突然のあり得ない条件(一)
翌日、昨日の混乱も冷めやらぬまま会談となった。
セシリアは会談が行われる部屋の扉の前で深呼吸する。
扉の取っ手に手をかけながらも緊張した面持ちでマクシミリアンとフェイルスがこちらを見て、声を忍ばせて言った。
「セシリア様、準備はいいですね」
「落ち着いてください。堂々とすればきっと大丈夫ですよ」
「う……うん。大丈夫。平常心平常心」
こんなに緊張したのは即位式以来だろうか?いや、即位式でさえこんなに緊張しなかったかもしれない。
あの時は状況も理解できないままとりあえず流されるように式が終わったから。
緊張に顔をこわばらせているセシリアを見て、マクシミリアンもまた不安になる。
(あのセシリア様が緊張されるとは珍しい……。いつもはあんなにふてぶてしいのに…。貴重なものが見れた)
でもここは宰相である自分がフォローをしなくてはならない。
というよりも交渉は宰相の仕事だ。気合を知らなければ。そうマクシミリアンが思っていると、セシリアも腹を決めた顔をする。
「い、行くわよ!!」
「はい!!」
そうしてマクシミリアンが重い扉を開けた。
「待たせた」
セシリアは第一声を発した。いつものように少し声を低くして、威厳があるように。雰囲気は王のそれとなるように。
ちらりと王子役をしているカレルを見る。次に従者として控えるスライブを見る。
二人ともセシリアを見て表情に変化はない。だが、まだ油断はできない。様子を見ているだけなのかもしれない。
セシリアの入室とともに席を立ったトーランド一行に席を勧めた。
「お座りください王太子殿下。昨日の夜会は……いかがでしたか?」
「とても楽しませていただきました。皆さんとても親切で、不自由なく過ごせましたのも陛下のおかげです」
「それは良かった」
にこやかに会談が進み始める。
早速ですが、とマクシミリアンが切り出した。
「今回の非公式訪問はわが国との関係についてのお話かと思うのですが」
事前に聞いていたが念のために確認すると、相手の側近であるサティが答える。
「はい。現在貴国とは不可侵条約を結んでいるのみになります。ですが、我々としてはぜひ友好国としての関係を深めたいと思っております」
「なるほど。それはありがたいお申し出です。具体的には?」
「お互いの技術提供と、輸出入取引の拡大あたりを。可能であれば人材交流などもさせていただけると嬉しいです」
それを聞いてセシリアは考える。
(表立ってはまだ同盟国になるのは時期尚早というところね。本当は同盟まで行きたいところだけど妥当なラインと言えるかしら)
この頃にはセシリアもだいぶ落ち着きを取り戻していた。正体についても突っついてこないし、まずは国益を優先に考えるべきだろう。
条件について不足はないということでセシリアはマクシミリアンに目配せをする。
「分かりました。最初のご提案は合意します。詳細は私とサティ殿とで詰めることでよろしいでしょうか?」
「はい。でも宰相殿と交渉となるといささこちらも気を引き締めなくは。双方いいものにしたいのでよろしくお願いいたします」
「いずれは同盟を結んでもいただけると嬉しいものです。ですが、今後もいい隣国としての付き合いを続けられるように、まずは一歩を踏み出したと思えますね」
「私どももそう思います。同盟についても前向きに考えています」
「それは嬉しい限りです」
もう少し渋られるかと思いつつも、案外円滑に会談は終了しそうだった。
帝国との対面上急には同盟は難しいが、水面下で同盟を結べるくらいには友好関係を築きたいという双方の思惑は一致した。
(とりあえずは、正体もばれてなさそうだし、あとは帰るだけね)
では、とマクシミリアンが退室の挨拶をしようとした時、意外な人物が口を開いた。
「恐れながら、王太子殿下はこの件について提案があるとおっしゃっていましたが、そちらをお伝えしなくてはよろしいのでしょうか?」
発言したのは側近としてその場にいたスライブ。その場で固まったのはセシリア達だけではなかった。
王太子として座っているカレルも戸惑いの表情を浮かべている。
「あ……あぁ。そのことだったか。私も言っていいのか悩んでいてね」
「では、僭越ながら私があの条件のことを説明させていただきます」
「たの……んだ……よ」
カレルの動揺がありありとセシリアに伝わってきた。
思わず何を言われるのか身構える。それはセシリアだけではないようだった。室内にいる人間がスライブが何を言うのかをかたずをのんで見守っていた。
「実は同盟を結ぶのには前向きに検討中です。むしろ同盟を結びたいと思っております」
「それは……ありがたい申し出でだ」
スライブはなぜかセシリアをじっと見つめて言葉をつづけた。
「ただし、一つ条件があります」
「……なんだろうか?」
「セシリアという少女を探していただきたい。その人との交換条件です」
セシリアの中で一瞬何を言われているか分からなかった。そしてその言葉を理解したときには頭の中が大混乱だった。
(は?なんで私!?)
「もし、見つからなかったら……?」
「同盟を結ぶことはできません。たぶんそれは今後も変わりません。彼女を見つけることが唯一の条件だと思っていただきたい」
「ちなみに……その少女を見つけたら少女はどうなるのか?」
セシリアは柄にもなく恐る恐る聞いてみた。
これは自分の進退にかかわる重要なことだ。そもそもスライブはセシリアを町娘だと思っているはずで、そんな人間を同盟を結ぶための利用価値などないはずだ。
だが、またもやセシリアの期待を裏切る言葉がスライブの口から発せられた。
「……婚姻を結びたいと思っています」
「!?!?!?!?」
これにはその場の人間全員が絶句していた。
特にセシリアも、そしてマクシミリアンは蒼白な顔をしていた。もう脳内は状況についていけずフリーズ状態だ。
それでも何とかセシリアは答える。
「そ、そんな価値のある人間なのだろうか?貴族としては名前も聞いたこともない。きっと町娘か何かかと思うのだが……」
ね?と同意を求めるようにセシリアがマクシミリアンを見ると、彼も首を大きく縦に振って答えた。
「そうです!!貴族のご令嬢にはそのような人物はいないはずです!!それなのにそのような少女をトーランドの側室などと……」
「いや、側室ではなく、正妃として迎えます」
(はあああああ?どうして?どうしてそうなるの??)
「名もなき娘を……なぜそこまでするのか教えていただきたいのだが」
「いえ、トーランドにとってとても重要な方なのです。そちらとの同盟も堅固になる。悪い話ではないはずです」
確かに普通に考えたら破格の条件だ。
一介の街娘を探し出して差し出せば、トーランドとの同盟を結べ、婚姻ともなれば両国の結束は確固たるものになる。