表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/21

第10話 貴族令嬢の護衛任務 《成功率:上昇》

 学園の廊下は、白くて長い。


 床も壁も磨かれていて、足音が変に響く。

 迷宮の湿った石とは違うのに、落ち着かなかった。


「ついてきて。迷子になったら面倒」


 前を歩くユフィは振り返らない。

 背筋がまっすぐで、歩幅が一定。いかにも優等生って感じだ。


「ここが寮。ここが食堂。ここが講義棟。勝手に入ったら怒られる部屋もあるから、覚えて」


「怒られる部屋?」


「資料室とか、研究室とか。あと、上の人の部屋」


 淡々としているのに、言い方だけは妙に現実的だった。


「お前、こういうの慣れてるのか」


「当たり前。ここで生きてるから」


 どこかで聞いた言い回しだと思って、胸が少しだけ痛んだ。

 ミナの声と重なったせいだ。


 ユフィは俺の顔をちらっと見て、すぐ前を向いた。


「……変な顔。具合悪いの?」


「大丈夫」


 言い切ってから、喉の奥で引っかかる。

 断定は怖い。けど、ここで弱みを見せるのも嫌だった。


 ユフィは寮の一室の扉を開けた。


「ここ。あなたの部屋。仮登録だから備品は最低限。文句言わないで」


「文句言わない」


「偉い」


 褒められたのに、嬉しくない。

 褒め言葉は、あとで代償になる気がする。


 部屋は狭いが清潔だった。ベッドと机と棚。

 窓の外に王都の屋根が見える。


「次、手続き」


 ユフィは机に紙束を置いた。


「規則。提出書類。あと誓約書。破ったら退学。退学だけで済まない」


「脅すな」


「脅してない。事実」


 ユフィは椅子に腰かけて、俺の手元を覗いた。


「……字は書ける?」


「書ける」


「よかった。読めないと困る。ここ、読むことばっかり」


 俺は紙に目を通しながら、ユフィの横顔を見た。

 冷たいというより、硬い。守りが固い顔だ。


 そして、どうしても目が行く。


 制服の襟元。左の鎖骨の下。

 さっき見えた星みたいな痣。


 見間違いじゃない。

 リーアも、ミナも、セラも、同じ場所にあった。


 胸の奥が冷える。


 言うな。

 言ったら、また世界が動く。


「……なに」


 ユフィが、こちらを見た。


「見てた?」


「いや」


「嘘。目が泳いだ」


「……癖だ」


「変な癖ね」


 ユフィは小さく息を吐いて、立ち上がった。


「じゃあ次。講義棟。担当の先生に顔を出す」


「今から?」


「今から。あなたは監督下。放置しない」


 監督。

 その言葉が、やっぱり気持ち悪い。


 講義棟の奥で、指導官――昨日の男が待っていた。

 俺を見るなり、短く言う。


「来たか。レオン。ユフィ、案内ご苦労」


「はい」


 指導官は俺を上から下まで見た。


「まず結論。君には“仕事”を与える」


「仕事?」


「学園のための仕事だ。君は実技枠で入った。実績を作れ」


 嫌な予感がした。

 実績。称賛。注目。盛り上がり。


「……どんな」


 指導官が紙を一枚差し出した。


「護衛任務」


 紙には、貴族の家の紋章と日時が書いてある。


「対象はユフィだ。彼女は貴族家の令嬢で、今夜、王都の社交の場に出る。最近、学園生を狙った揉め事がある。安全確保が必要だ」


 ユフィが眉をひそめた。


「先生。私、護衛いりません」


「必要だ。君の希望はどうでもいい」


 言い切り方が、嫌に慣れている。

 この世界は、そういう言い方で人を動かす。


 指導官は続ける。


「レオン。君は外から来た。王都の裏も表も知らない。護衛を通じて学べ。ユフィは王都の地理と作法を叩き込め」


「……俺が護衛?」


「君の“停止”は対人抑止に向く。殺さずに制圧できる。王都では価値が高い」


 価値。

 その言葉が、喉に刺さる。


 ユフィが俺を見た。

 嫌そうな目。


「……私を守るって、できるの?」


 その問いが、胸の奥を叩いた。

 できる、と言いそうになる。断定が怖い。


「……やるだけやる」


 ユフィは少しだけ口を尖らせた。


「曖昧」


「曖昧じゃないと、危ない」


「なにそれ。意味分かんない」


 分からなくていい。分からないほうが幸せだ。

 でも、星痣があるなら……もう遅いのかもしれない。


 指導官が手を叩いた。


「決まりだ。今夜、日没前に正門集合。ユフィの家の馬車に同乗しろ」


「……はい」


 ユフィは不満そうに返事をした。

 俺も、不満というより、嫌な感じが消えない。


 それでも、断れない。

 学園に入った目的――資料に近づくには、従うしかない。


 夕方。

 正門前で待つと、黒い馬車が来た。紋章が入っている。見張りの兵もいる。


 ユフィは制服ではなく、淡い色のドレス姿だった。

 髪も整えていて、昼とは別人みたいに綺麗だ。


「……遅い」


「遅れてない」


「あなたの顔が遅いって顔してる」


「なんだそれ」


 ユフィはふっと笑った。

 初めて見た、少し柔らかい笑いだった。


 俺はその瞬間が怖くて、目をそらした。


 馬車に乗ると、揺れが静かだった。

 中は香の匂いがする。貴族の匂いだ。


「慣れてないでしょ」


 ユフィが言う。


「慣れてない」


「姿勢。背筋。肘を広げない。あと、窓の外をずっと見ない。田舎者だってバレる」


「……厳しいな」


「今夜は“恥をかかせない”のも護衛の仕事」


 ユフィは真顔で言った。


 その真面目さが、妙に信用できる。

 だからこそ、怖い。


 屋敷街に入ると、馬車が減速した。

 道が広く、街灯が多い。兵の巡回も多い。


「安全そうだな」


「表はね」


 ユフィが小さく言った。


「裏は、違う」


 その言葉の直後、馬車が止まった。

 御者の声がする。


「……道が塞がれています」


 ユフィの眉がぴくりと動いた。


「……来た」


 外が騒がしい。

 男の声。笑い声。靴音。


「おいおい、良い馬車じゃねぇか」

「学園の嬢ちゃん乗ってるって? 拝ませろよ」


 ユフィの顔色が変わった。

 手が、無意識に左の鎖骨の下へ行きそうになって、途中で止まる。


 俺は息を吸った。


「下がってろ」


「命令しないで」


「命令じゃない。……危ない」


 俺は馬車を降りた。


 外には男が四人。

 身なりは良くないが、短剣を隠している。貴族の屋敷街でやる連中じゃない。


「なんだてめぇ」


「護衛だ」


「護衛が一人? 笑える」


 男たちがにやにや近づいてくる。

 この空気、嫌いだ。盛り上がる匂いがする。


 俺は剣を抜かず、手を出した。


 白い光が走る。


 先頭の男が、その場で止まった。

 目だけが動いて、口が開いたまま固まる。


「な――」


 残りが一瞬ひるむ。


「なんだ今の!?」


「動くな」


 俺が言うと、二人目が短剣を抜いて突っ込んできた。

 俺は横にずれて、手を払う。


 光。止まる。


 三人目が逃げようとして、足がもつれる。

 四人目が馬車へ回り込もうとする。


「させるか」


 俺は一歩踏み込んで、手を伸ばした。


 光。止まる。


 全員が止まった。


 静かになった。

 さっきまでの笑い声が嘘みたいだ。


 俺は男たちの腕を縛り、短剣を回収した。

 御者が震えている。ユフィは馬車の中から覗いていた。


「……終わった」


 ユフィがゆっくり降りてきた。

 夜風で髪が揺れる。


「あなた……本当に、できるんだ」


 その言葉が、胸を叩く。

 褒め言葉は怖い。


 視界の端がちかっとした気がして、俺は歯を食いしばった。

 文字は出ない。だが、嫌な予感だけが残る。


「油断するな。まだ――」


 言い切りそうになって、止めた。


「……まだ、終わってないかもしれない」


 ユフィは俺を見上げた。


「そういう言い方、嫌い」


「俺は好きでやってない」


 ユフィは少し黙ってから、小さく言った。


「……ありがとう」


 その一言が、やけに重かった。

 ミナの「いいやつだな」と同じ重さ。


 俺は答えられず、視線をそらした。


 衛兵の笛が聞こえた。

 巡回が駆け寄ってくる。男たちは連行された。


 隊長らしい兵がユフィに頭を下げる。


「ご無事で何よりです。……護衛の方、見事でした」


 見事。

 その単語が嫌だ。


 俺は短く頷いて、馬車へ戻った。


 屋敷に着くまで、ユフィは黙っていた。

 馬車の揺れだけが続く。


 やっと屋敷の門が見えた時、ユフィがぽつりと言った。


「ねえ、レオン」


「なんだ」


「……今日のこと、誰にも言わないで」


 俺は一瞬、意味が分からなかった。


「襲われたこと?」


「それも。あと、あなたが……すごかったことも」


 ユフィは窓の外を見たまま、言った。


「噂が広がると、面倒になる。私は……そういうの、嫌」


 その言葉で、胸の奥がひやっとした。

 噂。注目。盛り上がり。


 ユフィも同じものを怖がっている?


「……分かった」


 俺が答えると、ユフィは小さく息を吐いた。


「よかった」


 その「よかった」が、俺には危険な言葉に聞こえた。

 だから、俺は言い返さなかった。


 屋敷に着いた。

 馬車が止まり、門が開く。


 ユフィは降りる前に、俺を見た。

 さっきより少しだけ、目が柔らかい。


「……明日も、学園で案内する。逃げないで」


「逃げたくなる場所だ」


「なら、逃げたくならないようにする。……たぶん」


 最後の「たぶん」が、妙に嬉しくて、怖かった。


 俺はユフィの背中を見送りながら、心の中でだけつぶやいた。


(成功した。だからこそ――次が怖い)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ