それは嵐の前だった(二)
だから自分の無力さを痛感した。幼いこと、女性であること、知識がないこと。色々な現実を目の当たりにして、何もできない自分の存在に絶望したのだ。
それを機に自分が出来ることを必死に探した。
絶対にもう二度と町を焼かせたりしないための方法を学ぼうとした。だからこそ思うのだ。
人には乗り越える力があるのだと。
そう信じて。
「でも俺は……そんなことができる自信はない」
「自信がない……か。なぜそう思うの?」
「俺には、自分より凄い方が居たんだ。でも事情があって、今俺ははその後釜にならなくちゃならない。でも俺は絶対その方みたいにはなれない。俺には……無理だ……」
スライブの瞳はこの街を眺めているようで、とても遠いところを見ているようだった。
でもなぜそんなことを言うのだろうか?
スライブは凄く優秀だと思う。親方から聞いて話では工事の段取りやローテーションなどの効率的なやり方を提案したりしており、とても助かっていると言っていたのだ。
この短期間で現状を把握して、提案し、改善しようとする力は凄いと思う。
だからこそ素朴な疑問が口をついた。
「だから?だってあなたはその人じゃないんだから。その人の真似をする必要もないし、自分がしたいようにすれば?」
「……。」
セシリアの言っている意味が分からないのか、スライブはじっとセシリアを見つめた。
上手い言葉は見つけられないので、頭の中で思っていることを整理しながらセシリアは答えた。
「うーん、うまく言えないんだけど他人と比べたって意味がないっていうか、問題なのは自分が何をやりたいのかが分からなくなることの方が問題じゃないかしら。ちゃんと自分の中での目標とか?そういうのを持つ必要があると思うのよねー。比較すべきは他人じゃなくて、自分の目標に対してどこがいけないかっていうのを考えるべきってことで」
スライブの目が大きく開かれる。
何か変なことを言ったのだろうか?
そんなセシリアの言葉を聞いたスライブは訝し気な表情を浮かべた。まるで胡散臭いものを見る様にも感じる。
「じやあ、お前は何をやりたいのか自分で分かってるのか?」
「う……一応目標はあるのよ。まだその力はないけど」
「それはなんだ。」
「ランドールは確かに住みやすい都市だけど、私はもっと良くなればいいなぁって思ってる」
「それが目標か?願望じゃないのか?」
スライブは少し小馬鹿にしたように笑いながら言った。それに対してセシリアは若干むっとした。
反論したい。でも確かに柔軟な考えを持つヴァンディアでさえは理解はしてくれていたが、その実現は不可能だとも言った。
だからセシリアは自分の考えを言うか悩んだが、スライブに馬鹿にされるのも癪なので意を決して言ってみた。
「……絶対に秘密よ。」
「急になんだ?」
「あのね……私は人間らしく生きれるような制度を作りたいの」
「人間らしく?」
理解できないようにスライブは首を傾げている。
普通の人間の反応はそうだ。そしてこれから言う言葉を聞いた者は誰しも馬鹿だと言って笑うのだ。
だから一瞬続きを言うか戸惑ったが、スライブがその先の言葉を待っている。何かを期待するように。
「例えば貴賤問わず最低限の衣食住が保証されて、教育や医療が受けれるようになること。難しいかもしれないけど……そう言う制度を作れるように領主様にも訴えたいの」
養父には無理だとは言われているが、自分がもっと大人になって、もっといいアイディアが出たら、きっとランドール伯を担っているヴァンディアも耳を貸してくれるのではないかと淡い期待を抱いている。
それはランドールの民の為になることだとセシリアは確信していたからだ。
スライブは面食らった表情をしたが、すぐに笑顔になってセシリアを見つめた。
その笑顔は小馬鹿にしたようなものではなく、セシリアの考えを肯定してくれるような笑顔だった。
「壮大な……理想だな」
「でも理想は高く持たなくちゃ。出来ないことをできるようにするのが面白いんじゃない!」
「あはははははは!そりゃそうだな」
突然スライブは手を頭にあて、空を見ながら盛大に笑った。笑われたセシリアは驚いたと共に、折角意を決して言った言葉を否定されたようにも思えたが、スライブのそれは馬鹿にするというという感じではなかった。
それでもやっぱり理解してもらえないのだと少し弱気になっているとスライブはすっきりした顔でセシリアの目を真っすぐに見つめた。
その目には侮蔑や呆れといったものはなく、純粋に尊敬しているような光を宿している。
「セシリア。小さいことで悩んでいた自分が馬鹿みたいに思える。俺も、そんな制度が作れたら凄いと思う。自分の理想を見つけるのは必要だな」
スライブはうんうんと納得したように何度も頷き、思い切り息を吸った。
ふーっとはいた後には、今までには見たことがないくらいすっきりした顔をしていた。
「俺は確かにあの人にもなれないし、お前のようにすぐには理想を持つこともできてない。でも俺は他人と比較するのではなく自分の目標を定めて叶えるように努力する」
「うん、それでいいと思うわ」
「そうだな。……セシリア。」
「ん?」
「ありがとう……」
何に感謝されているのだろうか?
寧ろ自分が理想を語っただけなのだ。自分を想っていることを単に言っただけなのに、どこに感謝される要素があるのだろう。
もしかして怪しい男から命を助けたことを礼を言っているのか?
「命を助けたのは当たり前のことをしただけだからよ」
真剣に言ったつもりなのに、スライブはまた大きな声で笑った。
「全部だよ、全部。……感謝してる」
「全部……???よく分からないけど、貴方がそう思うなら、その感謝は受け取っておくけど……」
命を助けたつもりでもノリというか勢いだったし、むしろ食事を奢るふりをして建設現場に連行しているのだ。
利用させてもらったこちらが謝らないといけないのかもしれないが、感謝される要素は見当たらない。
だが、本人が感謝しているのであればそれでいいだろう。
あまり深く考えても仕方ない。
スライブは街を眩しそうに眺めている。その横顔には陰りも強がりもなく、これがスライブらしい本来の表情なのかもしれない。
やっぱり人が笑顔なのは嬉しい。
その時城から時間を告げる鐘の音が鳴った。
それをきっかけに2人で丘を降りて教会への道を歩き出した。
そろそろ教会に到着するというところで、スライブは足を止めてセシリアに向き直った。いつも見られないような瞳の後ろに何かの揺らめきを感じる。
それが何かかは分からないが、スライブが重要なことを話そうとしているは分かった。
「……あのな。もし……もしも……」
「うん。なに?」
そう言った後に、スライブは目を逸らして口元を抑える。そして再び何かを言おうとするが、やはり躊躇してしまっている。
若干耳が赤いのは気のせいだろうか?
「ねぇスライブ。少し顔が赤いけど、熱中症になったんじゃない?大丈夫?」
「いや、そ、それは大丈夫なんだが……。ちょっと勇気が……いや……そうじゃなくて……。はぁ……明日言う。」
「??そう?じゃあ明日ね!」
スライブの様子は気になったが、とりあえず明日になれば事情が分かるだろう。
無理に吐かせるのは趣味じゃない。
それに、急いで帰らねば兄が退屈しているかもしれないし、話したいこともあるのだ。
「じゃあ、私はこのまま家に帰るわ」
「あぁ、また。気を付けて帰るといい」
「うん、スライブもお仕事ファイト!」
手を振って歩き出すが、不意にセシリアが振り返るとスライブはまだその場に立って見送ってくれていた。
とりあえず彼はもう大丈夫だろう。
出会ったときはぐちぐちとウザい男だったが、今はその面影もなくなっている。一安心だ。
願わくばまたぐちぐち男にならないようにと心で願いつつ、セシリアは家路についた。
だがそんな安堵感は兄が残した1枚のメモによって打ち砕かれることになるのだが、この時はあり得ない事態が待ち受けていることに、セシリアは気づくはずもなかった。