情熱
ヒカルが部屋から出て行ってからどれぐらい時が過ぎたのだろう?
窓を開けると心地よい夜風と共に賑やかな話し声が居酒屋から聞こえてきた。
はっきりとは聞き取れないが楽しそうに叫んでる。
アルコールが入ると人ってどうしてあんなに声が大きくなるんだろう?
まだ未成年であるヒカルは当然の事ながら酒を口にした事は無い。
なので、アルコールを含んだ自分がどうなるのか知りたい気持ちもあった。
アルコール飲めばこのモヤモヤも解消できるのかな…?
あれからカナタが置いていったパンフレットをずっと見ていた。
誰も彼も楽しそうに写っていた。
毎年繰り返される舞台だけに役者同士気心しれていることが表情からよく分かる。
本当にコウさんはこの世にもういないのだろうか?
上演中に命を落とすなんてどんな気持ちだったのだろう?
最後まで演技をし続けて命を落としたコウさん…。
そして……。まだこのカンパニーに居続けるオーナーはどんな気持ちなんだろう?
事故とは言え……。
そこで、意味深なヒカルの言葉を思い出す。
『僕は事故だと思っていない』
それはこのカンパニーに銃をすり替えた犯人がいたと言う事。
ほとんどの人間がその事故をきっかけにここから出ていってしまった。
残っているのはオーナーとユウキさん、音響照明担当のナオヤさんの三人しかいない。
正直。事故だと思いたいけど、人一人が命を落としてる現実。
コウさんはきっと生涯演技をしていたかっただろう。
『永遠なんて無いけれど、演じていたい、願わくばステージで最後の時を迎えたい、なんて』コウさんのコラムに書いてある言葉に心が震えた。
舞台に懸ける情熱をここまで感じた事無かった。
自分はこのまま演じていく事ができるのだろうか?役者として生きていく事に不安を感じた。
自分は芽も出ないまま、誰の目にも止まる事無いまま演じていくのだろうか?
急に不安になりパラパラとページを捲った。
誰だろう?この女性。
丈の短い黄色のドレスを着ている女性がコウさんの手を取り片足を立てて写っていた。
艶めく黒髪を後ろに1本に束ね黒目の大きな瞳の目尻が上がっているせいか気の強そうな雰囲気を醸し出していた。
別の写真では眠るコウさんへ口づけする写真があり、妖艶な横顔に釘付けになり彼女から目が離せない。
美しかった。
この舞台の事何一つ知らないが彼女とコウさんのこの写真だけでも、この舞台への興味が沸いてくる。
最後のページは舞台の最後のシーンだろうか?透き通るような白い肌が紅潮していた。
他のどの写真も役になりきった表情だったがこの写真だけは素の自分に戻ったリラックスした表情になっていてそれも美しかった。
「あ、やっぱりカナタだ!」
再び開いたドアから入ってきたのはリカだった。
「明かりが見えたから…来てみれば、今日はずいぶん遅くまで残ってるね!まだレッスンしてるの?」
カツンカツンとパンプスの音が響いた。
歩く度にリズムを刻むような軽快な音。
オレはこの足音が好きだ。
舞台の上でダンスする時は舞台用のパンプスなのだが、音は基本変わらない。人はそれぞれ歩き方に癖がありそれによって足音が違ってくる。
踵に重点をおいているリカの足音はすぐに分かる。
「どうした?」
無言のオレに不信感を持ったように、屈んで下から覗き込んでくるリカにクラクラしてしまった。
ふわりとした甘い香り。大きな漆黒な瞳。
不安な心が安心感に変わって行き、気付いたらリカを抱きしめていた。
「え?カナタ?ど、どうしたの?」
こちらを見上げる瞳がどことなく先程の舞台女優に似ていた。
深い黒目が何もやりとげていない自分を憐れんでいるように見え手を離した。
「ごめん、帰ろう…」
自分が情けなかった。