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その名を呼ばれたくて(三)


 両者が間合いに入るようにじりじりと距離を詰めると、やがて手下の一人が一気に剣を振り上げて襲ってきた。

 それを狙っていたかのように、スライブはその剣をはねのけて、一刀する。

 そして男は絶命の声を上げると同時にスライブが叫んだ。


「行くぞ!!走れ!!」


 その声に弾かれるようにセシリアは馬を止めている場所まで一気に走った。後方からは襲ってくる手下の剣戟を交わしながらスライブが続いている。


 息が切れるのをこらえてセシリアは必死に走ると栗毛の馬が見えてきた。その馬に跨ろうとするが、手がガクガクと震えて力が入らない。もたついている時間はないとは頭で分かっているが、どうしても時間を取ってしまった。


「慌てずに、落ち着いてください。追手は私が食い止めるので」


 そう言いつつ、スライブはセシリアの足場を作り乗馬するのを手助けしてくれる。芋虫が這うように何とか馬に乗るのを認めると、スライブもひらりと馬に乗り、同時に鐙を勢いよく蹴った。


 馬はヒヒーンと嘶くと、前足を一度空に浮かせた後に全速力で走り出した。

 

 その後ろから手下の男たちの怒号が聞こえる。それを後方に聞いているとその距離は徐々に遠くなっていく。しかし今度はヒュンと空を切り裂く音がしてセシリアはスライブ越しに後ろを見た。


 追手の男たちは執拗に追ってきているようで、後ろから矢を掛けられていることが分かった。


「ルディ!!矢が!」

「分かってます。喋らないで、舌を噛みます」


 スライブは強い語調でそう言って馬を更に加速させた。

 このまま喋っていたら本当に舌を噛むと判断したセシリアは振り落とされないように、鞍の前をぎゅっと掴み目を閉じて体を固くするしかなかった。


 弓矢は雨のように降ってくるのをスライブは剣で振り払いつつも馬を加速させる。そうしてもう少しで城というところで追手は来なくなった。



 命からがら逃げかえったといった表現が正しいだろう。城の側に来て、スライブは馬の速度を緩めた。

 

 急いで馬を走らせたせいもあって、スライブの呼吸も荒いものだった。吐息が耳にかかるのがなぜか熱く感じる。そうして少しセシリアにもたれかかるような体制になったので、セシリアは一瞬どきっとしてしまった。


 耳元でスライブが囁く。


「怪我は……ないな」

「うん、大丈夫。ルディは?」

「大丈夫……」


 そう言ってセシリアが振り向くとスライブはかろうじて笑ってはいたが、それはとても苦しそうでとても普通の状態ではないことが察せられた。

 それでもしっかりとセシリアを庇いながら馬から降ろし、スライブも下馬しようとした時だった。


 突然スライブが力なく馬から倒れた。

 慌てセシリアはその身を支えたが、スライブの背には深々と矢が刺さっている。刺さった矢の部分から鮮血がスライブの白い服に滲んでいるのがやけにはっきり見る気がした。


「セシリア……お前が……無事でよかった……」


 息も絶え絶えにそう言って倒れていったのだった。


 セシリアの名を呼ぶスライブに応えるようにセシリアもその名を呼んでいた。


「スライブ!!スライブしっかりして」

「……ようやく……名前を……呼んでくれた……」

「誰か!!誰か!!医者を呼んで!!」


 叫けびながら命じているときにも抱えているスライブの体温はみるみる内に低くなっていくのがわかる。寒さと失血からくるものだろう。


 その騒ぎを聞きつけた侍女と共にマクシミリアンとサティ、カレルも駆け付けた。


「なんの騒ぎですか?」

「スライブが!!スライブが!!」


 マクシミリアン達が見たのは真っ青になって叫んでいるセシリアと、鮮血を流しているスライブの姿だった。

 セシリアの声に一気に城は慌ただしくなった。


 セシリアの目の前でスライブが運ばれて行くのを呆然と見ていた。耳に入ってくるすべての音は遠く、人々の動きはまるでスローモーションを見ているようにやけに緩慢に見えた。

 よろよろと立ち上がると、セシリアもスライブの後を追った。


  国の最高位の医者であるトーマスが菜園から呼び戻されスライブの治療に当たった。そしてマクシミリアンが緘口令を敷いたので、このことは内密に処理されており、看病は主にセシリア付きのアンナとそれを補助する一部の女官によって行われている。


 だが、周りがなんと言おうともセシリアはスライブの枕元から離れなかった。アンナたちは自分が看病するからと言ったが、セシリアはそれを良しとはせず、全ての看病を自分で行った。


 そうして今、目の前にはスライブが横たわっている。スライブの呼吸は荒く、熱は何日も引かなかった。

 トーマスによれば、肩の矢傷の深さよりも、その矢じりについていた毒の方の影響が強いという事だった。


 サティ曰くは、スライブの体は毒に耐性があるが症状を見るとそれ以外のものだろうということで、半ば解毒を諦めていたようだったが、幸いにしてセシリアは古今東西の植物を育てており、その解毒剤となる薬草もあった。

 それによりスライブの毒を解毒された。

 

 それでも目を覚まさないスライブの手を握り、セシリアはベッドの傍らに座ったままスライブの手を握り呟いた。


「名前なんて、いくらでも呼ぶから……お願い……目を覚まして……」


 もし彼が目覚めたら、全てを話そう。

 少なくとも、今までのような関係にはならない。でも、それでもスライブを失うくらいなら自分の正体を明かしても構わない。


 彼にはもう一度"セシリア"として会いたい。その目に自分を映してほしい。

 そう願いながらセシリアは祈り続けた。


(もし、神様がいるのなら自分の元からスライブを奪わないで。お願い!)



 セシリアは星見や迷信についてはあまり信じていない。非現実的だからだ。自分が双子に生まれたことによって平凡ではない人生を歩くことになったのも一因だ。

 それに元々セシリアは非科学的なものが嫌いだった。だけど、と思う。


 スライブを助けてくれるのであれば、その考えを改めてもいい。だから助けてほしいと切に願う。


 熱はだいぶ下がり、呼吸も落ち着いている。後は目を覚ますのを待つだけだったが、それでも状態が悪化したらと思うと心配で寝食も忘れていた。

 だが、それは苦ではなかった。


 セシリアは目を覚まさないスライブの顔をじっと見つめる。

 朱金の髪はサラサラとして、少しスライブの顔にかかっている。まつ毛は長くその頬に影を落としている。

 鼻筋は通り、薄い唇は男らしいも顔の造作だった。今は瞑っている目は、美しいエメラルドの瞳。であった頃の彼は影を落としていたその瞳も今は活力に満ちていた。


 イケメンだとは思っていたが、やはり彫刻のように整った顔だなぁとつくづく思う。

 そしてスライブの笑顔を思い浮かべる。セシリアの言葉に満面の笑みを浮かべる顔、自分を優しく見つめる瞳。それなのに、書類を見つめているときは真剣な表情で、知的な印象を与えるものだった。

 それも見れなくなるのは絶対に嫌だと思った。


 そっと手を握る。暖かい体温に少し心が癒える。まだ生きている。そう感じるものだったから。


「スライブ……ねぇ、私の事が好きなんでしょ?じゃあ起きて。目を覚まして。今度は私の名前を呼んで」


 握ったその手をセシリアは額につけた。そうして再び祈るのだった。


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