それは嵐の前だった(一)
スライブに建設業の手伝いを押し付けてから、一ヶ月ばかり経った頃だった。
最近はスライブの顔を見に工事現場に行くのがセシリアに追加された日課である。
朝食を摂った後、ぼちぼちスライブの元に行こうかと準備をしている時だった。突然屋敷の扉が音をたてて開いた。
バン!!!
「な、なに?」
あまりに大きな音なので持っていたティーカップを落としそうになりながら、セシリアは驚いてエントランスに急いだ。使用人たちも慌ててエントランスに行くのが見えた。
「どうなさったのですか?」
「里帰りだよ」
「でも急なお帰りで……」
「自分の家に帰るのは自由だろ?」
家令とのそんなやり取りが聞こえてくる。そしてこの声の主に心当たりがあり、慌ててその人物に駆け寄った。
「兄さん!?」
「あぁ、セシリア。ただいまー」
「ただいまって。どうしたのいきなり。」
「うーん、ちょっと気分転換。1日だけ泊まらせてくれないか?」
「いいけど…政務は大丈夫なの?」
「ま、まぁ一日くらい。マックスが何とかしてくれると思うよ」
「そう…。」
兄の言い方に若干の違和感を感じたセシリアだったが、確かにマクシミリアンだったら数日くらい政務を受け持つのは可能だろう。
先ぶれがないとか、お付きの者が少ないなど、いろいろと疑問はあったが、それよりも勝手知ったる自分の家ということでリビングにどんどん進んでいく兄の後を追うことにした。
「あ、兄さん。お茶を煎れるわ。」
「うん、頼むよ。」
いつもお茶をするバルコニーに二人で座ってお茶を飲む。
ライナスは王子として政務を行う大変さや、今抱えている仕事の案件内容などを具体的に滔々と語った。
寧ろそんなことまで聞いていいのかと思うほどの内容だった。
「そしてね。国王……まぁ父上が病気に臥せっているんだよ。だから王代行の仕事が始まって……本当大変。だからね、ちょっとリフレッシュに来たんだ」
「そうなのね。国王陛下は大丈夫なの?お加減は悪い?」
「うーん。ちょっと寝込んでることが多くて……もう執務は難しいかもね。一日も早く王位を退いて僕に譲るってきかないんだよ。それで実は近日中に戴冠式を開こうかってことになってるんだ」
「えぇ!?近日中ってどのくらい先?」
「まぁ……一か月も経たないくらいかな?」
「そうなんだ…なら最後のバカンスって感じなのね」
「だね」
いよいよ兄が王位につくのかと思うと、何やら感慨深いものもあった。
共に育ち、学び、……なのにあの性格。片腕となっているマクシミリアンも宰相となるだろうから、更に胃薬の量が増えるような気がする。
何度目かのマクシミリアンへの同情を感じたところで、セシリアはスライブの元に行く時間であることに気づいた。
とはいうものの、折角の兄と過ごす時間だ。今後王となってしまえば、会う頻度も更に少なくなるだろう。
そう思って躊躇していると、ライナスはそれに気づいた様子だった。
「どこかに行く予定でもあるの?」
「実は……」
ライナスにスライブの説明を簡単にすると、ライナスは大仰に頷いていった。
「それは大変だ。きっと見知らぬ地で苦労もあるだろうから行ってくるといいよ」
「でも……」
「いいから行って。是非行って!むしろ早く行ってくれた方が……ごほん……きっとその彼も待っているよ!」
あまりに強く勧められてしまい、逆に断れなくなったセシリアは当初の予定通りスライブの元に行くことにした。
「そう?兄さんはゆっくりしてね」
「じゃあ、また夕食にでも話をしようね。僕は自分の部屋で休むから。はぁーあ、疲れたぁ……」
ライナスは肩を回して自室へと向かっていった。もちろんメイドをはじめとする使用人たちにはゆっくり休みたいからしばらく一人にしてくれと念押しをして……
それ程疲労困憊なのだろうとセシリアはライナスの姿を見送ると、スライブに会うために町へ向かった。
◆ ◆ ◆
「スライブ、頑張ってる?」
スライブの働いている教会の作業現場を訪れ、スライブに声をかけた。
スライブはセシリアを見つけると、汗をぬぐいながら近づいてきてくれた。
だいぶスライブの表情も柔らかくなった。笑顔を向けて歩いてくる。
「あぁセシリア。今日も来たんだ」
「もちろん!……うん、顔色は良いわね」
スライブの顔色をチェックするとあんなに青白かった顔は少し日に焼けて血色も良くなっているようだった。
エメラルドの瞳も光を取り戻している。最初は無表情であったが大笑いすることはないものの微笑むようになり、目元も優しくなった気がする。
(うん。順調に回復しているわね。良かった……)
些細な変化かもしれないが、こうして人間らしい変化を見るとセシリアは嬉しくなる。
現場の作業員たちもなんだかんだ文句を言いながらもスライブを可愛がっており、スライブもそれに打ち解けているようだ。
「作業の邪魔しちゃった?」
「いや、もう午前中の休憩だ」
「じゃあみんなに差し入れよ。果実のジュース。今日は少し暑くなりそうだから水分補給をしてね」
作業員たちに配るとにこやかに受け取り、思い思いの場所で休み始めていた。
スライブと共に、木材置き場の木材に腰かける。セシリアも自分が持ってきたジュースを口にすると、その甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
兄が来ていたせいもあるが、朝からバタバタしていたので一息つくことができた気がする。
「仕事には慣れた?」
「あぁ。元々体を動かすのは好きなんだ」
「そっか。だから結構鍛えてる体つきなのね」
セシリアが睨んだ通りスライブは細身の割に筋肉がしっかり付いている。小麦色に日焼けしており、数週間前の肌の白さの面影がないほど健康的な肌の色になった。
「何か不便なこととかあったら、気にしないで言ってね」
「……ありがとう」
「私がここに連れてきたんだからそのくらいはするわよ」
セシリアが笑いながら答えると、スライブはかぶりを振って少しトーンを落として言った。
「お前は……聞かないんだな」
「何を?」
「死にたがっていた理由」
「なんで聞かないといけないの?」
突然言われて一瞬何を聞かれているのか分からなかった。そもそもなぜそんなことを聞くのだろうか?
スライブに興味がないわけではないが、セシリアには過去を詮索する筋合いも権利もないと思っている。だからそれを疑問に思って逆に聞いてしまった。
すると逆にスライブが驚いた様子だった。
「なんでって……気にならないのか?」
「うーん、だって人間生きていれば言えないことや言いたくないことの一つや二つあるんじゃない?それを無理に聞こうとは思わないよ。」
「そうか……」
「聞いて楽になるなら聞くけど……」
「じゃあいい」
「そぅ」
飲み物を持つ手をじっと見つめるスライブの瞳にはまだ迷いがあるようだった。
きっと聞かないで欲しい気持ちがあるが答えが分からないからこそ聞いて欲しいような、そんな複雑な表情だった。
だが、きっとスライブの性格からは自分の弱みを言い出すことは無いだろう。
(うーん、まだ悩める青少年ってところね)
もしスライブが自分の悩みを言ったとしても、セシリアにはそれに対する回答は返せないだとう。
スライブの過去を知っているわけでもないし、スライブとも出会って一か月もしない位なのだ。
それに女である自分とは違うし、年も彼の方が上だ。
だが、少しなら気分転換をさせてあげることもできるかもしれない。
そう思ったセシリアはスライブの腕を引っ張って立たせると、そのまま彼を引っ張って歩き出した。
「じゃあ、行きましょう!」
「えっ!?またか?今度は行くんだ!?」
「とっておきの場所を案内してあげるから!ほらほら、来て!」
セシリアはスライブを伴って、教会から少し離れた丘に登った。
木々によって日差しが遮られている道を上って頂上までつくと、セシリアは後ろについてきたスライブを自分の横に呼んだ。
「ほら、到着!」
「ここは……」
「綺麗でしょ?街を一望できるの。」
そこはセシリアが悩み事があるときや答えが分からなくなった時に来るお気に入りの場所だった。
「ランドールって数年前にガーネルト国に侵略されたの。その時にこの街は焼かれた……でも、今は復興しているのでしょ?」
「あぁ。綺麗な街になっている」
「あれだけのダメージを受けても再興できる。だから同じように辛くても苦しくてもそれを乗り越える力は人間だれしもが備わっている。そう思うのよ。スライブはそう思わない?」
天真爛漫で人よりはあまり悩まないセシリアだったが、それなりに辛い経験もしている。
特にガーネルト侵攻の時には、目の前で多くの人が亡くなるのも見ていたし、街が焼かれるのも見ていた。
そう、見ているしかできなかったのだ。