった。短時間だけだ」
「よし」
ミナが勝ち誇った顔をした。
ギルドへ向かう道。
昨日より人が多い。やけに多い。
俺たちが歩くだけで、視線が刺さる。
「おい、あれじゃね?」
「レオンってやつ?」
「一人で盗賊団やったって……」
ミナが小声で言った。
「人気者じゃん」
「やめろ」
「照れてる?」
「違う。嫌な予感がするだけだ」
ギルドに入ると、ざわめきが一段大きくなった。
受付嬢が俺を見るなり、ため息をついた。
「……来ましたね。こっちです」
案内されて奥の部屋へ入る。
ギルド長は太った男で、笑顔がうまいタイプだった。
「いやあ、君がレオン君か! 助かったよ!」
ギルド長は大げさに手を広げた。
「街道の盗賊は頭が痛かった。衛兵だけでは手が足りなくてね。君のおかげで商人たちが安心して動ける」
「……たまたまだ」
「謙遜もできるのか。素晴らしい!」
ギルド長は机の上に袋を置いた。
「これは追加報酬。街の商人組合からだ」
袋は重い。金貨が入っている音がする。
ミナが思わず息を呑む。
「……やば」
ギルド長がミナを見て、にこっとした。
「おや。付き人かい? 可愛いね」
「違う」
俺が即答すると、ミナが俺の脇腹をつついた。
「違わない。案内役だし」
「黙れ」
ギルド長は笑ったまま続けた。
「それでだ。今日は街の小さな式典がある。衛兵隊も商人も集まる。君には一言、挨拶してほしい」
俺の背中が冷たくなった。
「挨拶は……」
「頼むよ。君の顔を見たい人間は多い。街の空気を良くするためにも必要なんだ」
必要。
そういう言葉は、世界が喜ぶ。
断るべきだ。
でも断ったら、別の形で押し込まれる気がする。
「……短くなら」
「助かる!」
ギルド長が手を叩いた。
外へ出た瞬間、空気が違った。
広場に人が集まっている。屋台が並び、音楽まで鳴っている。
「え、何これ」
ミナが目を丸くした。
「式典ってレベルじゃないだろ……」
俺は喉が乾いた。
人が多い。
大勢が喜ぶ。盛り上がる。
危ない。
衛兵隊長が俺に気づいて、駆け寄ってきた。
「来てくれたか、レオン! 助かった!」
隊長は俺の肩を叩いた。
人がこちらを向く。
「おおー!」
「英雄だ!」
「すげえ!」
歓声が上がる。
俺は心臓が嫌な跳ね方をした。
ミナが俺の袖を引く。
「……すごいな。お前」
「すごくない。帰る」
「え?」
「帰る。今すぐ」
俺が背を向けようとした瞬間――背中から押された。
誰かが前へ押し出してくる。
「前へ! 前へ!」
「レオン様だ!」
人の波ができている。
俺とミナは、その波に飲まれた。
「おい、押すな!」
俺が叫んでも、声はかき消える。
壇上が見える。
司会みたいな男が叫ぶ。
「街道の盗賊を一人で討ち取った英雄、レオン殿だー!」
歓声が爆発した。
その瞬間、視界の端がちかっとした。
《注目度:上昇》
やめろ。
上げるな。上げるな。
俺はミナの手を強く握った。
「離れるな!」
「分かって――」
ミナの声が、途中で途切れた。
人の波が、もう一段強く押し寄せた。
誰かが足を取られて転ぶ。転んだやつがさらに人を倒す。
「危ない!」
雪崩みたいに、人が崩れた。
俺は踏ん張った。
でもミナは小さい。体も弱い。
「ミナ!」
握っていた手が、すべった。
「うそだろ――!」
俺は必死に手を伸ばす。
でも、人の肩、背中、腕が邪魔をする。押し返してくる。
「ミナ! ミナ!」
やっと見えた。
ミナが地面に倒れている。誰かの足が迫る。
「どけぇ!」
俺は怒鳴って、人を押しのけた。
白い光が走る。近くの数人が硬直して止まる。
その隙に、俺はミナを抱き上げた。
「ミナ! しっかりしろ!」
ミナの顔は真っ青だった。
息が浅い。唇が震えている。
「……やば……」
ミナがかすれた声で言った。
それでも、笑おうとしている顔だった。
「……ごめん。足、取られた」
「謝るな!」
俺は壇上から離れた。路地へ引きずり込む。
人の波の音が遠のく。
俺はミナを地面に寝かせた。
胸が上下している。けど、弱い。
「治す。今度こそ治す」
言ってしまった。
断定した。決めた。
ミナの目が少しだけ見開かれる。
「……それ、言うなって……」
「黙れ。治す」
俺はミナの胸に手を当てた。
白い光を出した。強く。もっと強く。
……出た。確かに出た。
なのに。
ミナの息が戻らない。
骨が折れている感触がした。胸のあたりが変だ。
踏まれた。押しつぶされた。そういう傷だ。
治癒が追いつかない。
いや、違う。
治癒が“通らない”感じがする。
まるで、治る方向だけが塞がれていくみたいに。
「なんでだよ……! ふざけんな……!」
俺は光を強くする。
強くするほど、ミナの体の熱が変な動きをした。
そして、ミナが胸元を押さえた。
「……あ」
指の隙間から見えた。
左の鎖骨の下。
小さな星みたいな痣。
俺の血が一気に冷えた。
「……ミナ、お前……」
ミナは苦しそうに笑った。
「……あるんだよ。これ」
「変だろ。生まれつき……」
ミナの声が震える。
「でさ……さっき、うずいた」
「お前が、英雄だーって……みんなが喜んだ時……ここが、熱くなった」
俺は歯を食いしばった。
「やめろ。しゃべるな」
ミナは首を振った。
「……レオン。お前、怖がってたの、これか」
俺は答えられなかった。
答えたら、また世界が喜ぶ。
その瞬間、視界に文字が出た。
《均衡徴収:実行》
文字は淡々としていた。
いま目の前で人が死にそうなのに、処理みたいに出る。
「……は?」
俺は声が震えた。
「やめろ……やめろ! 持っていくな!」
俺は必死に光を出した。
でも、届かない。
届かないようにされている。
ミナが俺の袖を弱くつかむ。
「……なあ」
「喋るなって!」
「……楽しかった」
「パン……うまかった」
「布団……あったかかった」
ミナは咳き込んで、息を吸った。
そして、最後に言った。
「……お前、いいやつだな」
「やめろ……! 死ぬな……!」
ミナは笑った。弱く。
「……お前のせいじゃない」
それきり、呼吸が止まった。
路地の外では、まだ歓声が続いている。
英雄。英雄。英雄。
俺の手の中で、ミナは動かない。
村の時と同じだ。
勝った。喜ばれた。盛り上がった。
だから帳尻を合わせるみたいに――持っていかれた。
俺は拳を握った。
指が白くなるほど握った。
「……次は」
言い切りそうになって、止めた。
断定したら、また“次”が来る気がした。
だから、言い方を変えた。
「仕組みを見つける」
俺はミナの冷たい手を握ったまま、歯を食いしばった。
「この世界の仕様を」




