第12話 王都の夜風 《均衡徴収:実行》
寮へ戻る道は、夜でも明るかった。
街灯が多い。巡回の兵もいる。王都は“安全そう”に見える。
でも、俺は安心できなかった。
ユフィは俺の袖を掴んだまま歩いている。
さっきまでの強い目が、少しだけ柔らかい。
「……さっきのやつ、止めたの」
「止めた」
「やりすぎ」
「やりすぎでも、あれは放っておけない」
「……私のため?」
聞かれて、喉が詰まった。
言い方ひとつで、世界が喜ぶ気がする。
「……場が荒れるのが嫌だっただけだ」
ユフィは不満そうに眉をひそめた。
「ほんと、かわいくない」
「かわいくなくていい」
「よくない」
ユフィはそう言って、少しだけ笑った。
夜風が髪を揺らす。
その“普通”が、怖い。
寮の手前に、小さな中庭があった。
噴水があって、木があって、誰もいない。
「ちょっとだけ、ここ」
ユフィが言って、俺を引いた。
「戻るんじゃなかったのか」
「戻るけど、その前に。……頭がうるさい」
ユフィは噴水の縁に座って、息を吐いた。
「舞踏会って、嫌い」
「意外だな」
「意外じゃない。みんな、勝手に期待する」
「『ユフィはこう』って決めて、勝手に喜んで、勝手に騒ぐ」
俺はその言葉に、胸の奥がひやっとした。
勝手に喜ぶ。勝手に騒ぐ。
それが一番危ない。
「……今日、熱くなったって言ってたな」
俺が言うと、ユフィは一瞬だけ固まった。
「言わないって言った」
「……じゃあ、聞かない」
俺が引くと、ユフィは少しだけ目を細めた。
「……ずるい」
「俺も、ずるい言い方じゃないと危ない」
「危ない危ないって、何が?」
ユフィは俺をまっすぐ見た。
逃がしてくれない目だ。
俺は言いかけて、やめた。
星痣のことを言えば、確実に動く。
だから、別の形にした。
「……俺は、何回も同じ目にあってる」
「同じ目?」
「盛り上がった直後に、誰かが――」
言葉が詰まる。
“死ぬ”を軽く言いたくない。
ユフィが、ゆっくり頷いた。
「……私も、分かる気がする」
ユフィは自分の襟元に触れた。
左の鎖骨の下。服の上から。
「ここ、ね。みんなが『すごい』って言う時とか」
「私が“正しい役”をやらされる時とか」
「……熱くなる」
俺の背中が冷たくなる。
「いつから」
「ずっと前から」
「でも、最近ひどい。学園に入ってから」
学園。王都。制度。監督。
嫌な言葉が並ぶ。
ユフィは、少しだけ声を落とした。
「ねえ。あなた、怖がってるんでしょ」
「私が、熱くなるの」
俺は黙った。
黙るしかない。
ユフィは小さく笑った。乾いた笑い。
「……大丈夫。私は貴族だし。簡単には死なない」
「守られてる」
その言葉が、胸を刺した。
守られてる、という断定が危ない。
視界の端が、ちかっとした。
《均衡徴収:実行》
息が止まった。
「……来るな」
俺の声は、震えていた。
「え?」
ユフィが首をかしげる。
その瞬間、中庭の外から足音が聞こえた。
複数。速い。鎧の音。
嫌な予感が当たる時の音だ。
「そこにいるのは誰だ!」
巡回の兵の声。
そして、その後ろから、聞き覚えのある笑い声。
「おや。まだ起きていたのか、ユフィ様」
舞踏会で絡んできた男だ。
取り巻きもいる。しかも今度は、学園の警備兵を連れている。
ユフィの顔が一気に冷えた。
「……最悪」
男が俺を見て、にやりとする。
「昨夜の件、報告が上がっている。学園内で貴族を拘束するなど、前代未聞だ」
「拘束じゃない。止めただけだ」
「同じだよ。君の“停止”は危険だ」
「学園の規則に従ってもらう。……さあ、手を出せ。調査だ」
取り巻きが勝ち誇った顔をする。
この空気も、危ない。盛り上がる匂いがする。
ユフィが立ち上がって、男を睨んだ。
「やめて。レオンは私の護衛」
「護衛? 護衛が貴族を止めるのか?」
「それは護衛じゃない。反逆だ」
男が楽しそうに言った。
ユフィの手が、無意識に鎖骨の下へ行きそうになって、止まる。
熱をこらえるみたいに。
俺は一歩前に出た。
「……帰れ」
「命令する立場か?」
「立場じゃない。……面倒を増やすな」
男が笑う。
「面倒? 面倒なのは君だ。王都では、力の使い方にも作法がある」
「君はそれを学ぶ必要がある。だから、連れていく」
兵が前に出る。
俺は手を出すか迷った。
止めれば、また注目される。
注目されれば、均衡が来る。さっき出たログがそれだ。
でも、止めないと連れていかれる。
ユフィも巻き込まれる。
俺は歯を食いしばって、手を出した。
白い光。
先頭の兵が止まる。次の兵も止まる。
取り巻きの男も止まる。
静かになる。
……でも、完全じゃない。
王都の兵は装備が良いのか、じわじわ動こうとする。
「ほら、やっぱり危険だ!」
止まったまま、男が必死に声だけを出した。
その声が中庭に響いて、窓が開いた。
寮の上階から学生が顔を出す。
「なに?」
「また揉めてる」
「停止魔法だ……」
視線が集まる。
最悪の形で集まる。
ユフィが俺の袖を掴んだ。
「……やめて。見られてる」
その声が震えている。
視界の端が、またちかっとした気がした。
文字は出ない。でも、空気が“盛り上がり”に寄っていく。
俺は低い声で言った。
「ユフィ。寮に戻れ。今すぐ」
「あなたは?」
「……すぐ行く」
言い切りそうになって、飲み込んだ。
“すぐ”は危ない。
ユフィが首を振る。
「置いていかないで」
その言葉が、胸の奥を殴った。
ミナも、セラも、同じ目をしてた。
俺は言ってしまいそうになる。
大丈夫だ。俺が守る。
視界の端が、ちかっとした。
《推奨台詞:――俺が守る》
俺は口を閉じた。
言ったら終わる気がしたから。
その瞬間だった。
中庭の端の石灯籠が、ぐらっと傾いた。
誰かが上から身を乗り出した拍子に、飾りが落ちたのかもしれない。
落下音。
学生の悲鳴。
「危ない!」
俺は反射的に手を伸ばした。
白い光で“止める”。落ちる石を止める。
止まった。
止まったのに――
石灯籠の土台が割れて、別の石が転がる。
転がった石が、ユフィの足元へ向かう。
「ユフィ!」
俺が叫んだ瞬間、ユフィが一歩引いた。
引いた拍子に、胸元を押さえる。痣がある場所。
「……っ、熱い……!」
星痣が反応した。はっきり分かった。
ユフィの足がもつれる。
転ぶ。
転んだユフィの上に、転がった石が――
「やめろおお!」
俺は石を止めようと手を出した。
白い光が走る。確かに走った。
でも、石は止まらない。
止まらないようにされている。
その瞬間、視界の端に文字が出た。
《均衡徴収:実行》
「……ふざけんな……!」
石がユフィの脇腹をかすめて、鈍い音がした。
ユフィが息を呑む。
「……っ」
俺はユフィを抱き上げて、石から遠ざけた。
手が震える。血が温かい。
周りでは、誰も怪我していない。
石は止めた。落下も止めた。
なのに、ユフィだけが――
ユフィの顔が白くなる。呼吸が浅い。
「ユフィ、やめろ。喋るな」
「……痛い」
「治す。……手当てする」
断定を避けた。
避けたのに、もう遅い気がした。
俺は光を出した。
白い光が、ユフィの体ににじむ。
出た。確かに出た。
でも――治らない。
傷口に近づくほど、熱が逃げる。
まるで“治らない道”だけが用意されてるみたいに。
「なんでだよ……!」
俺が光を強くすると、ユフィが苦しそうに眉を歪めた。
「……やめて……」
「やめない」
「……あなたが、必死になると……ここ、喜ぶ」
ユフィは鎖骨の下を弱く押さえた。
「嫌……怖い」
俺の喉が詰まった。
「言うな……」
ユフィは弱く笑った。
「……さっき、あなたが“守る”って顔した時」
「ここ、熱くなった」
俺は言葉を失った。
俺が“守る”と思うだけで、世界が喜ぶ。
だから均衡が来る。
そんな仕様。
ユフィが俺の袖を掴む。
「……ねえ」
「喋るな」
「……お願い」
「これ、あなたのせいじゃないって……分かってる」
「だから……」
ユフィは息を吸う。
震える声で、続けた。
「……私を、決めないで」
「『守る』って、決めないで」
俺は、うまく息ができなかった。
ユフィが、最後にだけ、少しだけ笑った。
「……あなた、変な人」
「でも……嫌いじゃなかった」
その言葉が落ちた瞬間、ユフィの呼吸が止まった。
俺の腕の中で、体から熱が抜けていく。
中庭の外は静まり返っていた。
誰も動けないみたいに、みんな見ている。
見ている。
注目している。
世界が喜ぶ空気が、まだ残っている。
俺は震える声で言った。
「……見るな」
誰にも届かない声だった。
俺はユフィを抱えたまま、夜風の中で立ち尽くした。
拳が勝手に握られて、爪が掌に食い込む。
――仕組みを見つける。
俺は心の中だけで繰り返した。
(今度こそ)




