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かみってる

作者: 札中A斬

 都内の収録スタジオ「松山スタジオ」ではバラエティー番組収録の真最中。テレビカメラを向けるカメラマン。赤色ランプは点灯している。その先には雛壇の我孫子 幸。次にカメラは軽快なトークで場をまわす男性司会者へと移った。

「スージョのサッチンはやっぱり関取の妻のセキトリ狙ってんの。関取だけに」

 出演者より観客席の笑い声が大きい。観客たちの視線の先は尻を向けるディレクターの指先。その指先の方向が天井から床へ。そして、笑いが収まった。

 幸はカンペを出すそのディレクターと目を合わせた。

「狙ってないですぅ。そんなのおこがましいですよ」

 顔の前で手を振る幸はカメラ目線をキメた。

 芸能事務所、会議室の入口。その扉の上部にはホワイトボードが掲示。〈戦略会議・椿、田仲〉と書いてる。

 会議室。テレビがついている。画面に幸のアップが映った。

「跳ねてるな。我孫子」

 長机の席にはタレント・椿律子のマネージャー 田仲久が腰かける。

「スージョにモデルチェンジだ。時代はスージョ。キテるよ」

 対面に律子。

「スージョですか。カープ女子の次は」

「お前は出身北海道だから、無理があったな。カープ女子」

 律子は一七でデビューした。よくあるおバカタレントでプチブレークを果たす。しかし、若い力が次々と律子を踏みつけた。最近で言うと、スズキナナやニコル、りゅうちぇる。今じゃ田仲に薦められたた五キロの増量で手に入れた。プヨプヨボディをいじられる雛壇要員。律子は「私の需要もうじきなくなる」と危惧する。

「相撲なんてわかりません」

「相撲、わからないでグッグとけ。俺はこれから、我孫子のレギュラー番組の打ち上げ」

田仲は席を立った。

「具体的にくださいよ。アドバイス」

 律子はスマホをいじりながら田仲を目で追った。

「じゃあな」

「お疲れ様でした」

 田仲が退室。

 律子はスマホに目を落とした。その画面には幸の画像が次々とでる。

「わからないならこいつに聞けってか」

 後日、その会議室。ホワイトボード。田仲は〈反省会・椿、我孫子、田仲〉と記入する。室内のテレビ。画面には幸と律子。

「田仲さん。やりづらいったらありゃしない。キャラかぶりのタレント、同じ事務所にいるとかありえんし」

  長机席に律子らが座る。

「やりずらいって。寄せてもいいっしょ。私先輩よ。それに壇蜜と橋本マナミ、もろのキャラかぶりでもバチバチの関係性で成立してる。キャラじゃないけど、スポーツで言うとQちゃん、増田明美の関係」

「まあまあ。我孫子。理由は? 椿はいい感じに親方と絡めてたぞ」

「私、このマーケット一筋でやってきました。相撲人気下火の時からずっと。おバカブームに目もくれず、これ一本でやってきたのに」

「付け焼き刃の知識身につけたやつが人の畑、踏み荒らすようなマネをするなってか。お前の言い分は」

「そうですよ。田仲さんが一番わかってるじゃないですか私の努力」

「そうだな。時期になると、午後一からボーペンとノート持ってひたすらやってたもんな。トリまで。トリ? 最後の試合なんて言うんだっけ、あれ」

「結び。結びの一番」

「そうそう我孫子。格闘技で言うファイナル」

「律子さん。ほんとに相撲見てます?」

「見てるよ。夢にでるぐらい。ちょっと出てこなかっただけじゃんよ。我孫子。私はね。私だってやりづらいけど我慢をしてやってんの。文句言うなよ。仕事なんだからさ」

「まあまあ……お二人さん」

律子のスマホに着信。

「またあの人か」

幸はスマホをのぞいた。

「誰、誰。ライン。隆盛親方じゃん。田仲さん。枕営業してます。この人」

 スマホ画面の文面。

〉よかったらご飯にいきません?今週忙しいですか

「私、狙ってたのに」

 ちゃんこ屋の個室。テーブル席には相撲部屋の親方、隆盛の佐々木健。佐々木はちゃんこ鍋をよそった。

「嫌いなものはありませんか?」

対面に律子。

「ないでーす。ごめんなさい。ちゃんこが食べたいだなんて。焼き肉とかの方が良かったですよね?」

 スタジオの前室。幸ら、タレント・芸人がくつろいでいる。

「サッチン。今場所は誰が優勝すると思う?」

「難しいですね。横綱同士潰しあって案外平幕が優勝する。と読みます」

「さすが、筋金入りだ」

田仲が入室。

「我孫子ちょっと」

田仲は幸を部屋の隅に手招いた。

「田仲さん。どうしたの?」

「また急に、コメンテーターの仕事入ったから知らせに来た。場所の展望を語って欲しいんだと」

「はいはい。それはいいけど、今日って律子さん。親方と食事ですよね」

「そうだな。でも、心配すんな。今ごろボロ出してるよ。あいつ酒癖わりいから」

 バーのカウンター。グラスを持つ律子の目がうつろ。

「あーあ。どうすればいいね。トレンド追いかけて、設定変更繰り返す。なにやってるんだろう」

 よろける律子を隣席の佐々木が支える。

「もう、帰ろっか?」

「佐々木さん。帰りたくない」

「帰りたくない?」

 あの会議室前。ホワイトボードには〈面談・椿、田仲〉。室内には長机に律子と田仲。

「とにかくフォーリンラブなんですよ」

「イエスフォーリンラブ。ってか。じゃねえわ。おい、もう一回聞くぞ。本当にやめんの? しかも、おかみさんって」

「はい」

「お前ね。一回のデートでそんな決断、するもんじゃないよ」

「運命なんです」

「運命? 知らねえよ。そんなもんは。もったいねえよな。スージョキャラ、結構評判いいんだよ。今やめなくても」

 田仲はスーツのうちポケットから手帳を取り出した。

「仮押さえもちらほら増えてきたのにさ。ほら」

田仲は手帳を開いた。

「私プロなんで、それを片付けたらやめます。プロなんで。あっそうだ二週間後、パーティーで御披露目してもらうんです。よかったら来てくださいね」

「はあ、残念だ。応援してたのにさ」

 二週間後、隆盛部屋の上がり座敷。座敷からは土俵が見渡せる。座敷を埋めつくす程の後援者。その中に田仲、幸がいた。上座に立つ佐々木と力士たち。座敷隣接のちゃんこ場から座敷をのぞく律子。

「えー。六時を回りましたので始めさせていただきます。今場所の成績を発表する前に、皆様にお知らせがあります。律子さん。ちょっと」

 ちゃんこ場から座敷に現れる律子。拍手が起こる。律子が佐々木のとなりへ。

「えー。こちら妻になりました律子です。おかみがいない状態で部屋を立ち上げ一年がたちます。やっとおかみになってくれる人が現れました」

 後援者たちからヤジが飛ぶ。ため息をつく幸。

「どうしたよ?」

「田仲さん。私はね、律子さんの背中追いかけてやっと抜いたと思ったら、おかみさんって。まじ、ありえん」

「祝ってやれよ。今日ぐらいは」

乾きものをくわえる幸。

「チエッ。ハッピーエンドかよ」

 部屋の玄関前。田仲と幸を見送る律子。

「今日はありがとうございました」

「早速のおかみさん気取りかよ」

「絡むな、我孫子」

田仲はふらつく幸を介抱する。幸は目を瞑った。

「私の門出で酔っ払うかね。普通」

「おかみさん頑張ってくださいね。って。よそよそしいか。まあ頑張れよ」

「一生の別れみたいに言わなくても。残りの仕事もあるんだし」

「離れて行った気がしたんだよ」

「よく言うわ」

「じゃあ」

部屋を離れる田仲ら。田仲の背中を見つめる律子は。

「ありがとうございました」

と呟いた。

 隆盛部屋の上がり座敷。 土俵の力士たちに目を向ける佐々木。その隣に律子。

「そんな四股踏んでたら駄目だ。ぬいて四股を踏むな。数踏みゃいいと思うな」

 一月場所が終わって一週間は場所休みという。律子と佐々木は休む暇もなく挨拶まわり。いつの間にか一週間が過ぎて、稽古が始まった。今日からはじまる部屋での生活。律子のおかみさんライフが始まる。頑張れよ。

「よし。終わり」

 佐々木が立ち上がる。

「どうも、ごっちゃんでした」

力士たちが稽古場の掃除をはじめる。

律子は佐々木を見上げた。

「ねえ私なにすればいい?」

「なにもしなくていい」

「えっ、そういうわけにはいかないよ。だって私おかみだもん」

 まわし姿の郷の富士・駒場武司がちゃんこ場からにらみをきかした。

「そっかじゃあ、駒場に聞いて全部あいつに任せてる」

「うん」

佐々木は座敷奥の階段へ向った。

 ちゃんこ場。律子が奥へ入っていく。

「駒場君」

 野菜をカットする駒場は律子に顔を向けた。

「はい」

駒場の前で止まった律子はきょろきょろする。

「お店のキッチンみたい」

「みたいじゃなくて、全部プロ仕様ですよ。おかみさん」

「そうなんだ。すごいね」

「どこの部屋でもこんな感じですよ。どうしました? 何か?」

「手伝います。指示して」

「いやいやいや。手伝いなんて、どんでもないです。食事の用意ができましたら、呼びに行かせますので」

「そんな、いたせりつくせり」

「それがおかみさんですよ。あと上の掃除、親方住居の掃除は夕方やります。風呂もトイレもキッチンも全て」

「悪いよ」

「それが俺らの修行ですから。それが嫌ならてめえが強くなるか。辞める。気持ちいい世界。芸能界も一緒でしょ。実力者がいいところをかっさらう」

「う、うん」

駒場は向き直って、野菜を切りはじめる。

 土俵を竹箒で掃く柚木奏太はちゃんこ場をのぞく。柚木と律子の目が合う。上がり座敷に出てきた律子は会釈をした。

「奏太。早く終わらせろ。こっちはひとりなんだよ」

「はい」

柚木は素早く土俵を掃く。

 上がり座敷。円卓テーブルにちゃんこ鍋。座布団に座る佐々木と律子。テーブルのうしろに立つ力士たち。

「みんなは。座らないの?」

「給仕だ。俺達が食べるまで食べれない」

「あんなに動いたのに。絶体お腹減ってるよ」

 駒場は「てめえが早く食や、いいんだよ。くっちゃべってねえでよ」と柚木の耳元に囁いた。

 佐々木はスープをすすった。

「修行修行。あっ、柚子こしょうが出てないよ。柚木」

「すみません。親方」

  ちゃんこ場に向かう柚木。

「だじゃれかよ。健くん」

「奏太走れ」

「はい」

駆け足になる柚木。

 土俵。冴島佐助と駒場が激しくぶつかり合う。冴島が駒場を押し込み、土俵の外に押し出す。

 上がり座敷中央に佐々木。

「稽古になんねえよ。そんなんじゃ。それじゃあだめだよ」

座敷後方に律子。

稽古が終わり。テーブルのまわりに座布団をセットする律子。

「よし」

ちゃんこ場から鍋を持って出てくる駒場。

「熱いの通りまーす」

「はいはい」

座敷の端に寄る律子。駒場は鍋をコンロに置いた。

「おかみさん。誰かお客来るんですか?」

「えっ聞いてないけど」

「ではなんでこんなに座布団を」

「みんなのぶんを」

「おかみさん。ふざけてます?」

「ふざけてないよ」

「俺ら座布団ひけないんです。関取じゃねえから」

「関取? 関取ってお相撲さんのことでしょ」

「ほんとに何にも知らないんですね」

「教えて」

「白と黒ですよ」

「白と黒?」

 黒まわし姿の駒場は壁の方に目を向けた。

 壁に佐々木の現役時代の写真。

律子も写真に目を向ける。

「この写真? あっ白まわし」

 座布団を片付ける駒場。

「とどのつまり、白黒はっきりしてるんです。白になんねえと座布団も当てらんねえ」

 残った二枚の座布団。

「大相撲はイスじゃなくてセキトリゲームですよ」

「そうなんだね」

「つっこんでほしかったな」

「いや、教えてもらってるから」

「おかみさん、もうひとつ。座布団には向きがあります」

 駒場は座布団の向きを変える。縫い目のない面を前にした。

「こっちが正面」

「ごめんなさい」

「向き不向き。おかみさんはどっちなんでしょうね。一体」

律子はうつむく。

佐々木が階段から降りてくる。

「腹へった。腹へったぞー今日はキムチか。人のキムチはわかりません。ってか」

 稽古後の大部屋。八畳の部屋に敷き詰められた布団、眠る力士たち。

 親方住居。佐々木と律子がソファーでいちゃついていた。

 インターホンが鳴る。

「出なきゃ」

  律子はインターホンの画面に目を向ける。

「だれか出るよ。あれだけいれば」

  インターホンが鳴る。

「出ろよな。豚どもが」

佐々木は立ち上がる。

律子は佐々木を見上げた。

「私が出るよ」

「いいよいいよ」

佐々木はインターホンに目を向けた。画面・村雨有紀。

「おかみさんだ」

「なに?」

「律子じゃない。本家のおかみ。って言ってもわからないか、緑松部屋のおかみさん」

 テーブル席に有紀。

「ごめんね。急に」

有紀の対面に佐々木。

「なんもですよ」

キッチンの隅にケーキの入る箱。キッチンから紅茶とケーキを運ぶ律子。

「熱いの通ります」と律子はぼそっと言った。

「部屋頭の竜豊、調子いいですね。来場所は大関取り、たいしたもんだ」

 律子はテーブルにお盆を置く。

「表情には出さないけど気合い入ってるみたいよ」

律子は紅茶とケーキを差し出した。

「どうも」

「うちはまだ白まわしもいないから羨ましいですよ」

律子は佐々木の隣に席につく。

「おかみさん。急にごめんぬ」

「いえいえ」

律子は顔を小さく横に振った。

「たくさんケーキいただいて申し訳ないです」

「奪い合い必至だな。ケーキなんて久しく与えてないから」

「みんなケーキ好きなんだ。健くん他は」

「なんでも食うよ。フライドチキンとかも好きなんだよな。こないだのクリスマスなんて店員が揚げても揚げても追い付かない」

「まあ、あるあるだよね。うちの子もそう」

「今度買ってこよ」

「親方、今度おかみさん貸してほしいんだけど、二人で女子会、おかみ会やりたいの」

「どうぞ」

「おかみさん。じゃあそのうち誘いますね」

「お願いします」

「こちらこそ」

有紀はカップに口をつけた。

 有紀が帰ったあと、律子は洗い物をした。

「ねえ、ほんとに行っていいの?」

 紅茶をすする佐々木。

「行けよ。野郎とあくのつよい後援者ばかりじゃ、ストレスたまるだろ。おかみさんフランクな人だから話しやすいと思うよ」

「ありがとう」

 寿司屋の小上がり。律子と有紀。テーブルに寿司。律子は寿司をつまんだ。

「ねえ、おいしい?」

「おいしいです」

「並の店だけどよかったかな? 芸能人は寿司と言ったらきゅうべいなんでしょ」

「そんな扱いされるタレントじゃないんで高級店はごくまれに」

「長年、出続けてるイメージがあるけどね。あの世界はやっぱりMCの総取り?」

「まあそんな感じですかね」

「ごめんね。こんなこと聞いちゃって」

「こないだ駒場くんも同じこと言ってました」

 笑みを浮かべる律子はビールを口に運んだ。

「駒場? ああ、あの子か。あの静かな子」

「静か、ですか」

「違った?」

「やっぱり最年長だから発言力ありますよ」

「そっか。隆盛のお目付け役、あの子なんだ。まあ佐々木くん、じゃない。親方の現役時代の付き人だったし。親方になってからもべったりだったもんね」

「そうなんですか」

「聞いてないんだ」

「はい。過去を聞くのもあれなんで」

「そっかそっか」

「でも、いろいろ知りたいです」

「いろいろ。か」

(回想)

緑松部屋の上がり座敷。緑松の新発田 嵐は座敷後方、木のベンチに腰を掛け窓枠に持たれ掛けた。当時現役力士・松嵐の佐々木と当時隆盛親方、元緑風の村雨 剛が二枚に折った座布団に腰を下ろし、新発田に顔を向ける。

「親方」

佐々木は額を畳につけ、三つ指をついた。

「お疲れさんでございます。明日をもち、土俵を下ります。一六年間、御指導ご鞭撻、どうもありがとうございました」

「そうか。辞めるか。お疲れさん」

佐々木は顔を上げた。

「じゃあ、俺の名跡あげなきゃだな」

「異論なしです。怪我で一時はどうなるかと思ったけど親方定年の場所までよく、白まわし維持したよ」

「部屋継ぐってのは大変だ。離れてく後援者もいるだろう。でも、緑風もいることだから大丈夫だ」

「しっかりお前を支えるよ。嵐関」

「どうだ。佐々木?」

「ちょっと待ってください。継ぐのは緑関じゃ」

「一五から叩き上げでやってきたお前の方が適任だ。若いやつらの士気も上がる。親方と話し合って決めたんだ」

「……すいません。受けれません」

「おい。お前正気か」

「告ったら、ふられちまった。使ったことのねえナウい言葉もでちまう」

「独立したいです」

「お前、やめてすぐ部屋立ち上げれないのは知ってるよな」

「はい」

「まさかここに残って独立準備をする気かよ」

「あっ……はい」

「前言撤回、緑がやれ。緑が継げ」

「親方。甘過ぎますよ」

「緑。知ってんだろ。こいつはおれと対決する腹なんだよ」

「それはそうですけど、親方の面子が」

「そうだよ。俺の面子どうしてくれるよ」

「すっ……すい」

「佐々木よ。俺の面子はどうしてくれるんだ。一体」

「ほんとうに申し訳ないです」

新発田は土俵に目をやる。

塩で清めてある土俵。

「冗談だよ。そんなもんはなくしてしまったさ。お前らが踏みつけてもうばらばらだ。さて、命令だ。佐々木。緑の名跡もらって部屋付きやりなさい。先のことはしらねえ。俺は明日で隠居の身だ。さて、何をしよう。ゴルフはやらねえからIT農業でもはじめるか。腰も悪いことだしよ。まあまあ、ゆっくりやれよ。慎重にな。どちらさんもさ」

ベンチから腰を上げる新発田。

「寝よう寝よう。金魚でも引っかけてよ」

 少し腰が曲がる新発田は座敷を出た。

「すいませんでした。オヤジ」

 佐々木は額をべったりと畳につける。

(回想終わり)

 寿司屋の小上がり。

「あったのよ。いろいろ」

「そんなことあったんですね」

「力士ってモチベーションがないとやれない部分があるのよね。佐々木くんにとってそれが先代への反抗心だった」

「はあ……」

「私としては旦那が部屋付きだった方が楽だったな。基本、部屋にいなくていいしさ」

「大部屋ってやっぱり大変ですか?」

「物理的にすることはない。だって全部マネージャーと古株力士がやってくれる」

「うちは駒場くん仕切りです」

「でもさ、やりたいじゃん。おかみさんをさ。ドキュメンタリーみたいに。肝っ玉母さん的な。あれ」

「そんなのやる、隙がないです。どうしたらいいですか?」

「私もわかんないよ。そんなの。ひとつ言えることは相撲部屋は家族。親方が父親でおかみが母親。力士が子供、そういう言い分、親方連中の。あれは幻想だね」

「幻想ですか」

「だって子供の順番わけわからないじゃん。誰が何ヵ月早い遅い。大卒が一六の子の弟弟子。もうわけわからん」

「うちはなんとくは把握できるので、少ないし」

「ちょっとずれたね」

「ずれましたか?」

「誰かが下がったら、誰かが上がる世界で対戦しないとはいえ皆を敵視してる。血の繋がりもない。何の繋がりも。家族になんかならないよ。精々、ルームシェアの住人。まあ私の推測ね」

有紀のスマホが鳴った。

「鳴ってるよ。りっちゃん」

「私じゃないです。着信、竹原ピストルなんで」

「渋いね。隣か。うるさいな」

「カバン光ってます」

「私か」

有紀はスマホを手に取り耳にあてる。

「なんだよ……えっ、まじ。ふざけんなよ。お前、気をつけろって言ったじゃん。まぢふざけんな……わかったすぐ行く」

有紀は画面を指で撫でた。

「お仕事ですか?」

「違う違う。うちの子がトラブった」

「力士の?」

「そうそう。腹を痛めて生んだ子はいないから。なんかややこしいね」

有紀はスマホをバックにしまう。

「あのさ、ゴメン行くわ」

「どうぞ」

「お金払って帰るから、食べてってね」

「あのう、付いていっていいですか? これは詰めてもらうんで」

「そうか。行くか」

「はい」

 繁華街の路地。タクシーが止まる。タクシーから下りる有紀ら。「もう少し奥だね」

律子は有紀を追って路地の奥に入った。

 雑居ビルの入り口。有紀らは建物の中に入る。脇に数台の自転車が止まる。

「ちょっと人間変わるけど許してね」

「はっ、はい」

有紀は歩きながら弁護士バッチをつける。

 パブの店内に有紀らが入室。カランコロンのベルが鳴った。

「らっしゃいませ」

 ボーイは片言。

 店内奥へ進む有紀ら。ボーイが追いかける。

「お客さんお客さ」

「いたいた」

テーブル席にニット帽頭の数人の力士がうつむいて座る。テーブル上、バインダーに挟まる支払

い表。

 振り返る有紀。

「あのう、あそこのニット軍団の関係者です。お金持ってきました。偉い人呼んでください」

ボーイは有紀のバッチに目を配った。すると、パブの中国人ママがバックヤード口から出て来た。

「ママ。ヤクザより悪いヤクザ」 ボーイが叫んだ。

「わかってるよ。下がってな」

 有紀の前で止まるママ。

「一三万ですよね」

バックに手を掛ける有紀はママを睨み付けた。

「払う気ないだろ。駆け引きはなんだ入管か?」

「まあ、そうなりますよ」

「早く帰れ商売の邪魔だ」

力士たちに目を向ける有紀。

「バカヤロウども。帰るぞ」

 雑居ビル前。自転車にまたがる力士たち。

「おかみさん。すいませんでした」

  仁王立ちの有紀。うしろに律子。

「おいお前ら店選べって言ってんだろうが、いっつも」

「錦糸町の正規の店だと、協会員がいます」

「その言い訳聞き飽きたよ。もう全く。それから、繁華街は着物。親方に殺されたくなかったら」

「はい」

 力士たちは声を揃えた。

「もう九時半まわってる。行け、門限間に合わない」

「どうもごっちゃんした」

頭を下げ、自転車を漕ぎ始める力士たち。

「行った行った」

「ぼったくりバー、ですか」

「そうだね。あの気の強そうなママのお陰で無事シャンシャンにできたわ」

「違法入国で働いてる女の子が?」

「観光か留学のビザ切れたまま、働かせてんの」

 パブの階に目を向ける有紀。

 カーテンが閉まる。ちらっと見えるママ。

「あの人はやり手だね。リスク処理が上手い。決断早いし。相撲取らせたらつよいかも。生てく術、もってるよ」

「強い女の人、憧れるな」

「まあ、ぼったくりバーでよかったよ。闇のカジノじゃどうにもできない。で、どうする? 一杯飲む」

「すいません帰ります。おみや、食べさせたいので」

「そっか。また今度飲もう」

「はい」

律子の手、寿司屋の紙袋が風で少し揺れる。

 部屋に帰ってきた律子が上がり座敷に入る。その紙袋を見て、座敷に寝そべる冴島と柚木が体を起こした。

「お疲れさんでございます」

「冴島君。お寿司、食べる? 奏太君も」

「ごっちゃんし」

 冴島たちが声を揃えた。すると、駒場が階段から降りて来る。

「駒場くん。お寿司どう?」

「太るんで」

ちゃんこ場へ入ってく駒場。駒場の手には空のペットボトル。

「そう」

「寿司だ寿司」

冴島たちは立ち上がった。ちゃんこ場から聞こえる流水音。


 次の日、ちゃんこ場。シンク底へ向かって流れ落ちる水。洗い物をする柚木と食器をすすぐ律子がいる。

「ねえこの後ラーメン食べ行かない?」

「行きます」

 律子は水を止めた。

「よし、決まりだね」

柚木は皿を拭いた。

「つけ麺もいいですか?」

「ラーメンとつけ麺。すごいね夕食後なのに」

 上がり座敷から足音、駒場がちゃんこ場に入る。右手には空のペットボトル。

「奏太。お前、ごはん何杯食べた?」

ビクッとする律子の背中。振り返る柚木。

「さっ三です」

「ごまかして三だろが。さらっと盛りやがってよ」

「ああ……」

「明日から俺が盛ってやろうか? ドラゴンボール盛り」

「勘弁してください」

「ラーメン分の腹を残しやがってバカこの」

 駒場はペットボトルで柚木の頭をはたいた。横目で柚木を見る律子。駒場と律子の目が合った。

「それからおかみさん」

ゆっくりと振り向く律子。

「(はっきりと)はい」

「今日はラーメンですか?」

「駒場くんも、どう?」

「行きません」

「そうだよね」

駒場の目線を外す律子。

「水を入れにきたんだよね。どうぞどうぞ」

 律子はガス台の方に避けた。

「おかみさん。正直迷惑です。おかみさんがなんか買ってくるのあてにしてるんですよ。こいつら」

「ごめん、ちゃんこだけじゃ足りないと思って。気を付ける」

「おかみさん。そんなに何かやりたいなら、経理変わってくれますか」

「うんやってみる」

「知ってます? 力士養成費、稽古場維持費、後援会の寄付が収入。食費かなりかかります。米は後援者に送ってもらってるけど、かつかつ。俺だってチキンだのたこ焼きだのを買ってはやりたいけど。一日いくらでやらないといけないか。知っていますか?」

 ガス台にもたれる律子。

「一万円ぐらい?」

「六〇〇〇円ですよ。六〇〇〇円。それでやらないと赤字です。赤字はオヤジの給料。オヤジが字補填してます」

「親方が」

「おかみさん。こんなバカな使い方してたら自分に返ってきますよ。頻繁に行くエステとか美容室。もう、行けませんね」

「もういっしょ」

 冴島の声が響いた。上がり座敷でスマホを片手に寝転ぶ冴島はちゃんこ場の方をにらむ。

 翌朝、土俵。睨みを利かす冴島。

「兄弟子。立って立って」

砂まみれの駒場が肩で息をする。 上がり座敷に土俵を見下ろす佐々木。座敷後方に律子。

「佐助。もういっしょ。稽古にならねえ」

  冴島は駒場の首を引っ張った。

「足、力いれて」

立ち上がった駒場は腰を割る。駒場のふくらはぎが震えている。

「どうもごっちゃんでした」

「情けねえ兄弟子だ」

  摺り足をする冴島。

「佐助。出稽古行ってこい。まだどっかやってんだろ」

「はい」と冴島は佐々木に目を向けた。

すると、車のブレーキ音が聞こえる。稽古場窓から乗用車が見えた。車から降りてくる村雨とどろ着姿の冴島 清一 。運転席には有紀。

「あらら、竜豊だよ」

 村雨と有紀が上がり座敷に入ってきた。立ち上がる佐々木と座布団を敷く律子。

「お疲れさまです。緑松さん」

「おう」

 村雨が佐々木の横であぐらをかいた。それを見て、腰を下ろす佐々木。

「うちのがおかみさんをつれ回したみたいで。すまんな」

 稽古場では冴島が蹲踞をして白まわしの清一に水をつける。

「いいえ。うちのがたくさん勉強させてもらったみたいですよ。それで、今日はなんでまたうちに?」

「深川いいとこだな。両国よりいいよ。今日来たのはお前の結婚祝いだ。佐助に稽古つけてやるよ。次は白まわし取りだろ」

 座敷後方の律子は清一のきれいな四股に目を向けた。

「それは素敵なプレゼントだ」

目を戻した律子は有紀とおしゃべりをはじめる。

「いきなりごめんね。空気重いし」

「いいえ、こないだはごちそうさまでした」

「またいこう。ねえ、あそこの二人、兄弟だって知ってた?」

「親方たちですか」

「違う違う」

 有紀は稽古場で四股を踏む清一と冴島に目を向けた。

「えっ。そうなんですか?」

振り向いた村雨は「ご婦人がたお口チャックね。もうはじめっから」と言うと、頭を下げる律子ら。村雨の目付きが変わる。

「竜豊。入れ」

「はい」

 一瞬にして場の空気がぴりついた。

「なにぼやっとしてんだ。奏太。箒入れろ」

 佐々木の目線が柚木に刺さる。慌ただしく動く力士たち。土俵上、肩に力が入った柚木が箒目を入れた。土俵に塩が入り、 冴島の足跡がひ、ふ、みとつく。土俵の外、箒をもった柚木が清一にぶつかる。頭を下げる柚木に、笑みを浮かべ「殺すぞ」と呟いた清一は土俵に入ると、足に砂を馴染ませながら中央へ。柚木のからだは震えていた。冴島は清一ににらみを利かした。

「おいおい気合い入り過ぎだ」

「睨むなよ、関取を。この半人前が。先に仕切って待ってろ」

「すいません。オヤジ」

 仕切り線の前で仕切る冴島。ゆっくりと腰を下ろす清一。手をつく清一。 勢いよくぶつかる冴島。受ける清一。清一が冴島を投げ飛ばす。裏返しで倒れる冴島。清一の右胸が紅潮する。

「当たり、痛いな。それだけ」 「直ぐ立て」

 佐々木の声が飛ぶ。下唇を噛みながら立ち上がる冴島。

「すごい」

 律子は大きく息を吐いた。

「気合い入ってるね。お互い」

 有紀が律子に話しかけると。ぶつかり合う鈍い音がした。律子らが土俵に目を向けると、投げ飛ばされる冴島が目に映る。

「おい。当たってなんかしなきゃ」

「親方が言ってんだろうが(語気強く)返事は」

 と両親方は厳しい。

「はい、オヤジ」

二〇番はこなしただろうか、全身砂だらけの冴島は肩で息をする。そこに、清一がバケツの水を被せた。

「どうも、ごっちゃんでした」

「まだやんの?」

「生きてるんで」

睨みを利かす冴島。

「だから睨むなって」

「はい」

 座敷ではざわざわする律子と有紀。佐々木がちらっと振り向くとざわざわが収まった。

「もういい? 親方。進展がない」

 と村雨は首をました。

「もういっちょ」

 佐々木は冴島を見つめた。

「ほら、もういっちょだってよ」

仕切る冴島。

「オヤジさんの言う愚直だけで勝てんのか? 勝てんのかよ?」

 手をついてぶちかます清一。立ち会いは互角。

「止まるな。止まんな」

 冴島は佐々木の声に押されるかのように前進した。

「そのまま押してもな。結果は見えてるよ」

 小さく息を吐く村雨。

「駆け引きなし。小細工に勝るのは押すことでしょ」

 呟く佐々木に村雨は顔を向けた。

 俵まで押し込む冴島。

「とまんじゃねえぞ」

 と佐々木の声。

清一の右足が俵に掛かる。

佐々木のうしろから顔を出す律子。

「(ぼそっと)がんばれ」律子は呟いた。

まわしをつかもうとする清一。足を交互に、踵から前進する冴島。

「焦るな。焦るな腰割れば、取れるんだから」

 村雨の声で体が動く、まわしの位置が低くなる清一。清一の小指がまわしに掛かる。

「そうそう、左も取れる」

「もう(語気強く)勝負。伸ばせ」

肘を伸ばす冴え島。清一の体が浮き上がり、木質の壁にぶつかった。

その夜、座敷の前方に体育ずわりの律子。セーターを膝まで伸ばす。

「ねえ。痛いたい?」

稽古場の明かりはついてない。背を向けて四股を踏む冴島。背中には細かい切り傷やあざ。冴島の耳にはイヤホン。反応がない。律子の手には箒、柄の方で冴島の背中をつつく。

「無視かよ」

冴島は稽古場隅、鉄砲柱の方へ。

「なんだよ。感じ悪っ」

てっぽうをはじめる冴島。下半身の姿はハーフパンツ。

「イタズラしてやる」

律子は箒を持ってない方の手を目一杯伸ばす。伸ばした手、スマホをつかむ。鉄砲柱に体をぶつける冴島、じんわりと汗をかく。

「えい」

 スマホの音楽再生画面、ボリュームをマックスにした。

「おー」

 と叫んだ。体を震わし、イヤホンを外す。律子に駆け寄る冴島。

「ちよっとー」

イヤホンから漏れる竹原ピストル「フライング弾」。

「無視するからだよ」

「いいイメージを頭の中に残しておくための作業なんで」

「感傷に浸ってるだけにしか見えなかったけど」

「だとしたら浸らせてくれてもいいじゃないですか、普通」

「だって暇なんだも。健くん。また連れ出されたし」

 冴島は座敷の縁に腰かけた。

「……止めてくれてよかったかも、知れませんね。ハイになったら体がやすませてくれないんですよ。俺を」

「どっちやねん」

冴島の背中を叩く律子。

「すごいな。アスリートって」

ずりずりと、お尻を畳みに擦らせて前に出てきた律子は足を前に放り出す。座敷からぶら下がった四本の足。冴島の足は土に付きそう。足裏の砂がわずかに落ちる。

「見てて気持ちよかったな。な?」

「はじめて兄貴に勝った。気持ちよかった」

 土俵中央・五角に成型された砂に刺さる御幣。空調の風が垂れる紙を揺らした。

「オヤジが独立したとき迷ったんです。俺たち兄弟はオヤジとおんなじ北海道なんで、地元が。俺らオヤジに内弟子としてスカウトされました。筋を通したら二人ともこっちの部屋なんですが、まさかのオヤジの独立でしょ。兄貴は部屋頭だったから。本家に残らなければならない。口では兄貴なんにも言わなかったけど、お前は行けって言ってるような気がしましたね」

「いけ好かない人だったけど」

「まあ性格はいいとは言えないです」

「上がらなきゃだね。どっちの思いにもこたえなきゃ」

「そうですね。どっちも怖い人間だらか上がれなかったら殺されてしまう」

 下からセーターをのぞく冴島。

「ちょっとちょっと。止めてくれない」

「それ、穿いてんのかなあ。と」

「穿いてるよ」

イヤホンから漏れる音楽。竹原ピストル・「そこのわけえの」のフレーズ「このままじゃいけないって、頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ」が流れる。じゃれあいが続く。それをよそに駒場が座敷に入る。ペットボトルを手に持ち、ちゃんこ場へ。

 それからしばらくが経つ二月下旬。力士たちは大阪へ向かう。そう、大阪場所があるからだ。部屋のものは円卓から食器までほとんどコンテナ輸送した。

出発前夜。

 床に置いたピザの箱。ビザを食べる力士たちと律子。

「うめえ。うめえな。奏太」

「はい、うめえです」

「駒場くん」

「はい?」

「今日は許してね」

「まあ、そうっすね」


「奏太。ついてきたタバスコがもうないぞ。冷蔵庫見てこい」

 立ち上がる柚木。

「行かなくていいよ。奏太。あんた、関 取じゃあるまいし。使うなよ」

「やっ、みんなも使うじゃんかよ。タバスコ」

「これを言ってんじゃねえよ。普段から子分みたくつかってんじゃんよ。恐怖政治してさ。うちの部屋の雰囲気に似付かわねえよ。ここは緑じゃないんだ。オヤジのオヤジの作った空気を壊すんじゃねえ」

律子はおどおどする。

「はっ。てめえ、言わせとけば。とんでもねえやつだ。兄弟子にそんな口聞きやがる。もう関取気取りか。俺はオヤジに若いやつの指導を一任されてんの」

「ちょっと」

駒場と冴島は律子をちらっと見た。

「あんた。こないだオヤジに注意受けたでしょ。知ってるんだよ。俺は。言わないだけでさ」

「うるせえな」

駒場は冴島につかみかかる。取っ組み合いのけんかをする駒場ら。冴島がTシャツの丸襟を掴んで駒場を壁に叩き付けた。壁の写真が傾いた。写真額、佐々木と新発田の写真。

「殴っていいすか?」

律子は無意味に箱やお茶を手に持つ。

「いいよ」

「びびってるくせに」

「フッ、共犯だな。お前が崇拝するオヤジの作ったもの、ぶち壊し。全部」

 振りかぶる冴島。冴島は自分の頬を殴った。

 親方住居。ソファーでくつろぐ佐々木。

「大変だったね。おかーみさん」

律子はテーブルに持たれて、テレビを見る。

「はいはい」

「腹に一物、背に荷物。けんかとまげは力士のつきものよ。なあんてな。」

「あんなに怒鳴り散らしてたくせに」

「そこはしっかりと、やりますよ。俺の城なんだし」

「大丈夫かな。駒場くん」

「心配ないよ。いつか起こるって悟ってたんじゃない。あいつ」

「下からの突き上げはどこの世界でもあることだけど、あれだけバチバチだと、見てらんない」

「そうだ。駒場やめるって」


 大阪場所も終盤。 晩酌中の律子。床に置いた空の弁当。グラスを持つ手、焼酎のお湯割り。大葉が入ってる。冴島の十両昇進が濃厚になった。律子はしみじみと祝杯をあげた。タブレットPCに目を向ける律子。画面は冴島のインタビュー。

 律子は大阪と東京の往き来をしている。残った仕事をこなすためだ。他の部屋のおかみも地方場所宿舎には常駐しない。律子の話し相手、大部屋おかみの有紀は羽を伸ばしてる。毎晩のように飲みの誘いが来て律子は困ってる。

 酒が奨み。目が虚ろな律子はグラスに口をつける。スマホの着信が鳴った。

「今日もか。居留守使お」

 スマホ画面、着信は田仲マネ。

「マネージャーか。なんだ?」

画面、律子の指がスライドする。

「はいはい」

「よう」

 田仲の低い声が聞こえた。

「なんですか? 前に言いましたけどコメンテーターなら出来ません。場所中は」

「わかってる。いや、さあ。我孫子なんだけどさ。結構病んじゃって」

「えっ。生き生きしてますよ画面では。今日だって、情報番組で取り組み解説。見事でした」

「それが、原因なんだよな。お前は詳しすぎる。生意気だってディすられてる」

「そうか。ネットで叩かれなれてないんだ。どうせそんなのただのひがみなんだから」

「俺も言ってはいるんだけどね」

「わかりました。田仲さんじゃダメなんでしょ。フォローしときますよ」

「頼んだ。今度うちの実家で売ってる卵焼きごっそり持ってくからさ」

「助かりまーす」

 電話を切ると、稽古場の窓を叩く手袋の手が見えた。ポカンとした顔の律子は会釈する。

 しばらくして、座敷に新発田が入って来た。手袋を脱ぎながら。

「こんばん、わ」

「あの、用件は?」

「祝儀を持ってきました。結婚と新十両の」

「わざわざすいません」

新発田は包みを差し出す。受けとる律子。

「ありがとうございます。親方の若いときから支援して頂いてるんですか」

  新発田は笑みを浮かべた。

「そうだね。鑑別所に迎えに行ってスカウトしたんだ。生意気でね。しばきまわしたよ。そんなことばっかしてたから。部屋継いでもらえんかった」

「えっ」

律子は写真額に目を向ける。

「その、白足袋なんか履いて座敷に腰掛けて竹刀持ってるの、私なんです」

「申し訳ありません」

律子は深く頭を下げる。

「頭あげて、俺ただのおじいさん」

律子は頭をあげる。新発田は土俵を見渡した。土俵は明かりがついてない。

「独立して正解だな。いい部屋。神さんも居心地良さそうだ」

 土俵の神棚がうっすらと見える。

「俺にもそれもらえるかい?」

 焼酎の入るグラス。

「金魚ですか。親方から教えてもらいました」

「あいつも呑むんだな」

 千秋楽。律子は大阪場所宿舎にいた。厨房でテキパキと野菜を切る。

「おかみさん」

「ん?」

 隣に駒場。

「要領いいんですね」

「口説いてる? 簡単にやれると思ってるでしょ」

「なんでそうなるの?」

「だってほめるから」

「ほめて伸ばすタイプですから」

「いつ生まれかわったんだか」

「こっちが性に合いますわ」

「私も素を出すことにした。肩肘張ったとこでおかみさんごっこにしかみえないからね」

「そういうの賢いっていうらしいです。行動心理学では」

「私が、賢い?」

「ぶっちゃけ、おバカタレントってバカじゃないですよね。金稼いでるし」

「私の場合は天然回答がうけてた。それで仕事もらってたんだけど。クイズ番組まわるうちに自然と知識ついちゃった。それからはおバカ回答考えるようになる。いわゆるやっちゃってたの。知識身に付ける方が楽なのかなって、あとで思った」

 魚肉ソーセージをくわえる冴島が厨房に入った。

「おかみさん。スピーチのカンペ書いてくだいさいよ」

「わたし?」

「兄弟子でもいいや」

「はいはい。わかったよ」

   佐々木が厨房に入る。

「おい佐助。何、だらしないことしてんだ。化粧回しつける前に殺すぞ」

「すいません」

 シンクで米を研いでいた柚木がガス釜に釜をセットする。

「奏太。報告」

 柚木に目をうつす佐々木。柚木の頭、ちょんまげ。

「おう、結ったか」

 佐々木の前に出た柚木。

「お疲れさんでございます。おかげさまで髷を結うことができました」

 佐々木はこんぱちを始める。

「序ノ口序ノ口序二段序二段」

 リズミカルにおでこを弾く佐々木。

「ちゃんとしこふんで三段目、幕下幕下、這い上がって関取になるんだぞ」

 佐々木は強くおでこを弾いた。

「どうもごっちゃんでした」

 ポケットを探る佐々木。一万円を取りだし、結い目に差し込んだ。駒場、先輩力士たちが札を次と次と差し込んだ。

「はい」

 律子が三万円を渡した。

「どうもごちゃんです」

 律子は片手で受け取った。

「両手」

 もう片方を添える柚木。

「私も触りたいな。髷」

 柚木にでこぴんをする律子。

「でこぴん一発三万円か。おいしいな」

 冴島はその結い目に五〇〇円玉を押し込む。

「おい部屋頭が五百円はねえだろ」

「手当て出たばっかなのに」

 柚木は小声で言った。

「使っちゃったか。あっちに」

「あっちて、あっちか?」

「たぶんあっちです」

「あっちって?……やだ破廉恥」

 東京に帰ってきた一行。

 街路樹の桜の木が八分咲き。

 まだ陽が上がらない時間。柚木が上がり座敷を掃く。耳にはイヤホン。関取花「相撲部屋あるある」が流れる。座布団を二つ、ポンポンと置く。

稽古場窓に朝日がさす。四股を踏む音が響く。

「抜いて踏んだら直ぐわかるんだぞ。柚木。自分に返ってくんだぞ自分に」

 佐々木の声が飛ぶ。

木札板力士の名前が並ぶ。端にマネージャー、駒場。

四股を踏む短髪の駒場。

「こうやって、親指に力入れて踏むんだよ」

 食い入るように見る新人力士。

 上がり座敷。座敷の縁に腰をかける佐々木。足には白足袋。うしろに律子。

「駒場くん。すっかり仏のマネージャーになっちって」

「そうだな」

「あらっ。白まわしはまだかしら」

「あいつ寝てんじゃねえよな」

「まさか」

木札板、師範・隆盛の横に十両 嵐輝竜(らんきりゅう)

 稽古場入り口・下半身、白まわしが見える。白まわしは上がり座敷へ進む。

「きたきた」

佐々木の前で蹲踞する白まわし。

「おはようございます。これからは若い衆の手本になるようより一層の研鑽を積みます。宜しくお願いいたします。オヤジ、おかみさん」

「よし。頑張れ」

律子は数回頷いた。

「おかみさん。俺のしこ名なんて読むんすか?」

「研鑽がわかるのに」

「殺すぞ」

「はーい記念に一枚取るよ」

「稽古中の写真はお止めください」

自撮り棒を伸ばす律子。カシャッ。

 写真がのるブログの画面。指をつまんでズームアウト。

 ブログタイトル・かみってる~わたし今おかみやってる

 記事・今日の豆知識

 〉どすこい。お相撲さんはどすこいって言わない。みんな知ってた

〈了〉

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