その6
壁をバンバンたたき、セレナの名を呼ぶアズーリでしたが、セレナはなにも答えませんでした。アズーリは剣を抜き、神経を集中させて、壁に向かって一閃しました。スパンッとまるで紙が切り裂かれるような軽快な音とともに、壁は切り裂かれて消えました。しかし、そこにセレナのすがたはありませんでした。
「セレナ! くっ、どうすれば……」
悩むアズーリでしたが、天井からぼたぼたとインクが落ちてきたのを見て、あわてて出口にかけよりました。
「うぉぁっ!」
かんいっぱつで、とびらをけやぶりアズーリは外に飛び出しました。バシャーッと水がこぼれるような音とともに、レストランがごちゃごちゃな色の濁流となって、流れて溶けて消えていきました。濁流に染められた土地も、しゅうぅっとけむりのように色が消えていきます。あとに残ったのは、屋根が崩れてかろうじて壁が残っているだけの、ただの廃屋だったのです。
「まさか、この廃屋が、あんなレストランになっていたなんて……」
アルコバレーノで描かれたレストランを思い出し、アズーリはごくりとつばを飲みこみました。しかし、すぐにハッとなってあたりを見わたします。
「くそっ、見失ったか……」
セレナのすがたはすでにどこにも見えませんでした。まだ日は高いままでしたが、このまま日が沈んだら、探すのは難しくなります。先ほどの口調からして、西の果て山に帰るはずもないでしょう。
――なんとしても見つけ出して、西の果て山に戻らせないと――
アズーリは廃屋から、大通りへと続く小道を抜けていきました。干ばつの影響で、外を出歩く人はまばらでした。アズーリはそのなかで、トボトボと歩く老人にかけよりました。
「ご老人、今若い女の子を見かけなかったか? 栗毛色の長い髪をした子だ。コスモス色のワンピースすがただが、見なかったか?」
「なんだね、あんたは? 女の子? いや、見なかったが」
老人は、どんよりした顔で首をふり、ぶつぶついいながら去っていきました。アズーリはあきらめずに、今度は若い男を捕まえてたずねたのです。
「君、今若い女の子が走っていくのを見なかったか? 栗毛色の長い髪の子だ。コスモス色のワンピースで」
「ん? あんたあの子の知り合いかい? 泣きながら向こうへ走っていったけど」
男は大通りの先を指さしました。
「礼をいう、ありがとう」
男は手をふり、歩いていってしまいました。アズーリは男の指さした先へと、急いでかけだそうとしました。しかし、ふところに熱い痛みが走ったので、思わず顔をしかめました。
「なんだ、今の痛みは……」
ふところに手をやり、アズーリはハッと目を見開きました。そこにあったのは、アルコバレーノで描かれた、あの心のとびら絵だったのです。
「この絵は、虹の魔女へとつながる絵。虹の魔女の、心のとびら……」
西の果て山の絵だったはずが、描かれた風景は変わっていました。西の町の絵に変わっていたのです。そしてそこには……。
「セレナのすがただ」
西の町の、大通りをセレナがかけていくのが描かれています。それはじょじょに変化し、まるで映像として見ているかのようです。男が指さした先です。どうやらそこまで遠くはなさそうでした。
「よし、この絵を見て追っていけば、セレナを捕まえることができる。あとは、西の果て山へ送り返して……」
そこまでいって、アズーリはぴたりと止まってしまいました。今、自らがいった言葉を今一度思い返します。
――セレナを、捕まえる? そして、西の果て山へ送り返す――
最初にこの心のとびら絵を見たときの景色を思い出して、アズーリの心は静かに沈んでいきました。
――いばらの山だった。まるでどこにも行くことができず、とらわれた小鳥のいばらの鳥かご……。それに、乾ききった大地、絵までもが乾いていた――
アズーリは、もう一度心のとびら絵をじっと見ました。逃げていくセレナではなく、西の町全体を、しっかりと見ていったのです。と、絵のはしに描かれていた、あの廃墟に目がとまりました。
「廃墟に、いばらが巻きついている……」
とまどいながらも、アズーリは廃墟の描かれたところを指でふれました。インクはカラカラに乾いて、指にカサカサとこすれます。わずかに絵がゆがみ、ゆらめいた気がしました。
――おれは、渇きをいやしに来たはずなのに、民を、目の前にいる民一人すら、救うことができていなかったんだ――
アズーリはくるりときびすを返すと、急いで廃墟へと戻っていきました。
その7は本日1/11の21:15に投稿予定です。