マックスの負傷(三)
「ん……」
体が揺れている。風が気持ちよい。そんなまどろみから覚醒すると、自分がスライブに抱えられて馬に乗っている状況下に置かれていることに気づいた。
慌てて見上げるとスライブが心配そうに顔を覗き込んでいる。
「あぁ、私は……寝てた?」
「はい。少しだけ。もう声も出るようですね」
「本当だ……」
今まで訝しげな表情しかしてなかったスライブがセシリアにほほ笑えんだ。
それまでルディとしてはスライブはいつもセシリアを品定めするような眼を向けていた。
女だと訝しんでいたのか、それとも少年王としての器を見ていたのか。だが、目の前の男はそんな表情が嘘のように優しい表情をしている。
(って、こんな場合じゃない。これ以上接近されたら女だってバレちゃう!)
自分は少年王ということを意識して努めて冷静に言った。
「すまなかった。もう大丈夫だ。そちらの馬が空いているだろう?私はそちらに乗ろう」
「いえ。万が一を考えてこのまま城に行きましょう」
「でも、トーランドの従者にそこまでさせるのは……」
「あぁ、それなら大丈夫です。……とりあえずは詳しい話は城で」
(何が大丈夫?!っていい加減離れて!!)
だがセシリアの焦りも知らずに、スライブの馬に一緒に乗ったまま城へと向かったのだった。
城では大した混乱も起こっていなかった。たぶんマクシミリアンが緘口令を敷いて、大げさにはしなかったのだろう。
だが、出迎えてくれるマクシミリアンの姿はない。代わりにアンナが待っている。
「アンナ……どうした?」
めったに表に出ないアンナが出てくるとは何かあったのだろうか?
そんな疑問を思っているとスライブがセシリアに一歩近づいた。声のトーンも先ほどとは打って変わって低くなり、真面目な話が始まるのだと分かった。
「まずは落ち着いて聞いてください。実は宰相殿が先ほどの襲撃で負傷しました」
「な……マックスは大丈夫なのか?どのくらい重傷なのか?」
「命に危険はありません。当面の間は動けないでしょう」
「マックスはどこに!?」
「宰相殿のお部屋におります」
駆け出したい気持ちを抑えてながらもセシリアは足早にマクシミリアンの元に急いだ。
まだ少しふらつくのをスライブが支えてくれる。
(マックス……無事にいて……!!)
祈るような思いで足早に廊下を歩いて行く。なのにこういう時に厄介な人物が向こうからやって来た。前王弟で叔父であるアレクセイだった。
今一番顔を見たくない。今回の刺客だって、もしかしてこの男かもしれない。
アレクセイを認めると、セシリアはスライブから体を離して毅然とした態度をとる。
「これはこれはライナスではないか。そんなに急いでどこに行くんだ?」」
「叔父上、ご無沙汰しておりますね。生憎私は優雅に暮らす叔父上とは違い、忙しい身の上で。全く時間が有り余っているようで羨ましい限りですね」
今までも刺客を送っては失敗しているという前科があるので、今回の刺客もそうだろうとは思いつつ、マクシミリアンのことを思うと嫌味の一つも言いたくなる。
その嫌味に気づいたようで少し顔を赤らめたアレクセイだったが、冷静を努めているようで鼻で笑ってきた。
「変な政策ばかりを提案して自分で忙しくしているのではないか?そんな変な政策を強行しているといつか命を狙われかねないぞ?」
「私には叔父上とは違って人望もありますから。嫌味しか言えない無能な家臣にしか人望を持っていない方の方が足元掬われないように気を付けてください」
「!!私は帰る!!まぁ、せいぜい頼りにならない騎士共に守ってもらうのだな」
そう言ってずんずんと音を立てながらアレクセイは去っていった。1テンポ遅れるようにしてアレクセイの取り巻きの貴族が慌てて後を追っていった。
それを見送ってセシリアは小さくため息をついて、スライブ達に向き直った。
「はぁ……お見苦しいところをお見せした。」
「いえ……ご存じだとは思いますがトーランドも3年前は第二王妃との内乱もありました。どこでもこのような問題は付きまとうものですよ」
そういうサティだったがその表情から言外に「身内も纏められないとは少年王の手腕も大したことないな」と言われているようだった。
まぁ、そう思われるのは仕方ない。これから何とか挽回するしかないなぁと頭の隅では考えたが、それよりもマクシミリアンの容態の方が先決だ。
セシリアは再び廊下を歩きだした。
「マックス!!大丈夫か!!」
ドアを勢いよく開けると、奥の部屋のベッドに横たわるマクシミリアンを見つけて駆け寄った。
するとマクシミリアンが薄目を開けてセシリアを見た。その顔色は青白く、起き上がろうとして傷が痛むのか顔をしかめた。
「寝たままでいい。傷は……痛むよな。すまない。巻き込んだ」
「いいえ。私は大丈夫です。陛下にお怪我がなくてよかったです」
そう言いながらもマクシミリアンはセシリアの二の腕にある傷に気づいたようだ。だから、セシリアは先手を打ってマクシミリアンが言わんとする言葉を遮った。
「私は何ともないのだ。安心してくれ。それに政務はいい。傷が癒えるまで養生してくれ」
「それなのですが……。ライナス様はただでさえ激務ですし、宰相の私が政務を回さないと難しいかと」
「動けないほどの傷なのだ。お前がいなくても何とかする」
「実はその件でお伝えしたいことが……」
マクシミリアンは少し困った顔をした後、セシリアの後ろに控えるようにして立っていたスライブに目線を向けた。
不思議に思っているセシリアに対し、マクシミリアンは言いにくそうに言葉を続ける。
「それでですね……私が政務を離れている間は、ルディ殿が代行することになりました」
「えぇ!?」
勢いよく後ろを振り返り、スライブの顔を見ると申し訳なさそうな顔をしていた。が、その裏にはなにやら思惑があるような気がしてならない。
「はい。宰相殿が負傷したのは我が国の王太子殿下を守っていただいたためです。その責任は我々にもあると考えております。そこで僭越ながら宰相殿が復帰するまでの間私がそれまでの代行を申し出まして、宰相殿にもご了承いただきました」
にこやかに語るスライブの申し出にセシリアは思いっきり目を見開き驚愕してしまう。と同時に、この急展開にセシリアは混乱した。
スライブと距離を取っていればセシリアが女であることも、彼が探している"セシリア"であることもバレないと思っていたのに、どうして四六時中一緒にいる羽目になるのか?
だいたいバレるリスクはマクシミリアンだとて分かっているではないか。
状況が掴めないまま、とりあえずマクシミリアンに詳細を聞こう。そう思ってセシリアは一つ咳ばらいをした。
「こほん……このような状況になって申し訳ないが、今日はこのままゆっくりと休んでいただこう。アンナ……ご案内を」
言外に人払いを匂わすと、カレルが王太子然として頷いた。
「今回のことはお気になさらずに。確かに少し疲れましたのでこれで失礼しますね。あ、ルディの件は明日からお願いしますね」
「……ご配慮痛み入る」
「では」
カレルは優雅な笑みを残し、サティは若干苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、スライブは薄く笑うという三者三様の表情をして去っていった。
そしてトーランド一行が部屋から出ていきぱたんとドアが閉じられるやいなや、セシリアは声を荒げたいのをグッと抑えつつマクシミリアンを問いただした。
「マックス……負傷しているところ悪いけど…説明してくれると助かるわ」
「全力でお断りしたんですよ!!確かに負傷しましたけど…本当にそんなに重傷ではないんです」
「でもその顔色悪いし、顔をしかめていたじゃない!」
セシリアが詰め寄るとちょっと困った顔をする。
「実はですね。さっき詰め寄られて怖かったんですよ…。それをセシリア様にどう言うかと思いまして……」
「……はぁ。それで顔色が悪かったのね」
「はい……。でもですね、これでも抵抗して断ったのですよ。熱があるわけでもないですし、1週間もすれば良くなると思いますし!!そのくらいならフェイルスだって代行可能ですし!」
「なのになんでこんな風になってしまったのかしら?」
「それはですね……有無を言わさない感じで押し切られてしまったんですよ。最後には"ライナス陛下には何かやましいことでもあるのか?"なんて言われるんですよ」
「でも、これ以上スライブと一緒にいたらそれこ女だってバレるでしょ!!」
「あの形相で迫られたら断れないですよ……」
半分諦めたようにマクシミリアンはため息交じりに呟いた。何となく半泣きなのは気づかないふりをしておこう。
「とにかく、事情は分かったから。なるべく頑張るわ……」
「ええ、ええ、猫かぶりが得意なセシリア様なら立派に演じられます!!」
マクシミリアンの言葉に何故か素直に喜べないような気もするが、とりあえずルディと行動を共にするという現状は変えられないようだ。
セシリアはとりあえずマクシミリアンの部屋を出て、よろよろと自室へと向かった。
(本当、どうしてこうなっちゃったぁぁぁ?)
涙目になりつつ自室に戻って倒れるようにベッドに身を沈めるのだった。