第14話 従軍司祭の祈り 《称賛イベント:未成立》
辺境に着いて、まず分かったことがある。
ここには、余計な飾りがない。
王都みたいな噂話も、礼儀だけの称賛もない。
その代わりにあるのは、仕事だ。
門で出迎えた軍務代行の男が、俺に紙束を放ってよこした。
「地図」
「備蓄」
「死者名簿。去年の分だ。……今年のは、まだ増える」
軽い言い方だった。慣れているんだろう。
俺は紙束を受け取りながら、喉の奥が苦くなるのを感じた。
――ここでは、勝っても喜べない。
それは悪いことじゃない。むしろ助かる。
俺が余計に目立たなければ、あの“請求”が来にくいはずだ。
そう思った瞬間、視界の端に文字が浮かぶ。
《注目度:上昇》
《イベント供給:稼働》
……やめろ。
俺の都合なんて無視して、世界は勝手に始める。
軍務代行が言う。
「従軍司祭が一人いる。怪我人はそいつに回せ。紹介する」
従軍司祭。
その言葉を聞いた瞬間、胸が嫌な音を立てた。
俺はもう知っている。
星痣持ちは、俺のそばに用意される。
案の定――。
負傷兵の天幕の前に立っていたのは、白い法衣の女だった。
年は俺より少し上だろう。髪はきちんとまとめ、手つきが手慣れている。
彼女がこちらを見た瞬間、俺の視界が勝手に“確定”する。
《星痣:検知》
《次の焦点:従軍司祭》
《注目度:上昇》
……胸の奥が冷える。
左鎖骨の下。小さな星形。見間違えようがない。
軍務代行が言った。
「アニエス。王立魔法学園の出だ。腕は確かだ」
「で、こっちがレオン。王都から押しつけられた厄介者だ」
「厄介者は余計だ」俺は苦笑いするしかなかった。
アニエスは俺を見て、軽く頭を下げた。
「従軍司祭のアニエスです」
「赴任、お疲れさまです」
礼儀正しい。
でも、目が落ち着いている。こっちを値踏みしていない。
その時だった。
アニエスが、いきなり核心を突いてきた。
「……一つ、確認してもいいですか」
「あなたは、人を助ける時に――大きなことを言いますか」
俺は息を止めた。
大きなこと。
つまり、あの言葉だ。
任せろ。
守る。
絶対に助ける。
言った瞬間、みんなが安心して、場が盛り上がって、称賛が始まる。
そして後で、星痣持ちが死ぬ。
俺ははっきり答えた。
「言わない」
「……言えなくなった。言うと、誰かが死ぬ」
普通なら、笑われる。
信じてもらえるはずがない。
でもアニエスは、ゆっくり頷いた。
「やっぱり」
「私も、それが怖いんです」
そう言って、彼女は自分の左鎖骨の下を指で押さえた。
星痣を隠すみたいに。
「学園の実習で、一度……死にかけました」
「うまくいって、皆が喜んで、その直後にです」
俺は背中に汗が浮くのを感じた。
同じだ。俺と同じものを見てきた。
「ユフィのことは……知ってるか」
アニエスは少しだけ目を伏せた。
「書類で知りました」
「事故、ということになってました」
「……王都は、そういう場所です」
その言い方が、妙に現実的で、だからこそ胸に刺さる。
俺の視界に、いつもと違う文字が浮かぶ。
《信頼値:上昇》
称賛じゃない。
盛り上がりでもない。
信頼。
それなら、まだ大丈夫かもしれない。
その時、外で角笛が鳴った。短く、鋭い。
「敵影だ!」
「狼型、数が多い!」
野営地が一気に動き出す。
俺も反射で前に出そうになって――止まった。
前に出ると目立つ。
目立つと盛り上がる。
盛り上がると、請求が来る。
俺は唇を噛む。
戦う。でも、目立たない。
アニエスが俺の袖を掴んだ。
「……やり方、決めておきましょう」
「生き残るために」
「どうやる」
アニエスは、分かりやすく、短く言った。
「一つ。前に出ない」
「二つ。叫ばない」
「三つ。乾杯しない」
俺は思わず聞き返した。
「乾杯しない?」
「勝った直後が危ないんです」
「喜ぶと、場が大きくなります」
「場が大きくなると……あれが来る」
彼女は“あれ”と言った。
俺も“あれ”で通じる。
俺は頷いた。
「分かった」
「勝っても、喜びすぎない」
「はい」
「それから、あなたのスキルの使い方です」
アニエスは天幕の外を見た。兵が走っていく。
「あなたは前に出たら目立つ」
「だから後ろから、少しだけ手を貸してください」
「止める力で、敵の動きを一瞬止める。それだけで兵は助かります」
俺は深く息を吐いた。
派手に倒さない。最後の一撃を取らない。
でも、死者は減らせる。
それが、“生き残らせる勝ち方”。
迎撃は森の縁で行われた。
狼型の魔物が、草を割って飛び出してくる。速い。鋭い。
俺は盾列の後ろに立った。
槍兵の隙間から、魔物の足元を見て――手を伸ばす。
止まれ。
空気がきゅっと固まったように感じた。
魔物の動きが一瞬だけ鈍る。
「今だ!」
叫んだのは俺じゃない。
前にいる兵だ。
槍が刺さる。
倒れる。
次が来る。
俺は同じことを繰り返す。
目立たない場所で、必要な分だけ。
アニエスは後方で負傷者を受け止めていた。
祈りの声は小さい。響かない。人を煽らない。
戦いは短く終わった。
死者は出なかった。怪我人も軽傷が数人だけ。
勝った。
それなのに、周りが大騒ぎしない。
俺はすぐに視界を確認する。
嫌な文字が出ていないか。
《称賛イベント:未成立》
《均衡徴収:未実行》
《信頼値:上昇》
……未実行。
胸の奥が、熱くなる。
兵の一人が、興奮した声を上げかけた。
「今の、誰の――」
軍務代行がすぐに遮った。
「余計な話はいい。怪我の確認をしろ」
「勝っても次がある。浮かれるな」
辺境は現実的だ。
その現実が、今日はありがたい。
野営地へ戻る道で、アニエスが小さく言った。
「これで、しばらくは大丈夫かもしれません」
「……でも、油断しないでください」
「世界は、こっちがうまくやると、別の形で盛り上げようとしてきます」
俺は頷いた。
「分かってる」
「だから、約束しよう」
英雄っぽい言葉は使わない。
でも、逃げない言葉はある。
「一緒に戻る」
「毎回、それを守る」
アニエスは、ほんの少しだけ笑った。
「はい」
「それなら……きっと、大きくは盛り上がりません」
視界に小さく文字が灯る。
《信頼値:上昇》
《回避行動:検知》
回避行動。
世界は不満かもしれない。
でも、俺は不満でいい。
星痣持ちが、生きているなら。
俺は、初めて“勝つ意味”を選べた気がした。




