第九節:押しかけ女房スタイルで国を動かすな!
第九節:押しかけ女房スタイルで国を動かすな!
王宮・執務室。
静かな朝の光の中、イシャナは机に広げられた報告書に目を通していた。手元の書簡には、採掘局からの詳細な報告が綴られている。
「……ヴァステン帝国内の地盤はやっぱり固いのね。掘削速度は七割……」
鉱石の採掘は、エラシア国内より遥かに難航している。にもかかわらず、稼働率は九割に達し、輸出量も維持されているという。
思わず、ふっと笑みが漏れる。
「ほんとによくやってくれてるわ。慣れない土地で、帰国も数週間に一度なのに」
ヴァステンへ派遣された採掘局の技師たちを思い浮かべ、感謝の気持ちが胸を温める。
書類の山から一枚を引き抜いたイシャナの手が、ふと止まる。
——ロゼル連邦宛の輸出証明書。
その内容に、眉が寄る。
「……数ヶ月前から輸出量が増えてるのに、支払額が変わってない?」
明らかに不自然だった。だが、何度尋ねても、大臣たちは「契約内容は逐次更新中」「貴族間の慣例」などと答えるばかりで、核心を語ろうとしなかった。
(……しばらくは様子見。でも、早めに処置を考えないと)
その時だった。
廊下から響く、ヒールの音。軽快さはなく、どこか焦りが滲んでいる。イシャナは顔を上げる。
ノックもされずに、勢いよく扉が開いた。
「ラヴ、いくらなんでもノックはマナーよ? 人として、そういうのは——」
「陛下。至急お伝えすべき事態がございます」
イシャナの言葉を遮るように、しかし毅然とした口調でラヴが言った。
「ロゼル連邦の使節団が、王宮正門を越えて参内しております。通達は一切なく、即刻の謁見を求めております」
「……はぁ? なんでいきなり来るのよ。何も連絡が来てないわよ?」
イシャナの顔がこわばる。眉間に皺を寄せながら呟く。
「……少し、無礼じゃないかしら」
その瞬間、自分が過去に“ある人物”へ事前連絡もせず突撃した記憶は、どこか遠くへ消えていた。
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王宮・謁見の間。
深紅の絨毯の先、玉座に腰かけるイシャナの表情は凛としていた。その前方には、ロゼル連邦の使節団が整列し、代表の貴族が一歩前へ出る。
「この度は我が国に対する応対、誠に感謝いたします。エラシア王国におかれましてはご健勝と存じ、かような不躾な訪問をご容赦賜れれば幸いにございます」
慇懃無礼な口調に、イシャナは同じく格式ある調子で応じた。
「ご丁重なご挨拶、確かに受け取りました。それで本日は、どのようなご用件で参内なされたのか、伺ってもよろしいかしら?」
使者は目を細め、淡々とした口調で言った。
「貴国との輸入契約に基づき、我が連邦は毎月定量の鉱石を受け取っているはずですが——この半年、まったく届いておりません」
イシャナのまなざしが揺らぐ。
「……それは、どういう意味? こちらでは毎月、確かに輸出証明書が発行されているわ」
使者は首を横に振った。
「文書上の話は理解しております。しかし、実際に我々の港には鉱石が届いていないのです。これは事実です」
その言葉に、イシャナは口を閉ざす。書簡の報告と現実との齟齬。しかも、輸出量はむしろ以前より増えているはずだった。
採掘局から届いていた直近の報告書が脳裏をよぎる。
備蓄に回す余裕はないが、輸出は従来通り行えており、ヴァステン帝国内での採掘が稼働率九割で順調に進んでいること。その鉱石は一度エラシア本土へ集められ、そこから各国向けに仕分けされている。そして、イシャナ自身が先日確認した倉庫には、備蓄と呼べる量など残されていなかった。
ロゼル連邦への輸出は、全体の約四割を占めている。
届いていないとすれば、いったいどこに? 備蓄庫には何もない。他国に横流ししたのか? だが、それを陸路で運ぶとなると目立ちすぎる。現実的ではない。
考えが渦を巻く。
だが、今問題なのは消えた鉱石の行方ではない。
使者が次に差し出してきたのは、ロゼル連邦との輸出契約書だった。
・契約期間は五年間の長期継続形式であること。
・鉱石の価格は契約時点で固定とし、変動の余地はない。
・支払いは初年度一括前払いで済んでいること。
・供給が滞った場合、損害賠償責任はエラシア側にあること。
イシャナの目が次第に険しくなっていく。
「……これ、初めて見たわ」
声がかすかに震えていた。
「これは貴国の大臣会議で承認された文書です。陛下のお手元に届いていないことこそ、むしろ我々には驚きでした」
使者は一歩下がり、静かに礼を取る。
王の知らぬところで進められた契約。そして今、それを根拠に突きつけられる“王国としての落度”。
イシャナは玉座の肘掛に手を置き、ぐっと力を込めた。
(この契約書には“違反時の特別処置”が明記されている。……問題は、ロゼルが何を“要求”してくるか)
介入? 採掘局への干渉? あるいは、もっと直接的な“王政”への踏み込みか。
イシャナは、次に発せられる言葉を静かに、しかし全神経を研ぎ澄ませて待ち構えていた。
「数ヶ月にも及ぶ鉱石の輸出停止につきまして、我が連邦は事前の通知どころか、正式な説明すら受けぬまま現在に至っております。まこと残念ながら、本日こうして我々自らが貴国に出向かねばならなかったことを、貴国におかれましてはどうお受け止めになるのでしょうか。
さらに驚くべきは、この一件について女王陛下ご自身が何も知らされていなかったという事実。契約の当事者であるはずの最高権限者が蚊帳の外に置かれている状況に、我々としては憂慮を通り越して呆れを禁じ得ません。
我がロゼル連邦では、当該鉱石を用いた装飾品を基幹産業としておりますが、供給の断絶により現在その全輸出を停止している状態にございます。貴国の管理不備により連邦が被っている損害は、もはや無視できる規模ではありません。」
イシャナは何も返せなかった。
一語一句、反論の余地すらない。
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだ。
その沈黙すら見逃すまいとするように、ロゼルの使者は間髪入れず言葉を継いだ。
「貴国の現状を鑑みるに、もはや“国家”としての機能に深刻な問題があると、我が連邦は判断しております」
使者が言い放った次の一言に、玉座の上でイシャナの目が見開かれる。
「……ゆえに、ロゼル連邦はエラシア王国の政治基盤を改めて立て直す必要があると判断しております」
「ちょっと待っ——」
イシャナが身を乗り出し、言葉を紡ごうとしたその瞬間だった。
「具体的には、王権政府の撤廃、もしくは名目的に維持された王政のもとにおいて、我が連邦民より後継者を選出し、王権を継がせる形式が望ましいと考えております」
まるで女王の声が耳に届いていなかったかのように、使者の発言は一切の間を置かずに重ねられる。
それは故意だった。明らかに、意識的に遮った。
イシャナの「待って」は、空気の振動すら残さず、ただその場に吸い込まれて消えた。