江ノ島の思い出
中谷美枝子と、江ノ島に行く約束をしていた。その日は朝からどんよりとした天気だった。なんでも、台風の影響らしい。
せっかくだから、彼の有名な江ノ電に乗っていこう、そんなことから、わざわざ町田まで電車で行くことになった。
小田急線から接続されている江ノ島電鉄乗り場は、いかにも観光地の乗り物らしいなと感じた。遊園地のジェット・コースター乗り場に、雰囲気がちょっと、似てなくもない。 これに乗ったら、どこかわくわくするような場所につれていってもらえそうな、そんな気分にさせられる。
江ノ電はすでに来ていて、中谷と乗り込む。中はなんだか懐かしい。都電にはよく乗っていたが、あれともまたなんだか違う。始発だからか、人もそれほど多くはなく、シートもところどころ空いている。走り出すと、これまたのんびりとしていて、まるで、「湘南の景色を存分に楽しんでいってください」と言わんばかりである。
向かいの車窓から見る風景は、どこかで読んだ通り、軒先をすれすれに走っていく。
「なんか、いいよね」わたしは中谷に言った。
「うんうん、いいね~。ほんと、住宅街のぎりぎり走ってんだね」中谷もお気に入りの様子だ。
いつまでもこうして揺られていたかったが、江ノ島まではそんなにかからなかった。時間にして、わずか10分くらいだったろう。
「短かったなぁ~、あんま、距離なかったじゃない」中谷が夢から覚めたような口調で言う。
駅を降りて、しばらく住宅街を歩く。この一本道をまっすぐ行ったところが江ノ島だ。山の手を思わせる上品な街路は、両側をビルに挟まれるようにして伸びている。パッと見、海が近いと感じさせるものはない。もしかしたら、道を間違えていないだろうかと、ふと疑問になる。
しかし、中谷の歩調はなんの躊躇もない。これが正しい方向なのだろう。
ふいにビルの谷が途切れ、目の前に海が広がった。どんよりとして、いまにも降り出しそうな空の下に、あの名の知られた灯台を突き出した、こんもりとした小島が見えた。江ノ島だ。なんだか、不思議な感慨が湧く。
江ノ島弁天橋からのぞむ江ノ島。向かって左側を江ノ島大橋が並行して走る。
実はこの日、台風が近づいていて、われわれが江ノ島にいるあいだにその頭上を通過していったのである。おかげで、一日中、雨が降ったりやんだり、非常に不安定な天気だった。そのくせ暑さだけは変わらないものだから、ますます蒸し蒸しして不快指数が上がりまくりだった。
橋をどんどん歩いていくと、当然のことながら江ノ島が近づいてくる。それと同時に、遠くから見て、「なに、あれ?」と思っていた奇妙な建造物が次第にはっきりとしてくる。
右に見える奇妙な螺旋状の建造物はいったい?
実はここ、江ノ島温泉「エノスパ」という施設で、螺旋状の物体はどうやら広告塔の様なものであるらしい。「らしい」というのは、わたし達が見たときは、黒い帯状のところに時折、電光板のような発光現象が生じるばかりで、どう見たって芸術作品のオブジェとしか思えなかったからである。
料金は、朝9時から夜11時半までで、2,650円とのこと。帰りに、「寄ってみようか、どうしようか」などと話したが、やっぱり、ちょっと高いねぇ、という結論に達して、今回はパスした。そのうち、のんびりと温泉につかりに来たいものだ。
島に入ってすぐ目につくものといえば、この青銅の鳥居。
江ノ島を紹介するサイトや本などではすっかりおなじみだけれど、現地でこうして眺めると、やっぱり趣きがあるなぁ、と感じ入る。
鳥居をくぐると、土産物屋が軒を連ねる坂道が続く。昔懐かしいお面とか人形とかを売っているのだが、時代を映して、「妖怪ウォッチ」のアイテムであったり、「ムシキング」に登場するカブトムシやクワガタだったりするところなどが、なんだかおもしろい。 ほかにも、「手作りサブレ」とか「せんべい」とか「まんじゅう」、それに土地柄、海鮮をあつかっている店をよく見かけた。「江ノ島丼」とかいうのが目に入ったが、今回は、お昼を「生シラス丼」にする、という計画が事前から中谷との間で出来上がっていたので、スルー。たしかに、食指を動かされたのは確かなのだが。次回ということで。
江島神社辺津宮の鳥居より、階下を見下ろす。正面のビル群が江ノ島駅付近
坂道を登るきると、今度は階段を上っていく。すると、やがて赤い鳥居が現われる。「江島神社辺津宮」への入り口だ。さっきの商店街は参道で、これより「奉安殿」、「八坂神社」、「中津宮」と神社が次々と続く。それらを訪ねるたびに石段をふうふう言いながら登っていくのであるが、実は「エスカー」なる乗り物がちゃんとある。
「ねえ、中谷。エスカーだってさ。いったい、どんな乗り物なんだろう」看板を見て、わたしは聞いた。
「う~ん…」中谷は小首を傾げつつ、「名前からして、まさかとは思うけど、エスカレーターとかじゃないの?」
エスカー乗り場とか言うところを確かめてみれば、それは紛れもなくエスカレーター以外の何物でもなかった。運賃は大人330円、しかも、登りっきりで降りるほうはなし。なんか、「エスカー」とかいうものだから、光速――とまでは行かないまでも、ハイテクのパワーで頂上まで一気に駆け上がる装置をぼんやりと頭に思い浮かべてしまった。2人して苦笑したことはいうまでもない。
山の上まで来ると、木陰もあるせいか、いくらか涼しい。四方からセミの大合唱が鳴り響く。
「ちょっと寒いという気もしないでもない」と中谷は言い、登る途中で脱いで腰に巻きつけていた長袖シャツを、再び着だした。
「えー、そんなに寒いの? こっちなんて『涼しい』ですらない、いまでも暑くてたまらないのに」わたしは驚いて反論した。
「まあ、寒いというほどでもないけどさ、やっぱり山の上まで来たという感じがするよねぇ」
つまりは、寒いんだな、と結論づけたが、別に無理にシャツを脱がせるいわれのあるはずもなく、ふうーんっとうなづいて袖を通すのを見ていた。
このあたりは山頂のようだ。海抜何メートルあるのかわからないが、こうして見ると、相当な高さである。これだけ高ければ気温もずいぶん違うのに違いない。たしかに中谷は汗をかいているふうでもなく、涼しげな顔をしている。対して、わたしなんていまも片手にハンカチを持って額の汗を拭っている。この違いはなんなのだろう?
頂上からの展望。港にはヨットが所狭しと浮かべられている。
江ノ島に来たら、ぜひ寄っていきたいとかねがね思っていたところがある。四方の海を見渡せる、灯台兼展望台だ。グッド・デザイン賞に輝いたというだけあって、ユニークな形をしている。逆円錐形で、なんだか安定感に欠けるような、心もとない立ち居姿が妙な迫力をかもし出している。
展望台は、サムエル・コッキング苑という庭園の中に立っていて、入場料・昇塔料併せて500円。
ちなみにねサムエル・コッキングとは、英国の貿易商で、明治中期に、ここ江ノ島に「コッキング植物園」を作った人物である。
グッド・デザイン賞に輝いた灯台兼展望台。アンバランスな造形だが、実際、上部に見える展望台は揺れた。震度2弱くらいかな。
一階脇の資料展示場には、旧灯台時代のライトや模型、古~い写真などかざってあって、歴史を感じさせた。
灯台のライトはとにかく大きかった! どれくらいでかいかというと……
ハウジングの中に、大人一人入れそうなくらい!
これぐらい大きくないと、遠く沖合いまで照らせないのだろう。
フロアには、旧灯台の模型がでんと置かれている。細部にまでこだわった作りで、デジカメをマクロ・モードにして撮ってみたところ、まるで円谷映画にでも登場しそうなほどの大迫力だった。
自分としては、こちらの青い灯台のほうも、海風にさらされ、灯台守たちが嵐の中奮闘する光景が思い浮かび、なかなか味わい深いなぁ、と感じたのだが。
江ノ島と陸をつなぐ江ノ島弁天橋は、古くから何度となく掛け直されてきたそうだ。昔は木の橋だったため、台風が来るたびに流されてしまったという。
現在はコンクリート製の立派な橋となり、さらには昭和39年の東京オリンピックでの、ヨット競技に向けて、自動車専用の江ノ島大橋も建設された。壁には、そのころの様子が白黒写真で展示されていた。
中谷は、ネットで見つけた江ノ島関連のHPをプリントアウトして持ってきていた。ホッチキスで左隅をとめた、10枚以上はありそうな資料である。それをパラパラとめくりながら、
「ちょっと前までは、江ノ島って陸続きだったんだって」
「何年位前?」とわたし。
「え~…」中谷は資料に目を落とす。「2万年前だって」
「それ、ちょっと前じゃないんじゃ……」
「アハハ、まあね」
沖積世(およそ2万年前) 江の島、沈降運動により片瀬側と離れ独立した島となる、とそのサイトには記されている。ほんとうにちっぽけな島なのに、なんだかあれやこれやと深いものを感じた。それが、多くの人々を魅了してきた江ノ島の秘密なんだろうか。
エレベーターで展望台に登って見ることにした。
上から見た景色はなかなかのもの。晴れていれば、もっといい眺めだったんだろうなあ。
時折、小雨がぱらつき、ガラス窓に雨粒が点々と張りつく。そんな中、大きな鳥が4、5羽、ぐるぐると弧を描いて舞うのが見えた。
「あれ、トンビかな?」わたしはつぶやいた。
「かもしれないね。なんにしろ、すんごく大きいね」
窓の外をじっと見ているうち、なんだかくらっとした。ん? めまいかな。
しばらくすると、またくらくらっ。
あ、これってもしかして、灯台が揺れているのかも。
「ねえ、中谷。ちょっと揺れてない?」
「うん? んー……」とセンサーを働かせる中谷。「揺れてないんじゃない? あ、待って――揺れてるかも……揺れてるなぁ、すこーし」
やっぱり、逆円錐形なデザインって、不安定なんだなあと実感した。そんな気持ちで外のフレームとか眺めて見ると、いかにも危なっかしく思えてきた。まあ、いきなり、ボキッ、ガラガラ、ガッシャーンってことにはならないだろうけれど。
展望台を一回りして景色を見た後は、下に降りて、同じ敷地内のサムエル・コッキング苑を歩いて見ることにした。
崖っぷちに案内が書かれている。ここ江ノ島は、マイアミとの姉妹都市なのだとか。
江ノ島はネコが多いと聞いていた。島に入ってから小一時間、あまり見かけた気がしなかったが、苑内に入ったら、ちょくちょく遭遇するようになってきた。
ここにも、あそこにも、ほらそっちにも!
サムエル・コッキング苑を出る頃には、またじっとりとした雨が落ちてきた。雨脚が強くなりそうな気配だったので、そろそろどこかの店に入って、お目当ての生シラス丼を食べようということに。
階段を登り降りしながら、一軒の食堂を見つけ、そこに入る。窓際に案内され、二人して一息つく。島内は外からみるとこじんまりしているのだが、坂や階段が多く、意外と歩き疲れる。
窓から見ると、外は断崖絶壁で、さっき展望台付近を飛んでいた猛禽が飛びかっている。雨の中、大変だなあと思う。
生シラス丼は、海草だか海苔だかをどんぶりの内側にぐるりと輪に盛って、生シラスをたっぷり乗せたものである。シラスというと乾物しか食べたことがないため、しっとりとした歯触りがなんとも新鮮な体験だった。塩味の効いてパリッとした海草と相まって、二杯はいけそうに思えた。
食べ終わってアイス・コーヒーを飲んでいると、店のおばさんがパン屑を持ってきた。
「これをね、こうして――」おばさんは、窓を開けると、ちぎって丸めたパン屑を空高くに放った。周回していた鳥の一匹が目ざとくそれを見つけ、さっと舞い降りてパン屑をついばんでいった。わたしたちと、隣の席に座っていた4人の若者たちがいっせいに声をあげた。
「うっわー、すげっ。こえ-っ!」(これはわたし達ではなく、4人の若者の一人である)
「どわあっ、なになになに、こいつ!」(これもわたし達ではなく、4人の若者の一人)
「うひゃあ、入ってくんなよ、やっべー!」(これもわたし達ではなく……以下同文)
「えっえっえっ?!」(これも……いや、これは中谷の第一声)
おばさんは落ち着き払って、
「あれね、トンビなの。中には入ってこないから、大丈夫。あなたたちも、よかったら、このパン屑投げてみる?」
それからしばらくは、雨風が吹き込んでくるのもかまわず、トンビに餌やりをして楽しんだのだった。
店を出ると、雨はほとんど上がっていた。
「台風どうなったかなあ」とわたしは空を仰ぐ。
「通り過ぎたか、太平洋側にそれたんじゃない?」
「もしかしたら、目の中にいるとか」
「そんなことないでしょ」
などと言っていたが、あとでこの時間の台風の進路を調べてみたところ、ほんとうにど真ん中に滞在中だったようである。
最後に岩屋に行ってみることにした。なんでも、洞窟に入れるらしく、それも江ノ島でのお目当ての一つだったのだ。
島の入り口から見て真裏に降りていったところに、岩場が広がる。平らに突き出ていて、波がない日は下まで降りていけるようである。あいにく、台風の影響で、岩場に降りる出入り口が閉鎖されていたが、晴れている日は釣りもできるらしい。
今降りたら、頭からずぶぬれになりそうだ。
通路は石畳となって歩きやすい。ただ、一歩進む毎に、ザワザワッとフナムシがよけていくのを見るのは、決して心地よいものではない。途中、通路外の岩場に出るところもあって、壁一面に張りつくフナムシを、ここぞとばかりに観察してみた。英語で「海のゴキブリ」と称されるらしいが、それもうなづけるすばしっこい動きをする。見た目はワラジムシだし、磯の光景としては絵になるだろうが、万人に愛されるような生き物とはいえないかもしれない。
場所によっては、数十匹ほど固まっているところもあちらこちら見られた。雑食性だそうで、藻や動物の死骸などを食べている。浜で寝転がっていると寄ってきて、チクッと噛むこともあるそうだ。
体長は5センチくらい、7対の脚を持つ甲殻綱・等脚目・フナムシ科の生き物、ということをあとで調べた。
いよいよ洞窟探険のはじまり。入り口でチケットを500円で買って、中へと入る。
なんだか、お化け屋敷の入り口のよう。ちょっとだけ、ぞくぞくする。
中はひんやりとして涼しい。いままで蒸し暑かっただけに、心地よさひとしおである。足元は平らにならしてあるが、じめじめしていて滑りやすい。雰囲気を出すためか、あえて控えめにした照明のため、うす暗い。目がなじむまで、足元がおぼつかなかったりする。
中学生の団体が教師に引率されて見学に来ていて、にぎやかな声が洞窟に広がっていた。「背中に水がはいったよーっ」とか、「うわっ、フナムシだっ」などと、なかなか楽しそうだ。
騒がしすぎるのは困るが、かといって、静まり返った洞窟を奥までいくのは、ちょっと勇気が必要かもしれない。
岩屋は二つに伸びていて、いま歩いているところが第一岩屋と呼ばれるところだ。さらに奥へと進むと、途中、立ち寄り所があって、そこで明かりを受けとる。和紙で囲いをした中にロウソクを立てた、簡単なものだ。こういうのも、なかなか風情があっていい。
突き当たりにはケースに納められた、石像がいくつも並ぶ。
写真を撮りながら、行けるところはすべて歩いてみた。
引き返して、さっきの立ち寄り所にロウソクを返すと、いったん外に出て、第二岩屋に向かう。
崖の下にに「亀石」が見える。いつか知らない昔、誰かが彫ったそうだ。
とりあえず、雨は止んでいた。相変わらず、足元をフナムシの集団が逃げていく。
「ふと思ったんだけどさ」フナムシを目で追いながら、中谷。「この子達って、人が来ると両脇に去っていくじゃん。でもって、続いて誰かやってくると、またワラワラと逃げていくじゃん。いつのまに、どっから道に戻ってくるんだろう?」
「そうだね。すばしっこいから……。そもそも、逃げるくらいなら、初めっから通路になんか出てこなければいいのに」
まあ、フナムシの気持ちはフナムシにしかわからない。彼らには彼らの、何か特別な理由があるのだろう。
第二岩屋の入り口。神秘的な雰囲気を漂わせている。
第二岩屋は、第一岩屋に比べて、奥行きがずっと浅い。突き当たりには、物々しく網で囲まれた「なにか」が鎮座している。すでに先を進んでいたさきほどの中学生の女子の悲鳴がこだまし、続いて恐ろしげな咆哮が響き渡る。いったい、何がふたりを待ち受けているというのだろう。
近づいてみてわかったのは、金網に封じ込まれたドラゴンの像だった。
もしも一人で洞窟に入って、しかも知らなかったら、きっと仰天するに違いない。スピーカーからの雄叫びも、かなり大音量だったと思う。
個人的な感想だが、この洞窟探険が江ノ島で一番楽しめた。フナムシもじっくり観察できたし。
最初に江ノ島を陸から眺めた印象は、「ずいぶん小さいな。ちょっと歩けばすぐに見尽くしてしまいそう」だった。
実際に足を踏み入れて、その考えは大きく変わった。ざっと見て歩いただけで、かれこれ3時間ほどかかった。一つ一つをじっくり見て回ったとしたら、おそらく島内に二泊は滞在しないと無理だろう。いや、そもそも一回来たくらいですべてを知ろうというほうが無謀なのかもしれない。
また、ぜひ足を運んでみたいと思った。考えるに、再訪のたびに、また違った印象を刻むのではないだろうか。そんなことを胸に、わたしと中谷は島を去った。