第10話 貴族令嬢の護衛任務 《成功率:上昇》
学園の廊下は、白くて長い。
床も壁も磨かれていて、足音が変に響く。
迷宮の湿った石とは違うのに、落ち着かなかった。
「ついてきて。迷子になったら面倒」
前を歩くユフィは振り返らない。
背筋がまっすぐで、歩幅が一定。いかにも優等生って感じだ。
「ここが寮。ここが食堂。ここが講義棟。勝手に入ったら怒られる部屋もあるから、覚えて」
「怒られる部屋?」
「資料室とか、研究室とか。あと、上の人の部屋」
淡々としているのに、言い方だけは妙に現実的だった。
「お前、こういうの慣れてるのか」
「当たり前。ここで生きてるから」
どこかで聞いた言い回しだと思って、胸が少しだけ痛んだ。
ミナの声と重なったせいだ。
ユフィは俺の顔をちらっと見て、すぐ前を向いた。
「……変な顔。具合悪いの?」
「大丈夫」
言い切ってから、喉の奥で引っかかる。
断定は怖い。けど、ここで弱みを見せるのも嫌だった。
ユフィは寮の一室の扉を開けた。
「ここ。あなたの部屋。仮登録だから備品は最低限。文句言わないで」
「文句言わない」
「偉い」
褒められたのに、嬉しくない。
褒め言葉は、あとで代償になる気がする。
部屋は狭いが清潔だった。ベッドと机と棚。
窓の外に王都の屋根が見える。
「次、手続き」
ユフィは机に紙束を置いた。
「規則。提出書類。あと誓約書。破ったら退学。退学だけで済まない」
「脅すな」
「脅してない。事実」
ユフィは椅子に腰かけて、俺の手元を覗いた。
「……字は書ける?」
「書ける」
「よかった。読めないと困る。ここ、読むことばっかり」
俺は紙に目を通しながら、ユフィの横顔を見た。
冷たいというより、硬い。守りが固い顔だ。
そして、どうしても目が行く。
制服の襟元。左の鎖骨の下。
さっき見えた星みたいな痣。
見間違いじゃない。
リーアも、ミナも、セラも、同じ場所にあった。
胸の奥が冷える。
言うな。
言ったら、また世界が動く。
「……なに」
ユフィが、こちらを見た。
「見てた?」
「いや」
「嘘。目が泳いだ」
「……癖だ」
「変な癖ね」
ユフィは小さく息を吐いて、立ち上がった。
「じゃあ次。講義棟。担当の先生に顔を出す」
「今から?」
「今から。あなたは監督下。放置しない」
監督。
その言葉が、やっぱり気持ち悪い。
講義棟の奥で、指導官――昨日の男が待っていた。
俺を見るなり、短く言う。
「来たか。レオン。ユフィ、案内ご苦労」
「はい」
指導官は俺を上から下まで見た。
「まず結論。君には“仕事”を与える」
「仕事?」
「学園のための仕事だ。君は実技枠で入った。実績を作れ」
嫌な予感がした。
実績。称賛。注目。盛り上がり。
「……どんな」
指導官が紙を一枚差し出した。
「護衛任務」
紙には、貴族の家の紋章と日時が書いてある。
「対象はユフィだ。彼女は貴族家の令嬢で、今夜、王都の社交の場に出る。最近、学園生を狙った揉め事がある。安全確保が必要だ」
ユフィが眉をひそめた。
「先生。私、護衛いりません」
「必要だ。君の希望はどうでもいい」
言い切り方が、嫌に慣れている。
この世界は、そういう言い方で人を動かす。
指導官は続ける。
「レオン。君は外から来た。王都の裏も表も知らない。護衛を通じて学べ。ユフィは王都の地理と作法を叩き込め」
「……俺が護衛?」
「君の“停止”は対人抑止に向く。殺さずに制圧できる。王都では価値が高い」
価値。
その言葉が、喉に刺さる。
ユフィが俺を見た。
嫌そうな目。
「……私を守るって、できるの?」
その問いが、胸の奥を叩いた。
できる、と言いそうになる。断定が怖い。
「……やるだけやる」
ユフィは少しだけ口を尖らせた。
「曖昧」
「曖昧じゃないと、危ない」
「なにそれ。意味分かんない」
分からなくていい。分からないほうが幸せだ。
でも、星痣があるなら……もう遅いのかもしれない。
指導官が手を叩いた。
「決まりだ。今夜、日没前に正門集合。ユフィの家の馬車に同乗しろ」
「……はい」
ユフィは不満そうに返事をした。
俺も、不満というより、嫌な感じが消えない。
それでも、断れない。
学園に入った目的――資料に近づくには、従うしかない。
夕方。
正門前で待つと、黒い馬車が来た。紋章が入っている。見張りの兵もいる。
ユフィは制服ではなく、淡い色のドレス姿だった。
髪も整えていて、昼とは別人みたいに綺麗だ。
「……遅い」
「遅れてない」
「あなたの顔が遅いって顔してる」
「なんだそれ」
ユフィはふっと笑った。
初めて見た、少し柔らかい笑いだった。
俺はその瞬間が怖くて、目をそらした。
馬車に乗ると、揺れが静かだった。
中は香の匂いがする。貴族の匂いだ。
「慣れてないでしょ」
ユフィが言う。
「慣れてない」
「姿勢。背筋。肘を広げない。あと、窓の外をずっと見ない。田舎者だってバレる」
「……厳しいな」
「今夜は“恥をかかせない”のも護衛の仕事」
ユフィは真顔で言った。
その真面目さが、妙に信用できる。
だからこそ、怖い。
屋敷街に入ると、馬車が減速した。
道が広く、街灯が多い。兵の巡回も多い。
「安全そうだな」
「表はね」
ユフィが小さく言った。
「裏は、違う」
その言葉の直後、馬車が止まった。
御者の声がする。
「……道が塞がれています」
ユフィの眉がぴくりと動いた。
「……来た」
外が騒がしい。
男の声。笑い声。靴音。
「おいおい、良い馬車じゃねぇか」
「学園の嬢ちゃん乗ってるって? 拝ませろよ」
ユフィの顔色が変わった。
手が、無意識に左の鎖骨の下へ行きそうになって、途中で止まる。
俺は息を吸った。
「下がってろ」
「命令しないで」
「命令じゃない。……危ない」
俺は馬車を降りた。
外には男が四人。
身なりは良くないが、短剣を隠している。貴族の屋敷街でやる連中じゃない。
「なんだてめぇ」
「護衛だ」
「護衛が一人? 笑える」
男たちがにやにや近づいてくる。
この空気、嫌いだ。盛り上がる匂いがする。
俺は剣を抜かず、手を出した。
白い光が走る。
先頭の男が、その場で止まった。
目だけが動いて、口が開いたまま固まる。
「な――」
残りが一瞬ひるむ。
「なんだ今の!?」
「動くな」
俺が言うと、二人目が短剣を抜いて突っ込んできた。
俺は横にずれて、手を払う。
光。止まる。
三人目が逃げようとして、足がもつれる。
四人目が馬車へ回り込もうとする。
「させるか」
俺は一歩踏み込んで、手を伸ばした。
光。止まる。
全員が止まった。
静かになった。
さっきまでの笑い声が嘘みたいだ。
俺は男たちの腕を縛り、短剣を回収した。
御者が震えている。ユフィは馬車の中から覗いていた。
「……終わった」
ユフィがゆっくり降りてきた。
夜風で髪が揺れる。
「あなた……本当に、できるんだ」
その言葉が、胸を叩く。
褒め言葉は怖い。
視界の端がちかっとした気がして、俺は歯を食いしばった。
文字は出ない。だが、嫌な予感だけが残る。
「油断するな。まだ――」
言い切りそうになって、止めた。
「……まだ、終わってないかもしれない」
ユフィは俺を見上げた。
「そういう言い方、嫌い」
「俺は好きでやってない」
ユフィは少し黙ってから、小さく言った。
「……ありがとう」
その一言が、やけに重かった。
ミナの「いいやつだな」と同じ重さ。
俺は答えられず、視線をそらした。
衛兵の笛が聞こえた。
巡回が駆け寄ってくる。男たちは連行された。
隊長らしい兵がユフィに頭を下げる。
「ご無事で何よりです。……護衛の方、見事でした」
見事。
その単語が嫌だ。
俺は短く頷いて、馬車へ戻った。
屋敷に着くまで、ユフィは黙っていた。
馬車の揺れだけが続く。
やっと屋敷の門が見えた時、ユフィがぽつりと言った。
「ねえ、レオン」
「なんだ」
「……今日のこと、誰にも言わないで」
俺は一瞬、意味が分からなかった。
「襲われたこと?」
「それも。あと、あなたが……すごかったことも」
ユフィは窓の外を見たまま、言った。
「噂が広がると、面倒になる。私は……そういうの、嫌」
その言葉で、胸の奥がひやっとした。
噂。注目。盛り上がり。
ユフィも同じものを怖がっている?
「……分かった」
俺が答えると、ユフィは小さく息を吐いた。
「よかった」
その「よかった」が、俺には危険な言葉に聞こえた。
だから、俺は言い返さなかった。
屋敷に着いた。
馬車が止まり、門が開く。
ユフィは降りる前に、俺を見た。
さっきより少しだけ、目が柔らかい。
「……明日も、学園で案内する。逃げないで」
「逃げたくなる場所だ」
「なら、逃げたくならないようにする。……たぶん」
最後の「たぶん」が、妙に嬉しくて、怖かった。
俺はユフィの背中を見送りながら、心の中でだけつぶやいた。
(成功した。だからこそ――次が怖い)




