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第二節:儀式と舞踏会。

第二節:儀式と舞踏会。

扉を抜けた瞬間、視線の重みが肌に刺さった。

広間には多くの人々がいた。衣装を見れば一目でわかる。全員が大貴族——いや、それ以上の地位にある者たちばかりだ。眩いほどの金糸や宝石に身を包み、この国の権力のすべてがこの場に集っているのだと感じる。

私は、静かに広間の中心へと歩を進めた。

それを迎えるように、一斉に視線がこちらへ向けられる。だが、そこに祝福の色はない。ただの観察。

「この娘で本当に国を任せて大丈夫なのか」

——そんな声なき問いが、空気の向こうからじわりと届く。

王位を継いだのは六年前。けれどその間、私は政治にも外交にも関与せず、大宰相たちが実権を握っていた。

そして今日、ようやくその「役割」が私の手に返ってくる。

けれど、期待ではない。

試されている。——私はその視線の意味を、痛いほどに理解していた。

わずかに胸が詰まり、足元がふわりと揺らぐ。

でも、こんなところで折れてはいけない。

これからは私が、この国の先頭に立たなければならないのだから。

広間の中心に立つ私を囲むように、列席者たちは距離を保ちながらこちらを見つめている。

正面には、儀式のために控えていた大神官がいた。私は軽く会釈をし、儀式の始まりを告げる合図とする。

——成人の儀。形式は、ただのそれである。

王族だからと大げさに演出されてはいるが、祈りの言葉も、儀式の流れも、民と変わらない。

神を呼び、無事を願い、大人としての責任を受け入れるための言葉が、広間に朗々と響く。

私は目を閉じ......けれど、すぐに目を開けて、周囲をそっと観察する。

彼らの衣装——この国の貴族たちのものとは、どこか意匠が違う。色、装飾、織り、紋章の形......見慣れない要素が多すぎる。

他国の者?

だが、王族の成人の儀に、他国の人間が来るものだろうか?

——私は兄弟を持たず、これが自分にとって初めての成人の儀だった。

父のときも、きっとこうだったのだろうか。

それとも......私のときだけ、何かが違うのか?

そんなことを考えていたせいか、いつの間にか儀式は終わっていたようだった。

私は大神官に静かに一礼し、礼の言葉を述べてから控室へと戻る。次に待っているのは舞踏会。着替えのために待機していた侍女たちに導かれ、成人の儀の装束から華やかなドレスへと身を包み直す。

着付け役はラヴではなかったが、その所作には乱れがなく、手際よく私の身体に布が馴染んでいく。鏡に映る自分の姿は、少しだけ見慣れない。

——けれど、これからはこの姿が“私”として求められていくのだろう。

着替えを終えて広間へと戻ると、場の雰囲気が先ほどとは打って変わって華やかになっていた。

「おめでとうございます」

「女王陛下に栄えあれ」

人々は私に向けて簡単な祝辞を述べながら、自然な距離感で近づいてくる。会釈を返し、言葉を交わし、感謝を伝えていく——その一つひとつが、政治の第一歩なのだと思った。

と、その時。

広間に柔らかな旋律が流れ始めた。絃の音、笛の音、拍子を刻む打楽器の響き。舞踏の合図だ。

ちょうど話していた人物が、私に手を差し伸べる。

「ご一緒してもよろしいですか?」

頷き、手を取る。

彼の手は穏やかで、導かれるように私は舞踏の流れに身を任せた。

(......この人、上手いな)

リズムに迷いなく、私の動きを読み取るように軽やかに導いてくれる。舞踏など、形だけ習った程度の私ですら、踊れていると思えるほど自然だった。

思わず心の中で呟いて、ふと彼の名前を尋ねた。

「......お名前を、うかがっても?」

彼は一瞬だけ微笑を浮かべて答える。

「レヴィナス・ヨルクと申します。王国南端の侯爵家の次男です」

その名に、私は驚きを隠せなかった。

——聞いたことが、なかった。

貴族の名は一通り頭に入れていたはずだった。

にもかかわらず、領土を持つ侯爵家の名を思い出せなかった。自分の中の“穴”が露呈したようで、少しだけ頬が熱くなる。

(こういうところが、政治に関われなかった理由なんだろうな......)

そんな情けなさを噛みしめながらも、踊りは止まらない。

彼の手の中で、私はただ舞う。


しかし——踊っている間、私は彼の衣装にわずかな違和感を覚えていた。

生地が、妙に厚い。

触れたときの感触からも、それは舞踏用の軽やかな装いではなく、まるで北方の厳しい気候に適した防寒布のようだった。王国の南に住むという彼にしては、いささか不釣り合いだ。

(......少し、厚着すぎない?)


そう思ったときには、音楽が静かに幕を下ろそうとしていた。

最後の一歩で丁寧に私を回し、手を離した彼は、軽く会釈をして何も言わずにその場を離れていった。

私は名前と微笑だけを置いていったその背を、ぼんやりと見送る。

(......何だったんだろう)

胸に小さな疑問が残ったまま、私は広間の隅に目を向けた。

途端に、自覚してしまった。

お腹が、空いている。

「......本来はあまり食べない方がいいけど......お腹を鳴らすよりは、いいでしょ」

自分に言い訳するように小さく呟いて、私は食事の用意されたテーブルへと歩く。

そこに並ぶのは、王宮でも滅多にお目にかかれないような高級料理の数々だった。

香草を添えた肉料理に、黄金色のスープ、見た目にも麗しい前菜皿。

そして、デザート——小さなグラスに盛られた果実のゼリーや、絞り出されたクリームが美しいケーキたち。

とりわけ、私はその中から小ぶりなショートケーキをひとつ選んだ。

皿に乗せ、スプーンでそっとすくって、口に運ぶ。

「......甘い......すごく甘い!」

口の中いっぱいに広がる甘さと、ふわりとしたスポンジのやさしい食感に、思わず目を細める。

さっきまでの緊張や気疲れが、一瞬にして溶けていくようだった。

今日一番の幸せは、もしかしたらこのケーキかもしれない——そんな風にさえ思えてしまう。

私は夢中で、もう一口、ケーキを運んだ。


彼女がそんな風に、ケーキの甘さに今日一番の幸福を感じていたとき——

彼女はまだ知らなかった。

この場に、ヴァステン帝国からの正式な賓客がひとり、静かに参加していたことを。

その青年は、海のように澄んだ青髪を持ち、王国の格式に沿った礼服を纏いながらも、細部には異国の気品と力の象徴が滲んでいた。

彼の名は——リュール・ロン・フォール。

ヴァステン帝国第三皇子。

数多の領土と軍事権を統べる帝国において、冷静かつ理知を持つ者として密かに知られている人物だ。

リュールは列席者の中にありながら、舞踏の輪には加わらず、ただ一人、静かに広間の全景を見渡していた。

そして、その視線の先には、ケーキを頬張る少女——

イシャナ・エラシアの姿があった。

彼女がどれほど国を背負わされているのか、どれほどまだ「少女」であるのか。

その両方を、彼は無言のまま観察していた。

やがて、音楽が区切られ、賓客たちが次の流れへ移る空白の時間。

リュールはひとつ、短く息を吐くと、誰に告げることもなく静かにその場をあとにした。


目的は「見ること」だけだったのだから。

イシャナはまだ、その存在を知らない。

だがこの夜は、王国と帝国、そして彼女自身の未来を大きく揺るがすことになる——

それがどれほどの波紋を生むかを、今はまだ——誰も知らない。

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