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1話 カモミールとエリーゼ

どうやら、ウィルフレア家の騎士が炎魔王を討伐してくれたようですね


正確には炎魔王ではなく力の後継者であるが、先代の炎魔王達に匹敵する力を有していた炎魔だった。


でも、この水晶に写った黒い影はまだ消えないみたい


未来視を行う際に使われる水晶玉に、不吉な黒い影が映っている。

それは輪郭のない霧のようで、どこまでも暗い不気味な闇を纏い、そんな黒い影によって未来視の力を封印されてしまった。


困ったものです。一体誰の仕業なのでしょうか


突如、祭壇に置かれた水晶玉から煙のような黒い影が溢れ出てきて、神殿内を暗闇で満たしていく。


なっ.......


この身を脅かす異変に襲われて、腰を抜かして尻もちを着く。


ここはかつて起きた聖戦より身を護る為に建てられた神殿。

多重に張り巡らされた結界によって、ありとあらゆる災害と脅威を退けてきた歴史を誇り、これ以上安全な場所はないと信頼してきた。

しかし、聖域と呼べるただ一度も侵されたことのないこの空間は、今まさに破られた。


――久しく忘れていた恐怖がこみ上げてくる。


いや、聖域はこの瞬間ではなく、既に破られていた。

ずっと前から、水晶は影に呑まれていたのだ。

ではなぜ、今になってその影の主は姿を現したのだろうか。


暗闇の中に漂う何者かが、様々な思考を巡らせているこちらを見透かして嘲笑うかのように、クスクスと笑う。


正気を失う要素としては、それが決定打となった。

脅威を遠ざける神殿内で、悠々と日々を過ごしてきた自分を打ちのめすのには十分。

人々に天使と崇められた存在も、この闇の前では、非力な少女に過ぎぬと絶望する。


「いや.......だ、だれか、助けて!」


「シルビア様!?」


駆けつけた近衛の一人が、薔薇の剣を抜き、神殿内を白光で灯す。

すると影の主はその場から消え去り、神殿は何事もなかったように元通りになる。


「ご無事ですか?」


「あぁ、ローゼライト! 来てくれて、本当に助かりました!」


「あれは一体......」


「......わ、わかりません。ですが、今まで見てきた災いの中で、一番と言えるほど、恐ろしいものでした」


まるで宣戦布告をするように、自分の存在を示し、現れたと思えるほど挑発的なものだった。


悪夢の様な存在を間近に触れて、危機感を抱く。

かつてない脅威が迫っていると、砕けた水晶が告げていた。




「......起きてください」


誰かが自分の肩を揺すって起こそうとしている。


「......とっても重要な話があるんです」


頭を支えている柔らかい感触、花のように甘い香り、身体に掛けられた毛布の温もり、どれも手放すのが惜しくて、微睡みの世界から抜け出せない。


「お昼寝の時間はおしまいですよ。さぁ、起きてください!」


昼寝の間、膝枕をしてくれていたエルに毛布を取り払われてしまう。

すぐに、冷え冷えとした冬の空気に当てられ、目が覚めて意識がはっきりとしてくる。


「ふぁ~」


欠伸をしながら気怠い身体を起こし、発展途上の乙女の胸に顔を埋める。


「よく起きれました。偉いですね」


寝癖がついたぼさぼさの銀髪を撫でられるこの感触が堪らなく気持ち良くて、自分でもよくわからない言葉を発して甘えてしまう。


「あうあうあ~」


「あの、こちらの方々がシルバさんに大事な用件があるみたいですよ」


聖堂の長椅子でお昼寝をすることが日課となっており、この至福の時間を邪魔する不届き者に不満を覚える。

それと同時に、焦りも感じていた。


顔を向けた視線の先、目に映ったのは二人の女性。


一方は見覚えがある。

黄色い髪に、白い司祭服の上から見て取れる豊満な身体と、上品さを兼ね備えた容色の持ち主。


もう一方は、赤い瞳に金髪のポニーテールの見知らぬ女騎士。


「ウィルフレア殿、お久しぶりです。私はカモミール・ハーブ。こっちは、従者の騎士エリーゼです」


嫌な予感がする。

カモミールという女は、天使シルビアに仕えており、大司教という立場にある人物だ。

以前、騎士として働いていた頃に、よく依頼の話をされていた


「突然の訪問をお許しください。今日は天使シルビア様の予言を伝えるために参りました」


エルの胸に再び顔を埋めて、視線を逸らす。


「こーら、シルバさん。ちゃんと人の話は聞かないとだめでしょう?」


エルの胸で現実逃避していると、エルに引き剥がされてほっぺを引っ張られる。

そして、小さい子供を躾けるかのように優しく叱られる。


「え、えっと......。ウィルフレア殿、よろしくて?」


カモミールとエリーゼの両者共に、動揺と困惑が見られた。

もしかすると逃れられるかもしれないと、淡い希望を抱く。


「おんぎゃぁ!」


「えっ?......」


「はい、シルバさんは良いみたいですよ」


「あっ、ええと、ごほん。天使シルビア様の予言によると、かつてない脅威が迫っているとのこと。その脅威に対抗する戦力になってもらいたく折り入ってお願いをしに参りました。戦うことに辟易としているかもしれませんが、人類の危機なのです。誰もが貴方を必要とし、英雄として返り咲くことを望んでおります。貴方にしか救えないものがたくさんあるのです」


「あう......」


どんよりと顔を曇らせ、項垂れた暗い表情から戦う意志が薄いことを明確に示す。


「どうか、我々の為に力を振るってはくれませんか」


嫌だと訴えるように頭を左右にぶんぶん振る。


すると、説得の対象は、駄々をこねる自分から、驚いて口元を両手で塞いでいるエルに切り替わる。


「シルビア様の予言は外れたことがありませんの。この迫りくる脅威は避けられぬ運命なのです」


事の重大性を訴えられたエルは、真剣な眼差しで、自分に面と向かって言葉を放ってくる。


「私にできることなら、なんだってします。だから、シルバさん、もう少しだけ、頑張れませんか?」


「うぅ......」


躊躇っていると、エルはなにかを決心し、その場に立ち上がって、顔をそっぽ向いた。


「シルバが戦わないのならもうご飯作ってあげません。膝枕もしてあげません」


えっ......


その言葉に呆気にとられ、一瞬、思考が止まり、息をするのも忘れるほどのショックを受ける。


「そんな......」


俺の幸せが......

ようやく、見つけたのに


絶望している自分の姿を見兼ねて、エルは決断を促すように更なる提案をする。


「シルバさんの、好きなものいっぱい作ってあげますから。ね、頑張りましょう?」


結局、俺は逃れられないのか......


正気と狂気が入り混じった汚濁の中で、戦場の記憶と共に痛みが、脳裏に過る。

全身の傷が疼き、吐き気が襲ってくる。


もう、この局面は覆せないと悟り、しばらくの沈黙の後、渋々と顔を頷き、了承する。


「ふふ、良い子です」


エルはそっと抱きしめて励ましながら頭を撫でてくれる。


狂わしいほどに心地よい、この温もりを、手放せるわけないだろう。

これは、俺の生き甲斐だ。


「再び剣を振るってくださるのね!あぁ、良かったわ。ウィルフレア殿、感謝します」


使命を果たし終えたカモミールは、ほっと息をつき安堵する。

それからエルにも感謝を伝えてくる。


「貴方にもなんとお礼を言ったらいいのでしょう。貴方の、ええと、鞭撻がなければ、説得できなかったわ」


「いえいえ、困ったらお互い様ですから」


「それでは、ウィルフレア殿に託された任務の詳細を説明しますね。エリーゼ、お願い」


「はい、僭越ながら、私が説明させていただきます」


幼い見た目の彼女だが、言葉遣いや身のこなしはしっかりとしており、騎士として恥じぬ堂々とした佇まいをしている。

また、キリっとした鋭い眼差しの奥には緊張が隠れており、動きが少し硬くなっているように見える。


「ウィルフレア殿にはある教団の調査をお願いします」


クロノスは、任務の詳細が記載されている紙を取り出し、渡してくる。

受け取ったその紙をすぐにエルに譲り、代わりに読んでもらう。


「もしかして、近頃、騒がれている......」


「はい、そうですね。この教団の被害は最近になって、頻繁に報告されるようになり、かつてない脅威との関係が懸念されています。ウィルフレア殿には聖花街を旅立ち、イーストガード近辺で暗躍している邪教徒たちの行方を追い、可能であれば、平和の障害となるものを排除してもらいたいのです」


エルはこくこくと頷きながら真面目に聞いている。


「旅の資金については、国からの支援があるので問題なく。また後日、旅の支度代を持ってきます。出発は焦らなくても良いですが、冬が終わるまでにはイーストガードに赴いてください。後は、調査の進捗具合を聖火隊に連絡する定期報告をお願いします。これは、昔のように、聖火隊員として行動してもらえれば、特に問題ありません」


「あの、私も調査に同行してもよろしいですか? その、シルバさんの力になってあげたくて。もちろん、危険は承知の上です!」


「もちろん構いませんわ。ウィルフレア殿には貴方が必要でしょう」


「シルバさん、一緒に世界を救いましょうね!」


「ふぁ~」


胸に当てた両手を握り絞めて、意気込むエルに、欠伸をして応える。


「エリーゼ、貴方も、この調査に同行してウィルフレア殿の負担を少しでも減らせるよう、努めなさい」


「えっ、私がですか!?」


「ふふ、騎士様が一緒なのはすごく頼もしいです。是非、お願いします」


「そうよ、うちの子はしっかり者で、すごく優秀なんだから、役に立つこと間違いなしよ」


「お、恐れ入ります」


「それじゃ、近いうちにこの子を再び伺わせますので! 詳細はまた後日ということで、ご機嫌用~」


「あっ、えっと、これからよろしくお願いします。私のことは気軽にエリーゼとお呼びください」


「はい、よろしくお願いします」


「あうあうあー」


「それでは、失礼しました」


エリーゼは騎士の礼節に則った別れの挨拶をして、去っていくカモミールの後を追いかけた。



教会を出た後、エリーゼが不安を漏らす。


「カモミール様、大丈夫でしょうか」


「ダイジョブよ。うふふ、実はプライベートはあんな感じなんじゃないかしら。かつて銀騎士と謳われた、聖火隊屈指の実力を誇る英雄も、可愛いところがあるのね」


まるで赤子のように少女に甘えている男が、シルバ・ウィルフレアであるという事実に呆気にとられ、二人はその様子を呆然と眺めてしまった。


「いやいや、とても正気には見えなかったのですが」


カモミールは頭の中を整理し、思考を巡らせる。

鎧兜越しにしか姿を見たことはないが、彼と会話した時の印象とはかけ離れている。

終始、無気力とも眠たげとも言える表情で、目には生気を感じられず、覇気がこれっぽっちもなかった。

魂が抜けたような性格が彼の本性なのだろうか。

それとも、どこか異常をきたし、なにかが欠落し、歪んでしまっているのだろうか。

恐らく、後者の方が可能性が高い。

失踪している間に、なにかあった、もしくはこのような状態になってしまった為に俗世から離れ、隠棲の身になったのだろう。


「そうね。以前、彼と話したことがあるけれど、その時の印象とはかけ離れていたわ」


「どうしてしまったのでしょうか」


「さぁ」


「ふむ......」


ウィルフレアの精神状態に不安が募る。


「いずれにせよ、ウィルフレア殿にはかつてない脅威に対抗する重要な戦力です。貴方は、世界の平和の為にも、ウィルフレア殿をしっかり支えてあげなさい」


「はい。ところで、カモミール様。護衛の方はどうしましょうか」


「薔薇騎士隊の子らにお願いするから、心配無用よ」


「なるほど、薔薇騎士隊ですか。わかりました」


「うふふ、私は私で、脅威の調査に出向こうかしらね」


「くれぐれも、お気を付けください」


「わかってるわ。それよりも、貴方、最近頑張り過ぎてるから、ちゃんと休むのよ」


「私なら平気です。危機が迫っている今、頑張らなければ!」


「そう。ウィルフレア殿との旅が、貴方にとって良いものになるといいわね」


「はい。今度こそ、殊勲を立ててみます!」


「あんまり無茶しないでね」


「わかってます」


そうしてカモミールは馬車に乗り込み、聖都へと帰還するのであった。




ウィルフレア家の騎士を説得してから一週間が経った。

先日、旅の資金を教会に届けた時、出発の日程をエルと検討し、今日がその旅立ちの日になる。


朝の冬空に風花が美しく輝いている。

吹く風は凛として冷たいが、青空から差す陽は暖かく心地よい。


いい天気になって良かった......

よし、今日から頑張るぞ


「エル殿、お迎えに上がりましたよ」


教会の扉に向かいノックすると、すぐに返事がくる。


「はーい」


ドタバタと物音がした後、エルが荷物の入ったカバンを背負って現れる。


「おはようございます!」


「おはようございます。荷物はそこに止めてある馬車の中へどうぞ」


「まぁ、立派な馬車。馬もすごい迫力ですね」


エルは、自分の背丈よりも大きい体高の馬に目を見張る。


「ハーブ家の重馬ですからね。そこらの馬とは質が違いますよ」


荷物を馬車の中に入れると、再びエルは教会へ戻っていき、また別の荷物を持ってきて、せっせと運んでいる。


「荷物運びなら、従者の私に任せてください」


「あっ、それじゃあ、これを運ぶの手伝ってもらえますか?」


「はい、なんなりと申し付けください」


「ちょっと待っててくださいね」


それから、なにかを教会の床をずるずると引きずってやってくる。


「あうあうあー」


エルが一生懸命引きずってきたのは、寝ぼけたままのシルバだった。


「よいしょっ、よいしょっと」


「あのー、荷物ってこれですか?」


「はい、朝はどうしても苦手みたいで。私だけでシルバさんを馬車に積むのは大変だったので、助かります」


「あぁ......」


ウィルフレア殿の精神状態は思ったより深刻なのかもしれないな......


「それじゃあ、エリーゼさん、お願いできますか?」


「あうあう」


「えっ......あっはい」


予想外のものが出てきて戸惑っていたエリーゼは、エルの言われるがままに従ってしまう。


「はい、シルバさん、この人におんぶしてもらってくださいね」


荷物運びのつもりが、まさかウィルフレア殿を背負うなんて思いもよらなかったな


「ええと、こちらにどうぞ」


「あう」


シルバを後ろにして屈むと、背中にずっしりと重たいものが乗っかる。

長身で筋肉質の身体はかなり重く、元は歴戦の戦士なだけある。

また、脱力しきって完全に体を預けてきているのも、体重が更に掛かる原因の一つだろう。


「おぉ、流石は騎士様です。力持ちですね」


「えぇ、これしきは。普段は鍛えてますので、一人ぐらいなら、どうってことないですよ」


シルバを馬車まで運び、空いている座席に寝ころばせ、ほっと一息つく。


「よいしょっと。......ふぅ」


「お疲れ様です! これで荷物は全部なので、いつでも出発できます」


「それでは、お好きな席に座っていてください」


「はい、よろしくお願いします」


エリーゼは御者台に座り、馬の手綱を握る。


「......私がしっかりしなくてはな」


深呼吸をして、冷たい新鮮な空気が体に澄み渡らせることで、気が引き締まる。


「よしっ、それでは出発!」


シルビア様、我々の出立に祝福を.......


心の中で天使に祈りを捧げ、馬を走らせる。

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