**第三話 水辺の罠と不信の芽**
第三話です。よろしくお願いします。
朝もやが密林に立ち込め、木々の葉先には夜露がきらめいていた。
千嶋紗英は、洞窟の入口で伸びをしながら、深く息を吸い込んだ。
湿った土の香り、腐植土の甘ったるい匂い、そして遠くからかすかに漂う潮の香り。
この島は、生き物のように呼吸している──そしてその息の一つひとつが、危険と隣り合わせだった。
リクトがまだ眠っている間に、紗英は細かな観察を続けていた。
新たな隠れ家は、花崗岩の崖の中腹に位置する浅い洞窟だ。
入り口は灌木で自然に覆われ、前方には木々の隙間から青く輝く海がのぞく。
何より重要なのは、この場所が常に監視カメラの青色エリアに覆われていることだった。
「おはよう」
背後からリクトが眠そうな声で言った。
「何を見てるの?」
紗英ははっとしたように振り返り、無邪気な笑顔を作った。
「あ、ごめんね。ただ…海がきれいで」
彼女は意識的に視線を泳がせた。この一瞬の隙も、演技のうちだ。
朝食は昨日と同じく、味気ない栄養ゼリーと、慎重に選んだ果実だった。
紗英は食べながら、端末に表示される地図を確認する。
彼女が入力した「影の領域」の移動パターンが、複雑な網の目のように広がっている。
「今日は何をする?」
リクトが尋ねた。
紗英はわずかに首を傾げた。
「水…あと少し多く持っていたいな。昨日の川、まだ安全かな?」
彼女はもちろん、あの川が安全でないことを知っていた。
だが、普通の少女なら、もっと水を求めるだろう。
「うん、行ってみよう」
リクトは明るく答えた。
「でも今回はもっと注意しよう。あのカメラの動き、気になるし」
紗英の心の中で警戒ベルが鳴った。
リクトは確かに観察眼が鋭い。これは単なる偶然か、それとも…
再び森の中へ足を踏み入れる。
紗英は意図的にリクトの半歩後ろを歩き、時に彼の袖を軽くつかんでバランスを取るふりをした。
そのたびに、リクトは安心させるような笑顔を返した。
一時間ほど歩いたところで、紗英は突然足を止めた。
「ちょっと待って」
彼女は耳を澄ますような仕草をした。
「何か…声がしない?」
実際には、彼女は遠くで聞こえる複数の足音と、かすかな話し声を確かに聞き分けていた。
リクトも緊張した面持ちで立ち止まり、耳を澄ました。
「…たしかに。誰かいるみたいだ」
彼らは慎重に茂みの陰に身を隠し、前方を覗き込んだ。
川のほとりには、五人ほどのグループがいた。
紗英が昨日目撃した略奪グループとは異なる、より組織的に見える集団だ。
「あれは…」
リクトが囁いた。
「『合理派』って呼ばれてる人たちだよ。頭のいい人たちが集まってるって聞いた」
紗英はうなずいた。
彼女もその情報を把握していた。リーダー格は、眼鏡をかけた背の高い青年・ケイタ。元医大生という噂だ。
合理派の動きは効率的だった。
二人が水を汲み、一人が周囲を見張り、残りの二人は何かを記録している。
しかし、紗英はある不自然な点に気づいた
。彼らの水筒は、既に満タンに見えるのだ。
「彼ら、水を汲みに来たんじゃないみたい」
紗英は小声で言った。
リクトは疑問そうな顔をした。
「じゃあ、何をしてるんだ?」
その時、合理派の一人が何か叫んだ。
グループ全員が突然警戒態勢に入り、素早く森の中へ消えていった。
数秒後、別の方向から三人組が現れた──あの武力派のメンバーだ。
彼らは川辺を見回すと、不満そうな表情を浮かべて去っていった。
「なんだったんだろう?」
リクトが首をかしげた。
紗英の頭脳は高速で回転していた。
*合理派は武力派の動きを予測していた。つまり、彼らは武力派のパターンを分析するか、あるいは何らかの方法で情報を得ている。*
「わからないけど…ここは危ないかも」
「早く水を汲んで戻ろう」
彼らが川辺に近づくと、紗英はあるものに気づいた。
合理派が落としていったらしい、小さなメモ用紙だ。彼女はさりげなくそれを拾い、ポケットにしまった。
水を汲んでいる間、紗英は周囲の監視カメラの動きを細かくチェックした。
一機のカメラが、通常よりもゆっくりと首を振っている。
そして、その動きに合わせるように、対岸の「影の領域」がわずかに移動するのが見て取れた。
*移動する死角…しかも、カメラの動きと連動している。これは単なる監視システムの不備ではない。意図的な誘導だ。*
「紗英ちゃん、もういいよ」
リクトの声が彼女を現実に戻した。
「早く安全な場所に戻ろう」
彼らが洞窟に戻る途中、紗英はポケットの中のメモ用紙に指を触れた。
そこには、理解できない記号と数字が走り書かれていた。
夜、リクトが眠りについた後、紗英はようやくそのメモを詳細に調べた。
手荷物検査を苦労してかいくぐったこの唯一の簡易解読ソフトを使い、記号を分析する。
どれくらい時間が立ったかはわからない。
長い解読作業の末結果が出た。
結果は衝撃的だった。
それは、監視カメラの動作パターンと、「影の領域」の出現確率を計算する数式の断片だった。
*合理派は、私たちと同じく、このシステムの分析を進めている。しかも、かなり高度なレベルで。*
紗英は洞窟の入口に立ち、闇に浮かぶ無数の青い光点を見つめた。
それぞれの光点が、参加者たちの運命を左右する裁きの目のように感じられた。
この島では、誰もが何かを隠している。
リクトでさえ、あの優しい笑顔の裏に、何かを秘めているかもしれない。
そして彼女自身──千嶋紗英という少女の仮面の下に、冷徹なスパイが潜んでいることを。
「大丈夫?」と突然、背後からリクトの声がした。
紗英ははっと振り返り、すぐに無防備な表情を作った。
「うん、ただ…星がきれいで」
リクトは彼女の隣に立ち、空を見上げた。
「本当だ。ここまで星がきれいに見えるなんて思わなかった」
二人はしばらく並んで星空を見つめた。この穏やかな瞬間が、紗英の胸に奇妙な痛みを走らせた。
*この偽りの平穏が、いつまで続くというのだろう。*
彼女の目には、青い監視カメラの光が、無機質にきらめいていた。
第四話も近いうちに投稿しますので、ブクマや評価で応援していただけると嬉しいです!
次回もお楽しみに。




