第68話 父親
大きな家だ。庶民の信太郎から見ると屋敷にしか見えないその家の駐車場には2台の高級車が停まっている。
近くには子ども用の自転車が置かれていた。
(既婚、子持ち…裕福で随分幸せそうだな)
信太郎は家の観察を続ける。広い庭では花と野菜が育てられているようだ。それ以外に子ども用の小さなブランコがあった。
干されている洗濯物に子ども向けの衣類が混じっている。男女の二種類ずつ混じっているということは、子どもが二人以上はいるということだ。
(大体中学生ぐらいなのか…)
ここまでしたが下調べに意味はない。窓から家の中に男がいるのを確認した信太郎は玄関へと戻る。そして深呼吸してからチャイムを押した。
「…どなたでしょうか?」
そうだ。知らずに産まれて育っていた息子の顔など知るわけない。このために信太郎はとっておきのセリフを用意してきた。
「鎗久門千咲って名前知ってますか?」
僅かに間が空いたがインターホンがブツッと切れる音が鳴る。それからすぐに男が家から出てきた。
「…き、君は…観たことがあるぞ」
「テレビでしか見たことないですよね?…俺は鎗久門信太郎。あなたが昔ヤッた女との間に出来た…惨めな子どもです」
信太郎に常識を超えたパワーがあることを知ってか、恐れを隠せない男は素直に家の中へ案内した。
「あれお父さん、その人誰?お客さん?」
「二人とも。二階に行っててくれるかな」
男の名前は昌也。信太郎が産まれた頃には千咲との縁を切り、大手企業に就職。合コンで今の妻と知り合いそれからしばらくして結婚し、今では二人の子どもを育てている。
「…まさかアクトナイトが鎗久門先輩の息子だったなんて…」
「あいつとお前の子でしょ?間違えんなよ」
「……ど、どうして俺に会いに来たんだ?」
「いや、一応血の繋がった父親だから挨拶しておかないとって思ってさ。にしても全然似てないな。やっぱ俺、あの人の方に似ちゃったのかー」
「金ならいくらでも払う!だから頼む…このことは誰にも話さないでくれ」
「慰謝料貰って気持ちが済むならこんな回りくどいことしねえよ!」
まさか金をチラつかせて口封じをするとは思ってもいなかった。そういう汚い部分は自分と似ているなと、自分は鼻で笑った。
「俺が出来たって知ったからあの人と別れたのか?」
「別れたんじゃないし付き合ってもいない!襲われたんだ!酒に酔ってるところを顔がいいからって理由で!」
それが本当で信太郎が出来てしまったとしたら、昌也は同情されるべきなのだろうが信太郎にそんな余裕はない。
「知らねえよ!襲われても自分の子どもだから責任持って育てようとは思わなかったのか!」
「その時から先輩には旦那さんがいたんだよ!だから俺は身を引いたんだ!」
「その旦那さんとはな!お前の血が流れてるからって理由でもう離婚したさ!それに身を引いた?なんで既婚者に襲われるまで好感持たれてんだよあんた!どうせ気があったりしたんだろ!」
まだ口論で済んでいるがこのままだと暴力沙汰に発展しそうだった。信太郎は一旦冷静になろうとするが、なれるわけがなかった。
「だ、大体君が俺の子だっていう証拠はどこにあるんだよ?全然似てないじゃないか!」
「証拠ならいくらでも用意出来るんだ。それに離婚の切っ掛けになったDNA検査だっていい証拠になるだろう?あの人にも頭下げて検査受けてもらう。な?」
セルナの力が昌也の元へ導いた時点で、信太郎がこの男と血がつながっていることは確定している、証拠を得られれば不倫の賠償金を貰うことも、幸福から引き摺り降ろすことも出来るだろう。
だが違う。信太郎が本当に欲しているのは、そんな金やカタルシスなどの常識的な物ではないのだ。
別の部屋へ行っていたはずの娘がリビングへ現れた。娘はキッチンへ向かい、棚からコップを取り出すと水を汲んだ。
「ねえ…自分の子は大切…だよね?」
「あああ当たり前だろ何言ってんだ」
信太郎が見たことのある剣を召喚すると男の顔が青冷める。目の前の少年が何を企んでいるのがすぐに分かってしまった。
「やめてくれ!頼む!」
「大切な俺の人生が滅茶苦茶になるような仕打ちをお前はしたんだ。だったらあの子もそれぐらいの目に遭わないと…平等じゃないよな?」
脅しは含まれていない。憎しみに駆られた信太郎は一人でも多く、自分と同じ苦しみを与えようと必死になっていた。
だが信太郎の野望は一発の鉄拳によって食い止められた。
「やめろって言ってんだろ!」
歯が飛び出すほどのパンチが昌也から繰り出された。信太郎が頭を叩きつけたガラスは大きな音を立てて割れて、頭から血が出ていた。
「どうしたのお父さん!?」
「こっちに来るな!」
フラつく信太郎。しかし倒れることはなく、徐々に戻っていく視界でまず男の瞳を見た。
(あれは…)
勇気のある瞳だった。大切な物を守るためならば命を惜しまない、ヒーローの目だ。
自分を捨てたこの男がそんな目をして睨んでいいはずがない。信太郎は認めることが出来なかったが、今の昌也は中途半端なアクトナイトである信太郎よりもヒーローと言える存在であった。
「この怪人野郎!ぶっ殺してやる!」
怪人と言われてふと我に返る。信太郎はここまで自分が何をしようとしていたのかを思い出し、取り乱した。
「違う…違うんだ…こんなはずじゃ…」
人を襲おうとしたことへの弁明か。それともこんなことになるはずじゃなかったという人生への否定か。
信太郎は全身に切り傷を作りながら窓の外へ。至る物に体をぶつけながら離れていく姿が見えなくなるまで、昌也は睨み付けていた。
「二度と来るなよ…!」
自分はヒーローのはずだ。街のために戦って、悩みながらも頑張ったはずだった。しかしそう都合よく報われることはない。
自分は愛されていたはずだ。確かに途中まで、両親から無償の愛を受けていた。だが実は母親は新しく愛を注ぐ器を作っていて、父親も実の息子ではないと知ると冷めてしまった。
もっと幸せでいいはずだ。普通の家庭に産まれたはずなのだから、幸せでないといけないはずだと言い聞かせる。
「分かってる…分かってるけど…」
自分より不幸な人間は沢山いると知っている。今までそんな人を少しではあるが見てきた。だがどんな些細なことであれ信太郎にはつらいのだ。自分が不幸に思えて仕方がなかったのだ。
「なんでお前ら…そんな幸せなんだよ…」
戦ってもいない。大切な物を失ってもいない。不満を述べる人間たちが幸せなのには納得が出来ない。不幸な自分がどうして幸せなやつらにここまで追い詰められなければならないのか。考えただけで怒りが生まれた。
楽しそうにしている人々、平和な街、それらが次々と視界に入ってきた信太郎は…
「俺ばっか…なんで俺だけこんな…」
自分の胸から出てくる新たなマテリアル。それは希望や約束などと言ったプラスの力ではない。破壊の力を持つマテリアルだった。
「デストロイ…」
力を望んで自身を追い込んだ信太郎。憎しみに蝕まれて破壊を望んだ彼が手に入れたのはデストロイマテリアルだった。
目的は果たされた。しかし錯乱している信太郎はとっくにそのことを忘れて、いつものように街を徘徊するのだった。