その8
セレナが白鳥の背にしがみつきました。きっとこのままセレナを見送れば、すべてが丸くおさまるのでしょう。再び国には雲が描かれ、そして虹の魔女は若い後継者を得ることができるのです。アズーリの手に持たれていた、心のとびら絵がかすかに熱く熱を持ちました。それに気づいたとき、アズーリは思わずセレナに声をかけていたのです。
「待ってくれ!」
「えっ?」
飛び立とうとした白鳥の足をつかみ、アズーリがセレナを呼び止めました。セレナが驚きふりかえります。
「待ってくれ、おれは、チェーロ王国の第一王子として、これまで常に民のことを考え続けていた。今回のこともそうだ。民を救うためなら、例え西の果て山だろうと、地の果てだろうと、どこにだって行くつもりだった。それもひとえに、民を渇きから救うためだ」
アズーリはもう一度、セレナに心のとびら絵を見せました。とびら絵には、無数のいばらに囲まれた鳥かごが描かれていました。セレナが「あっ」と声をあげます。
「だが、おれは今、大切な人の渇きをいやすこともできずに、ぼうぜんとつっ立っている。こんな体たらくで、なにが王子だ! ……どうか君の渇きをいやす手伝いを、おれにもさせてくれないだろうか?」
「でも、あたしが虹の魔女にならなければ、この国は滅びてしまうわ。みんな乾ききってしまう。そんなのはいやよ!」
激しくかぶりをふるセレナの手を、アズーリが不意につかみました。セレナの動きが止まります。茶色のひとみが、星にぶつかったかのように、きらきらときらめいています。
「今はまだ、君につらい思いをさせてしまうのかもしれない。でも、きっとおれは君を救う! いばらの鳥かごから、虹の魔女じゃない、君を、『セレナ』を救うよ!」
「クァーッ!」と再び白鳥が鳴き、そして空に羽ばたきました。セレナとアズーリの手が離れます。白鳥のすがたがどんどん空に浮かんでいくのを、アズーリはぼうぜんと見つめていました。しかし……。
「……ハハハ、『きっとよ』か! あぁ、必ず君を、そのいばらの鳥かごから解放するよ! 待っていてくれ!」
青一色が広がる空に、一羽の白鳥が舞い、そしてそのあとにたくさんの雲が生まれていきました。どれもふわふわとした雲でしたが、一つだけ、文字のように見える雲がありました。アズーリはその雲を、いつまでもいつまでも見続けているのでした。
「違うわ、ほら、また雲が空中で消えちゃってるじゃないの」
西の果て山というからには、とんでもなく険しく、ごつごつの岩ばかりだと思っていたのですが、アズーリはその考えが間違っていることにすぐに気がつきました。美しく、それこそ虹のような色とりどりの花に囲まれていたのです。でも、その中で一番のお気に入りの花は――
「難しいな、魔力を宙にとどめるのは」
「なにごとも練習よ。ほら、もう一回」
「ははは、君は厳しいな」
「でも楽しいでしょう? アルコバレーノで雲を描くのも」
「あぁ、でもほら、雲もいいけど、こんなのもいいだろう?」
「これ、花……? コスモスの花だわ」
「こっそりこれを描くのを練習していたんだ。どうかな、先生?」
「もう、雲を描く練習をしてほしいわ。……でも、ありがとう。きれいだわ」
「いつかおれたちの子供が、この『西の離宮』で暮らすようになったら、もっともっと、いろんなものを描いてあげよう。そして、描いたものだけじゃなくて、本物も見てまわろう。この世界には、アルコバレーノで描かれた絵よりも、もっと美しいものもあるんだから」
「そんなものあるかしら? あたしのアルコバレーノの腕を見くびっているの?」
「いいや、あるよ。おれはそれを手に入れたんだから。いばらの鳥かごを切り裂いて、なにものよりも美しい小鳥と出会えたんだから……」
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