第19話 英雄という商品 《表現最適化:適用》
アニエスが死んでから、三日がたった。
前線は、一応落ち着いている。
魔物は森の奥に引っ込み、こっちは柵を直したり、壕を掘り直したりしている。
代わりに目立ってきたのは――人の「話」だった。
最初は、ただの世間話だ。
「司祭様が、最後まで治してくれた」
「俺なんか、もう駄目だと思ったのに助かった」
「命を削ってたらしいぞ」
それが、少しずつ変わっていく。
「司祭様、『怖がらないで。一緒に帰りましょう』って言ったらしい」
「泣いてた兵士の手を握ってさ」
俺は、その場を覚えている。
アニエスはそんなきれいな台詞は言っていない。
「大丈夫です。血は止まります」
「次の人を運んでください」
本当は、それだけだ。
でも、人の口の中でどんどん「物語っぽい言葉」に変わっていく。
俺の視界の端に、ログが出た。
《表現最適化:適用》
――まただ。
世界が、「分かりやすい話」に形を整えている。
***
昼。
飯を食べたあと、兵の一人が笛を吹いていた。
音はあまり上手くない。
「何やってる」
「歌を作ってるんです」
兵は、少し恥ずかしそうに笑った。
「司祭様の歌です。ほら、英雄の歌ってあるでしょう?」
嫌な予感しかしない。
「……聞いてもいいか」
兵は小さく、作りかけの歌を口ずさんだ。
アニエスが祈り、
傷ついた兵のそばにしゃがみ、
自分の命と引き換えに皆を救う――
だいたい、そんな内容だ。
「まだ途中ですけど」
「もっと格好よくしたいんですよね」
俺は黙った。
本当のアニエスは、もっと事務的で、もっと静かだった。
でも、そのままだと歌になりにくい。
だから世界は、「歌いやすい司祭様」に形を変える。
***
夕方。
炊き出しの列に並んでいると、掲示板が目に入った。
板の上に、紙が一枚貼られている。
『従軍司祭アニエス殿に感謝を』
『その祈りと犠牲により、多くの兵が生還した』
そこには、俺の名前も書かれていた。
『英雄レオン殿に感謝を』
『冷静な判断と献身が、この勝利をもたらした』
……勝手に並べるな。
俺は紙を剥がしかけて、手を止めた。
ここで剥がしても、明日また誰かが新しい紙を書く。
視界にログが出た。
《注目度:上昇》
《演出案:提示》
演出案。
つまり、「こう書くと、分かりやすくて、人の心に残りやすいですよ」という世界からの提案だ。
***
夜。軍務代行に呼ばれた。
「見せたいものがある」
机の上には、きれいな紙が一枚置いてあった。
さっきの手書きと違い、文官が整えた文章らしい。
「これは?」
「王都への報告文だ」
「こっちの文官と、伯の側近が一緒に書いた」
内容は、だいたいこうだ。
『辺境伯領は、従軍司祭アニエスの尊い犠牲と、王都より派遣された英雄レオンの活躍により、重大な危機を乗り越えた』
『アニエスの祈りは、傷ついた兵たちに希望を与え、その命は多くの命に変わった』
『レオンは冷静な指揮と勇気ある行動で、兵の信頼を集めた』
読んでいて、胸が苦しくなった。
アニエスは「希望を与えるため」に祈っていたわけじゃない。
血を止めるためだ。
俺は「指揮」なんかしていない。
後ろから止めていただけだ。
「書き直せ」俺は言った。
「誰が何人治したか、何人死なずに済んだか」
「そういう数字だけ書け」
軍務代行は、困った顔をした。
「そういう報告も別に出している」
「だが、上は“話”を欲しがる」
「話?」
「読みやすくて、覚えやすい話だ」
「名前がはっきり出てきて、役割が決まっていて、最後に“いい感じ”になるやつだ」
いい感じ。
アニエスの死に、どんな“いい感じ”がある。
俺の視界が、また光った。
《表現最適化:適用》
《対象:アニエス/レオン》
世界は、報告文すら「覚えやすい物語」に変えている。
***
兵舎に戻ると、小さな木の箱が置いてあった。
蓋を開けると、中には星形の木の飾りが入っていた。
粗末だが、鎖を通せば首から下げられる。
「これは?」
同じ部屋の兵が言った。
「司祭様の護符です」
「皆で少しずつ金を出し合って作りました」
「この星を下げてると、“守られてる気がする”って」
守られてなんかいない。
本当の星痣は、「狙われやすい印」だ。
星痣を真似した護符を増やしてどうする。
視界にログが出た。
《商品化:開始》
《モチーフ:星/祈り/英雄》
商品化。
星の護符。
司祭様の歌。
英雄の話。
アニエスの死は、もう「売り物」になり始めている。
俺は木の箱を閉じた。
「悪い。俺は下げない」
「星は、あまり良い思い出がない」
兵は少し残念そうに笑ったが、深くは突っ込まなかった。
***
夜。
遠くの酒場から、歌が聞こえてきた。
「……やっぱりな」
耳を澄ませると、すぐに分かった。
司祭様の歌だ。
『血にまみれた戦場で
白き祈りが降りそそぎ
その身は倒れても
星は我らを守る』
メロディは覚えやすい。
歌詞も単純で分かりやすい。
だから、皆で歌いやすい。
だから、広がりやすい。
視界のログが進んでいく。
《表現最適化:進行》
《広がり:加速》
アニエス本人の細かい仕草や、本当の口調は、どこにも残っていない。
代わりに、「歌にしやすいアニエス」が出来上がった。
王都への報告文も、掲示板の紙も、星の護符も、酒場の歌も。
全部が同じ方向を向いている。
「覚えやすくて、信じやすい司祭様」と「英雄レオン」を作る方向だ。
そして、その“話”は、次の戦のときに兵を前に押し出す。
星の護符を握って、歌を口ずさみながら。
「司祭様が見ている」と信じながら。
そうなった時、誰がまた支払いをするのか。
答えはだいたい決まっている。
《イベント供給:継続》
《注目度:上昇》
俺は寝台の上で天井を見た。
世界は、アニエスの死を「きれいな話」にして、道具にしている。
その道具で、人を前に出す。
多分、それがこの世界の“普通”なんだろう。
でも、俺はその普通が怖かった。
英雄の歌も。
星の護符も。
報告文の立派な言葉も。
全部、「次の犠牲者を作る準備」にしか見えない。
その時、視界の端に、新しいログが出た。
《違和感:蓄積》
《行動変化:推奨》
違和感。蓄積。行動変化。
世界が「そろそろ別の動きをしろ」と言っているように見えた。
「……勝手に決めるな」
俺は小さくつぶやいた。
アニエスの死を、歌と護符だけで終わらせない。
それを決めるのは、世界じゃなくて――俺だ。
そう心の中で言い切ったところで、歌声が少し遠くなった。
夜が深くなっていく中、酒場だけがまだ賑やかだった。




