表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/21

第17話 前線の約束 《悲劇補正:実行》

 翌日も、前線は落ち着かなかった。


 昨日の勝利で、敵の動きが変わった。

 いつもなら引く場面で、引かない。

 むしろ、こっちが油断したところを狙ってくる。


 軍務代行が言った。


「今日は妙だ」

「向こうが、こっちを試してる」


 俺は嫌な予感がしていた。


 昨日、称賛が成立した。

 《称賛イベント:成功》

 《均衡徴収:準備》


 あのログが出た。

 つまり、世界はもう“支払い”を決めている。


 だから今日は、余計なことはしない。

 派手に勝たない。

 盛り上げない。

 約束した通り、「一緒に帰る」。


 俺はアニエスに言った。


「今日も、昨日と同じだ」

「後ろで支える。前には出ない」


 アニエスは頷いた。けど、顔が少し固い。


「……はい」

「でも、怪我人が増えたら……私は止まれません」

「仕事ですから」


 それはそうだ。

 止まれないのは分かっている。

 だからこそ、怪我人を増やさないのが一番いい。


 戦いが始まったのは昼前だった。


 敵は森の端から出てきた。

 数が多い。いつもより多い。

 そして、奥に混じっていた。


 でかい獣型。角のあるやつ。

 昨日も出てきたが、今日は二体いる。


「来るぞ!」

「盾を固めろ!」


 前線が緊張する。

 でも昨日の勝利があるせいか、兵の目が少し強い。


 ――それが、逆に怖い。


 強気になると、前に出る。

 前に出ると、怪我が増える。


 獣型が突進した。


 盾列にぶつかり、盾が弾ける。

 兵が転ぶ。


 次の瞬間、もう一体が横から回り込んできた。

 盾の外側を狙ってくる。


「左が崩れる!」


 叫び声。

 走る足音。


 崩れたら、そこから雪崩みたいにやられる。

 死者が出る。


 俺は一歩、前に出そうになった。

 いや、出ない。出ないはずだ。


 でも、その瞬間、目の前で若い兵が転んだ。

 昨日、俺に話しかけてきたやつだ。顔が浮かぶ。


 獣型の足が、その兵を踏み潰そうとしている。


 俺の体が勝手に動いた。


 言葉じゃない。

 英雄の台詞なんて、言ってる暇もない。


 手を伸ばす。


 止まれ。


 いつもより強く。

 いつもより長く。


 獣型の動きが、目に見えて止まった。

 突進が止まり、足が地面に縫い付けられたみたいになる。


「今だ!」誰かが叫ぶ。


 兵が一斉に槍を突き立てる。

 獣型がうめき声を上げて倒れた。


 倒れた獣型の下から、若い兵が這い出してくる。

 生きている。顔が青いが、生きている。


 ……助けた。


 助けた、はずなのに。


 俺の視界が、嫌な光り方をした。


《注目度:急上昇》

《称賛イベント:強制成立》


 やめろ。

 今、成立するな。


 だがもう遅い。


「見たか! 今の!」

「獣が止まった!」

「助かったぞ!」


 声が上がる。

 兵が熱くなる。


 そして熱くなった分だけ、戦は荒くなった。

 前に出る。追う。突っ込む。


 敵は引き際を読んで、投石を混ぜてきた。

 石が飛び、アーマーの隙間を割る。

 倒れる兵が増える。


 死ぬよりはいい。

 だが怪我人が増えれば、次に困るのは――。


「後方へ! 負傷者を運べ!」

「司祭を呼べ!」


 その声が聞こえた瞬間、俺はアニエスを思い出した。


 駄目だ。

 増やすな。

 これ以上、彼女に“仕事”を押し付けるな。


 俺は戦場を見回した。

 倒れている。呻いている。血が出ている。


 しかも、助かった人間が多い。

 俺が止めたせいで、踏み潰されずに済んだ人間がいる。

 その分、半端に生き残って、傷だけが残る。


 ――治す人間が必要になる。


 俺は歯を食いしばって、戦を終わらせにかかった。

 派手に倒すんじゃない。

 ただ、これ以上増やさないために止める。


 止めて、止めて、止める。

 敵の動きを鈍らせて、撤収の時間を作る。


 軍務代行の号令で、なんとか引いた。

 追撃はしない。今日はそれどころじゃない。


 野営地に戻ると、すぐに負傷兵が運び込まれた。

 担架。担架。担架。


「こっちも!」

「血が止まらない!」

「腕が折れてる!」


 天幕の前に、アニエスが立っていた。

 顔が一瞬だけ強張った。状況を見て、すぐに理解したんだろう。


「……来ましたね」


 俺は言葉が出なかった。

 来た。そうだ。来た。


 アニエスはすぐに動いた。

 包帯を巻く。止血。回復。回復。回復。


 祈りの声は小さい。

 でも今回は、そんなことを言っていられない。数が多すぎる。


 俺は手伝った。水を運ぶ。担架を持つ。傷口を押さえる。

 その合間に、視界のログが走る。


《悲劇補正:実行》

《均衡徴収:実行》


 実行。

 もう始まってる。


 俺はアニエスの様子を見る。

 彼女の手は速い。正確だ。

 だが、回復を重ねるたびに、ほんの少しずつ顔色が落ちていく。


 最初は気のせいかと思った。

 だが、三人目、四人目で確信した。


 治すたびに、アニエスから何かが削れている。


「アニエス、少し休め」


 俺が言うと、彼女は首を振った。


「休めません」

「この人たちは、あなたが助けた人です」


 その言葉が、胸に刺さった。


 俺が止めた。

 俺が助けた。

 だから彼らはここにいる。


 生きている。

 だが傷ついている。

 そしてそれを治すのは、アニエスだ。


 次の負傷兵が運ばれてきた。

 腹に深い傷。息が浅い。


「間に合わない!」誰かが叫ぶ。


 アニエスが膝をつく。

 祈りの手を組み、傷に手を当てた。


「……大丈夫。大丈夫です」


 傷口が、ゆっくり閉じていく。

 血が止まる。呼吸が戻る。


 助かった。

 助かったのに、アニエスの肩が小さく震えた。


 俺の視界に、冷たい文字が出た。


《均衡徴収:対象:アニエス》


 ……やめろ。

 やめてくれ。


 次。

 次。

 次。


 彼女は止まらなかった。

 治して、治して、治していく。


 そのたびに、アニエスの動きが少しずつ遅くなる。

 顔が白くなる。唇の色が消える。


「もういい」俺は思わず言った。

「もう……十分だ。これ以上は――」


「十分じゃありません」


 アニエスは、はっきり言った。

 怒ってはいない。泣いてもいない。

 ただ、現場の人間の目だった。


「助かった人を、助かったままにしたい」

「それだけです」


 最後の担架が運ばれてきた。

 若い兵だ。さっき踏まれかけたやつ。脚がぐしゃぐしゃだ。


「司祭様……」

 彼は震える声で言った。「……すみません」


 アニエスは首を振る。


「謝らないで」

「生きて帰るために、ここにいるんです」


 彼女が手を当てる。

 祈りは短い。息が乱れているのが分かる。


 それでも光が走り、骨が整っていく。

 血が引いていく。痛みが落ちていく。


 若い兵の顔が、少しだけ楽になる。


「……助かった」

 そう言って、彼は涙をこぼした。


 その瞬間だった。


 アニエスの手から、力が抜けた。


 糸が切れたみたいに。

 本当に、急に。


 膝が折れて、彼女はその場に崩れ落ちた。


「アニエス!」


 俺は抱き起こした。

 軽い。驚くほど軽い。


 彼女の目は開いている。

 だが焦点が合っていない。


 俺の視界に、決定の文字が出た。


《均衡徴収:完了》

《悲劇補正:完了》


 ……完了。


 こんな形で完了するな。

 こんな形で、物語を進めるな。


「アニエス、聞こえるか」

「まだだ。まだ終わってない」


 俺は治癒を使おうとして、手が止まった。

 ここで俺が派手にやれば、また空気が動く。

 空気が動けば、支払いが増えるかもしれない。


 でも、目の前で死にそうな人間がいる。


 アニエスが、かすかに笑った。


「……レオンさん」

「手を、止めて」


 声が小さすぎて、耳を近づけないと聞こえない。


「今日は……たくさん助かりました」

「あなたが……止めたから」

「だから……私は、仕事ができました」


 仕事。

 そんな言い方をするな。こんな時に。


 俺の喉が詰まる。

 言ってはいけない言葉が、口の先まで来る。


 守る。救う。助ける。


 アニエスは、それを読んだみたいに首を振った。


「……大きい言葉は、いりません」

「約束だけ……」


 約束。


 昨日、言った。

 言い直した。


「一緒に帰る」


 アニエスは、もう一度だけ笑った。


「……はい」

「一緒に、帰りたかった」


 そのあと、彼女の瞳から光が消えた。

 手が、完全に冷たくなっていく。

 

 「レオンさん、あなたは悪くない…」


 天幕の中が静かになった。

 助かった兵の呼吸音だけが残る。


 俺は、アニエスを抱えたまま動けなかった。


 助けた人間は、生きている。

 その代わりに、アニエスが死んだ。


 俺の視界の端に、最悪の追加が走る。


《注目度:上昇》

《称賛イベント:再燃》


 誰かが外で叫んでいる。


「司祭様が……!」

「命を削って、皆を助けた!」

「英雄だ!」


 やめろ。

 その言葉は、次の火種になる。


 俺は立ち上がった。

 アニエスを天幕の奥に寝かせ、外へ出る。


 止めなきゃいけない。

 これ以上、盛り上げさせるな。


 ……でも俺は知っている。


 俺が止めようとするほど、世界は別の形で盛り上げる。

 そしてまた、誰かが払う。


 その仕組みの中で、俺は今日も目の前を助けた。


 結果が、これだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ