リュカという青年(一)
潜入計画の立案からほどなくした月末。セシリア達は予定通りにセジリ商会への潜入を果たしていた。
セジリ商会の中は慌ただしく、日中はひっきりなしに商談相手が訪れる。セシリア達にはメインの帳簿付けの仕事のほかに商談に訪れた客を商談部屋へ案内したり、お茶出しや在庫管理、掃除などの雑用なども一手に引き受けることになった。
とはいうものの全部をこなせるはずもなく、簿記の知識のあるセシリアは在庫管理と帳簿付けをメインに、商談部屋への案内やお茶出しなどの接客をカレルが、それぞれ行うこととなった。
「じゃあ、セシルこの伝票の整理をしてくれ」
そう言って経理部長が伝票の束をセシリアの机に置いた。
部長はいつもながら仕事もしないで人にばかり仕事を押し付ける性格だった。部長机で新聞を読みながらタバコをふかしている脂ぎった顔は嫌悪感を抱くには十分だった。
部下たちにをぞんざいに扱うくせに、上役にはへこへこしたその変わり身の早さといったらない。
もしこんな男が自分の部下なら即刻解雇するだろう。
「アルバイトだからと言って手を抜くような真似はするなよ」
「分かりました!!」
(ちょームカつく!!でも我慢我慢。こいつさえ居なければこの商会の人たちはいい人が多いんだけどなぁ…。こんな奴が経理部長な時点でセジリ商会も魔窟なのかもしれないわね)
内心の怒りをおくびにも出さずセシリアは経理部長に笑顔で答えると、経理部長は満足したようにうなずきながら部長室に消えていった。
セシリアの机に置かれた伝票の束を見て、ほかの経理のおじさんたちが憐みの目を向けながら伝票の半分を持って行ってくれた。
「おじさんありがとう」
「いいんだよ。セシル君にはいつも助けられているし。ちょっと手が空いたから手伝うよ」
「手伝いに来ているのに、逆に手伝ってもらってすみません」
「そう言えば今日はお兄さんも手伝いに来てくれているんだね。ずいぶん男前な兄さんだね」
「あ… …まぁ……」
「さっき来てた貴族の娘さんが見惚れてたよ」
「はははは… …」
思わず乾いた声が出てしまう。
そんなセシリアと経理の男とのやり取りを聞いていた周りの社員たちもセシリアに声をかけてきた。
「あんなイケメンが接客してくれれば、売り上げも伸びそうだよな」
「セシルは簿記ができるし、兄さんは接客が上手い。やっぱり商家のお坊ちゃんたちは戦力になるよ」
「兄ちゃんの方も来てくれると助かるよ。月末だけでもいいからさ」
「考えておきますね」
(あんなに目立たないいようにと言ったのに……やっぱりあの無駄にいい顔が悪いわ…)
セシリアは潜入前にカレルと交わした会話を思い出していた。
『カレル、いい?絶対にバレるわけにはいかないんだからね。目立たないでね』
『もちろんです。ひっそりと目立たないほうに行動ですね。シリィちゃん……えっと、セシルも気を引き締めてくださいね』
なのに、さっきから女性に言い寄られては困ったような顔をして何とかその誘いをやんわり断っている。
女受けをするフェイルスも美男子だしスライブもイケメンだが、カレルにはそれとは違う魅力があるのかもしれない。
(フェロモンが出ているのかしら?)
ここに来る前にスライブ達にはカレルは女性にもてるから気を付けるようにと一応忠告を受けていたが、まさかこんな風にひっきりなしに女性から声を掛けられるとは思ってなかった。
何とか相手の女性の機嫌を損ねないようにのらりくらりと女性からの誘いを断っているカレルの努力を見ると、無駄に顔がいいのも苦労するなとしみじみと思ってしまう。
そして一瞬スライブもあんな風に言い寄られたりするのかと考えてしまった。
(スライブもイケメンだし王太子っていう魅力的な地位と権力を持っているからきっと引く手あまただったわよね…あ、でも青薔薇の貴公子って言われて不愛想だったというから女性から敬遠されていたのかしら?って、今はスライブの事を考えてる場合じゃない!)
頭をぶんぶんと振って、スライブの事を頭から話して帳簿を付けていると、部長机に置かれた青色の帳簿が目に入った。
「あれ?この帳簿は整理しなくていいんですか?」
「あ…あぁ。これは経理部長がチェックして部長室に保管するからいいんだよ」
「そうなんですね。じゃあ部長室に持っていきます」
「よろしく」
顔なじみの経理部の男はセシリアを信頼しているらしく、気軽にその帳簿を手渡してくれた。
(この帳簿、絶対にあれ怪しいでしょ?)
そして部長室に行くふりをして、中身をざっと見るとセシリアは以前スライブが指摘していた入出荷量について不自然な点を裏付ける内容が見て取れた。
(ドンピシャ!これ裏帳簿だわ。入出荷量が合わないし…それと、これは何かしら。2種類の記号があるみたい。入荷量<出荷量については水増ししているから分かるけど……出荷量が2種類に分類されてる… …)
このままゆっくり見たいが、あまり立ち止まっていても不審に思われてしまうだろう。
セシリアはそっと帳簿を鞄にしまうとさり気なく席へと戻った。
◆ ◆ ◆
経理の仕事が一段落したのち、カレルが休憩の時間となるのを見計らってセシリアは接客交代を自ら進んで引き受けた。
誰か重要な人物が来るかもしれないし、ラバール伯爵が店を訪れる可能性も高い。
カレルはさすがスライブの従兄弟であり、社交が得意なだけあって今日の来客の特徴と名前を一度に覚えてしまった。だからラバール伯爵が来ても安心なのだが、セシリアも側にいた方がいいだろうという判断だった。
「カレル、そろそろ交代の時間だって」
「あぁ、そうなんだ。ちょっと疲れたからちょうど良かった」
「立ち仕事だから疲れるわよね」
「それもあるんだけど」
「あ……あぁ」
きっと主に女性に言い寄られて困っていたのだろう。カレルにとってはそちらの方が大変だったようだ
その時カランとベルが音を立ててなるのを聞いて、セシリアとカレルはその人物を迎えようと体を向けたが、瞬時にセシリアは体をこわばらせカレルの後ろに隠れるように控えた。
そこに現れたのは濃い紫に金糸で豪華な模様を施した服を着たラバール伯爵だった。その手にはごつごつとして金に光った趣味の悪い指輪を付けている。
後ろにはラバール伯爵の娘であるセレスティーヌと思われる女性が胸元の大きく開いた真っ赤なドレスを着ている。胸元には父親と同様に派手でごてごてと下品なダイヤモンドのネックレスをこれ見よがしに付けていた。
ラバール伯爵とはそう何度も顔を合わせているわけではないが念のためセシリアは顔を伏せながらさり気なく彼らを盗み見ていた。
だがプライドの高い貴族でもあるラバール伯爵は商人の子供のことなどあまり気にかけなかったようだ。
「いらっしゃいませ。ラバール伯爵ですね」
「そうだ」
カレルがにこやかに出迎えると伯爵は鷹揚に頷いて、商談部屋への案内を促した。
だが、その父親の言葉を遮るようにカレルに話しかけたのは娘のセレスティーヌだった。彼女は舐めるようにカレルを見て、ポッと顔を赤らめている。
どう見ても一目惚れしたと見える。
「まぁ、貴方ここの新人さん?でも……どこかで会った?」
「いいえ。人違いでは?僕のような商人の見習いが貴族の貴方と知り合いで反ないじゃないですか」
「それもそうね。それよりもこの後食事にでも行かない?とっても美味しいレストランを知っているのよ」
(恐るべしカレルの魔性の魅力… …)
しなだれかかるようにしてカレルにすり寄り甘い声をかけるセレスティーヌからさり気なく距離を取ってにこやかに躱すカレルの対応はさすがの場慣れとしか言いようがなかった。
そんな娘を見たラバール伯爵は眉を潜めながらセレスティーヌを窘める。
「セレスティーヌ、商人などに声をかけるな。お前はリュカ様との婚約前なのだから慎みなさい」
「リュカ様も素敵ですけど、彼は魅惑的よ。ねぇ、私の愛人にならない?」
「いいえ……貴族のご令嬢と私など釣り合いませんし。それより商談のお時間が迫っておりますのでお部屋にご案内しますよ」
「じゃあ、今日の接待役は彼にお願いするわ。ね、そのくらいいいでしょ?お父様」
「仕方ないなぁ」
娘に甘い顔を覗かせたラバール伯爵は、ただでさえ醜い顔をだらしなくさせて部屋へと向かって行った。