最近の犬君の暴走ぶり
こんにちは犬君です。
はい、そこのあなた。今「“いぬぎみ”って誰だよ」と思いましたね?“いぬき”です。
私の事が分かる人は、源氏物語に精通しているか、古典の授業をちゃんと受けてきた人でしょうね。感心です。
私は、若紫とよく遊んでる童女です。源氏物語の北山の垣間見に出てきたあいつです。まだわかんねえって人は、古典の教科書を見返してみてください。きっと私がいます。マニアックな人物との自覚はありますが気がついてもらえないと、やっぱり悲しいです。
さっそくですが私、犬君、今日もやらかしました。
いや、「やらかした」と言うと何か違いますかね。だってこういう結果になると分かってて100%故意でやったのですから。
ハイ、皆様ご存知の通り私は、若紫の捕まえた雀を逃しました。動機はこれをやったら若紫が泣くかなって思ったからです。泣きました。今では反省しています。嘘です。また機会があればやります。
ちなみに若紫を泣かせたのはここ最近で5回目です。ではここで、私が今までどんな方法で若紫のお涙頂戴(←違わないけど違う)してきたかを紹介していこうと思います。
一回目は、草むらの中で若紫と駆け回っていた時のことです。私は、カマキリが蝶を捕食しているところを見つけました。大変興味深い光景でしたので夢中になって観察していました。蝶ってば頭喰われてんのにまだ羽動いてんだもん、超ウケる。
そんな折、首元にワサワサっていう感触がしました。毛虫かと思った私は仰天し、その場にすっ転んだのです。すると、猫じゃらしを持って、してやったりという顔で笑う若紫が私の視界に入りました。これはやられたなと思いましたね。当然、このままやられっぱなしでいることを私のプライドが許すはずもありません。しかし、ただ同じことをやってもそれでは引き分けにしかなりませんし、自分から仕掛けたのですから先方も警戒していることでしょう、これで驚かれなかったら私の敗北が決まります。
私は悩みました。猫じゃらしで脅かすというのは定番ですが、成功すれば絶大な効果を生みます。私のダメージは大きいです。さらに、今回のような脅かし合いにおいて、後手に回るというのは非常に不利なのです。というのも、先も申し上げましたように、脅かした側は当然反撃を警戒するからです。
さて、どうしたものでしょうか。もう泣かせれば勝ちということで脈絡もなく突然ぶん殴りましょうか。そうしましょうか……!
私が、反撃の手段をサプライズぶん殴りに決定しようとしたまさにその時、私はソレの姿をを足下に捉えました。ああ、私は何を悩んでいたのか!ソレは必勝の一手に違いありませんでした。こんな簡単なことにも気がつかないなんて、私は余程動揺していたのでしょう。いつもは、いたずらを仕掛ける側でしたから逆に仕掛けられるのは慣れていないのです。
さて、復讐の時です。
楽しそうに花々と戯れる若紫の姿を確認しました。私はそっと近づき、彼女の肩にソレを置きます。すると、異物の気配を肩に捉えた彼女は小さくびくつきました。しかし、やはり警戒していたのでしょう。それ以上驚くこともなく余裕の表情でこちらを振り向きます。きっと、同じことをやり返されたのだと思ったのでしょう。……残念ながら違います。
若紫はここで違和感を覚えたようです。だって私は、イタズラを見抜かれた筈なのに悔しがる様子もなく、それはそれは穏やかな笑みを浮かべているのですから。だって私の手には、ある筈の猫じゃらしが無いのですから。
……だって肩の上の異物は、未だにその気配を感じさせているのですから。
若紫は恐る恐る私に尋ねました。あなたがおいたのは猫じゃらしだよね?と。私はこの問いを待っていました。そして、穏やかな笑みをそのままにやおら口を開きます。
「本物だヨォ」
肩の上でモゾモゾと動くソレ。身の毛もよだつ様をしたソレ。
若紫、絶叫。のちに号泣。
私、爆笑。すごく爆笑。
その後、このことが大人たちに露見しました。当たり前ですがしこたま怒られました。
こわいよう、号泣。
二回目は、若紫と2人で森を探検していた時のことです。まぁ、探検と言ってもすぐに屋敷に戻れる程度の森の浅いところのみ行動を許されていましたから、特別新たな発見があることも期待できませんでした。まったく、過保護も良いところです。子どもにはもっと広い世界を見せるべきでは無いでしょうか。そりゃあ、若紫はそこそこ立派なぱぱんとままんをもつそこそこ立派な家柄に生きるそこそこ立派な泣き虫ですが、私は別に良いじゃないですか。情報量少なすぎて、自分がどの程度の地位にいるのか皆目見当がつかないんですよ。
ふーあいあむ。私は誰だ。あら、詩的。
とにかく、私はもっとガンガン行きたい。森の奥の奥までどんどん行きたい。収まらぬ好奇心。燃え上がるパトス。それを押さえつける大人たちの圧力は情操教育の妨げでしかないと感じざるをえません。
しかし、若紫と言えばそんな不自由に気づくこともなく、ずいぶんと楽しそうにしているではありませんか。この矮小な世界に満足できるとは幸せな頭をしているものです。そうやって一生、井の中で蛙ってろ。
若紫が、何かに気をとられているうちにこいつを撒いて1人で帰ってやろうかと、幾度となく思いました。しかし、鈍臭い若紫のことです。そんなことをしたら泣きわめいて、私を探して森の奥に入っていき、行方不明となりかねません。それで、死なれたりでもしたら何だか私が殺したみたいで後味がわるうござんす。何で若紫のために私が気分を害さねばならないのか。あ、でも、若紫がフラフラと森の中を彷徨っている様を想像するといとをかし。
そんな感じで、若紫不幸物語に思いを馳せていると水のせせらぐ音が聞こえてきました。その音の方へ歩いて行くと、小川が流れていました。これは面白いものを見つけたなと思いました。発見ありました。私は早速、近くの笹の葉を一枚失敬して笹舟を作りました。そして、いざ川に流そうとした時、後ろから私を呼ぶ若紫の声がしました。
折角の出航式を中断されたことに、すこぶる苛立ちながら振り返ると何かを掲げてこちらへ駆けてくる若紫がいました。つまづいてこけないかな……お?……ああ、惜しい…こけなかった。
若紫は私の前まで来ると、どことなく残念そうな顔をしている私に、どうしたのかと問います。何でもないよと言っておきましょう。
「それより、あなたの方こそどうしたの?」
私は、若紫に用件を問います。大した内容じゃなければただじゃおきません。ただでさえ、過保護な大人共に腹が立っているのです。いつもと比べて沸点が圧倒的に低いことを彼女は理解しているのでしょうか。
私がたずねると、若紫は思い出したように、それはそれは素敵な笑顔を浮かべて私にバッと右手を突き出しました。その手にあるのは、なんか、まあ、うん、比較的透明度高めの石。これは何や?と聞きます。すごく綺麗でしょ!宝物にするの!と無垢な瞳を輝かせて答えました。
私は、おもむろに彼女のその綺麗だけど所詮は石を手にとります。
それを、自作の笹舟の上にそっと置きます。
一度中断された、出航式を決行しました。
一瞬、何が起きたのか分からない若紫。
段々、状況を理解してきた若紫。
例によって、泣き出した若紫。
私は自身の行動の正当性を主張したい。
チクられました。怒られました。泣きました。
3回目は、普通にのんびりと屋敷で過ごしていた時のことです。というのも、草むらや森で色々とやらかしたせいで私は外出禁止令を食らっていたのです。解せぬ。
若紫は別に外出禁止令は受けていませんし、従者さえ連れて行けばどこか遊びに行けるわけですが、私と遊べないなら外出する意味もも無いらしいです。かわいい奴め。
まあ、それはさて置き私は暇でした。
若紫は、お手玉をやろうと思い立ったようですが、肝心のお手玉が見つからず断念していました。それもそのはずです。お手玉は私が中身の小豆を食べるためにすべて引き裂いたのですから。裂いた布は見つからないように燃やしました。我ながらサイコパスを感じます。
お手玉を諦めた若紫は今度は囲碁をやろう!と言いだしました。私がやり方わかんねぇと言ったらこれもまた断念したようです。流石に申し訳なくなってきました。
彼女が何か他に遊べることは無いかと考えている横で私はいつかの草むらでのことを思い出していました。あの時は、偶然毛虫が目に入ったからそのアイデアは消えましたが、あれは結構面白い思いつきだったように思います。折角ですから、今回こそサプライズぶん殴りましょう。
いまだ、うんうん悩んでいる若紫の肩をとんとんと叩きます。彼女が、なあに?とこちらを振り向きました。ここで「犬君式翔龍拳」を炸裂させました。
もちろん泣きました。
凄目の怒られ方をしました。ここ最近で一番泣きました。
4回目は、若紫の饅頭を手に取って、大きく振りかぶってそぉいっ!
泣かせた。怒られた。泣いた。
それで、あまり日を置かずに5回目。雀を逃してしまったわけです。いよいよ、どんな怒られ方をするのか見当もつきません。いつも実行に移してから後悔するのです。これは、もう性格ですし改善は難しいでしょう。世渡りするには難儀な性ですが個性と思って受け入れることにします。
そんなことは、今はどうでもいいのです。怒られることを極度に恐れた私はその場しのぎと分かりながらも屋敷から逃げ出しました。逃げ出してから気がつきました。外出禁止令が解かれてない今、この行動は火に油です。莫迦だなぁ本当にもう!
これからどうしたものかと、途方に暮れて歩いていた時のことです。どこからか、話し声が聞こえてきました。そちらに近づくに連れ段々その会話の内容も聞き取れるようになってきました。
「ねぇっ!ちょっ!あの子あの子!あの、若紫って子!激マブじゃん!」
「貴方はもう!まだ年端のいかない子供じゃ無いですか!守備範囲どうなってんの?気持ち悪っ!」
「お前……主人に気持ち悪いってお前……」
声の主を追ってたどり着いたそこには、さっきまで自分がいた屋敷の中をすんごい垣間見ってる変態がいました。やばい人ってヤツを始めてみた瞬間だと思います。不快すぎました。
犬君物語〔上〕 〜完〜