第20話 信太郎の元担任
佐土原理恵子。彼女は小学生の頃の信太郎の担任だった。それより前からも、委員会やクラブを頑張る利口な生徒だと、信太郎のことは印象によく残っていた。
「大変だったわね…そんなに追い込まれてたなんて」
「先生もその…御愁傷様です」
理恵子は結婚しており中学生の子どもがいる。
しかし夫は勤務中、突如現れた怪人に殺されてしまい、今はこのアパートの一室で二人で暮らしている。
そのこと聞いた信太郎は、自分が打ち明けた悩みがとても小さな物に感じてしまった。
「怪人って…どんなのなんです?」
「怖いわよね…聞いただけだと…竜巻を起こしたとか」
能力を効いて、最近出会った怪人だと信太郎は胸を締め付けられた。校外学習で二度目に出会った怪人は風を起こす能力だった。
そしてその能力を持つ怪人は街の中で現れて被害を出した。死傷者も出ていると聞いていた。
遂に信太郎の身近に、怪人の被害を受けた人間が現れてしまった。
「ごめんね。気分悪くなる話しちゃって」
「いえ…ごめんなさい」
「その怪人はヒーローがやっつけてくれたんだって。ほら、テレビでもよく出るじゃん。百年前の戦士に似た」
「アクトナイト、ですよね」
「そうそう…もうちょっと早く来てくれてたらなぁって…まあ過ぎたことだし仕方ないんだけど」
間違った情報だと思った。そもそもあの現場にアクトナイトはいなかった。怪人を倒したのは仮面を付けていた那岐だったのだ。
「それよりも今日は泊まっていきなさい。明日、私がガツンと強く言ってあげるから」
「え…父さんに会うんですか?危険ですよ!」
「大丈夫、私強いから。駄目な親にはね、ちゃんと親としての責任を持たせないとダメなのよ」
信太郎はソファを借りて夜を過ごした。朝起きると寝違えたのか背中が痛かった。
「あれ?あんた誰?」
すぐそばには小柄な少女が。嫌な物を見る目で信太郎を睨んでいた。
「こら、歳上に失礼でしょ?彼は私の生徒だった信太郎君。紹介するね、この子は美保。中学二年生で反抗期真っ只中」
美保は信太郎に近寄って臭いを嗅いだ。そして強く脛を蹴った。
「くさいわねあんた。もしかしてオタク?」
「…!いっ…!」
「こら美保!」
美保は信太郎の足元に芳香剤を置いてスタスタと立ち去り、テレビゲームをやり始めた。
「ごめんね…ちょっと強い子なの。誰に似たのかしら…」
テーブルには朝食が並んでいた。信太郎にとっては何年ぶりかのまともで家庭的な食事だった。
朝食を済ませた信太郎は理恵子の車に乗って自宅に移動した。車でも時間がかかったので、深夜の間にかなりの距離を移動していたと思った。
「ほ、本当に父さんと会うんですか?」
「あのねえ、私も過去の話とは言え君の担任よ?先生としては生徒の悩み事は放っておけないものなのよ」
理恵子がチャイムを押してしばらくすると、だらしない姿の父親が姿を現した。
「誰だあんた?なんで信太郎が一緒にいる」
「忘れたの父さん?小学校の頃の担任だよ」
「お久しぶりです。少しお時間いただけますでしょうか?」
今の自分は気分が悪い。そう告げて信太郎の父親は扉を閉めようとした。しかし次の瞬間、理恵子はフェンスを飛び越えて閉まろうとしていた扉を掴み止めた。
「な、なんだお前!警察呼ぶぞ!」
「お時間、いただけますでしょうか?」
警察を呼ぶことは信太郎への虐待を明かすことにもなる。通報など出来るわけもなく、父親は理恵子を家に上げた。
「なんですかこれは?」
リビングの惨状を見て理恵子は呆れていた。信太郎も、昨日よりも家の中が荒れていることに驚いていた。
そして理恵子は突然、家の掃除を開始した。
「まずはこの惨状をなんとかしてから。話はそれからです。いいですね?分かったら手伝ってください」
信太郎と父親は言われるがまま自宅の掃除を始めた。それからおよそ三時間かけて、信太郎は久しぶりに綺麗なリビングを見ることが出来た。
「旦那様、信太郎君からこれまでの話は聞きました。確かに奥様に裏切られてしまったことには同情します。しかし夫じゃなくなったからと言って親の役目を放棄していいわけではありません」
「説教しに来たのか?帰れよ、俺は忙しいんだ」
「信太郎君がアルバイトに力を注いだのもあなたたちから自立しなければと思ったから。情けない両親の元を離れたい、そう考えさせるほどあなたは彼を追い詰めたんですよ?どれだけ酷いことか分かりますか?」
「俺は親としての責務を果たしていた。働いている金を家に入れてそいつに飯を食わせた!勉強させた!」
「でもゲームは買ってくれなかったじゃないか!誕生日とクリスマスで何十回頼んだと思ってるんだ!」
思わず信太郎は声をあげる。父親は反省の態度も見せずに彼を睨み付けた。
「ちゃんと自立しようとしてる。それで親の役目は果たせてるだろ?」
「勉強と食事だけ…信太郎はお前のクローンじゃねえ!お前たちの作った子どもなんだよ!子どもに愛を注がないで何が親だ!」
理恵子は思わず殴りそうになったがグッと堪えた。昔はいい父親だったからこそ、それがこうなっているのが余計に許せなかった。
「…少し取り乱しました。信太郎は悲しんでるんです。優しかったはずの父親に傷つけられて、母親を失ってしまって」
「だったらあいつについて行けばよかっただろ」
「ここは信太郎君の家でもあります。そんな出ていけと言うような発言はやめてください」
「大体お前は何なんだよ。勝手に他所の家庭の事情に割り込んで来るんじゃねえよ」
「信太郎君が助けを求めて逃げ出した時点でもう他人事じゃありません」
(そうか。俺は昨日母さんを追ったんじゃなくてこの家から逃げ出したんだ)
「出てけ!もう出てけ!」
突然父親は立ち上がり怒鳴って理恵子に殴りかかった。理恵子は座ったまま父親の腕を掴んで床に叩きつけた。
小学校の教師が繰り出したとは思えない物凄い格闘技だ。
「また来ます。それと信太郎君はこちらで預からせていただきます。信太郎君、荷物をまとめなさい」
教材や服、必要な物を理恵子の車に詰め込んで、信太郎は自宅を離れた。
「しばらくは私の家で暮らしなさい。君のお父さんは私が何とかするから」
「ありがとうございます…」
こうして今日から信太郎は、理恵子の家で暮らすこととなった。