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はじめてにはちょうどいい

ほかのひとにはわからない

作者: 有希乃尋

あれはたしか、あたしが小学校6年生だったころの夏休み明け、中学受験向けの進学塾のテストでひどい成績を取ってしまい、父親に怒られるのが怖くて教室に一人で残って、机に伏して泣いていた時だったと思う。


「どうしたの?」

その声の主である雄太は、いつの間にか教室に入り、あたしの横の机の椅子に座っていた。

「うっさいな!ほっといてよ。どうせ成績にいいお前にはわっかんないよ!!」

あたしは机に突っ伏したまま、顔も上げずに言い捨てた。

「ああ、成績が悪かったんだ。紗季ちゃんのお父さん、厳しいもんね。紗季ちゃんにお医者さんになって欲しいんでしょ?」

そう。開業医であるパパは、普段は優しいのに勉強のことになるととても厳しかった。

きっと、あたしに医者になってクリニックを継いで欲しいのだろう。

だから、医学部に行くためには、まず名門の北山中の女子部に入学しなければいけない・・・と既定路線のように言われ続け、ここ数年はろくに遊ぶことも許されず、中学受験のための勉強をさせられてきた。しかも、今日のテストの結果で、北山中女子部への入学が絶望的であるという現実が突き付けられてしまった。

「それは雄太には関係ないでしょ!ほっといてって言ってるし・・・。」

「紗季ちゃん、ほんとにお医者さんになりたいの?それだったら勉強教えるけど。一緒にがんばろ。」

あたしに悪態をつかれたにも関わらず、雄太の声は優し気なままだ。その優しい声を聞いているうちに、ささくれだった気持ちが落ち着き、素直な気持ちが湧いてきた。

「・・・・別になりたくない。ほんとは勉強もやめたい・・・。でもやめさせてくれない・・・・。」

それは当時の偽らざる本音だった。あたしの本当の夢は医者なんかじゃない。でも、そんなこと親に言い出せない。

「じゃあさ・・・こういうのはどう?僕が西海中に行って、一生懸命勉強して紗季ちゃんの代わりにお医者さんになるよ。」

「えっ・・・・本当?」

わたしは思わず顔をあげて雄太の顔を見つめた。

「紗季ちゃんのお父さんにも、僕が言ってあげるよ。僕にクリニックを引き継がせてくださいって。」

「ありがとう、じゃあもし雄太がお医者さんになったら・・・。」

このシーンは鮮明に覚えているが、この後のやり取りは、正直覚えていない。だけど、この時のあたしの言葉が、その後何年も、あたしと雄太を縛る呪いになるとは思いもしなかった。


                     ★


高校3年生の夏、あたしはとにかく人生が楽しい。謳歌している。

あの後、雄太の言葉に勇気づけられたあたしは、親に本当の気持ちを話して、結局、北山中女子部はあきらめて身の丈にあった女子中に進んだ。そこで気の合う友達に出会えて、一緒に遊んだり、適当に学校に行って楽しく過ごしているうちにあっという間に高校3年生になった。

本来なら受験生のはずだが、別に医者になる必要もないから、適当に地元の大学に行ければいいと思って、あんまり勉強はしていない。今日も今日とて、友達と遊びに来ている。


「あ~、もうお金なくなっちゃったよ。交通費もないや。」

「紗季、買い物しすぎだって。どうすんのよ?」

「大丈夫よ。あいつに持ってきてもらうから。」

あたしがLINEでメッセージを送ると、30分もしないうちに雄太が来てくれた。


雄太は、あの後、私立男子校の名門である西海中に進み、現在は西海高校の3年生である。

「おい、相変わらず紗季の彼氏、ムチムチだな。」

向こうから歩いてくる雄太を見て、口の悪い友達がささやいてきた。

「いや、彼氏じゃねーし。あんなデブと付き合ってるわけないでしょ。」

あの後、雄太は大きくなった。いや、人間的にではなくフィジカルが。身長も横幅もたくましく、厚い脂肪に覆われている。甘いものの食べすぎか肌の調子もいまいち。また、男子校に行ったせいかファッションもあか抜けない。なんだそのTシャツ?デザインはともかく、普通、そんなよれよれになるまで着ないよ?


「ごめん、遅くなって。」

「わるいね。勉強の途中だったでしょ。お金貸してくれたらすぐに帰っていいよ。後で返すから。あっ、あと遅くなるってうちの親に連絡しといて。」

「わかった。じゃあ、いつものように言っとくよ。」

そう言うと雄太は、素直に引き返し、すぐに帰って行った。


「え~っ!紗季、雄太くんをすぐに帰しちゃっていいの?さすがにお金持ってきてもらうだけって悪くない?」

「いいっていいって。あいつ、医学部を目指して猛勉強中だから、逆に早く帰してあげた方がいいんだって。」

「え?じゃあ、そもそも呼び出して勉強の邪魔しちゃいけないじゃんか!わるいな~紗季。」

「えへへ。まあこんな美少女に構ってもらえるだけ、あいつも嬉しいでしょ。」

「魔性の女だ~。でも自分で言うかな~。」

「それは事実だし~。」


自分で言うのもなんだが、あたしは容姿には自信がある。それに加えて美容にも怠りがない。性格も明るくて一緒にいて楽しいって言われる。趣味はお菓子作りと家庭的だ。

そんなんだから、女子高に通っているのに他校の男子からも人気で、これまで男子に告白された回数は十指に余る。もっとも、その中に付き合ってもいいと思える男子なんていなかったけど・・・。


「でもさ~。もし雄太くんが医者になるんだったら付き合ってあげてもいいんじゃないの?紗季の家、クリニックなんでしょ?ちょうどいいじゃん。案外、雄太くんもそれを期待して頑張ってるのかもよ。」

「いや~、どうかな。もうちょっと痩せてシュッとして、服装とか髪形もあか抜けて、肌もツルツルになって、そんで顔もカッコよくなって、性格ももっと明るく面白くなったらギリあるかな~。」

「なんだそれ?そこまでやったら原型をとどめない魔改造じゃん!紗季、言い過ぎ~!」

ケラケラ笑う友達に合わせて、あたしも笑った。本心を隠して・・・。


                      ★★


『ごめん、さっきはありがとね。今出てこれるかな?』

『いいよ。ちょっと待ってて』

その日、友達と別れ帰宅した後、雄太をLINEで呼び出し、雄太が住んでいるマンションのロビーで話をした。

「さっきはごめんね。これ借りてたお金。あと、クッキー焼いたからあげる。勉強の合間に食べて。」

さっきは友達の前でカッコつけてしまったから、ちゃんとフォローしないと・・・。

「あっ、いつもありがとう。紗季の作ったお菓子好きなんだ~。なんかお店で売ってるのよりもずっと甘くて濃厚な味がして・・・。」

「勉強がはかどるようにお砂糖多めだからね。勉強は順調?あんま無理しないでね。」

「うん、というか紗季は大丈夫なの?あんまり勉強してないみたいだけど・・・。」

「大丈夫だよ。雄太みたいに医学部に行くわけじゃないし・・・。」


友達の誰にも言ったことがないけど、あたしは雄太が好きだ。控えめに言っても大好きだ。

小6の夏、雄太があたしの代わりに勉強して医者になってくれるって言ってくれて、追い込まれていたあたしを救ってくれたときから、気づくと教室でずっと雄太を目で追っていた。自分から雄太に話しかけるようになった。雄太はあんまり面白いことは言わないけど、話していると、その優しい声でいつもほわほわした温かい気持ちになって心地よかった。


中学生になりそれぞれ違う学校に進んでからも、お菓子を作り過ぎたからお裾分けとか、お礼に勉強を教えて欲しいとか、いろいろ口実を作って雄太と会う機会を作った。

以前は家の前とか地元の駅とか、雄太がいそうな場所で待ち伏せとかしてたけど、高校に入ってからやっと雄太がスマホを買ったから、ずいぶん連絡も楽になり、偶然を装う必要もなくなった。


「今日は友達と買い物?相変わらず紗季のまわりはキラキラしてるね。うらやましい。」

「雄太もたまには友達と出かけたら?誰か付き合ってくれる女友達とかいないの?一緒に遊びに行く女友達もいないなんて、幼馴染みとして恥ずかしいよ。」

本心ではそんなこと思ってない。雄太を包む、ぶ厚い脂肪とダサいファッションに阻まれて、あたし以外の他の誰も雄太の内面の魅力に気づいてない。


『ほかのひとにはわからない』


だからあたしは安心して見ていられる。もし雄太がシュッと痩せて、お肌もツルツルになって、あか抜けて、雄太の本当の魅力が露出してしまったら、きっとあたしは気が気ではいられないだろう。雄太が他の女に見つかって、きっと取られてしまうって・・・・。

「まあ、勉強が忙しいし、そういうのは医学部に合格してからでいいよ。」

「そっか、真面目なんだね。」

よしよし不審な女の影はないようだ。男子校に通って、夏休みも予備校と家の往復だからって油断はならない。どこに雄太を狙う不逞の輩がいるかわからないからね。


そんな風に不安になるんだったら、さっさとあたしから告白して、付き合ってしまえばいいじゃないかって思ったこともある。

だけど、あたしにも立場ってものがある。あたしの友達はみんな、友達の彼氏をいつも品定めしている。内面ではなく、主に外面を見て。以前、中途半端な見た目の男子とこっそり付き合っていた友達が陰で噂され散々こき下ろされていたことがあった。あたしが、見た目は太ったダサい男と付き合っているなんて知られたらどうなることか・・・。


                   ★★★


「ただいま~。」

「遅かったじゃない。さっき帰ったと思ったらすぐに出てって。受験勉強は大丈夫なの?」

せっかく雄太と話して、ほわほわいい気分になって帰ってきたのに、ママからのお小言で台無しだ。

「大丈夫だよ。医学部受けるわけじゃなし。」

「昔は、パパの後を継いでお医者さんになるんだ~って言って頑張って勉強してたのに・・・。」

「能力の限界ってもんがあるでしょ。それに、あたしは医者になれないけど、医者と結婚してクリニックは引き継ぐからさ、おんなじことでしょ。」

「なに言ってるの!あんたみたいな怠惰な子は、優秀な医学部生になんか、相手になんかされないわよ!」

この話になると、ママの表情はキッと厳しくなる。

そう。ママは今でこそおとなしく専業主婦に収まっているが、かつて厳しい戦場を勝ち抜き、医学部生であったパパを陥落させた歴戦の戦士なのだ。

時は平成のころ、医学部生であるというだけでモテると勘違いしていたパパをめぐり、そこに群がる強敵たちと激戦を繰り広げ、死屍累々が広がる戦場で最後まで生き残ったという戦記物語は、小さい頃から繰り返し聞かされている。ちなみに、わたしが子どものころ、勉強して自分が医者になると言い出したのは、ママが語る一将成って万骨枯る戦場の悲惨さに怖気づいたことも理由の一つだ。


「まあ、いろいろ考えてるから大丈夫よ。見ときなさいって。」

「そんなこと言って、後で痛い目を見るのは紗季なんだからね!」


大丈夫。だって、あたしには雄太がいるから。

あたしが考えている計画はこうだ。雄太が頑張って医学部に合格したら、すぐに告白して付き合うことにする。きっと、雄太のような女子と縁のないタイプは、あたしのような美少女に告白されたら二つ返事でOKだろう。

そして、春休みの間に雄太のファッションと髪形を何とかする。できれば痩せてもらう。スキンケアも頑張ってもらおう。そうすれば、4月から晴れて見た目がそこそこな医学部生の彼氏のできあがりだ。

医学部生という属性もあるし、見た目さえ改善すれば、友達に陰で後ろ指を指されることもないだろう。なんと完璧な計画・・・。


だけど、そのためには、それまでに雄太の魅力が他の女に知られないようにしないと・・・。だから、定期的に砂糖ドバッ、バターをドカンと入れたお菓子を大量に差し入れて、あえて雄太を肥えさせているのだ。イッヒッヒ・・・・。

                     

                  ★★★★


その日、友達に誘われてカラオケに行ったら他校の男子も一緒だった。しかもその中の一人がやたらしつこく話しかけてくる。どうやらロックオンされてしまったようだ。

「紗季ちゃん、家どこなの?もう遅いし、危ないから送るよ~。」

そいつは乗換駅でみんなと別れた後も最寄り駅まで付いてきた。これは家まで付いてくる気に違いない。家を知られると面倒だな・・・。そうだ、雄太を召喚しよう。

まだ今週は会ってないから、帰り道に少し話したいし。


「あっ、大丈夫。弟が迎えに来てくれるって~。心配してくれてありがとね。」

雄太はメールしてから3分足らずで来てくれた。

「あ!弟が来た。じゃ~ね~。」


あたしは有無を言わさず、そいつに手を振ると雄太の方に駆け寄った。さすがにそいつはそれ以上追いかけてこなかったが、後ろから大声で「紗季、また連絡するね。」と言ってきた。

あらかじめ拒否設定しとこ。

あと、あたしを下の名前で呼んでいい男は雄太とパパだけだ。


「弟って?僕のこと?」

ああ、聞こえてたか。しゃーない。

「ああ、そうそう。弟みたいなもんじゃん。雄太のが年下でしょ?」

「年下って3か月だけだよね。」

「まあ、細かいこと気にしないの。」

「あの男の人は?置いてきてよかったの?連絡するって言ってるけど。」

「大丈夫だって。後でフォローするから気にしないの。」

こういう時、雄太は頼りになるな。体が大きいから相手が勝手にビビッてくれる。もっとも、たぶんケンカは弱いんだろうけどね。


                ★★★★★


夏休みが終わり、学校が始まると、雄太は忙しくなったようで、あまり会えなくなった。平日の夜も予備校の自習室で遅くまで勉強しているらしい。せっかくお菓子を作って持って行ってあげても、雄太のお母さんに預けて帰ってくるだけの日々が続く。


秋も深まったある日、久しぶりに友達と遊んで遅くなった帰り道、乗換駅で雨が降っているのに、傘を忘れてきたことに気づいた。

「ああ~、やっちゃった・・・。あっ、でもここは・・・。」

ちょうどそこは雄太が通っている予備校の前にある駅。そうだ、雄太と一緒に帰ろう。相合傘になるかな~。


『傘がない~迎えに来て~、いま千種駅』


そう送ると、雄太からすぐに返信があった。どうやらちょうど予備校を出たところらしい。

やった!日頃の行いがいいと得だよね。


駅前のコンビニで待っていると、向こうから大きな人影がやってくる。あれはきっと雄太だ。

「お~い!遅いよ~。」

「ああ、ごめん。」

雄太は素直に頭を下げた。本当は5分も待ってないけどね。

「じゃあ、いこっか?」

「あ、待って、紹介させて。こちら林田紗季さん。ご近所さんなんだよ。今日、傘を忘れちゃったんだって。」

「はじめまして。高橋智子です。雨の日に傘を忘れるなんて災難ですね。」

「えっ・・・?」


なんだ・・・この女は?

小柄で雄太の陰に隠れてたし、見た目もモブみたいだからてっきり通行人だと思ってた。雄太のツレだなんてまったく気づかなかった!


「あっ、ごめんね雄太くん。電車の時間があるから先に行くね。じゃあ、また明日。」

「ああ、智子、ごめん。また明日ね。」


やけに親しげじゃないのよ。あっ、でも焦るな。冷静に考えるんだ、紗季。あたし以外に、雄太の魅力がわかる女がいるはずない。それに、あの子も見た目が素朴で地味で、髪もぼさぼさだし、恋愛には縁遠そうじゃないの。せいぜい配役されて主人公のクラスメートAといったとこでしょ。きっと、たまたま帰りがけに会って方向が一緒なので、ここまで一緒に歩いてきたとか、そんな関係に違いない。

でも、『智子』?


「じゃあ、帰ろうか・・・。」

「う、うん。そういえば、さっきの子のこと、智子って呼んでたじゃない。珍しいよね~。雄太があたし以外の女の子を下の名前で呼ぶなんてさ。」

「ああ、そういえばそうだよね。というか、もともと女子の知り合いなんか紗季以外にほとんどいないからね。」


そうだ~そうだった~。雄太よ、君は、本来女子からもっとも縁遠い存在のはずだ!

あっ!だからか~。ちょっと親しくなった女子はみんな下の名前で呼ぶものだって勘違いしてるのかな?いやだな~、男子校出身は。大学で女子と接する時に大恥をかいちゃうよ~。


「あの子は、勉強友達か何かかな?いかにも真面目そうな人だし・・・。」

「いや・・・恥ずかしいんだけど、実は先月から付き合っているんだ。」

「ヴェッ・・・・・。」

「どうしたの?大丈夫?なにか口の中に入っちゃった?」

「いえ、大丈夫。へっ、へ~!ぜ、全然知らなかったな~。」

「ああ、最近、紗季と話す機会なかったもんね。夏期講習でずっと同じ授業を取ってて、お互い一番前の席だったから顔見知りになって挨拶するようになって、そしたらすごく話しやすい子で、それで・・・・。」


やめてよ・・・。聞いてもいない馴れ初め話で追い打ちするのはやめてよ・・・。

その後はうわの空で何も耳に入ってこなかった。どうやって家に帰ったのかもわからない。ただ、服がほとんど濡れてなかったので、きっと雄太が濡れないようにしっかりと傘を差し掛けてくれていたんだろう・・・・。


                      ★★★★★★


どうしてあたしは油断した?

どうして雄太の魅力は他の女にはわからないと思い込んだ?

雄太を太らせておけば安心だと勘違いしたのか?

どうして厚い脂肪やダルダルのシャツで雄太の内面の魅力が隠しきれると思ったのか?

あたしが気づいたんだから、他の女だって気づくだろうよ・・・雄太の魅力に。


『ほかのひとにはわからない』


そんなのあたしの思い込みじゃないか・・・。


あ~あ・・・。世間体なんてつまらないこと気にしないで、もっと早く彼氏にしてつなぎとめておくべきだった・・・・。

でも、いいじゃん、お似合いだよ。あのモブ彼女は、見た目も素朴で誠実そうだから、あんまり外面とか世間体とか気にしなさそうだし、きっと友達からの無責任な評判とかじゃなくて、雄太の本当の魅力だけを評価してくれるよ。あたしよりずっと良い人に見つけてもらえてよかったね、雄太。


                    ★★★★★★★


その後のあたしの日々は灰色だった。

目的を失ってしまったから、お菓子作りもやめてしまった。

友達と遊びに出る気も起きず、ずっと家にこもった。

おかげで受験勉強がはかどり偏差値はそれなりに上がり、2月には地元の女子大に合格した。

きっと、4月からはバラ色の大学生活が待ってるよ。やった~。

そこに雄太はいないけど・・・。


「紗季、今年のバレンタインはどうするの?」

母がそう尋ねてきたのは、受験の合格発表が終わった後、何の意欲も湧かず、毎日こたつでゴロゴロしている時だった。

「どうするって何よ・・・どうせ何の予定もありませんよ。」

「毎年2月14日に近くなると、台所を占領してチョコレートケーキを作ってたじゃないの。今年は作らないのかなって。まあ、受験も終わったし、ちゃんと後片付けしてくれるなら、今年も作ってもいいけどさ。」

「チョコレートケーキ・・・。」

雄太のために作ったお菓子の中でも、毎年バレンタインに渡していたチョコレートケーキは特に好評だった。あまりに褒めてくれるから、去年はホールで作って丸ごと渡したくらいだ。

「今となっては虚しい話ですよ・・・・。」

「じゃあ、今年は作らないのね。わかったわ。そういえば、雄太くんのお母さんから、最近、紗季がお菓子を持ってきてくれないから、雄太くんが寂しがってるって聞いたわよ。もうすぐ国立大学の前期試験だし、励ますためにも何か作ってあげたら?」

「それはもうあたしの役割じゃないの~。」


そう言いながらゴロゴロふて寝していたが、ふと思った。雄太が医学部を受験することになったのは、元はといえば、あたしのためだ。だったら最後くらい応援すべきじゃないか。そこは応援しても許されるんじゃないか。それできっぱりと区切りをつけてあきらめきれるなら・・・。


あたしは、むっくりと起き上がり、自転車で材料を買いに走った。雄太が大好きなチョコレートケーキの材料を。


2月25日の早朝。今日は国立大学前期試験の入試日だ。あたしはひさびさに雄太の家の前で待ち伏せをしている。手にはホールのチョコレートケーキを持って。

あれから色々悩んだが、やはり今さら2月14日にホールのチョコレートケーキを渡すのは意味が深すぎる。

そこで、受験の応援という言い訳を前面に出すため、受験日に渡すことにした。


あっ!出てきた!素早く仕留めるぞ!

「こ、これ、持って行って。お昼に食べて!受験頑張って。」

頭を下げて、チョコレートケーキの箱を突き出した。物陰から急に飛び出してきた人影に雄太は驚いたようだったが、すぐにあたしだと気づいたようだ。


「えっ?もしかして紗季?そしてチョコレートケーキ?ありがとう!紗季が作るチョコレートケーキ、大好きなんだけど、今年はもらえないかと思ってたから・・・うれしい!さすがにお昼には食べられないから、帰って来てからゆっくり食べるね。」

「そ、そうだよね・・・。考えが至りませんで・・・・。」


おそるおそる顔をあげると、そこにはだいぶ痩せてかっこよくなった雄太がいた。肌もツルツルになって、ニキビひとつない。

「えっ・・・痩せてる。大丈夫なの?そんなに受験勉強がハードだった?それにしてはお肌は健康そうな・・・。」

「いや、紗季が最近お菓子を持ってきてくれないからさ。それで市販のお菓子も試したんだけど、紗季のお菓子に比べるとあんまりおいしくないから食べなくなって・・・そのせいじゃないかな。」


すごいな、あたしのお菓子。効果抜群だったじゃん!確実に太れるお菓子として売れるかも・・・。需要があるかは知らないが。


「今日、応援に来てくれたんだ・・・。ありがとう。」

「うん、元はといえば、あたしの代わりにお医者さんになってくれるって言ってくれたからだもんね。だから、最後まで応援しようと思ったんだ・・・。」


「覚えてたんだ・・・・!」

雄太があたしの顔をまじまじと見つめてきた。

「そりゃもちろんだよ。あの時の、12歳のあたしは、あの言葉に救われたんだよ。だから、忘れるはずないって。」

「いや・・・てっきり・・・でも、あの続きも覚えてる?紗季が僕に言ったこと。」

「え~、それは・・・。」

「じゃあ、僕が医者になったら結婚してあげる。とりあえず、医学部に入れたら恋人くらいにはなってあげるって・・・。」


どひゃ~!まったく覚えてなかったけど、12歳のあたし、すごい上から目線だな!


「それで僕は頑張って西海に入って、医学部に入るために勉強を続けて。でも、紗季には恋人ができたみたいだから、あの約束は忘れちゃったのかな、無効なのかなって思ってて・・・。」

「あれ?いや?あたしには恋人いたことないよ。」

「え・・・?ほら、去年の夏くらいに、駅まで迎えに来てって言われたとき、男の人と二人で帰ってきてて、紗季って呼んでて、後で連絡するって・・・。しかも弟って紹介されて。あれって、彼氏に誤解されたくなくて、あえて弟って紹介したんでしょ?」


あ~、あれか~。そうか、あいつのせいか。いつもクセで雄太との関係をごまかして、弟って言っちゃったし・・・。

「あれは違うよ。ただ付きまとわれてただけ。ほら、雄太みたいな強そうな弟がいるってわかったら、きっと引き下がるかな~って思って、うっかり・・・。」


あたしがそう言うと、雄太は膝を折って、がっくりとしゃがみ、片膝を地面につけた。

「なんだ・・・そうだったんだ・・・・。それなのに勝手に誤解して約束を信じられなくてごめん・・・。」

「いや、うん。あたしこそちゃんと説明しなくて悪かったよ。というか、受験日の朝にそんな腰から崩れ落ちるレベルのダメージ負って大丈夫?この話はこのくらいにしとこうよ。」


そう伝えると、雄太は地面に片膝をつけたまま、あたしを見上げてきた。

「うん、でも一つだけ聞きたい。これを確認しないと今日の試験に集中できない。」

「あ、うん。じゃあそれだけね。」

「あの12歳の時にしてくれた約束はまだ有こ・・・。」

「は~い!ストップ~!その話はそこまでだ!」


あたしは両手でバッテンを作り、大声で雄太の話を遮った。今それを言わせるわけにはいかない。


「えっ、どうして?」

「受験の朝にそんなこと言ったらフラグになっちゃうでしょ!」

「ああ、そうかも・・・。」

「まあ、それはどうでもいいんだけど、もう一つ、あのモブおん・・・じゃなくて高橋さんだっけ?まだ関係が続いてるんじゃないの?そうだったら今その話をするのは順番が違う。不適切よ。」

「ああ・・・そうだよね。じゃあ、もし受験が終わって、医学部に合格していて、智子との関係も円満に解決できたらその時は・・・。」

「うぐっ・・・・。」

雄太がひざまずいたまま、キラキラした目で見上げてくる。これに抗えるだろうか・・・


「ま、まあ、とりあえず今日はその話はなし。黙って受験に集中しなさい!」

「とりあえず今日は・・・ということは・・・。わかった。じゃあ、頑張ってくるよ!」


そのまま雄太は軽い足取りで駅へ向かって行った。

あたしは、あまりの急展開に理解が追い付かなかったので、とりあえず雄太に渡すはずだったチョコレートケーキを雄太のお母さんに預かってもらうべく、雄太の部屋のインターフォンを押すことにした。


               ★★★★★★★★


その後、雄太は、受験日に受けた腰から崩れ落ちるほどのダメージをものともせず、無事に地元の国立大学の医学部に合格した。

それを見届けてから、高橋智子さんを予備校近くのファミレスへ呼び出し、雄太と二人で土下座した。

高橋さんは、雄太が付き合っていただけあってとてもいい人だった。


「わたしも東京の大学に行くことになったし、どうしようかな~って思ってたんだ。だから気にしないで。」

と笑顔で言ってくれた。


ただ、話が終わり、ファミレスから出て駅で電車を待っていたところ、反対側のホームの端にたたずむ高橋さんが、泣きながら誰かと電話で話している姿がちらっと見えた。その節は本当にごめんなさい。


一連の話が終わってから、雄太は、改めてあたしに告白してくれて、晴れて付き合うことになった。もう、友達にも堂々と彼氏だと紹介している。雄太も、あたしに恥をかかせないよう、かっこいい見た目をキープして、今ではファッションにも気をつかっている。


めでたしめでたし。

とはすんなり終わらない。ただ一つだけ誤算があった。


正式に付き合い出しても、雄太の魅力に気づいた他の女にとられるんじゃないかという、あたしの不安はまったくなくならなかったのだ。

男子校に通っていたころとは違い、大学にもそこそこ女子がいるようで、雄太の話に女子が登場するたびにビクッとなる。友達がコソコソと「ああなってくると、雄太くんもアリだよね~」とか言ってるのも聞こえてくる。


だから、あたしは今日もお菓子を作る。雄太に食べさせるため。イッヒッヒッ!



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