話は3年後に戻る(一)
そうしてセシリアが王都に連行されてから3年が経っていた。
「はぁ……」
セシリアは何度目かのため息をつきながらも、律義に申請書に目を通してはサインをしていた。
王都に連行され、男装して王太子を演じる羽目になってからの3年間は本当にあっという間に過ぎていったように思う。
王都に着いてからはそれから西の海を隔てた国であるサージルラーナンド国から港の襲来を受けて撃退したり、そのせいでなんかセシリアの人気が出て王に祭り上げられて、気づいたら戴冠式で、諸国にまで少年王とか呼ばれることになり……
(本当、波乱万丈だわ……)
セシリアは再びため息をつきつつ、最後の申請書にサインをしてペンを置いた。
結局スライブとも別れの挨拶もできないまま王都に来てしまった。最後に何か言おうとしていたようだったが、それを聞けなかったのは心残りだった。
(スライブ、元気かなぁ。またぐちぐち悩んでなきゃいいんだけど)
そうやってスライブのエメラルドの瞳を思い出していた。
「はい、お疲れさまでした」
「マックス……今日の分は終わり?」
「書類の確認は終わりです。あとは最後に定例会への出席がありますが、少しだけ時間がありますからお茶でも飲んで休んでください」
宰相となったマクシミリアンが紅茶を用意させる。
セシリアはソファーに身を沈めるとポキポキと肩を鳴らしながらマクシミリアンに確認した。
「一応確認だけど、兄さんの行方は?」
「進展なしです」
「はぁ……どこに行ったんだろう」
「もう3年です。そろそろ諦めた方が…」
「はぁ無理に決まってるでしょ!?一生マスティリア王やるとか無理だから!!第一後継者の問題とかもあるでしょ?」
「それはそうですけどね……」
兄の捜索結果の報告は毎日の確認だったが、今日も進展はない模様だ。それでも確認してしまう。
この3年どこを探してもライナスの行方は杳として知れない。「あとはよろしく」の軽い書置きにしてはあまりにも重責を背負わされている理不尽さに今でも怒りを感じる。
「そりゃ一生独身でもいいとか思ったけど!!でも王である以上後継者は必要だし、周囲も私の子供を王位継承者にしたいって熱烈に言われてて……。まだ18歳だからそこまでは本格的には言われてないけどね。もう少ししたら嫁探しとかしなくちゃならないし……」
(女なのに嫁探しとか……不毛すぎる……)
外交については一応各国からの侵略の様子はない。
3年前に攻撃を仕掛けてきたサージルラーナンド国は友好関係にあり現在は貿易通商も盛んに行っている。
「まぁ、外交も落ち着いている今が婚約者選定の機会という考え方もありますしね」
「だけどねぇ。まだ油断はならないんだけど……」
マスティリアは小国であるにも関わらず他国から狙われているのは常だ。
というのもマスティリアにはマテルライトという希少な鉱物が産出されるのだ。このマテルライトはある加工をすると、高エネルギーを発生させ様々な機動力の源になりうるものである。
応用すれば大砲以上の強力な武器に使用できる。小さな屑でもモノを燃やすことが可能で、マスティリアでは街灯への利用や、家庭用の給湯器などにも使われている。
マテルライトの存在は脅威であるが、セシリアはそれを逆手に取ってマスティリアと友好関係を築いている国には優先的に輸出をしているのだ。
だが、小国であるが故にいつでも狙われる。それはまたガルシア帝国からも狙われているということでもあった。
大陸の6割を占めるガルシア国の侵略は脅威だ。そこで重要になってくるのは隣国トーランド。マスティリアとガルシア帝国の間にあり、トーランドと同盟を結べれば対ガルシア帝国に有利になる。
「だからこそのトーランド国と同盟を結びたいところですね」
マクシミリアンが紅茶のお代わりを注ぎながら言った。白磁のティーカップに琥珀色の紅茶が広がっていく。
セシリアは最近ハマっている茶葉の香を確かめて紅茶を一口飲む。口いっぱいに甘い果実の香りが広がった。
疲れを癒しているはずなのに、気の利かない宰相は仕事の話を進める。
「現在はガルシア帝国も東部との戦争でこっちまでは手が回らないみたいですから、今の内トーランドとの関係を強固にしておきたいところですね」
「まずはトーランドがこの外遊でどう出るかだね」
セシリアはソファの背もたれに頭を押し付けて天井を仰ぎ見た。目を瞑って少し頭をクリアにする。
そしてずるずるとソファーから落ちるように態勢を崩したのちに、手にしていたティーカップをセンターテーブルに置いて立ち上がる。
同時に今後のことを考えてみる。
こちらはトーランドとの同盟は結びたいと思っているため、あちらは値踏みしてくるだろう。本当に帝国を敵にしてまで同盟を結ぶべきかと。
だからこちらも値踏みさせてもらおう。あちらの王太子が信用に値する人物なのか。同盟と言いながらもそれを翻す可能性があるのか。
その辺りの見極めは重要だった。
こちらにはマテルライトという切り札がある。それをどう活かすのかもポイントだ。だが、それよりも重要なのは信頼関係が築けるか。いかにしてそれを勝ち取るかが重要になってくるだろう。
「なんにせよまずは盛大な歓迎が必要だね」
セシリアはだらしなく来ていた首元のボタンを締め、タイを結び直す。再度ウィッグを被り直して鏡の前でそれを整えると、マクシミリアンが持ってきてくれたジャケットとマントを羽織る。
「で、今日の定例会の議題は?」
「税率の見直し案についてです」
「いい話が聞けるといいんだけど、やっぱりネックはアレクセイ叔父さん派閥の古狸達かなぁ。」
「ラバール伯爵のところはワインの産地ですからね。酒税引き上げは厳しいでしょうね」
「あれも、折を見て何とかしないとねぇ……。さて」
セシリアは一呼吸置く。それはライナスとセシリアを分けるためのスイッチだ。
背筋を伸ばして扉の前に立つ。マクシミリアンが恭しくそれを開けてセシリアを通した。
「さぁ、諸君、仕事の時間だ」
そう口にしたセシリアの顔は"セシリア"ではなく"少年王"のもの。その切り替えをにマクシミリアンは感心すると同時に頼もしくも感じるのだ。
先に歩くセシリアを追って、マクシミリアンは歩き出した。