新しい劇団員
カンパニーの中で紅一点のリカはオレより2つ年上で面倒見が良く産まれもった天真爛漫の性格は彼女のいるところ常に笑顔を溢れさせるほど、誰からも好かれる美しい人だった。
彼女の父親は有名な舞台俳優だったらしく幼い頃から舞台を身近に感じていた彼女が演劇を志すようになったの自然の事なのかもしれない。
圧倒的に記憶力が良く何をするのも絵になるような美しい仕草を持つ彼女がこんな湿気た劇団にいるのがずっと不思議で一度尋ねてみた事はあったが、『何でだと思う?』と笑顔と共に美しく交わされてしまった。
「まだ戻れない?カナタ?」
瞬きの多い藍色の瞳がじっとこちらを見ていた。
「ん、大丈夫。ごめん」
「謝る事じゃない、役に入りきって戻って来れない役者、私は嫌いじゃないよ、ただ気を付けて欲しいだけ。役に飲み込まれないように…ね」
はい、と飲料水をオレの手に持たせた。
ペットボトルの蓋をひねり、一気に飲み干す。ひんやりとした感触が喉を伝わりジメっとした汗が額を湿らせた。
気怠い暑さが一気に押し寄せてきた疲労感を倍増させた。
たったあれだけの稽古でこの疲労感、もっと体力つけなきゃだな…。
「カナタはいつも一人で稽古しててすごいね。努力家だよね」
「………舞台を開幕させたいんだ」
成功したいでは無く開幕と言った。成功と言う偉業は開幕してから成り立つものであって、開幕しなければ意味が無い。ステージに立ちたい。それだけをずっと追い求めてきた。カンパニーで起きた忌まわしき事件があったからと言うものの劇団員が減ったのももとよりこのカンパニーはトラブル続きでどんなに稽古を頑張っても開幕できないと言う事が度々あった。何か大きなものにでも阻まれているのか?呪いの類では無いか?と科学的根拠の無いモノまで口にするスタッフも現れ、お祓いまでする始末。
これには異論を唱える人間がいてそこでまた諍いが起きてしまい、結局のところ何故ここまでこんなにうまくいかないのか依然として分かっていなかった。
「きっとうまくいくよ!こんなに頑張ってるんだもん」
「うん」
「一緒に頑張ろう!カナタ」
リカはグーにした両手を振り上げた時、ギシと鈍い音を立てて扉が開き、黒い帽子を深く被った中年男性が入ってきた。
「オーナー」
オーナーはオレとリカを見ると痩せこけた頬を少しだけ上げた。
オーナーがこの稽古場に訪れるのは何ヶ月振りだろうか?
全盛期このカンパニーを支えていたオーナーは今はもう見る影も無い程凋落していた。
「相変わらずだな、カナタ」
オーナーの言葉にどう返答していいか分からず困惑していたが、別に返事など待っていなかったようでオーナーは自分が入ってきた扉に声を掛けた。
「ここが今日からお前の入るカンパニーだ」
扉から見えたニョキとした大きな黒い影を踏みながら現れたのは小柄な少年だった。
年はオレ達とさほど変わらなそうだ、至って普通、これと言って特徴が全く無い少年だった。
これはこれで珍しい。職業病とでも言うべきか暇があれば人間観察ばかりしてる自分にとって全く特徴の無い人間と言うのは珍しい。全く普通に見えても歩き方に癖があったり、初めてのこんな場では意味も無くキョロキョロしたりなどあるはずなのに彼には何も無かった。それなのに、不思議な事に彼から目が離せなかった。
「今日からこのカンパニーに入る事になったヒカルだ。カンパニーの事色々と教えてやって欲しい」
オーナーはひとしきり室内を見回した後、ひとりごちるような小さな声で床の凹みを持っていたステッキでつつきながら言った。
え?今日からこのカンパニーに?
「それはどう言う事ですか、オーナー?」
もうすぐ舞台開幕と言う時に新人メンバーを入れる事なんて無かったしオーナー自ら新しい団員を連れて来る事自体初めての事で当惑した。
「……、リカ、カナタ、彼の事頼んだぞ」
それだけ言うと、オーナーは部屋を出て行ってしまった。