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第9話 女子校生「センセイのヒミツ、見ちゃった」

 やっと一息つける。


 今日は特に疲れた。

 朝から五十嵐に揶揄われ、かと思えばニョッキの男子生徒に絡まれるあの子を助けるという、五十嵐絡みなイベントの多い日だった。


 あの後、ニョッキの男子――五木くんにはきっちりお説教をしてやった。

 事前連絡もなしに女の子の元を訪ねてはいけない、強引に腕を掴んではいけないなどなど当たり前のことを指導した。

 そして彼にせがまれ、スマートな女性との接し方などもレクチャーする羽目になった。俺の場合、母数が少なすぎて自分でも心許ないが、元奥さんとの経験を活かしてアドバイスしてやったのだ。


 他校の生徒であっても指導すべき若者であることに変わりはない。向こうも悪気はなかったみたいだし、今後は真っ当な行動を心がけると約束してくれたので相手校にクレームを入れるつもりもない。


 しかし恋愛相談なんて慣れないことをしたせいで精神的疲労がピークに達していた。


「だからってビールを忘れちゃいかんだろ、数彦かずひこよ」


 ビールは一日頑張った自分へのご褒美だ。スーパーで買って帰るのを忘れたため、鍵をかけるのも忘れ、大急ぎで購入した次第だ。


 六本パックのうち一本を取り出し、プルタブを開けてあおる。一口で半分ほど飲み干した。脳髄に炭酸とアルコールの刺激が突き抜け、早くも酔いが身体を支配しようとする――その時だ。


 ガタッ――


 1Kの部屋のリビングで何かが音を立てる。

 俺は胃からビールが逆流しそうになるのをどうにか抑え、キッチンから恐る恐る、開け放たれたドアの向こうのリビングの様子を窺った。

 限られた視界の範囲では異常はない。洋服の脱ぎ散らかされた床と空のコンビニ弁当容器が散乱したローテーブルが見える。いつもの部屋の風景だ。


「まさか……空き巣?」


 部屋の鍵をかけ忘れて買い物に行った隙に泥棒が入ったのか? それで物色している間に帰ってきたから立ち往生しているとか。

 だとすると泥棒はまだそこにいる。


 考えるだけで恐ろしい。だが恐怖とアルコールで思考が麻痺したせいで確かめずにいられない衝動に駆られた。


 リビングの全容を観察する。……誰もいない。


 ガタガタッ――。


 また物音が!? 音源は締め切られたクローゼットの中だ。まさかそこにいるのか……?


 心臓の鼓動は加速度的に速まっていく。吐き気を催すくらい呼吸が荒くなるが、確かめる手を止められなかった。


 ゆっくり、ゆっくりクローゼットの扉を開けた。


「にゃーお」


「……猫?」


 うん……猫だ。猫がいた。

 こいつには見覚えがある。アパート近辺をよくうろついている野良猫だ。元はどこかの飼い猫だったのか、毛並みは真っ白でツヤツヤしており、やたら人懐っこい。現に今も俺のすねに額を擦り付けて甘えている。


「お前……どこから入ったんだ?」


「にゃーお」


「ほらほら、出てってくれ。ここ、ペット禁止なんだ。大家さんに知られたら怒られるじゃんか」


 両脇を抱え、そのまま玄関から追い出した。懐いてくれる子に冷たくして心苦しいが、ダメなものはダメだ。

 玄関先の床に下ろしてやると、白猫はトボトボ遠ざかっていった。途中、こちらを振り返り、哀愁漂う声で甘え、やがて夜の闇に消えていった。


「俺の周りにはイタズラ好きが多いのかなぁ……」


 そんな独り言を漏らした、直後のこと。






「先生――」






 背後から俺を呼ぶ聞き馴染んだ声。

 頭から冷や水をかけられたみたいに肩がすくみ上がり、絶句して振り返る。


 そこにいたのは愛宕女学院の制服を着た女の子。

 艶々の黒髪のミディアムヘア、長いまつ毛のパッチリ二重、何かのソフトウェアで加工したのかと思うくらい整った目鼻立ちと白い肌。

 毎日顔を合わせても飽きることのない美貌の少女は、間違いなく五十嵐凪音。

 俺の可愛い教え子だ。


「い、五十嵐っ!? こ、ここで何を?」


「……ちょっとこの辺に用事がありまして。先生こそ、ここで何されてるんです?」


 五十嵐は廊下で声をかけるかのごとき気安さで尋ねてくる。


「せ、先生は別に何も」


「今お帰りになったんですか?」


「そ、そうだぞ」


「ふーん。じゃあ、ここが先生のお家なんだ。ずいぶん小さなお部屋ですね。ここに奥さんと二人暮らしですか?」


「え……」


 しまった。ここは離婚してから引っ越してきた安アパートだ。夫婦二人暮らしの住まいにしては手狭すぎる。

 なんとか誤魔化したいが妙案が浮かばない。


 不測の事態にしどろもどろしていると、さらなる災難が。

 道路に立つ街灯の下をアパートの大家のおばさんがこちらに向かって歩いているのが見えた。


 大家さんには引っ越しの挨拶の時に俺が教師であることは話してある。その際、勤め先まで明かすつもりはなかったが、うっかり愛宕女学院で教鞭を取っていると漏らしてしまった。

 独り身の男が女子校に勤めているのが余程不思議だったのか大層驚かれたのは記憶に新しい。あの変な空気はきっと「こいつ、いつかやらかすな」みたいに疑っていた証拠だ。


 そんな大家さんに愛宕生と夜に自宅前で会っている場面を見られるのは非常にまずい。

 今すぐ帰らせても間に合わないし、俺がここに住んでいることへの疑問は残したままになる。


 どうする……どうする……。

 かくなる上は……。


「五十嵐、こっち」


「へ――ひゃん!」


 俺は五十嵐の腕を掴み、半ば強引に自室に入らせると後ろ手にドアを閉めた。

 ドアスコープから大家さんが通り過ぎていくのを確認し、大きなため息をついた。


 これで大家さんに誤解されずに済む。ふぅ、としぼむ風船みたいにため息を漏らした。


「せんせー。ずいぶん散らかってますねぇ。というか奥さんはどちらですかぁ?」


 安堵したのも束の間、背後にいたはずの五十嵐はどこにもいない。

 それもそのはず、彼女はとっくにリビングにまで入り込み、雑然とした独り身の男の部屋に立って、興味深げに辺りを観察していた。


「こらっ! 勝手に上がるんじゃない!」


「え〜。強引に部屋に連れ込んだのは先生じゃありませんか?」


「そ、そうだけど……」


 その言い方は誤解を呼ぶからやめなさい!

 いや、間違ってないから訂正のしようがないけど……。


 というかこれはかなりまずい状況ではないか?

 独り身の男が十七歳の女子高校生を部屋に連れ込むなんて。

 しかも俺は教師で、連れ込んだ女の子は俺の教え子。


 完全に事案だ……。


「せっかくですから奥さんに挨拶くらいさせてくださいよ。それとも、いないんですか? 奥さん」


 あ、まずい。そっちの件も対処しないといけないんだ……。


 どうしよう。

 俺……もうダメじゃないかな?

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