リュカという青年(二)
それを見送ったカレルはこっそりとセシリアに耳打ちした。
「この商談について探ってみるから、安心して」
「あの女の元に行かせるのは気が引けるけど… …よろしくね」
「任せて」
そう言ってウィンクするとカレルはラバール伯爵の元へと急いで行った。
カレルをあの女の元に行かせるのはなんだか獅子の中に我が子を投げ込む気持ちだったが、ここはカレルを信じるしかない。
心の中で申し訳なさを感じながら、セシリアは次に商談に訪れた客の相手をすべく持ち場に戻った。
ラバール伯爵が商談部屋へと消えていった後、しばらくして再びドアベルの音と共に一人の紳士が入ってきた。
まだ年は20歳そこそこ。セシリアとそう変わらないだろう。長身で知的な雰囲気のする顔立ちで凛とした雰囲気が印象的だった。黒のビロードのジャケットを上品に着こなし、緑がかったブラウンの髪に金の瞳が魅惑的に見えた。
「リュゼ・テオノクスだ。本日ラバール伯爵と面会に来たのだが」
「お待ちしておりました。伯爵様は先ほどお着きです」
「そうか」
「ご案内します」
以前グレイスが言っていた情報を思い出す。『実は最近テオノクス侯爵・セジリ商会・ラバール伯爵が接近しているのよ』と言っていたが、セジリ商会での商談とは意味深だ。
今ならばこれは裏があると確信を持って言える。
だがここで何をするのか… …やはり商談だろうが、この3者が会する商談については検討がつかない。ここはカレルの働きに期待するか… …。
そんなことを考えながら商談が行われるVIPルームへと案内する途中で、リュカに突然話しかけられた。
「君はこの商会の方かな?歳が若いのに偉いね」
「僕は…臨時社員みたいなものなのです。父が商家なのでその勉強にお世話になってます」
「そうか。自分で稼ぐというのは凄いことだよ。尊敬する」
「そんな…町では僕くらいの歳の人間が働くのは当然ですから」
セシリアは男装しているため15歳くらいの少年のように見えるのだろう。
それにしても尊敬するとはどういう事だろうか?貴族にとって労働するなど下々の人間がするという考えを持つ人間も多いというのに。しかも貴族は遊んでいても金が手に入る。
自分で稼ぐことを尊敬するというのは貴族にしては珍しい考えだとセシリアは感じた。同時にリュカはまるで自分は自分で稼げないことを恥じているようにも見える態度が気になっていた。
「尊敬ですか?貴族様なのにずいぶん珍しいことを言うのですね」
「僕は……自分の力で生きるという事が羨ましいのかもしれない。誰にも依存せず自由に生きる君が羨ましいよ」
「はぁ… …」
少し自嘲気味に自分について語る姿は、一時期のスライブを思い出す。その瞳の陰りの原因は何だろうか。
だからもう少しだけセシリアは突っ込んで話を聞いてみることにした。
「リュカ様の考え、貴族の方にしては珍しいですね」
「そうかもしれない。お陰で社交界では変人扱いだ。でも僕はそれを恥ずかしいとは思わないよ」
「そうですね。僕もそのお考えは素敵だと思います」
「現在の国王陛下は市民も貴族と同等に生きる権利を保障するという考えをお持ちだ。僕はそれについて同意している。一部の特権階級が権力を持つのはおかしいし、平等に生きる権利はあると思ってる」
セシリアは目を見開いた。
市民に対する医療や教育に金をかけるべきではないという意見の人間も多いのだ。
貴賤問わず最低限の衣食住が保証されて、教育や医療が受けれるようになるとう理想については貴族の間でも賛否がある。
そんな風に自分の政策を思ってくれる人がいることが素直に嬉しかった。
「きっと国王陛下も聞いたらお喜びになると思います!」
「まぁ僕は無力で何もできないけど……」
「それでも、同意してくれる人間がいるというだけで励みになるものです。それに変わり者と称されても社交界で信念を貫く姿は凄いと思います」
「そうか… …ありがとう。君と話すのは楽しかったよ。仕事頑張ってね」
「はい!では失礼します」
「あ、そうだ。この飴上げるよ。君が元気に仕事しているのを見たら僕も励まされた。そのお礼だよ」
セシリアの手には水色に光るキャンディが乗せられた。綺麗で眩しくて。なぜかどんな宝石よりも魅力的に見える。
きっと誰にでも優しくできるリュカの心根が垣間見れたからかもしれない。
セシリアは一つ礼をしてその場を離れようと顔を上げたときには、リュカはすでにドアノブに手をかけていた。だが、その瞬間には先ほどの柔和な笑みは無く、酷く緊張していて苦しそうな表情になっていた。
(何……あの表情。さっきと全然違う)
思わず足を止めて見入ってしまっていたが、リュカはそれには気づかないようでドアを開けるとその横顔は一層陰りのあるものに見えた。
それが少し気にかかりつつも、経理部の人間がセシリアを呼ぶのを聞いて慌てて事務所に戻ったのだった。
◆ ◆ ◆
その後、無事にセジリ商会への潜入が終わった。城に戻ったセシリアとカレルは慣れない仕事で脱力した体を何とか気力で奮い立たせ関係者を集めて話を始めた。
部屋に来たサティは何か面白そうな話が聞けるのではないかと微笑を浮かべながらも目が爛々としているのが見て取れた。
そんなサティを見てカレルは心の底から疲れたというた溜め息をついて言った。
「その様子だと、相当疲れたようだな」
「サティ… …他人事だと思って。いつものパターンだよ」
「あぁ、女に絡まれたか?」
「まぁ。そんなところだね。正直潜入よりもそっちが大変だった。
「仕方ないだろ。恨むならその顔を恨め」
面白そうに話すリュカ達の会話を聞いて、スライブが非常に悔しそうな表情を浮かべた。
「自分で言い出したことだろ。セシリアと一緒に居れたんだからそのくらい我慢しろ」
「スライブもシリィちゃん絡みだと鬼畜だね。本当に疲れたんだから少しぐらい労ってよ。でも頑張って情報は聞き出せたから安心して」
「うん、カレルはすっごく頑張ってくれたよ。ありがとう」
先ほどまで会う女性に悉く言い寄られていたカレルの苦労をしみじみと思い、スライブの代わりにセシリアが労いの言葉を口にする。
マスティリアの内政に巻き込んでしまったのは予想外の事だったからだ。
「巻き込んじゃってごめんね」
「いいよ。スライブの言う通り自分で志願したことだし。それでシリィちゃんの方の首尾はどうだった?」
「無事裏帳簿を入手できたわ。これ」
スライブのセシリアの持ってきた裏帳簿を皆の前にあるセンターテーブルの前に放り投げた。
それを興味深そうにマクシミリアンは手に取ると、中をペラペラとめくり真剣な表情で確認して行く。
セシリアはマクシミリアンの様子を眺めながら言葉を続けた。
「スライブの言う通り入出荷量が違っているのは明白。でもねこの2つの記号は何かしら?●がついている方はかなりの出荷量ね。◎の方は出荷量は少ないけど値段は結構な高額よね」
「記号の意味……なんでしょう?」
「そこなのよ。考えたけどよく分からなくて……。そこはもう少し情報を整理して別途詰めていきましょう。今グレイスが調べているから何か情報が来るかもしれないし」
スライブは何かを考えながら、今度はカレルに情報の報告を促した。
「カレルの方はどうなんだ?」
「シリィちゃんもも知っていると思うけどセジリ商会の社長らしき人と、ラバール伯爵、それと父親の代理とは言っていたけどテオノクス侯爵の息子のリュカという人物がいた。商談内容についてはラバール伯爵の娘さんが好きな宝石を選んでいたね。それの値段が驚くほど安くて。僕の見立てでは市場の半値以下だなという感じ。名前もセジリ商会じゃなかったのも不自然。」
「でもセジリ商会での商談でしょ?それなのに他所の会社での商談なんて不思議よね。どこの会社だったの?」
「えっと……セジリグランテス商会と書かれてたかな。セジリ商会の子会社かなんかだと思ったんだけどね…」
セシリアは裏帳簿を見てセジリグランテス商会とセジリ商会の取引がないかを調べた。
すると取引は行われており宝飾品を卸している様だった。が、驚くべきはその価格。ほぼ横流しの値段であった。