神話世界の招来
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
「拠点を新しくする。この点は納得するよ。でもね……荷物を持っていけないってどういうこと! 私さあ、準備してたよねケースに詰め込んでさ!」
「どうもこうもない。大荷物を抱える余裕があると思うのか、今の俺たちに。言っとくが、死体が観光客じみてるのは勘弁だからな」
彼は抗議を続ける少女に容赦を一片も見せない。それどころか、透明化の魔術を彼女にかける。
「今から外に行くが、いいか。今の俺たちは透明な状態だ、この世界の人間にはまず感知されない。昨日の一件でこの洋館の周りは警察やら野次馬なんかが騒がしくしている。そいつらから絡まれんようにする処置だ」
「無視……。仕方ない、分かった分かりましたよーだ。どうせ言っても無駄なんでしょう」
彼女は拗ねきった表情で荷物を纏め、外出の用意を済ませる。服装はシンプルなピンク色の服に黒の靴をしている。ユーゲンには元から荷物はないので、古詠の準備が済み次第洋館を出た。そして噴水の枯れた庭を歩き、錆びついた門をこじ開けた。
「この門、めったに使われていないようだが……お前、どうやって外出してたんだ?」
「いや、他に出入口があってそっちを使ってる。この門は目立つから……」
門の先は大きめの歩道があり、その道をまたいで大社が鎮座している。但し大社は今、一般人の立ち入りは禁止となっている。それは今更言うまでもないことだ。歩道には警察の手の者らしき人物が、神社関係者と話をしている。
「ふむ、当時現場にいたのは三人と。そのうち一人は大学生……」
「ええ。ウチの者が応対しておりました。しかし……なんとも、呪い殺されたように……」
断片的に言葉を耳にして、古詠は疑問を溢す。
「ねえ、二人も人が死んでいたって。昨日その場にいたんでしょ? 見たりしたの?」
門を出た後、地図魔術で風市を調べているユーゲンだが、地図を見たままその問いに答える。
「見たとしたら……何かあるというのか。まあ見てはいないが、元より人の死なんぞ慣れている。そんなものより自分の置かれている状況を勘案しろ」
「見ていないんだ。それにしても呪われたみたいって、恐いね」
ほどなくして拠点の候補が示される。場所は風国際空港。決定したユーゲン曰く、拠点というのは拠点然としてはいけない。空港ともすれば、いざという時の逃げ道も作れるだろう。付け加えて、まあ、付随する問題などは推し並べて些事だ、とも。
「ただ問題というのはな、そこまでどう行くかだ。魔術で行くと彼奴に感づかれる可能性がある。さりとて徒歩というのもな。契約少女、お前金はあるか?」
「無い。すっからかんです、お生憎」
嫌味ったらしく言う様に、まだ引きずっているのかと心中で彼は呆れるが、少し考える。大ぴらに魔術を使わず、且つ金銭の消費なく快適に目的地へ行く手段を。ヒッチハイクには近すぎるもんねと呟く古詠。ヒッチハイクを知らなかったユーゲン。とりあえず町中を歩きつつ考えを進める。急な刺客に備えて防壁魔術の準備も忘れずに。
その間、好奇心からか古詠が幾つか質問を飛ばす。
「そういえば貴方って何歳?」
「二十一だ。お前は?」
「十五。ねえ、貴方はどうしてこの世界に詳しいの? 口ぶりからして、この世界は初めてなんでしょう?」
「本で読んだ。尤も、禁書だがな」
「ふうん。そういえば、私と貴方はこうやって会話しているけどさ、日本語も本で覚えたの?」
「冗談。どうしたって話者の少ない言語を取り立てて覚えるというんだ? まあそれはともかく言語に関しては、おそらくゲートの力だろう。そこを通る際に、ある程度の修正がかかる……と考えている。正直現時点では分からん、上手いようになってると思っておけばいい」
「そっか。私も異世界語なんて分かりっこないから良かったよ」
そうして歩きに歩いて、一時間程度。ユーゲンは途端に立ち止まる。そう、ようやっと妙案が浮かんだと、揚々とした様子で自信をもってその案を示す。
「文明の利器と人間の善性を使えばいい。つまりあれだ、乗り物を借りる」
「そ、それだけ……?」
愕然。自信作と言って出されたものがありきたりでは、流石に肩透かしだと思われても仕方がない。意気消沈と意気揚々、対照的な二人の前に、口喧嘩をしているカップルが現れる。幸か不幸か、カップルの男の方はバイク乗りだった。ユーゲンは自身の透明化を解き、二人の間に割って入る。
「アンタはそうやっていつもいつも――ってあなた何いきなり!?」
「急に割り込んできてなんだよ。あんたにゃ関係ないだろ!」
「いやなに、このままだと殴り合いにでもなろうかという勢いだったからな。世話になるのが警察ではないだけまだ温情だぞ?」
「ああ、貸しを作るんだ……」
古詠がはたと思った通り、ユーゲンは魔術と話術でちょちょいと諍いを収めてみせた、感心するのはまだ早く、ここからが本番である。決して善意ばかりによる行動でなく、目的はモーターバイクなのだから。
「まったく、こじれたきっかけが待ち合わせ時間だとはな。お互い、不平不満は具に相手へ伝えるんだな」
「そ、そうだな……これからはそうするよ」
「ならばよし。ところでこちらも、ちと問題を抱えていてな。君の乗り物、ああそう、バイクというやつ、少し貸してやくれないだろうか」
流石にこれは飛躍した要求、相手としてもはいそうですかと飲み込めるはずはない。本来ならここで色々と巧みに交渉してみせるのだろうが、此度はそうと行かなかった。そう、強硬手段に打って出たのだ。そして、うんうんと唸るカップルの横で、バイクが突然火を噴いた。その火はたちまちバイクを鉄屑へと変えてしまった。
「うわあ! 俺のバイクがいきなり……」
「ついてないな君は。どれ、通りがかった縁だ。こちらで預かっておこう。私はこういった処理を生業にしていてな、所謂掃除屋さ」
「いいのか!? もう何が何だかよく分からん、お祓いにでも行っておこうかな……」
「それがいい。ああでも、近くの大社はやめておいた方がいい。人死にがあったからな」
「すごーく茶番だよね。これ、マッチポンプってやつの好例を見せられているよ今」
こんなやり取りがあり、カップルは早々に立ち去った。結果としては古詠が述べた通りである。ユーゲンの魔術による小細工にまんまとしてやられたのだ。確かにこれは窃盗ではない。言葉だけ追ってみれば正当である。悲しきかな、カップルがこの真実に気づくことは無いだろう。頃合いを見て、ユーゲンが指を鳴らすと、バイクはあっという間に元の姿に戻った。いや、厳密にはそう見えた。というのも、これは幻覚魔術によるもので、バイク自体には何の問題も起きていないのだ。
「よし、事は済んだ。行くぞ」
「ねえ。これって明らかに良くないと思うんだけど。倫理道徳に唾を吐いてるよ」
「存分に吐いておけ、命あっての物種というやつなんだから。それにちゃんと事が済めば返すさ、ちっぽけな奴相手から顰蹙を買っても仕方ないからな。そこまで階級高い人間仕草はやれん」
いや、しかし、納得がいかないと古詠は唸る。それを気にせずあれこれ触っては魔術を仕込んでいるユーゲンは、それが終わるとヘルメットを古詠に渡した。
「ああ、盗んだバイクで走り出していく……」
「おい、盗んだんじゃない、借りているんだぞ」
後方で青ざめている古詠と対照的に、ユーゲンは随分と楽しんでいた。
「そういえば免許とかは」
「魔物乗りのやつなら持ってるぞ」
「つまり無いと……ああもう、生きた心地がしない」
ようやっと自分の立場を理解したかと、古詠の悲しみを全く違う受け取り方をしている間に、風国際空港へと一気に進んでいく。どうにも、平日の昼間というには人の気がからっきしである。古詠はそれに気づいていなかったが。ほどなくして、伽藍洞のバスターミナルに着く。静まり返っているその場所は、お天道様が居なければきっと夜と間違えてしまうだろう。
ところで、因果応報というものは、おそらく多くの人が知る通りであろう。悪いことをすれば、悪いことが返ってくる。尤も主人公たる彼こそは、良きにつけ悪しきにつけ、それが自身へ返礼することは無い。という自論を何時かに述べていたが。その因果応報、それを今風に、アカデミックに言うとするならば公正世界仮説というのだが、今回はまさにそのバイアスへとこのユーゲンは一瞬でも陥ることとなった。
空港の施設内、誰にも知られることない場所で人知れず魔方陣が作動する。
「それにしても人が全然いないけど、何かあったのかな――」
「――! 危ないッ!」
彼は不自然な魔力の流れを感知し、咄嗟に古詠を結界で包む。瞬間、国際空港と呼ばれるほど発展した交通施設が、見る影もなく爆発四散した。その爆発炎上の規模は、局所的な噴火のように思えるほどだった。暫く音と塵を捲し立てていたが、突風がそれらを洗い流し、辺りは黒い大地へと姿を瞬く間に変えた。無事だったのはユーゲンと古詠を守った結界のみである。
「いつつ……一体何が」
「契約少女。今、結界を移動型に変えた。すぐさま走って逃げろ」
「いや、いきなり言われても」
「早くしろ! 死ぬぞ……!」
その有無を言わさぬ迫力に気圧されて、古詠は足早に立ち去っていく。その間、彼は只真っ直ぐに一点を見つめていた。空港の中、その幾何学的芸術の筆致を。超高度の召喚魔術、異界よりの招来を。そして今、まさに起動せんとしている。
「解析が間に合わん……! 気休め程度だが、妨害してやる!」
魔方陣起動、その寸前に、ユーゲンはコートを魔方陣にぶつける。着替える暇がないので、上は黒の肌着という寒々とした姿になっている。しかし本人にとってそれはどうでもいい話。今、魔方陣から発せられる膨大な魔力の前に、十三あるうちの一つ、上級魔術を迷わず唱える。あまりにも莫大な力の奔流が二つ、但し片方が圧倒的。
魔方陣がその光を失う。即ち、役目を終える。
「召喚に応じ人世へ降った。……なるほど、用件は理解した」
「北欧神話にて綴られる……戦乙女かッ!」
特徴的な兜はそのままに金の髪が伸びている、装束はユーゲンの放ったコートを着させられているが、下は変わらず。ワルキューレ、知名度の高い北欧神話の中でもひと際目立つ存在。神話世界の住人が現れた。
「難敵も難敵、素の俺が十だとすれば、奴は二百以上だ……」
「では戦いを。もしも貴方が勇士たらんとすれば、ヴァルハラへ招来せしめよう」
破壊的惨状の中で、神話的戦闘の幕が上がる。