第20話 名前を呼ばれない夜 《回避行動:検知》
アニエスの歌が広がり始めてから、俺は一つ決めたことがあった。
――これ以上、自分の名前を“物語”の中に混ぜさせない。
歌も、護符も、報告文も。
全部、「司祭様」と「英雄レオン」のセットで作られていく。
だったらまず、そのセットを壊すところから始める。
***
次の日。
前線では、また小さな戦いが始まった。
森の端から、猿型の魔物が少数で出てくる。
大きな攻勢ではない。様子見だ。
「落ち着いて対処しろ」
軍務代行の指示も、いつも通りだ。
槍の列が前に出て、盾が並ぶ。
俺はその後ろに立った。
昨日までと違うのは――。
兵の何人かが、首から星の護符を下げていることだ。
「……本当に作ったのか」
俺がそう言うと、若い兵が笑った。
「つけてると、少し楽になるんですよ」
「司祭様が見てる気がして」
見てない。
そもそも、その星は“狙われやすい印”の真似だ。
だけど、ここで怒鳴っても意味はない。
俺は視界の端に出たログを見た。
《偶像化:進行中》
物語は、もう止まらない。
だから俺は、自分に関する方だけでも止めると決めた。
***
戦いそのものは、大きな問題なく終わった。
猿型を追い払い、怪我人も少ない。
前線の兵が戻ってくる。
「今日の勝ちも、司祭様のおかげだよな」
「護符のおかげかもしれん」
そんな会話の中に、ぽつりと俺の名前が混じりそうになる。
「あいつも――」
兵の一人が、俺の方を見かけた瞬間、俺はその場を離れた。
顔を見られる前にいなくなる。
思い出される前に消える。
俺は、自分で自分から「物語」を切っていく。
視界の端に、小さなログが出た。
《回避行動:検知》
――やっぱり見ている。
世界は、「物語から出ようとしている」ことまで拾っている。
***
その日の午後、俺は軍務代行に提案した。
「前線の報告書に、俺の名前を使うのをやめてくれ」
「前線の報告書?」
軍務代行が目を瞬かせる。
「今までも、そんなに書いてないぞ」
「『王都からの魔法使い』とか、『支援役』とか、その程度だ」
「それもいらない」
俺ははっきり言った。
「とにかく俺に関わることは書かないでくれ」
「どうしてだ」
「存在が書かれるとすると、覚えられてしまう。
そして覚えられると、人の話にのぼる」
人の話に登れば、最後は歌すらになる」
軍務代行は、少し黙ってから言った。
「……お前、歌が嫌いなのか」
「歌が嫌いなんじゃない。
物語に組み込まれるのが嫌なんだ」
俺はアニエスの死を思い出しながら続けた。
「名前が出て、歌になって、護符になって」
それで兵が前に出る。
そして、誰かが死ぬだろう」
軍務代行は、完全には理解していない顔をしていた。
だが、昨日今日の出来事で「何かがおかしい」のは分かっている。
「……分かった。
報告書は不自然にならないように書き換えよう。
お前の存在を消しておく。」
それで十分だ。
俺は「公式の物語」の中から、自分を消すことに成功した。
***
次は、現場だ。
夕方、炊き出しの列の近くで、兵たちが集まっていた。
「今日も司祭様のおかげで助かった」
「星の護符を撫でると落ち着く」
ここまではいい。
問題は、そのあとだ。
「で、あの王都の――」
誰かが俺の方を向きかけた瞬間、俺は先に言った。
「俺の名前は出すな」
兵たちが驚いた顔をする。
「いや、その……褒めたいだけで」
「褒めなくていい」
「俺の名前を出さなくても、今日の勝利は勝利だ」
「司祭のことだけ話せ」
できるだけ分かりやすい言い方を心がけた。
「俺の名前を出すと、また誰かが“物語”を作る」
「物語ができ、やがて歌ができる」
「歌ができると、人は熱狂する」
「皆が熱くなると、また誰かが死ぬ」
そこまで並べて言うと、兵の顔色が少し変わった。
「……そんなこと、あるか?」
「何回も見たさ」
「村で。都市で。迷宮で」
「王都でも一回やって、司祭が死んだ」
数字を出すと、人は少しだけ真面目になる。
兵の一人が、護符に触れながら言った。
「俺は……司祭様がいてくれればいい」
「レオン殿の名前は、あまり出さないようにする」
「助かる」
そう答えた瞬間、視界にログが出た。
《回避行動:検知》
《物語進行:補正検討》
補正検討。
つまり、「このままだと盛り上がりが足りないから、どこかで調整する」と考えている。
世界は、本当に余計なことしかしない。
***
その夜、酒場の前を通りかかった。
昨日よりも歌が増えていた。
司祭様の歌だけじゃない。
「おい、あの王都の英雄の歌も作ろうぜ」
「いや、名前はまだ決まってないが……」
耳に入った瞬間、俺は扉から少しだけ顔を出した。
「やめろ」
中にいた兵たちが、一斉にこちらを見た。
「レオン殿?」
「俺の歌は作るな」
「司祭の歌だけでいい」
「でも……皆、感謝しててだな」
「感謝だけでやめておけ」
酔っている兵にも伝わるように、ゆっくり話した。
「歌を作ると、熱狂する」
「気づいたら、物語にのせられて、死ぬ」
「星痣持ちだけじゃないぞ。それは」
酒場の中が、少しだけ静かになった。
「……よく分からんが、嫌なんだな」
「ああ。嫌だ」
それだけははっきり言えた。
「だったら司祭様の歌だけにしておくよ」
「こっちの方が歌いやすいしな」
酔った兵が笑いながら言う。
それを聞いて、視界にまたログが出た。
《回避行動:継続》
《物語進行:経路変更》
経路変更。
俺が名指しされないように動いたので、世界は“別の道”を探し始める。
***
寝る前、天幕の中で一人になった。
今日一日でやったことを、頭の中で並べていく。
・報告書から名前を消した
・現場で名前を出させないようにした
・歌の題材からも外れた
これで、「英雄レオン」の像は少し崩れた。
問題は、その代わりにどこへ負担が行くかだ。
「司祭の歌だけ」
「星の護符だけ」
それでも十分に、兵を前に出す理由になる。
結局、“物語”がある限り人が死ぬのか?
考えが、際限なく膨らむ。
俺なんかが、世界について考えて何になる?
その時、視界の端に、新しいログが出た。
《代替対象:探索》
《次候補:未定》
代替対象。
次の“支払い先”を探している。
俺は息を吐いた。
「……やっぱり、名前を消しただけじゃ駄目か」
名前を呼ばれないように動く。
英雄扱いを避ける。
それは一時しのぎにはなる。
だが、世界はすぐに「別の名前」を探す。
それでも、何もしないよりはいい。
俺は小さくつぶやいた。
「せめて、少しでも遅らせる」
「少しでも、誰かが生き残る時間を稼ぐ」
その瞬間、視界に小さなログが点いた。
《信頼値:微上昇》
《対象:名も出ない兵たち》
名前も知らない兵たちとの距離が、少し縮まったらしい。
それはそれで、悪くない。
ただし、その「信頼」すら、世界はきっとどこかで使ってくる。
俺は寝台に横になり、目を閉じた。
名を呼ばれないように動く夜は、静かだ。
でも静かなぶん、ログの文字がよく見える。
《回避行動:継続》
《回避行動:ログ記録中》
世界は、俺の“逃げ”すら記録していた。




