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第21話 名もなき二十人 《均衡徴収:実行》

 名を呼ばせないようにしてから、数日がたった。


 報告書に俺の名前はほとんど出てこない。

 酒場でも、司祭の歌ばかりで「英雄レオンの歌」は作られていない。


 兵たちの間でも、俺の話題は前より減った。


「司祭様が見てる気がする」

「星の護符のおかげだ」


 そうやって、アニエスの名だけが残っていく。


 俺は、それでいいと思っていた。

 少なくとも、「英雄レオン」という火は止めた。


 だが、世界はそこで止まらなかった。


《代替対象:探索》

《次候補:未定》


 あの日から、視界の隅にずっとこのログが出ていた。


 次の“支払い先”を探している。



***


 その日、前線は一見いつも通りだった。


 森の端から、猿型の魔物が波のように出てくる。

 数は多い。だが、質はいつもと同じだ。


「下がるな!」

「槍を合わせろ!」


 軍務代行の指示で、盾と槍の列が動く。


 俺はいつも通り、その後ろにいた。

 必要なところだけ、魔物の動きを止める。

 前に出ない。叫ばない。目立たない。


 負傷者が出ても、今日は軽い傷が多かった。


「腕を切られた」

「足を少し噛まれた」


 そういう傷は、前線で簡単に縛って、後ろへ送る。


 前線のすぐ後ろには、簡易の治療スペースができていた。

 本当なら、そこにアニエスがいるはずだった場所だ。


 今は、別の司祭が一人と、薬師が二人いる。


 アニエスほど腕は良くない。

 だが、いないよりはずっといい。


「前より死者は減ってるな」

 軍務代行が、ちらりと俺を見て言った。


「お前の“止め方”にも慣れてきた」

「兵が『ここで耐えられる』って分かってきたんだろう」


 俺は少しだけ頷いた。


「悪くない変化だ」


 本当にそう思った。

 英雄扱いを避けても、現場の勝ち方は少しずつ良くなっている。


 このまま行ければ――そう考えかけた時だった。


 視界の端で、ログが冷たく光った。


《均衡徴収:実行》


 息が詰まった。


 実行。

 つまり、「支払い」が始まった。



***


 その瞬間、何が起きたのか。


 最初におかしくなったのは、天気だった。


 朝から曇ってはいたが、急に空が暗くなった。

 遠くで雷のような音がして、風が強くなった。


「雨か?」

 誰かが言った。


 だが落ちてきたのは、雨だけじゃなかった。


 森の斜面から、土と石が崩れ始めた。


「……崩れてるぞ!」


 叫び声が上がる。

 大きな音を立てて、土と岩が滑り落ちてくる。


 崩落だ。

 誰かが罠を仕掛けたわけでもない。

 けれど、俺には分かっていた。

 ――これは「たまたま」じゃない。世界の帳尻合わせだ。


 魔物も巻き込まれている。

 猿型が悲鳴を上げながら転がり落ちるのが見えた。


「下がれ!」

 軍務代行が叫ぶ。

「崩れるぞ、丘を下りろ!」


 前線は慌てて下がる。

 俺も、足を取られないように後ろへ走った。


 崩れた土砂は、前線から少し離れた斜面を滑り落ちていった。


 そこには、簡易の治療スペースがある。


 俺の心臓が嫌な音を立てた。


「……まずい」


 俺は振り返った。


 土砂が崩れた先。

 木の柱と布で作った、粗末な天幕が並んでいる場所。


 そこに、崩れた土と石が一気に流れ込んだ。


 木の柱が折れる。

 天幕が潰れる。

 人の悲鳴が上がる。


「治療所だ!」

「待機所がやられた!」


 兵たちの声が、一斉に上ずる。


 俺は考える前に走り出していた。



***


 土煙の中、潰れた天幕に手をかける。


「誰かいるか!」


 布をめくると、すぐ下に人がいた。

 肩をかすめた土砂で半分埋まっている。


「レオン殿!?」

 顔を見て、俺は覚えていると気づいた。


 数日前に腕を切られて、アニエスに治してもらっていた兵だ。


 今は別の傷で倒れている。


 俺は土を払い、腕を引っ張り出した。


「大丈夫か」


「……すみません」

 兵は息を荒くしながら言った。

「また、やられました」


 傷は深いが、まだ間に合う。

 骨も無事だ。止血すれば生き残れる。


 俺は治癒を使いかけて、ぐっと堪えた。


 ここで派手にやると、「奇跡だ」と言われる。

 言われれば、また話が作られる。


 それでも、何もしないわけにはいかない。


 俺はギリギリの加減で、少しだけ治癒を流した。

 血を止める。骨を整えるまではやらない。


「これで動けるようになる」

「後ろまで歩け」


「はい!」


 兵は顔をしかめながらも立ち上がった。


 ……この調子で、助けられるだけ助ける。


 崩れた天幕のあちこちで、人の呻き声がする。


「司祭は!」

「司祭はどこだ!」


「ここです!」


 別の天幕の下から声がした。

 新しく来た司祭が、血だらけになりながら手を伸ばしていた。


「皆さんを外へ!」

「私は大丈夫です!」


 大丈夫じゃない。

 足が完全に土砂に埋まっている。

 これでは動けない。


 俺は土を払い、柱をどかした。


「動けるか」


「ええ……まだ、祈れます」


 司祭は、痛みを押し殺してそう言った。


「でも、外の人を優先してください」


 アニエスに似た言葉だった。

 思い出しかけて、俺はその記憶を押し込んだ。


 まずは目の前の人間を助ける。

それだけは、英雄じゃなくても、人としてやらなきゃいけない。



***


 崩れた治療スペースから、人を引っ張り出し続けた。


 土砂に巻き込まれた負傷兵。

 待機していた軽傷者。

 手伝いに来ていた雑務の兵。


 皆、顔も鎧も土まみれだ。


「息してる!」

「こっちは足が折れてるだけだ!」


 何人かは、その場で治癒を少しだけ当てれば助かった。


 逆に言えば、「少しだけ」でも治せる状況だった。


 俺は治癒を、できる限り小さく刻んで使った。

 一人ひとりの命の線だけを、辛うじてつなぐ感じで。


 その間、視界の端でログが静かに進んでいく。


《均衡徴収:進行中》

《対象:負傷兵/治療待機者》


 負傷兵。治療待機者。


 つまり、「助かるはずだった側」に、まとめて請求しているということだ。


「……ふざけるな」


 心の中で毒づきながら、俺は手を止めなかった。


 ここで手を止めたら、「世界のやり方に従った」ことになる。

 それだけは嫌だった。



***


 崩れがようやく落ち着いた頃には、日が傾きかけていた。


 治療スペースは、ほとんど形を失っていた。

 そこにいたはずの人たちは――。


「死者、何人だ」


 軍務代行の声が震えていた。


 数えた兵が、紙を握りしめながら答えた。


「……治療待ちだった者、軽傷者も含めて、十七人」

「行方不明が三人。全員、あの崩れに巻き込まれた可能性が高いです」


 あわせて二十人。

 本来なら、助かる側にいた人間たちだ。


 前線の一番きつい場所には、俺や、慣れた兵が立っていた。

 彼らは何とか生き延びた。


 代わりに、治療待ちで後ろに下がっていた者たちが、まとめて持っていかれた。


 俺の視界に、はっきりとログが出た。


《均衡徴収:完了》

《悲劇補正:完了》


 完了。


 アニエスのときと同じ文字だ。

 でもやり方が違う。


 今回は、「まとめて」だった。


 英雄扱いを避けた。

 歌の題材からも外れた。

 名を呼ばせないようにした。


 その結果、世界は「分かりやすい一人の死」ではなく、

「目立たない二十人の死」で支払いを終えた。



***


 夜。

 野営地は、いつもと違う静けさに包まれていた。


 歌はない。

 酒場も、今日ばかりは声が小さい。


 皆が分かっていた。


「今日死んだのは、前に出ていた連中じゃない」

「後ろで、助かるはずだった奴らだ」


 軍務代行が、俺の天幕にやってきた。


「……お前の言ってたことが、少し分かった気がする」


 彼はいつもより多く酒を飲んでいるようだった。


「勝ったあと、皆が熱くなると、誰かが死ぬ」

「今日は勝ってもいないのに、崩れた」


「均衡を取ったんだろう」

 思わず、口から出た。


 軍務代行が目を細める。


「均衡?」


「前線の死者が減った」

「俺が止めて、兵が慣れて、死なずに済む奴が増えた」

「だから、そのぶんを別の場所から取ったんだ」


 言っていて、胃がねじれるような気分だった。


 軍務代行はしばらく黙っていたが、最後に短く言った。


「……そういうことにしておこう」


 そういうことにしておく。

 それ以上考えると、立っていられなくなるからだ。


 彼が出ていったあと、俺は一人で天幕の中に残った。


 崩れた治療スペース。

 土砂の下から引きずり出した顔。

 息をしていなかった者たち。


 全部が頭の中に残っている。


 英雄は作られなかった。

 歌も増えなかった。


 その代わりに、「名もなき二十人」が死んだ。


 俺は寝台に座り込み、視界のログを見つめた。


《回避行動:結果:支払先変更》

《注目度:横ばい》


 注目度は、あまり上がっていない。

 だから世界は、「静かな支払い」を選んだ。


「……俺が逃げたせいか」


 自分でも分からない声が出た。


 英雄扱いから逃げた。

 歌から逃げた。

 名を呼ばれるのを避けた。


 その代わりに、「名もなき二十人」が死んだ。

歌にもならず、護符にもならず、報告書の数字としてだけ残る二十人だ。


 それでも、何もしないよりはマシだったのか。

 それとも、俺が一人で全部引き受けた方がマシだったのか。


 答えは出ない。


 ただ一つだけ、はっきり分かったことがある。


 ――逃げるだけじゃ、駄目だ。


 名を呼ばせないように動くだけでは、この世界のやり方は変わらない。

 支払いの場所が動くだけだ。


 俺は拳を握った。


「次は……もっと、違うやり方を考える」


 そう口に出したとき、視界の端に小さなログが灯った。


《思考方向:変更》


 世界も、俺の「次の一手」を見ている。


 だからこそ――次は、本当に逆を突かないといけない。


 二十人の死を、ただの「不運な崩落」で終わらせないために。

作者のどすこい腰巻です。

気軽に書き始めたのですが、どんどんとスケールがデカくなり、作者も「世界」と対峙しないといけないところまできてしまいました。

次の章からは「異世界日常編」、そして「辺境大戦編」というのを執筆予定なのですが、その後の完結編にあたる章の伏線が入らないといけなさそうなので、プロットをかなり丁寧に揉んでいます。

このほとんど読まれていない割に力が入ってしまっている作品をここまで読んでいただきありがとうございます。

書き始めると、ガンガン書けるタイプなので、ブックマーク等で更新を確認していただければと思います。

では、またお会いしましょう。

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