第四節:掘りすぎた者たち。
第四節:掘りすぎた者たち。
カールがヴァステン帝国へ向かって、すでに数日が過ぎていた。
使者として出向いた——という話までは聞かされていたけれど、それ以上の詳しい内容は、私たちには伏せられたままだった。
——そして、最悪の事態が発生した。
まるで仕組まれていたかのようなタイミングで、ヴァステンの使者が王宮に現れ、口にしたのはたったひとこと。
「貴国の騎士が、ヴァステン帝国領内にて犯罪を犯し、逮捕した。」
「……はぁ?」
それ以上の言葉が出てこなかった。ただ、呆然と口を開くだけだった。
「罪状は?」
問い返すと、使者は無表情のまま、そっぽを向いて黙りこくる。——つまり、“内容は関係ない”ということなのだろう。ただの通達だとでも言いたいのか。
ヴァステン帝国について、多少は知識がある。
あの国は、徹底した軍事国家。法と秩序に厳格で、敵と見なせば容赦なく武力を行使するし、外国人でも平然と死刑に処す。
「……最悪。」
誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。
使者が乗り込んだ馬車が、王宮の門を出ていくのを目で追いながら、私は隣に立つラヴへ命じた。
「馬車を用意して。」
「……向かわれるのですか?」
ラヴの声がわずかに揺れる。
「ヴァステン帝国は、たとえイシャナ様がお越しになっても、刑を軽くするとは思えません。それに……話を聞いてくれる方がいるとも……」
「分かってる。でも、カールは私にとって“初めての騎士”なのよ。王女の私が、“ナイト”と認めた、たったひとりの男。こんなことで失いたくないわ。」
言いながら、自分でも驚くほど、胸の奥が熱くなる。
「……それに、ツテはある。名前しか知らないけど、権力を持ってる男が一人。きっと何かできるはず。」
ラヴは数秒の沈黙ののち、小さく頭を下げた。
「かしこまりました。手配を急がせます。」
私は頷き、馬車の到着を待とうと門前に向かった——が、そこにまたしても“最悪”がやってきた。
「イシャナ様!」
息を切らし、駆け寄ってきたのは、採掘局の局長・デイヴだった。
彼とは何度か言葉を交わしたこともあり、それなりに信頼していたが……今の彼は、目を見開き、まるで何かに怯えているような表情だった。
「あとにしてくれない? 今は急ぎの——」
「急ぎなんです! エラシア鉱山が……完全に、枯渇しました!」
「……なに?」
耳を疑った。そんなはずがない。
「待ってよ! “あと数十年は問題ない”って、報告を受けてたじゃない! それなのに、いきなり?」
私は思わず声を荒げていた。王宮の前だというのに、周囲の視線など気にする余裕もなかった。
デイヴは私の剣幕に押されつつも、か細い声で続けた。
「……大臣殿には、何度も“枯渇寸前”だと報告は上げていました。ですが、毎回“対策は考えている”とだけ返されて……備蓄していた鉱石すら、今ではもう……」
「は……?」
大臣は、虚偽の報告だけでなく、貿易量まで増やしていた?
備蓄分まで輸出に回したというの?
エラシア最大の交易資源が……枯れた?
「……国が、持たない……」
我が国の経済は、鉱石の輸出一本に支えられていた。それが絶たれた今、外交も財政も、すべてが崩れる。
「この話、大臣には?」
「すでにお伝えしました。しかし、また同じ返答を……“対策は考えている”と。」
——バカにしてるの?
「……いいわ、他国にはこの情報が漏れないように。徹底して封じて。
ラヴが戻ったらすぐに、私の個人資産を発掘局に回すよう伝えて。新しい鉱脈を探す、それしかないわ。」
ここで国外に知られたら終わる。輸出を断った瞬間、信用は地に落ちる。
この国を守るためなら、私財のすべてを投じたってかまわない。
「陛下……! 申し訳ありません! 最初から、陛下に直接お伝えしていれば……っ」
「……もういいわ。民のために、私の金くらいどうにでもなる。
だから……泣きそうな顔、やめてよ。」
私は微笑みながらデイヴを励ました。だが、その胸の奥では、どうしようもない不安が渦巻いていた。
もしかして、これは“故意”なんじゃないか?
国の心臓ともいえる鉱脈の枯渇。それを放置し、備蓄すらも失わせた。
この国を……誰かが、意図的に壊そうとしている?
背筋に、嫌な汗が滲んだ。
ほどなくして、ラヴが馬車の手配を終えて戻ってきた。私は簡潔に、デイヴからの報告内容と現在の情勢を伝えた。
「……というわけで、発掘局には私の個人資産を回して。大臣にはもう頼れない。ラヴ、あなたが直接動いて。」
「承知いたしました。すぐに——」
「お願い、任せるわ。私は……今だけは、カールのことしか考えられないの。」
その言葉は心の中だけに留め、私は馬車に乗り込んだ。誰にも言わずに、静かに扉を閉める。
ヴァステン帝国までは、早くて四時間。
馬車はすでに動き出していたが、揺れの中で私は膝上の書類に目を落とす。私室から持ち出したばかりの、報告書と依頼書の束。現状を把握し、できる限りの情報を整理しなければならない。
一枚目。採掘局からの正式報告——そこには「鉱石採掘における問題なし」と、つい先日付けで記されていた。
……嘘つき。
二枚目。輸出報告書。宛先の大半は、ロゼル連邦。しかも、ここ数か月で輸出量は数倍に膨れ上がっているというのに、収益金額は変動なし。むしろ減っているものすらある。
「……投げ売りじゃないの、これ。」
思わず舌打ちが漏れた。
「財政を破綻させて、何がしたいの? 破綻したって、困るのは貴方たちも同じでしょうに。」
苛立ちを胸に押し込めながら、私はため息とともに次の書類に手を伸ばした。
——依頼書だった。
件名:「行方不明の飼い猫を探してほしい」
「……は?」
顔をしかめ、その紙を握りしめる。窓を開け、書類を丸めて投げ捨てた。
幸い、まだ国内。たぶん、問題ない。
「こんなクソ忙しいときに、依頼してくんなっての! ていうか、自分で探せよ! なんで女王が猫の捜索すんのよ!」
誰にともなく怒鳴るように言い放ってから、ふと、沈黙が戻る。
——わかっている。
私には何もできない。
大臣たちには信用されず、民からは期待もされない。
私はこの国の“女王”だけれど、実態はただの飾り。
「……っ」
胸の奥が、じくじくと鈍く痛んだ。