第15話 積み重なる勝利 《回避行動:継続》
勝った。
死者も出なかった。
それだけで十分なはずなのに――夜が近づくほど、俺の胸は重くなっていった。
勝った直後が危ない。
盛り上がった直後に、星痣持ちが持っていかれる。
アニエスの「乾杯しない」という提案は正しかった。
けど、それでも油断できない。
辺境の兵は現実的だ。
現実的だからこそ、こういう時に「助かった」「よかった」と口にする。
それは普通のことだ。
普通の人間の反応だ。
――その普通が積み重なると、世界が喜ぶ。
俺は天幕の中で、布越しに外の声を聞いていた。
「今日は助かったな」
「怪我が少ねえ」
「誰か、うまく指揮したのか?」
誰か。
その「誰か」が俺に寄ってくると、面倒が始まる。
俺は立ち上がって外へ出た。
星痣持ちが一人でいる状況を、作らせたくない。
負傷兵の天幕では、アニエスが包帯を巻いていた。
手つきが早い。無駄がない。
「……さっきのやり方、うまくいきましたね」
俺は声を落として言った。
大きい声で褒めるのも危ない。ほんの少しでも、場の温度が上がるから。
「はい」アニエスも小さく頷く。
「でも、次が本番です」
「最初の勝利って、噂になります」
噂。
それが嫌だった。
案の定、視界の端に文字が出た。
《成功率:上昇》
《小規模勝利:記録》
《注目度:微増》
微増。
微増でも積み重なる。
「どうする」俺は聞く。
「次も同じで。派手にしない」
「……でも、相手が大きくなったら?」
アニエスは包帯を結び終えて、真っすぐ俺を見た。
「その時は“派手さ”じゃなくて“手順”で勝ちます」
「派手な勝利は、みんなが話したくなります」
「手順の勝利は、みんなが話しづらい」
「話しづらい?」
「地味だからです」
「でも地味な勝利が一番、命を守ります」
辺境の空気には馴染む言い方だった。
王都みたいに格好よさを求めない。ここでは結果だけが正義だ。
その時、軍務代行が天幕に顔を出した。
「レオン。明朝、前線の小隊に合流しろ」
「初陣だ。お前の顔見せも兼ねる」
顔見せ。
その言い方に、嫌な予感が走る。
俺の視界に、また文字が浮く。
《注目度:上昇》
《称賛イベント:準備》
……準備、って。
やめろ。勝手に段取りを組むな。
俺はすぐに言った。
「顔見せは、いらない」
「俺は前に出ない。必要なら後ろで支える」
軍務代行は鼻で笑った。
「王都の英雄様は慎重だな」
「だが、兵は不安なんだ。新しい戦力が来たなら、顔くらい見たい」
不安を消すために、英雄が必要。
分かる。分かるけど、俺はその役をやると誰かが死ぬ。
アニエスが一歩前に出た。口調は丁寧で、でもはっきりしている。
「軍務代行。お願いがあります」
「明日は勝つことが最優先です」
「話は勝った後で。……いえ、話は不要です」
軍務代行は少しだけ目を細めた。
アニエスの立場は、辺境では軽くない。負傷者を預かっているからだ。
「分かった」
「余計な演説はさせない」
「だが、勝てなければ話にならん」
「勝つ」俺は短く答えた。
「ただし、静かに」
軍務代行が去ると、アニエスは息を吐いた。
「今のうちに、明日の形を決めましょう」
「“誰が何をするか”を、はっきり決めるんです」
俺は頷いた。
派手さじゃなくて、手順。
アニエスは指で三つ数えた。
「一、あなたは後ろ。停止は短く、回数を絞る」
「二、私は後ろで回復。声は出さない。目立つ祈りはしない」
「三、勝ったらすぐ撤収。集まらない。並ばない。乾杯しない」
最後の二つが、妙に効いてくる。
並ぶ。
拍手する。
声を上げる。
――それが“場”を作る。
場ができたら、世界が喜ぶ。
翌朝。
薄い霧の中で、小隊が動いた。
前線と言っても、立派な城壁があるわけじゃない。
柵と壕、見張り台。あとは森と丘だ。
敵は、昨日の狼型より厄介だった。
背の高い猿型の魔物。腕が長く、石を投げる。
投石は怖い。盾を抜ける。頭を割る。
兵が身をすくめたのが分かった。
ここで前に出て「任せろ」と言えば、みんなは安心する。
そして盛り上がる。
俺は言わない。
代わりに、手だけ動かす。
投げられた石が空を切る。
俺はその軌道の先を見て、短く止める。
――止まれ。
石が空中で一瞬だけ鈍って落ちる。
盾の外に落ちた。兵の足元から外れた。
「いける!」誰かが叫ぶ。
俺は反射で振り向きそうになって、堪えた。
叫びに乗らない。乗ると場が大きくなる。
猿型が距離を詰めてくる。
槍列が崩れかけた瞬間、俺は魔物の足を止めた。
一瞬。
その一瞬で十分だ。
前線の兵が刺す。倒す。次へ。
俺は“最後の一撃”を取らない。
取れば目立つ。目立てば話題になる。
アニエスは後方で、倒れた兵を引きずって壕の影に入れ、淡々と回復を施していた。
祈り声は小さい。聞こえるか聞こえないかの程度。
戦いは、思ったより早く終わった。
魔物は引いた。追撃はしない。追えば盛り上がる。
軍務代行が腕を上げた。
「撤収!」
「負傷者確認! 余計な追いはなし!」
兵がざわつきかけたのを、命令で押し切った。
その判断は、正しい。
俺は一番にアニエスを見た。
星痣。無事。息もある。立っている。
視界の端に文字が走る。
《成功率:上昇》
《戦線維持:成功》
《称賛イベント:未成立》
……未成立。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
兵の一人が、こちらに駆け寄ってきた。
若い。顔が赤い。興奮している。
「すごかった!」
「今の石、空中で――」
俺は言葉を遮った。
「怪我は?」
「え?」
「怪我人を見ろ。俺じゃなくて、仲間を見ろ」
言い方が冷たかったかもしれない。
でも、優しい顔をして褒めさせるのは、もっと危ない。
若い兵は戸惑いながらも、周りを見て頷いた。
「……はい!」
兵が離れたあと、アニエスが小さく言った。
「今の、よかったです」
「話題があなたに集まらなかった」
「嫌われるのは慣れてる」
「……誰かが死ぬよりマシだ」
俺がそう言うと、アニエスは少しだけ首を振った。
「嫌われなくてもいいんです」
「ただ、“盛り上がり”をあなたに集めない」
「それだけで、生き残れる可能性が上がります」
その言葉の通り、視界が淡く光った。
《信頼値:上昇》
《回避行動:継続》
回避行動。
世界は気に入らないらしい。
でも、今日はそれでいい。
初陣は勝った。
派手じゃない勝利。
名前も上がらない勝利。
それでも、誰も死んでいない。
俺はそれを、しっかり覚えておくことにした。
このやり方なら、まだ戦える。
――まだ、星痣持ちを生かしたまま進める。




