第七節:ローマよ、鉱石を渡せ。
第七節:ローマよ、鉱石を渡せ。
話の経緯をすべて聞いた私は、ようやく深く息をついた。
カールの無実は証明され、釈放も済んだ。裏の陰謀もリュールの働きで表に出た。
すべてが順調に進んでいるはずだった。けれど——
(……ヴァステン帝国の中尉とうちの誰かが通じているだけ?)
(それだけで、あの“結婚”の話が出てくる?)
(じゃあ、なんでリュールはあんな話を……?)
安心と同時に、胸の奥でじわじわと膨らむ違和感を振り払うように、私は正面のリュールに問いかけた。
「ねぇ。……なんで、“結婚”の話を持ち出したか、聞いてもよろしいでしょうか」
リュールは、わずかに目を細めた。
けれど警戒でも困惑でもなく、むしろ——予想していたという風だった。
「……貴女の“覚悟”を見たかっただけですよ」
「……は?」
あまりに即答だったせいで、私の口から間抜けな声が漏れた。
「もし、あの場で“自分のため”に結婚を断っていたら——
その瞬間、貴女は“王の器”に非ずと判断されていました」
「……判断されて、どうなるの?」
「ヴァステン帝国は、実力行使に踏み切ります。
経済と政治に介入し、“復興支援”という名目でエラシア王国を一時的に傘下に収める。
もちろん、名目上です。……いずれは返しますよ」
私は思わず、小さく呟いていた。
「……こわ。」
それを聞いたリュールは、少し口元を緩めて、続ける。
「エラシア王国は、帝国時代の威厳を失ってもらっては困るのです。
少なくとも、ヴァステン帝国はそう判断します」
「……どういう意味?」
「エラシアは、七国の中でも“旗を掲げる役目”を担っている国です。
自らが折れれば、皆が迷う。——だからこそ、折れてはならない」
「……」
「かつての大戦——セレフィム人からの糾弾に、最前線で晒されたのは本来、我ら七国全てのはずでした。
ですが、その“罪”を全て、一身に背負ってくれたのが——貴女たち、エラシア王国です」
私は言葉を失ったまま、彼を見つめた。
リュールは、やや遠くを見るようにして、静かに語る。
「私は幼少の頃、何度かエラシアを訪れました。……父、つまり皇帝と共に。
先代の王——貴女の父上は、実に威厳ある方でした。
父が何度も“援助”を提案しましたが、決して首を縦には振らなかった」
そして、少し声を低くして、リュールは言葉を継いだ。
「“七国がエラシア人と呼ばれるのは、この国から始まったからだ。
エラシアが立ち上がれば、他の六国の誇りも折れない。
だから我らは、誰にも頼らず、自分の足で立つ”」
——その言葉を、私は今も忘れたことがありません。
「……まあ、昔話はこの辺にしておきましょうか」
リュールが紅茶のカップを置きながら静かに言った。
その声音が、空気を一変させる。
「それで——賠償の話です」
息を飲んだ。
リュールの次の言葉を、私はまっすぐに待つ。
(……王の器として、私は認められた。でも、賠償も——軽いんだろう)
そう、どこかで楽観していた自分を、次の瞬間、後悔することになる。
「我がヴァステン帝国内における、探鉱および鉱石採掘の限定的譲渡を、エラシア王国に提供します」
「……は?」
思考が止まった。
鼓膜だけが、その言葉を正確に拾っていた。
「ヴァステン帝国内領土の……採掘権の譲渡⁉」
立ち上がりそうになる身体をかろうじて抑えつける。
けれど次の言葉は、抑えられなかった。
「貴方、正気⁉ いくらなんでも、それはやりすぎじゃないの⁉」
私の声が個室に響いた。
隣の法廷ではまだ裁判が続いているというのに、そんなことを気にする余裕もなかった。
リュールは、まるで当然だという顔で答える。
「はい。私ができる最大限の謝罪の証として、これが妥当と判断しました」
その目は、揺れていなかった。
冗談でも外交戦でもない、真正面からの“誠意”だった。
「……お気に召しませんか?」
(……気に召すわよ!)
思わず心の中で叫んだ。
けれどそんな言葉、絶対に口には出せない。
(……けど、それに飛びつくのは違う)
感謝はしている。けれど、ここで曖昧なまま受け取るわけにはいかない。
「……失礼ですが、陛下。ヴァステン帝国は、我が国から鉱石を輸入されていますよね。
その上で——“鉱脈”は、本当にあるのでしょうか?」
リュールは、あっけらかんと笑った。
「あるに決まってるじゃないですか」
「……え?」
「昔ね。父が、当時のエラシア王に援助を申し出て断られたとき——
“あの頑固野郎!”って叫びながら、うちの鉱石輸出額をね、跳ね上げたんですよ。
もう、投石機並みに。一気にぶん投げるみたいに」
私はぽかんとした顔のまま、言葉を待った。
「結果どうなったかって?
ヴァステン帝国から鉱石を輸入していた他の国々は、全部——エラシア王国に流れました。
一瞬で、エラシアは“七国随一の貿易国”になった。
我々は、完全にエラシア依存になって、自国の鉱山なんて一度も使ってません」
「……じゃあ、鉱脈は」
「ありますよ、そりゃもう腐るほど。……掘ってないだけで」
苦笑しながらリュールは、皮肉とも愛情ともつかない声で呟いた。
「変ですよね。援助を断られたことに腹を立てて、国益を全部エラシアに渡すんですから。
……私の父って、“誇り”のために、平気で損する男だったんですよ」
その言葉に、私は思わず吹き出してしまった。
「……ふふっ、なにそれ……おかしな人」
頬を押さえながら、私はようやく口にする。
「わかりました。今回の賠償——その件、エラシア王国として正式にお受けします」
背筋を伸ばし、私はリュールに向かって深く頭を下げた。
リュールは小さく頷き、懐から巻紙を取り出す。
「これは、ヴァステン帝国内における限定鉱区の採掘権利書です。
私と、貴女の名を連名で記すことで、正式に譲渡が成立します」
ペンが走る音。
名前が並んだ瞬間、国と国の間にひとつの約束が生まれた。
これで、私の国の鉱石問題は解決した。
そして、カールの件も終わった。
たった一人で乗り込んできたはずのヴァステン帝国で、私は二つの大きな壁を越えたのだ。
……それも、彼と、私の“覚悟”があったからこそ。
「本当に、ありがとうございました。……助かりました」
私は椅子を引き、深くお辞儀をして——
「もし……結婚することがあれば、貴方がいいかも……」
言った直後、自分でも驚くほどの動揺が襲ってきた。
顔が熱い。目を合わせられない。
やばい。やばすぎる。なに言ってるの私!?
そのまま私は、一言も発さず部屋を飛び出した。
石畳を駆け抜け、待たせていた馬車に飛び乗る。
「出してっ! 今すぐ出してっ!」
車輪が動き、私はヴァステン帝国を背にした。
(カールは……知らない! 自分で帰ってきて!)
(なにあれ……私、バカなの? バカだよね?)
(……助けて、ラヴ……!)
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扉が勢いよく閉まり、
しばらくの間、小さな足音が、廊下の奥へと遠ざかっていった。
リュールは静かにその音を聞きながら、ひとつだけ、微笑をこぼした。
「……光栄です」
その言葉を聞く者は、もういない。
けれど、それで構わなかった。
しばし沈黙ののち、彼は扉を見つめながら呟いた。
「エラシア国内で——鉱石が“枯渇しているのではないか”と、私は推測していた」
だが、その情報はエラシアから届いたものではない。
いくつもの経路を巡って、最終的にヴァステン帝国へ流れ着いた、ただの“噂”だった。
「……本来、そんな情報が外部に出るはずがない。封じているはずなんだ」
だが、彼女の反応を見た今、確信に変わった。
「君の傍に、“それ”を外へ流した人物がいる」
「……裏切者が、君のすぐ近くに」